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深霧のザーイエッツ  作者: 山崎 樹
第五章 終わりの始まり
53/121

貴方だけは最後まで愛していました

スラム街―――


「神官さん、こっちです。港の奴らがこんなスラムまで……」

「ああ、もう過剰労働だよ。これが終わったら、帰る、私は家に帰るからな」


 敵発見の報を伝えて興奮する市民に、半ば急き立てられるように竜司祭長ブリギッテは港の戦闘後、まだ動けた少数の兵士を連れてスラム街に突入した。

 それはまさしく偶然の産物だったが、ヴァンの抵抗と、リヒテルの悪あがきが本来ならば間に合わないはずの援軍を間に合わせてしまったのだ。

 状況が一変する。今度はグスタフ達が追いつめられる側だった。数十人の官兵に対し、グスタフ側はアーデルハイドとテレーゼを含めて三人。

 ただし、グスタフらと官兵、個々の武力に雲泥の差があり、先もグスタフとアーデルハイドの二人は十数人の同程度の実力を持つファーヴニルらを瞬きをするまでに全滅させている。

 逃げるだけならば、まだ可能だ。


「せっかく港で勝ったのに、ここで白兵戦をして死んでは馬鹿らしい。クロス・ボウ兵、一斉射撃、あのスヴァルト貴族をハリネズミにしてしまえ!!」

「飛び道具。奴ら上官であるリヒテルも巻き添えにする気か。嫌われているな」

「問題ない、あのくらいでなければ戦士としては役に立たない」


 グスタフが官兵達に気を取られたスキに、リヒテルが残された体力を振り絞って蹴りを放つ、無論、そんな悪あがきが通用するグスタフではない。

 ロクにリヒテルを見もせずに剣で迎撃する。蹴りはあっさりと剣で受け止められた。


「しまった!!」


 だが、リヒテルはその〈剣〉を足場にして後方に跳躍する。まるで垂直の壁に立つような離れ業。そのまま壁に叩き付けられるが、受け身を取ったようだ。

 グスタフは宙からその様子を見たように錯覚した。上下があべこべになっている。


「よし、計算通り……リヒテルが離れたぞ」

「本当ですか、ブリギッテ様。リヒテル様諸共、射つつもりだったんじゃ」

「う、うるさい、いいから放て!!」


 ブリギッテの命令一下、十人程のクロス・ボウ兵がグスタフを狙撃する。同じ数だけの直線上に進む死につながる光。光は射線上の兵士をヴァルハラに送還する。


「おいおい、飛び道具で俺を殺せると思うなよ」

「えっ?」


 鳴り響いた甲高い音は三回。だが、それで全ての矢が叩き落された。

 ただの矢ではない、器械仕掛けのその矢は人力で放つロング・ボウなどとは威力が違う。

 盾すら貫くその鉄の閃光を薙ぎ払える人間の戦士はいない。それはもはや熊か虎、猛獣が行う芸当だ。

 だが、グスタフの荒業は少しばかり、遊び心が過ぎたようだ。三回目の音は彼が手の持つ剣が砕けた音だったのだ。

 彼は武器を失った。次の一斉射撃は回避できない。


「化け物が……」

「だが武器は破壊した。今度こそ」

「アーデルハイド、時間切れだ。さっさとヴァンを始末して逃げるぞ」


 グスタフは大声を上げてアーデルハイドに呼びかける。見れば、アーデルハイドは未だヴァンと交戦していた。

 両腕を失いつつも、ヴァンの首元に噛みつく彼女にグスタフは母親の狂おしいまでの執念を見る。

 それはまるで蝋燭の最期の閃光に似て、ひどく悲しげなものだった。


(もう、長くないな。さらばだ、アーデルハイド。せめてもの情けだ。マグデブルクにある夫の墓に葬ってやるよ)


 彼女の死を予測したグスタフは短く十字を切り、そのまま銀の雀亭横の裏道を目指す。東門に続く最短距離。

 その途中、まずは放心状態のテレーゼに平手打ちして、目を覚まさせ、ヴァンを倒したアーデルハイドを担いで逃げる。

 脚力と膂力には自信がある。また、スラムから出る東門は既に買収済み。グスタフは逃走の成功を確信した。しかし、心の隅で何かが警鐘を鳴らす。

 そもそも、腐敗した官兵らが港でゴルドゥノーフ騎士団相手に勝利すること自体、あり得ないことだ。

 さらに、そんな死闘の後で、さらに転戦する気力を保持していたことも驚きである。しかし、あり得ないことが何度も起これば、それは自分の認識が間違っているだけの事。

 ハノーヴァー砦にて、戦うのが嫌で八百長まがいのことをしでかした官兵と、今対峙する官兵は同じ人間だが、まったく別種の存在なのではないのか。

 彼はその疑問を疑問のままにしなかった。彼は自身が斃したファーヴニルの死体を掴むと、素早く着ていたコートを被せた。ファーヴニルの死体は遠目にはスヴァルト貴族に見えるだろうか。

 そして彼はその死体を前方、裏道に向けて放り投げた。

 自身とそれほど変わらない重量の死体を片手で投げる、とんでもない怪力である。


「じゃあな、アールヴ共。俺は〈裏道を通って〉逃げるぜ」


 死体が裏道に投げ込まれた瞬間、グスタフはこれ見よがしに大声でそう言い放った。

 あからさままでの挑発、しかし〈彼らは〉ひっかかった。

 死体、グスタフの身代わりになったそれに道の横から飛び出た槍と、矢が突き刺さる。恐らく物陰に隠れていたであろう彼らは、まるで親の仇とでも言うように、死体を存分に破壊する。

 無警戒で裏道を通っていたら、グスタフが同じ目に合っていたことは明白だ。


「逃げ道に伏兵かよ……随分とまあ、玄人じみた真似を。これが腐敗神官か、熟練の兵士と言っても言い過ぎじゃないぜ。おっと……何?」


 相手はもはや腐敗神官、弱兵ではない。その認識が生死を分けた。

 普通、クロス・ボウは一度放つと一、二分は放てない。器械仕掛けの悲しさ、巻き上げ機の操作や次弾の矢を装填するのにそれだけの時間がかかるのだ。しかし、グスタフは見落としていた。

 港で戦ったクロス・ボウ兵は数十、しかし今この場にいるのは十人。例え幾人か戦死したとしても武器は残る。

 例えば、あらかじめ一人が装填済みのクロス・ボウを複数持ち、撃った後、次弾を番えるのではなく、次のクロス・ボウを構えれば、連続射撃が可能となるのだ。

 戦場で数回ばかり連続射撃ができてもあまり大差がなく、むしろ複数持てば重量が嵩み、俊敏に動けなくなる。だが、この場においては有効だった。

 なぜか先ほどより、飛んでくる矢の数が少ない。そのため、二度目の一斉射撃をすんでの所で回避したグスタフは、しかし矢の数が少ない理由に気付いた。官兵はグスタフとは別の敵を見つけたのだ。

 初めに見た物はゆっくりと膝が折れて蹲るテレーゼ。ついで、アーデルハイドに首元を噛みつかれ、ついに力尽きるヴァン。そして、胸から矢じりをいくつも生えさせたアーデルハイドの姿であった。

 間違いなく致命傷だ。いかに影の力を得ても、心臓を貫かれた人間が生きていけるはずがない。


(終わりか……全て)


 あらかじめ、彼女の最期を予期していたグスタフに動揺はない。ついに来たのだと、ただ理解するだけである。

 夫であるベルンハルト枢機卿を通じて、法王シュタイナー三世以下、高位の神官と交流があったアーデルハイドを利用する計画が潰えた。

 ただ娘であるテレーゼが残っている。アーデルハイド程ではないが、それでも血縁ということで、利用価値があるが、母親を目の前で失わんとする彼女の表情を見てグスタフはその考えを放棄した。


(連れていくのは野暮というものか)


 翻って、グスタフは再び自身が進むべき道程を見やる。伏兵を確認、しかし強硬突破しか方法がない。味方もない、武器もない。玉砕は必死であった。

 だが、それでも彼は自身の成功を信じていた。進むは冥府魔道。畜生に落ち、蜘蛛とののしられた自分に何の恐怖がある。敗北の恐怖無き彼には勝利への希望しかなかった。

 そもそも、しくじればただ死ぬだけの事。それ以上でも以下でもない。この国の王となるべく全てを犠牲にすると決めたのだ。覚悟は十年前に決めている。


(じゃあな、リヒテル。アーデルハイドを殺したくらいでへこたれるなよ。俺は……もっと強いぜ)


 あくまで希望を捨てない彼は、心の中で、あえて虚勢を張った。そして幸運の女神はグスタフに微笑む。


「グスタフ卿、ご無事ですか!!」

「スヴァルト兵、なんでこんなに……」

「港の奴らか、いや、東門が破られたのだ」

「そんな報告は受けてないぞ」


 アーデルハイド救出のためにスラムに潜入したセルゲイ率いるスヴァルト兵が出現する。裏道から悲鳴と血飛沫が飛んだ。

 グスタフに奇襲をかけようとした伏兵らは、自らが奇襲を受けることを想定していなかったのだ。

 精鋭ぞろいのスヴァルト兵は油断していた彼らをまるで穴に潜んでいた兎を狩るように、引きずり出して惨殺していく。

 だが突然の奇襲に対し、正面の官兵部隊も味方がやられるの黙って見たりはしなかった。

 今度こそグスタフを射殺すべく、三度目の一斉射撃を敢行する。三つ目のクロス・ボウを構え、放とうとしたその瞬間……


「遅いわ、馬鹿めが」


 だが、セルゲイ率いるスヴァルト兵らの方がわずかに早かった。こちらは狭いスラムでも戦えるように用意した短弓。官兵部隊を牽制すべく水平射撃を行う。

 ゴルドゥノーフ騎士団程ではないが、彼らもまた草原を翔る遊牧民あがり、弓の扱いには一日の長がある。

 


「放て!!」

「間に合わない、攻撃中止。伏せて!!」


 武器を放り出し、官兵部隊が弓を避けるべく、地面に伏せる。遅れた者が無慈悲にも射殺される中、部隊の大半が生き残った。だが、それだけだ。態勢を崩し、グスタフが逃げる時間を与えてしまう。


「東門まで撤退せよ」

「まずい、逃げられる」

「あいつ、セルゲイだ。ハノーヴァー砦で戦ったセルゲイだ。」

「東門に伝令、あいつは駄目だ。決して逃がすな!!」


 ブリギッテは、ハノーヴァー砦での戦闘を思い出していた。女は洗濯うんぬんはともかく、二倍の兵力を物ともせずに突き崩そうとしたあのスヴァルト騎士と二度と戦いたくはない。ここで殺しておかなくては……


「大丈夫、例え東門の兵士が買収されていたとしてもその兵士は港にいる。彼らは東門からは出られない」


 怠惰な彼女には珍しく、スヴァルトの港奇襲の報を腐敗神官から吐き出させた後の対応は迅速かつ的確だった。

 市民を動員しての港の要塞化、市内の官兵をかき集めて槍方陣を敷く。その過程で買収された門の兵士は港に行き、代わりに民兵が配置されている。

 結果的とはいえ、彼女はグスタフの策を破ったのだ。しかしそんな彼女もセルゲイらがその後に門を制圧し、偽の兵士を配置したことまで予測できなかった。

 後に開け放たれた東門の惨状を見て、彼女は手に持っていた剣を地面に叩き付けたという。グスタフ及び、セルゲイらスヴァルト兵はリューネブルク市を脱出した。

 

*****


 アーデルハイドの肌が、黒から白に戻る。ミストルティンの種を砕かれた彼女は死術の呪いから解放された。それはすなわち、現世に残る力を喪失したことと同義であった。

 彼女は死ぬ。彼女を殺したのは兄と幼馴染、彼らを仇と憎むことを娘(妹)であるテレーゼはできなかった。

 等しく愛する家族なのだ。どうして憎めよう、何度も刃を、幼馴染であったヴァンに向けてきた。だが、一度として殺意を込めたことはない。

 今は敵対していても、いつかは仲直りできる。そんな淡い希望を捨てきれなかった。その結末がこれである。

 どうすれば良かったのか、応えるものはいない。


「お母様……」

「……ゼ」


 テレーゼは、気づけば死に逝く母親を抱きかかえていた。両腕がない、胸にはいくつもの刃。そして軽かった。

 いかなる理由からか、死術に侵され抜いたアーデルハイドの肉体はその体積に反して、赤子のように軽かったのだ。わずかな力で飛んで行ってしまいそうなその感触が全てを物語っている。


「私は……貴方だけは最後まで愛していました」


 それが彼女の母親が遺した言葉であった。幽世に旅立ったアーデルハイドの顔は穏やかだった。全ての憎しみから解放されたその顔に一筋のヒビが走る。


「え……なんで、止めてよ。止めて、お母様の身体を持っていかないで!!」


 ヒビは広がり、顔の、否、足の先まで全身に広がる。

 まるで初めから存在しなかったように、端から崩れていく肉体。チリと化していくその姿は人の道に外れ、死術に染まった罪人のあるべき姿。


「死術士の末路はああなる。粉々に砕けて死ぬ。それが人の道に反した者に与えられた罪」

「……禍々しい」

「禍々しい……つまりは特別ということじゃないか」


 砕けいくアーデルハイドの隣、なんとか起き上がったヴァンに死術士ツェツィーリエが近づく。外道の死術士の顔は陶酔していた。夜明け前、消えゆく月でも見てるような、穏やかな顔。 

 その姿にヴァンは吐き気がする。だが同時にその姿が自分が望む、未来の姿なのだろう、とも考えていた。

 侵略者スヴァルトの血を引く混血は汚い手段を用いなくては生きれない、とは自分が言った言葉だったが、まさしくその通りだ。

 わけても、意外に繊細で、身内に甘く、あと一歩のところで非情になり切れないリヒテルを補佐するとあっては、むしろその方が都合がいい。

 もっと冷徹に、もっと非情に、狡猾に行動するのだ。その最期はもう確認した。砕けてチリと化すとは、ふさわしい最期ではないか。

 ヴァンは我知らずにほくそ笑む。何事も達観したところがある、常のツェツィーリエのような笑い方であった。

 

*****


 少しの時間が過ぎた。既にブリギッテら官兵部隊はグスタフらを追って、東門に行き、死術士ツェツィーリエも不死兵アンゼルムを伴っていなくなった。リヒテルもまた力尽き、いつのまにか運ばれている。

 ここにいるのはヴァンとテレーゼのみ。テレーゼは未だ、チリと化した母親を抱きかかえて動かない。誰もが彼女を無視した。誰も彼女に声をかける役をやりたがらなかったのだ。

 故にその役はヴァンが請け負う、もっとも初めからその役を他人に渡す気はなかったのだが。

 ともあれ、体力がわずかに戻るまでにかける言葉を考えたあげく、結局、ヴァンは辺りさわりのない言葉に決めた。


「テレーゼ様、このままここにいては風邪を召されます。ひとまずは銀の雀亭まで……」

「大丈夫よ、ヴァン」


 テレーゼは下を向いたまま、その表情は伺えない。動く気もないようだった。そのため、ヴァンは彼女を力づくで運ぶべく、ややふらつきながらも近づいていく。

 その手を肩にかけた、彼女は顔を上げた。


「皆が支えてくれるから、私は大丈夫ですわ」


 テレーゼと顔を合わせた瞬間、ヴァンは足をもつれさせて背中から倒れこんだ。彼の顔面が引き攣っている。歯の音が合わない。

 幾たびの戦場を潜り抜け、強敵を退けた戦士。ヒルデスハイムの虐殺の偽報を流したような外道な策を用いた死術士がまるで幼子のように震えていた。

 自分が何を見ているのかすら、理解できていたか分からない。それほどの恐慌が彼を包む。


「ごめん、ヴァン。手を貸してくれる。おかしいのですわ、足が、動かない……」


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