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深霧のザーイエッツ  作者: 山崎 樹
第六章 それぞれの決戦前夜
61/121

それでは貴方が可哀想じゃない

 プロットのミスがありまして、前話の六話の最期を加筆しました。今回の七話はその続きになります。

 同じ文章を二度読ませてしまい不快に感じた人はすみません。

リューネブルク市・グレゴール(テレーゼ)邸―――


「おいおい、もうテレーゼお嬢様とは会うことがないのではなかったのかな」

「……」

「そうか……会わないまでも様子を見には来ていたのか。遠くから、眺めて……ははは、大した忠犬ぶりだ」


 ツェツィーリエの首筋に剣を突きつけた少年はテレーゼの〈元〉従者であるヴァンであった。先のアーデルハイド暗殺にも関わり、つまりはテレーゼの母を間接的とはいえ殺めている。組織のために……そこに何の感情も刺しこめる隙間はない。

 だが、その考えは他者にまで強制できないのだ。ましてや母親を殺されたテレーゼに対して組織のために仕方なかったとは言えない。故にもう会わない、合わせる顔がない。

 かつてリヒテルに対し、非情さが足りない、と偉そうに指摘したヴァンは自分の立場になると決断ができなかった。

 アーデルハイドを切り捨てたリヒテルに対し、ヴァンはまだテレーゼを切り捨てられない。


「ツェツィーリエ……誰に教唆されたのか知りませんが、司教府に投降してください。貴方がやっていることは組織に対する背信です。何らかの形で罪を償わなければなりません」

「ほほう……いやに冷静じゃないか。愛しのテレーゼお嬢様に危害を加えようとした私に対し……」

「私も今は人の上に立つ身、感情的に動くことはできません」


 そう言うと、ヴァンはツェツィーリエから視線を外し、ベッドに蹲るテレーゼを見やる。

 無気力となり、満足に食事もとれなくなった彼女だが、リヒテルが人を派遣したおかげ

で餓死することもなく、それどころか服装などもござっぱりしたものだ。

 髪はいつだったか、不器用なテレーゼ自身が切った時よりも綺麗に切り揃えられており、服装もいつものクロス・アーマーではなく、着させた者の趣味か、祭用のディアンドル(エプロンドレス)を着ている。

 ヴァンは少しだけ息を吐いた。いかに色気がない、がさつと言われていても、やはりテレーゼは女の子、良く似合っている。

 裾が短く作られたパフスリーブのため、すらっとした腕が目を曳き、伏せられてなお整った顔の造形美が垣間見える。胸元にはチョーカー、男が付ける無骨なものではなく、木の実をあしらった、素朴だがテレーゼ本人の持つ美しさを際立たせている。

 長年の付き合いか、やや贔屓が、否、かなり贔屓が入った感想だが、ヴァンを一時陶酔させるには十分ではあった。

 しかし今はただの人形、魂が抜けた人形。ツェツィーリエという外敵が現れても微動なにしないというのであれば、もはや間違いはあるまい。


「おいおい、罪人である私をほっておいて見惚れてないで欲しいな」

「ああ、すいません。もう大丈夫です、行きましょう……その前に一つ、質問してもいいでしょうか?」

「なんだね、私に応えられることならばいいのだが……」


 ツェツィーリエが余裕を保ちつつ、ヴァンに向き直る。ヴァンは別にツェツィーリエに怒っている訳ではない。ただ組織の法を犯した罪人を捕えただけ……ならばことさら警戒する必要はない。ただ言質を取られるようなことを言わなければいいからだ。

 そう、ツェツィーリエは計算した。


「ツェツィーリエ、貴方は何をしても死なないんでしたっけ?」


 瞬間、ヴァンの右足がツェツィーリエの顔面に突き刺さった。鋲で補強された革靴である。

 だとしてもそれが顔面を陥没させるとは尋常な力ではない。まるで杭を打つように革靴が脳みそに食いこむ。何か柔らかい物が潰れたような音が辺りに広がった。


「……」


 倒れこむツェツィーリエ、しかしヴァンはその長い髪を掴むと強引に顔を上向かせ、今度は振り子のように足を後ろに下げると、その口目掛けて蹴りを叩き込む。

 ゆで卵を想像してほしい。それをテーブルに置き、ハンマーか何かで叩いたような感じだ。

 下品な音を立ててツェツィーリエの口から空気が漏れ、白い卵の殻のような物がポロポロと零れ落ちる。砕けた歯だ。


「……」


 最後は踵落とし。うつぶせに叩き付けられた彼女の後頭部に容赦なく振り落される一撃。

 その後、頭の半ばまでめり込んだ靴をヴァンは抜こうとする。しかし抜けない、頭蓋骨のどこかにひっかかったのか、靴が抜けないのだ。

 仕方なくヴァンは左足を軸に反動をつけて靴を引き抜く、泥水のような黒い飛沫が床を染め、ヴァンは手に掴んでいた、引っこ抜けた頭髪を床に放り投げた。


「……」

 

 死術の極意を極めたツェツィーリエの身体は例え致命傷であっても、その傷を再生させる。

 黒い影のような物が傷口を覆い、その霧が晴れる頃には全て完治しているのだ。


「そうですか……テレーゼお嬢様を攫うように命じたのはバルムンクの古参幹部。アーデルハイド脱走時には直接行動を起こさなかったくせに、今になって影で動こうとするとは……娘だけは助けるということでしょうか、だとすればあの時、アーデルハイドとともに私達に剣を向ければ良かったのに、今更何もかも遅いわ、ボケが!!」


 ツェツィーリエが朦朧とした意識の中で、ヴァンに自己弁護する。私は悪くない。私は騙されたんだ。だから……裁かれるのは奴らだ。


「分かりました。ツェツィーリエ、もう貴方は司教府に来る必要はありません。ご苦労様でした」


 尋問、というよりも勝手にツェツィーリエがしゃべっただけだが……ともかくこの場でのヴァンの役目はほぼ終わった。後はツェツィーリエらを外に運び出すだけ。

 いやもう一つ、ツェツィーリエに壊された衛兵の代わりを派遣してもらわなくていけない。

 一つ一つ、段取りを組んでいたヴァンは、その存在を思い出した。

 大きな影の怪物が、ヴァンに襲い掛かる。


 それはツェツィーリエの使い魔というべき影術士の幼女であった。ヴァンがこの部屋に侵入した時に、奇襲されて気絶させられていたのだ。

 口から漏れる血は内臓を傷つけられたから、主たるツェツィーリエの危機に、そして自らの危機に対して、必死に起き上がり、影の怪物を使役したのだ。

 影に意識の大半を奪われた幼女は震えていた。思考する能力がほとんど残っていないにも関わらず、恐怖で子犬のように震えていたのだ。

 目の前のヴァンが、どれだけ危険な存在であるか本能が告げている。速やかに排除すべし。そうでないのならば、私もあんなふうに……


「死術士も影術士も同じもの。同じミストルティンの種を埋め込んだ人間だ。そして影の怪物もまた屍兵と同じくより強く、成長した方に従う。私の身体の種は十年間、私の血肉を食らって苗木まで成長している。いかにツェツィーリエの腕前でも、付け焼刃では相手にもならない……Dance Macabre(死の舞踏)」


 ヴァンが呪文を唱えると、影の怪物が突然、苦しみ始めた。まるで相反した命令を聞いたかのように頭を抱え、胸をかきむしる。

 解放されたヴァンは影の怪物に取りつかれたにもかかわらず、何の外傷は見られない。むしろ、対峙する影術士の方が憔悴していた。脂汗を流し、顔面を蒼白にする。

 信じられない、顔に書いてあった。


 ゆっくりと影の怪物は自らの胸に手をズブズブと差し込み、何かを引き抜こうとする。

 徐々に怪物にかかっている幻覚が薄れていく。そして影が消え、白骨化した顔が覗いた瞬間、バッタリと床に斃れた。

 残るは粉々になった骨と肉、黒く腐った血。そして引き抜かれたミストルティンの種であった。


「トドメです」


 使役していた怪物を破壊されて放心したのか幼女は無防備だ。一息に首を跳ねる。ヴァンは一足飛びに駆け、剣を薙ぎ払った。

 幼女の顔はまっさらな無。もはや自分が何者かも忘れた彼女は不死兵であったアンゼルムと同じくただの人形。殺した方がむしろ情けだ。


「て、テレーゼ様!!」


 だが、寸前の所でヴァンは急停止を強いられる。いつの間に動いたのか、蹲っていたテレーゼが幼女を抱え込み、庇っていた。これでは一緒にテレーゼをも斬ってしまう。


「お放しください、お嬢様」

「……で、す」

「このままでは貴方も斬ってしまいます」

「嫌です!!」


 長期間しゃべっていなかったのか、やや声がかすれていたが、テレーゼは明確に拒否を示した。

 なぜ今になって……自己の危機に無防備だった彼女が、他人の危機に動くのだ。動揺する心を抑えつつ、ヴァンは淡々と詰問する。

 事、職務に関して、いかにテレーゼであっても、基本的にヴァンは妥協しないのだ。


「貴方が抱えている幼女は敵です。それはお分かりですか」

「分かっています」

「なら、なぜ……」

「敵とはなんですか……私の母も敵なのですか」

「そうです。バルムンクを裏切った敵です」

「それで誰に迷惑をかけたというのです。誰を殺したと言うのです」

「それは……もう水掛け論ですね」


 ヴァンは溜息をつくと、剣を鞘にしまった。基本的に、職務は妥協しない彼だったが、例外はある。その例外の多くは目の前のテレーゼお嬢様にかかわることが大半だ。

 目の前の影術士は敵だが、命令するツェツィーリエを押さえておけばとりあえず危険ではない。放置しても問題はない。そう、ヴァンは判断した。正確にはそう自分を納得させた。

 だが、タダで許すわけには行かない。それでは示しがつかないのだ。


「そこの幼女は見逃しましょう。ただし条件があります、明日の会議に貴方も参加してください」

「何のために……頭が悪い私ができることなんてありませんわ」

「ただの礼儀です。皆が戦場という危険に臨むときに頭領の妹分だけが病気とは言え安全なところで養生していては不公平だと騒ぐ人間もいるでしょう。直接、何かをする必要はありません。ただ、いるだけでいいです」

「……分かりましたわ」


 短い沈黙の後、幼女をぎゅっと抱きしめてテレーゼがその条件を飲んだ。ヴァンは少し驚く。

 これが少し前までの廃人か……いったいどういう心境の変化が起きたのかヴァンにはまるで推測できなかったが、ならばこの幼女は安い代償かもしれないと考えを改め始めていた。


「では、私は行きます。再会は明朝、いつもの広場にて……その後に司教府にて恐らく着せ替えがあるでしょう」


 ヴァンはついに力尽きて気絶したツェツィーリエを抱きかかえると背負った。自分がやったにしては丁寧な動作であった。

 ツェツィーリエを背負ったヴァンはゆっくりと部屋から出ていこうとする、と一瞬立ち止まると首だけ降る向き、テレーゼと目を合わせた。


「床の掃除はしなくてもいいです、人を呼びます」

「それくらいは私が……」

「物を壊すだけです」

「……」

「それともう一つ……」


 いつもの鉄面皮を少しだけ崩してヴァンは憂い顔で話を続ける。


「貴方の憎悪は正しい。母親を殺されて、姉を殺して平然としている方が異常です。しかし今の世は……正常な人間が虐げられ、頭のおかしい人間が人の上に立つ、そんな世の中です」

「それは貴方とかリヒテル兄様がおかしいっていうことですの」

「そうです、はっきりと異常ですよ。だから正常な貴方の方が参ってしまいます。だから、だから……恨み事はいくらでも聞きます。それくらいしかできませんけれども……」


 再び、前を向いて進むヴァン、その背後から、愛する幼馴染、主人の妹分でもある少女の声がかかる。


「恨み事は言わないわ」

「なぜです」

「それではヴァン、貴方が可哀想じゃない」

「私が……可哀想?」


 自分が可哀想……その答えをヴァンは理解できない。確かに自分は混血として弾圧される身だ。

 しかし、それ以上の罪を犯してもいる。禁忌とされる死術を学んだこと、バルムンクという組織で汚れ役を担ってきた、弱者を虐げてきた。ミハエル伯との戦いでは助けるべき同胞を屍兵に変え、ハノーヴァー砦では嫌がる民兵を無理やり決死隊に編入し、その結果、全滅させた。

 そしてアーデルハイド。自らが仕える長を殺したのだ、もう同情される身ではない。口が裂けても他者に責任を求められる立場ではないのだ。自分が弾圧されるのは自らの犯した罪のため、そう、自分が悪いのだ。


「その言葉は、他の人に取っておいてください。戦争が終わった後に、貴方の優しさがバルムンクには必要だ」


 ヴァンはそう言うと、今度は振り返ることもなく去って行った。


*****


司教府―――


「どういうことじゃ。今になって、不戦を唱えるなど……死んでいった者が浮かばれぬ」

「動揺するな、エルンスト老。客人の手前だ」


 司教府の中枢、リヒテルが務める執務室に動揺が走る。打倒スヴァルトを掲げて集まったファーヴニル達、それらの一部がなぜか戦闘の回避を提案してきたのだ。

 ウラジミール公に、スヴァルトに勝てるわけがない。急ぎ、和議を提案してはいかがか……

 無論、この後に及んで和議など受け入れられる訳がない。各地で農民一揆を誘発させたバルムンクという存在は悪性の腫瘍も同然、普通の人間ならばその除去を考えるだろう。

 それ以前に、スヴァルトに虐げられているアールヴ人の解放を唄うバルムンクがスヴァルトと手を組む、本末転倒どころではない。

 今まで散っていた同士は無駄死にとなり、彼らの遺族はその裏切りに憤ることだろう。民衆もバルムンクを見放し、同組織は大義を失って消滅する。


「何者かの策略じゃな。これは早く裏切り者を始末しなくては……」

「見苦しいですよ、グレゴール。これは全てそこにいるリヒテルの指導者としての器が小さいから……誰のせいでもありませんよ」

「ヨーゼフ殿」


 慌てふためくグレゴールを見下し、冷たく宣告するヨーゼフ大司教。

 十年前の法王候補、南部バイエルン司教区を中心とした反スヴァルト組織のまとめ役であるこの老女はその立場故に基本的に合理主義者だ。

 人をまとめられない指導者に何千という部下の人命は預けられない。


「エルンスト老……貴方は私のためにどんな卑劣な真似でも、侮辱されるような振る舞いでもすると誓ってくれた。だがそれは今ではない」

「リヒテル……お主」


 リヒテルは目を瞑ると、厳かに両者に告げる。そこには溢れんばかりの自信も、そして勿論動揺もない。

 ただあるがままの事実を受け入れる。大草原に流れる澄んだ風が心を占めていた。


「余計な説得は必要ない。戦わないと言うのならばそれは彼らの意志だ。そしてそうさせた私の未熟。予定通り会議は行う。議題はウラジミール公との決戦を行うかの可否。方法はアールヴらしく多数決で良かろう。半数が賛同すれば可決だ」

「半数では足りませんね。三分の二は欲しいわ。それだったら私も従軍を考えてもいいです」

「それで構わない、ヨーゼフ大司教……でいいのかな」

「それで結構ですよ。リヒテル頭領……だと少しこじんまりしているわね。ファーヴニル組織の頭領をまとめるから、総統……これがいいわ」


 平静を保つリヒテル。動揺するエルンスト老。そして愉しそうに笑いながらその実、リヒテルを厳しく吟味する。三者三様の思惑が絡みながら、会議場はその扉を開け放った。


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