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深霧のザーイエッツ  作者: 山崎 樹
第五章 終わりの始まり
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娘のために、何もかも犠牲にしてみせるわ

設定補足 純血のアールヴ 白い肌 耳が丸い

     純血のスヴァルト 褐色 尖った耳

     混血       小麦色の肌 人による

 遺伝的にはこんなに綺麗に分かれないのですが、分かり易くするために本編ではこう分けています。ちなみにヴァンのように肌は白、耳が尖っているタイプもあり、混血の場合、大体はどちらかの形質を引いています。 

 十年前のスヴァルト大攻勢、そして何よりも敗戦の恐怖に覚えた神官らの醜態が首都マグデブルク陥落を早めた。

 かつては蛮族と蔑んでいた彼らスヴァルトの蜂起によって官軍の主力は壊滅、残された敗残兵は武器持つスヴァルトに戦う気力はなかった。だがそれとは別に武器持たぬ民衆に対して神官兵は未だ支配者としての面目を保っていた。真実は保とうとしていた。

 目障りだと八つ当たりを受けた従卒、根こそぎ食糧を奪われた商人、暴力と恐怖でもって民衆を搾取し、搾取することで未だ自分たちが支配者であると信じようとしていた。だがそんな理不尽は結局のところ力があったが故に可能であったのだ。敗残兵と化した彼らに民衆はいつまでも従順ではない、今まで盗賊と恐れられたファーヴニルの助力を得たことで新たな秩序を構築し始めたのである。


「神官らはもうだめだ、あの情けない顔を見なさい、あれは負け犬の顔よ」

「え、でもお母様、おじ様は違うのでしょ。お母様をメカケにしたおじ様は私達を助けてくれるのでしょう」

「そうね、体を売るしか能のない私をあの人は綺麗と言ってくれたわ、始祖シグルズが妃、クリームヒルトに負けないとまで褒めてくれました。でもね、あはは、逃げちゃいました。私と貴方、貴方の弟達を見捨てて逃げちゃいました」

「え、えええ!!」


 その女はひどく疲れていた。裏街にて体を売ることで辛うじて食を繋ぐ最下層の女、父無し子達を抱えたその立場はひどく鈍重で、柔軟性がなく、有体に言えばどこにも逃げられなかった。


「でも安心して、代わりにファーヴニルが助けてくれることになったの、弟達も未来の戦士として教育してくれることになったわ」

「そ、そうなの、良かった。でもふぁーぶにル……ってちょっと怖い。私の事をとても怖い目で見るんだもの」

「それは彼らが少し頭が固いからよ。大丈夫、アールヴであれば彼らは助けてくれるわ。スヴァルトから守ってくれる。だからねえ、貴方も頑張って……」

「何を頑張るの、お母様のためだったらなんでもするよ」


 健気な幼子の態度に気を良くしたのか、母親が静かに続きを話す。その顔は慈愛に満ち、本当に優しい表情をしていた。ただ少しばかり目の下の隈が目立っていた。


「貴方の父親はスヴァルトの兵士なの、だから貴方の肌は白じゃなくて小麦色なの。ねえ、私を助けて、もう解放して。スヴァルトとの混血である貴方を連れていくとファーヴニルが助けてくれないかもしれないの。貴方の弟達が飢えて死ぬのは嫌でしょ」

「え、お母様……」

「この家から出ていって、アマーリア」


 弱さとは時に残酷さを内封する。スヴァルトの侵攻時、アマーリア・オルロフは一番初めに家族に裏切られた。


*****


それでもアマーリアの母は最後にこう言った、私のような弱い女にはなるな、子供を見捨てるような弱い女に……誰かを助けられるような人になりなさい。その言葉を今、追いつめられたアマーリアは思い出していた。


「……宿主が寄生虫よりも先にやられてどうするのですか、間抜けなヴァンさん」


 銀の雀亭の二階の寝室、かつてテレーゼが寝泊まりしていた私室で眠るヴァンに対し、吐き捨てるようにアマーリアは言い放った。


「ざまあないですね。私を傷つけるから……私をないがしろにするから、こんな目に合うのですよ、あはは!!」


 ヴァンの処刑、その汚れ役をファーヴニルに押し付けられた混血の少女、アマーリアはその重責に半ば押しつぶされつつあった。

 グスタフの側近、同じ混血のシャルロッテのように正気を半ば失いつつある狂った笑みをアマーリアは見せる。だがその狂気具合はアマーリアの方が幾分上に見えた。

 シャルロッテには自分をいじめた神官に復讐するという目的があり、それへと続く道を指し示すグスタフという主人がいた。だが彼女にあるのは肥大化した猜疑心と自己弁護、信用できないファーヴニルばかりである。

 そして決して愚かではない彼女はヴァンが身内の粛清にあったことを推察し、それが同時に自分の破滅へと繋がっていることも理解してしまった。正確には思い込んでしまった。

 彼女にはバルムンク頭領アーデルハイドと、副頭領リヒテル、姉弟による骨肉の争いなど知らない。それどころかまさか姉弟同士で殺し合うことなどあり得ないと思っていた。

 ヴァンが殺されかけ、粛清された理由をリヒテルの部下だからではなく、スヴァルトとの混血だからと考えた。どれだけ組織に貢献してもスヴァルトの血が混じっているだけで処分される。ヴァンの次は自分、もうこんな所にはいられない、逃げなきゃ。


「起きてください、起きてください、ヴァンさん……起きて、起きろ、起きろ、ヴァン!!」


 狂笑が終わるとアマーリアはいつかの陰鬱な笑みを浮かべ、興奮しながらヴァンを揺り動かし、起床を強要する。相手が重病人だというのにその配慮もない。ゆっくりとベッドのシーツが血で染まっていくのにも見ぬふりをする。


「……」

「起きた!!」


 うっすらと目を開けるヴァンの、その目はまるで溶けているかのように虚ろであった。その顔にはわずかに死相が見える。現世から乖離しかけていた、いつかのアーデルハイドのように。

 かの頭領は〈奇跡的に〉病状がやや持ち上がったが、ヴァンにはそんな奇跡は起こるまい。この部屋がヴァルハラへと向かう階段の一段目であった。


「さあ、取引です。死にたくはないでしょう、だからあのリヒテルの弱みを教えてください」

「……」

「それを神官らに売って私は逃げます。もう時間がありませんよ、血が流れ尽くしてしまいます。それとも背骨をチョキンと切って、半身不随がいいですか? 今の私ならばできます」


 アマーリアの、考え尽くしたあげくの方法が脅迫であった。死にかけている男の骨までむしゃぶろうとする貪欲さと無慈悲さ。だが無論、ヴァンが脅しに屈することはない。


「……断ります、やるならばやればいいでしょう。私はリヒテル様を裏切らない。それに……本当にそれで逃げられると思っているのですか?」


 蒼ざめた唇で、それでもよどみなくヴァンが断固たる態度で拒絶する。以前の臆病なアマーリアならばその態度に威圧されて引き下がることだろう。だが今回は違った。首筋まで迫る死神の鎌、その存在を感じていた彼女は引き下がれる場所がないことを理解していたのだ。


「はむ……はぅ、むぅ」


 ヴァンの唇にアマーリアのそれがゆっくりと押し付けられる。彼女の舌が口内を蹂躙した。幾ばくかの後、分たれた唇と唇の間に糸のように唾液が伸びる。

 

「金さえあれば逃げられます。ヴァンさんは知らないかもしれませんが、司教府の少女奴隷、特に私のように混血の中で、貴方は英雄なのですよ」

「……」


 そう言うと、アマーリアが貫頭衣をずり下げ、胸元をちらつかせた。ヴァンはかすれる目を細めた。そこには痣があった。まるでナイフか何かで刺されたような醜い跡、骨まで届くそれは決して消えることはない。ヴァンが付けたものだ。

 あの時、確実に殺さなかったことが、手心を加えてしまったことが自分の罪なのならば、彼女の生きることによる苦痛は私の責任か……ならば始末することも一つの責任の取り方。

 死は一つの安らぎ……ヴァンは狂乱する彼女を見ながら思う。


「奴隷でも、スヴァルトの血が混じっていてもバルムンクならば努力次第で幹部にすらなれる。その証明がヴァンさんなのです。実際には違っていましたが、彼女らは貴方のためならば神官を裏切ります。ファーヴニルだって欺いてくれます。彼女達を利用すれば密かにこの街を出ることも可能です」

「それに便乗する気ですか」

「一人は嫌なのです、生きていても、死ぬときも」


 つい先ほどまで、色香でヴァンを惑わそうと試みたとは思えない程、幼い表情がそこにあった。目尻に涙がたまっている。

 情に訴えようとしているのではない。そんな方法がヴァンに通じないことは彼女も知っている。

 ただ彼女は余裕がないのだ。ただ肌の色の違いによって常にハゲタカに追われる生活。例え立ち上がっても前ばかりではなく、後ろからも引き倒されて踏みつけられる運命。

 ファーヴニルは自ら立ち上がる者を称賛し、うずくまる者を卑下する。だがそれはあるいは傲慢な考えではないのか。立ち上がれない程疲弊した人間は果たして助けるに値しない存在なのか。


「それでは彼女らを裏切ってしまいましたね」

「……どういうことです?」

「市民がスヴァルトを、そしてその血が混じる混血を呪う、「ヒルデスハイムの虐殺」はでっちあげだ。これはファーヴニルの、それも幹部クラス、あるいは複数の司教区をまたぐ大商会しか今は知らない」

「……!!」


 スヴァルトが住民を虐殺したとされる「ヒルデスハイムの虐殺」はヴァン考案の偽情報である。目的はバルムンクの統率を高めるためとスヴァルト支配下の農民一揆を誘発させるため。

 無論、数か月もすれば定住している市民にも真実は知られるだろう。だがその時には農民一揆とそれを弾圧するスヴァルトとの戦闘が各地で起きており、その怨嗟から両者の関係は修復不可能になっている。そうなれば漁夫の利を得るのはバルムンクだ。だからこの真実は伝わるのが遅ければいい。


「……ただし、このことを無暗にしゃべればアマーリア、貴方は殺される」

「大丈夫です。グレゴール司祭長ならばうまく扱ってくれます。私にお金をくれるでしょう」


 ヴァンの半ば独り言めいたそれを都合よく解釈したアマーリアが狂喜する。彼女にはヴァンが自分の誘惑に屈したと思えたのかもしれない。


「……っ!!」


 代価を払ったヴァンに対し、アマーリアの行動は素早かった。彼女は後ろに隠していた包帯と薬でヴァンの手当てを始めたのだ。酒で消毒し、丁寧に白い清潔な包帯で傷口をふさぐ。

 そのテキパキとした動きと、正確な医学知識にヴァンは少し驚いた。だいたい、医療というものは食い詰めた神官が小遣い稼ぎでやるものであって、消毒もロクにせず、包帯もボロ布でやることも多い。病気を治す方法も採血しかなく、病気が治るか患者が死ぬかは運しだい、賭けの対象になることもある。

 だが蛮族スヴァルトに比べればそれでもマシなのだ。足にできものが出来たスヴァルト兵は足を斬り落とされるとも聞く。地方都市リューネブルクからほとんどでたことがないヴァンはそう偏見交じりに考えていた。


「これでできた。さあ、後は私にまかせてください。ヴァンさんは寝てていいですから、起きた時には市外です。南に行きましょう、暖かい南に行きましょう」


 アマーリアは本当に楽しそうだった。その笑顔に怯んでヴァンは自分の意見を言えなくなってしまう。ヴァンは決してリヒテルを裏切らない。その進む道を邪魔することなく、そしてそのそばを離れることは決してない。ヴァンがアマーリアと共にこのリューネブルク市を離れることなどあり得ないのだ。

 彼女が階段を下りて行ったその姿を見ながらどう言い訳しようかと考え、同時に苦笑した。

 なぜ彼女に遠慮する必要がある。

 なぜか無性にそのことが可笑しかった。もしかすると英雄とおだてられて少し調子に乗っていたのかもしれない。褒められることにヴァンは慣れてはいなかった。

 いつだってヴァンは憎悪され、蔑まれてきた。自身もそんな境遇に甘んじ、むしろその立場を欲していた。

 自分が他人からの賞賛を受けることなどあり得ない。そう考え……


「……っ!!」


 懊悩は絹を裂くような悲鳴で途切れた。重病の身でありながらヴァンは体に鞭打ち、窓際に駆け寄る。


「他人任せにするなんて詰めが甘いわよ、グスタフ」


 玄関で倒れて、のたうち回るアマーリア、それを冷厳と見下ろす、蒼みがかった金髪の女性。


「ごめんなさいね、堅気の貴方に刃を向けて……でも私は決めたの。娘のためにはファーヴニルの、侠客の矜持も捨てて見せる。何もかも犠牲にしてみせるわ」


 それはヴァンが愛し、守り、そして尊敬した彼女にひどく酷似していた。彫像めいた美貌はやや病により衰えたものの、その身に纏う威風は階を挟んでもなお敵対者を震えさせる。


「もうすぐ、官兵部隊を突破したローベルトら騎士団が市内になだれ込んでくる。その混乱に乗じて娘と逃げましょう。だけどその前に私達を追う存在を排除しなくてはならないわ。できれば弟リヒテルを殺したいのだけど、さすがに難しいから副官のヴァンで我慢してあげる」


 かつてザクセンの斬り姫と称えられたバルムンクの現頭領。テレーゼの母、リヒテルの姉、アーデルハイド・ヴォルテールがそこにいた。


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