私が望むのは娘の幸せ
「トネリコの枝は屍の兵士を土へと還す、破邪の武器。これが効いたということは、アーデルハイド、お前はもう死んでいる」
己の崩れ落ちた右腕を眺め、驚愕するアーデルハイドを冷然と見下ろすヴァン。形勢は逆転した。
利き腕と武器を失ったアーデルハイドは、しかもヴァンには一撃で勝負を決められる切り札、トネリコの枝がある。
何よりも……
「もう、詰みだよ、アーデルハイド」
「ツェツィーリエ……」
いつの間にか、蹲るアーデルハイドの隣に彼女をこんな体にした死術士が立っていた。
死術士は彼女の不幸を笑うでもなく、悲しむでもなく、ただ不本意そうに両手を肩の高さまで上げてヒラヒラと振るだけであった。
まるで実験用のネズミをうっかり踏みつけて殺してしまったような、どこか自虐的で、そしてつまらない失敗をしたような、この場において平常であるが故に異常な表情。
「元々、君は数か月前に死んでいるはずだった。それを僕の死術で維持していたわけだけど、戦ったのがまずかったね。半年ぐらい持つはずだった生命をわずか数十分で使い尽くしてしまうなんて、これは改良の余地がある。それと、使った生命の補充は出来ないよ。今のトネリコの枝のせいで、見た目は右腕を失っただけど、君の身体の魔術式がズタズタになってしまった。もう元には戻らない」
「な……」
死術士ツェツィーリエは、言わなくてもいいことを言い、図らずもアーデルハイドに死刑判決を下した。
もう彼女には時間がない。例えこの街を脱出しても、愛娘とともに過ごすことはできない。なぜならば彼女はもう死んでいる。死者と生者は決して交わらない。
その絶望に、アーデルハイドの膝が震える。まるで体そのものの重さに耐えかねたように小刻みに震え、ゆっくりと地面に落ち……
落ちない。
「そ、ありがとう。時間がない事を教えてくれて……」
「いえいえ、お礼を言われると照れるな、ははは」
目前の死を前にして、アーデルハイドの顔は穏やかだった。その覚悟を決めた瞳に対峙するヴァンは背筋が凍り付いた。
未だかつて現れたことのない、最も恐ろしく、そして美しい敵がそこにいる。理屈も知識も関係ない。どこか動物的な直感で彼は感じた。
「元々、長くは生きられないことは分かっていたのよ。それが半年になるか、一秒になるか、大して違いがないと思わない」
「……」
「私が望むのは娘であるテレーゼの幸せ。バルムンクから逃がせば目的は達する。後はグスタフにお任せするわ。任せたわよ、グスタフ。貴方はテレーゼの……」
「それ以上言うのは野暮というものだぜ」
アーデルハイドの真後ろ、グスタフは声音だけは平常通りで、だがどんな顔をしているのかは分からない。
右は眼帯、左は手で隠されており、その表情は伺えない。だが、アーデルハイドの問いに対する答えはその態度だけで答えは明確だった。
アーデルハイドは娘を任せると言い、グスタフはイエスと答えた。
「誰かの幸せのためならば、自分はどうなってもいい。そういう感情、貴方には一生理解できないのでしょうね」
「あるいは、そうかもしれません。私は混血だ。アールヴ、スヴァルト、どちらからも敵であり、裏切り者。だからこそ、私は人の道を外れた邪法使いとなった。人間を止めてしまえば、そういった争いからは逃げられる。全ては自分のため、他者を思いやる余力などどこにもない」
ヒトの道を外れたヴァン、汚い策略に身を沈めたアマーリア、そして混血であることを隠し続けたグスタフ。
アールヴとスヴァルトとの戦争の中、敵対する両者との合いの子は多かれ少なかれ、歪みを抱えている。
だがそれらの歪みも、暴力という名の力の前では平等だ。敗れて殺された者が果たしてアールヴか、スヴァルトか、あるいは混血なのか、どれほどの意味がある。
ここでアーデルハイドはヴァンに殺される。グスタフも逃がさない。
アーデルハイドの願いがなんであれ、それは暴力の前では所詮は戯言でしかないのだ。
「はぁぁぁぁ!!」
「……っ!!」
左手を突き出し、アーデルハイドが突進する。剣を失ったアーデルハイドは徒手空拳でヴァンを下すつもりだ。
この戦場で、生き残っているのはバルムンク側ではリヒテルとヴァンのみだ。リヒテルはグスタフが抑えている。つまり、ヴァンを倒せばアーデルハイドらは逃げられる。
だが影の幻影も、斬り姫としての業、死術で手に入れた膂力。その全てがヴァンに対しては大きなアドバンテージにならない。
アーデルハイドは未だ、己の肉体に起こっている現象に理解が及ばなかった。彼女は死術士ではない。トネリコの枝は屍兵の核になっているミストルティンを枯らす。攻撃を受けても駄目だが、受け止めても駄目なのだ。
徒手空拳で挑んだ時点で勝敗は決まっている。
受け止めたのが腕ならば、腕が砕け散り、足で蹴り飛ばせば、足が砕ける。
ブリギッテら神官兵らが商人らの賄賂を受け取っていた頃、ヴァンも同じような方法でトネリコの枝を集めていた。短い時間で集められたのはわずか三本、今一本使ったので、残りは二本。
一本目は手足、あるいは腹を狙う。そして動きを止めたところで、最後の二本目こそトドメ。
ヴァンは慎重だった。相手はどのような状態であっても、あのアーデルハイド、決して油断はできない。
「はっ!!」
右手に折れたカトラス、左手にトネリコの枝を持って、ヴァンはアーデルハイドを迎え撃つ、まずは防御無視のカトラスによる薙ぎ払い。
上段攻撃。それは同時に致命傷となる、自身の頭を守ることに繋がる。そうなればアーデルハイドが狙うのはヴァンの腹、恐らく拳の一撃で内臓の一つか二つが潰されるだろうが、戦いが終わるまで意識が残ればそれでいい。ゼロ距離からトネリコの枝を突きさす。
ヴァンが捨身の攻撃を決断した時、両者は衝突まで幾ディースもない至近距離まで近づいていた。そして突如、アーデルハイドは左腕を上に挙げる。
「剣を!!」
「何!!」
ヴァンの真後ろから、アーデルハイド目掛けて貫く閃光、それは半ばから砕けた剣だった。
「私は、私は……どちらの味方なの」
ふと後ろを見ると、蒼ざめた顔で、テレーゼが何かを呟いていた。アーデルハイドに剣を投げたのはヴァンを庇おうとした、アーデルハイドの娘、テレーゼだった。
恐らく、意図したものではないのだろう。とっさに彼女は追いつめられた母親の助けを聞き、体が動いてしまったのだ。
理屈も打算もない。ただの善意で……それが愛する幼馴染であるヴァンを窮地に陥れる行為だと理解しないままに……
「テレーゼ様……」
「残念、私の娘は、私の味方よ。貴方達の味方ではないわ!!」
剣を得たアーデルハイドが勝ち誇ったように笑い、下段から、上段へと、縦に弧を描くように薙ぎ払う。上段狙いのヴァンの剣を跳ねあげて、手から飛ばすつもりだ。
「ぐっ……」
片手で、しかも満身創痍のヴァンはそれを支えきれない。剣を飛ばされそうになった彼は一か八か、左手のトネリコの枝を投擲する。
当たれば一撃で即死させる解呪の魔具。だが、その原理を理解できなくとも、危険性は既知のアーデルハイドは即座に反応する。
「同じ手は二度と食わないわ」
トネリコの枝の解呪は服越しならばほとんど問題なく効果を発揮する。しかし、鎧や盾など、金属が間に入ると植物故か、その力は通じない。それは剣も一緒だ。
投擲されたトネリコの枝は剣で撃ち落とされて、地面にたたきつけられた。ヴァンの切り札、貴重なトネリコの枝の二本目は、無駄撃ちとなったのだ。
「トドメ!!」
「まだだ……!!」
頭上から繰り出されるアーデルハイドの兜割り、正確に直線を書く剣筋はまさに剣の達人たる、斬り姫ができる刃の芸術。その剣閃はヴァンを真っ直ぐにすり抜けるだろう。
「なっ!!」
今度はアーデルハイドが驚愕した。策を破られたヴァンは、とっさに剣を投げ捨て、両手をその剣閃に合わせたのだ。
まさに奇跡に近い、真剣白羽取り、運もあろう、だが一番の理由はアーデルハイドの剣は正直すぎたことだ。
ここにきて、病によってできたブランクが現れた。太刀筋に柔軟性がない、型通りを超えていない。
例えば、彼女が言う愚弟、リヒテルの剣は、もっと泥臭くて、汚い。どんな手段を用いても勝てばいい、というファーヴニル流の精神が後退していた。
「まずい、剣が……」
「砕けろ!!」
そして、さらなる幸運がヴァンに舞い降りる。ヴァンとの決闘、そしてアーデルハイドの一撃。酷使されたテレーゼの剣がついに限界を迎えたのだ。
刀身全体に広がるヒビ、それはまるでアーデルハイドの生命を表しているかのように、急速にその寿命を削っていく。
甲高い音を立てて剣が砕けた。
剣の破片に紛れるようにヴァンが放つ、トネリコの枝、最後の一本。アーデルハイドは躱せなかった。枝は彼女の左手に突き刺さり、左腕を完全破壊する。
「……」
その勝利に奢ることなく、ヴァンは素早く地面を見渡した。右側にはとっさに投げ捨てた剣。そして正面、アーデルハイドの足元には叩き落された二本目のトネリコの枝。
ヴァンは迷わず、枝を選んだ。影の力を得たアーデルハイドを倒せる唯一の武器、だが、その判断は失敗だった。
いかなる執念か、アーデルハイドは両腕を失っても、いまだ勝利をあきらめていなかったのだ。まるで人食い狼のように大きく口を開くと、枝を拾うために屈んだヴァンの首元に食らいつく。
「あ、あぁぁぁぁぁ!!」
これにはヴァンも怯んだ。噛みしめた口から、悲鳴がこぼれ落ちる。顎が、歯が、ヴァンの頸動脈を破るべく万力のように食いこんでいく。
ヴァンは渾身の力を込めてアーデルハイドの頭を抑える。しかし、残された体力、腕力、あるいは精神力の差か、じりじりとヴァンが押されていく。
ヴァンの足元にはトネリコの枝があった。触れる程の、蟻一匹程の距離にある絶対の武器、しかしそれを取ることは適わない。
少しでも力を緩めれば、ヴァンは首を食いちぎられる。
「ここまでか……」
数分、あるいは数秒だったのか、ついにヴァンが力尽きた。一瞬だけ、アーデルハイドの頭を押し上げ、そしてまるで雪崩に巻き込まれたように崩れ落ちていく。
彼はあきらめた。勝利を、人生を、愛する幼馴染のお嬢様が敵の手に渡るのを許した。
ゆっくりと身体が傾く。そして鈍い音を立てて地面に倒れた。
アーデルハイドはトドメを刺すべく、襲い掛かる。その瞬間、アーデルハイドの胸から、幾本の矢が生えた。
「……!!」
何が起こったのか、アーデルハイドには理解できなかった。
だが、自身の身体から、急速に何かが抜け落ちていく事実だけは感じていた。
影の力は不死ではない。確かに高い再生力を与えはしたが、影の力はあくまで幻覚、そこに体があるのは確かなのだ。
背中から、胸まで通過した十数本のクロス・ボウの矢。その内一本が、今となっては彼女の心臓たる、ミストルティンの種を破壊していた。
背後から轟く鬨の声、港で戦っていたブリギッテ竜司祭長率いる官兵部隊。来ないはずだった、現れるはずがなかった援軍が、今、到着した。




