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深霧のザーイエッツ  作者: 山崎 樹
第五章 終わりの始まり
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俺はお前に聞いているのだ

 一人の少女がいる。年の頃は十代半ば。褐色の肌に首筋で切り揃えた銀髪、朱が混じったグレーの瞳。整った風貌は童話の中に出て来る姫君そのものだった。ただ周囲の人間がそれにそぐわない。

 従者だろうか、同じく褐色の肌を持つ同年齢の少年は気弱そうで、盛んに自身の銀髪を弄っている。

 もう一人の従者は金髪で、彼女とは違って白い肌であった。彼は堂々としていたが、その表情はどこか呆れたような、微笑ましそうなもので、主人に対する敬意があまり感じられない。


「グスタフ、リヒテル……今日はヴァール(父)が来るのよ、早く飾り付けをしないと……」

「それは全て、私たちがやります。姫様は休んでいてください」

「何よ、私を病人扱いする気?」

「身重の身でありますから……病人のようなものです」

「リヒテル……少しは空気読もうよ、そしてひどいよ。今日はベルンハルト枢機卿との大事な会合の日、アーデルハイド様も色々準備なさっているのに、リディア様だけのけもの扱いでは立場というものが……」


 銀髪の少年はおずおずとリヒテルと呼ばれた金髪の少年に抗議する。しかし、彼はそんな弱気な主張など一顧だにしない。逆にやり込め始める始末だ。


「姫様の病気は誰の責任かな?」

「それを言われると弱いけど……」

「正直に言うと私は今回の法王選挙、姉上の夫であるベルンハルト枢機卿は落選すると思う。あの男は王の器ではない。目先の利益ばかり目に行き、全体というものが目に見えていないのだ。いくら選挙に勝つためとはいえスヴァルトに援助を申し込むとは……いや、リディアさんの父上、ウラジミール公を信用していないわけではないが」

「……」

「もう遅いよ、取り繕っても無駄だよ。二度も言うけど……空気読もうよ」

「う、あ、むむむ」


 苦々しい表情のリヒテルは激しい罪悪感に囚われていた。少し可哀想になり、なんとかフォローしようとする銀髪の少年はふとリディア姫を伺う。彼女は不機嫌そうな顔をしていたが、リヒテルが俯くと小さく舌を出した。


(しばらく、悩ませてあげなさい、か……本当にもう)


 いたずら好きの彼女の稚気に、しかし反感は生まれなかった。どんな〈いたずら〉をしてもなぜか許したくなってくるような自然な魅力は彼女にはあった。

 それから愛しげに下腹部をなでる彼女を銀髪の少年は目を細めて見続けた。そこにあるのは確かな幸せ。こんな日々がずっと続けばいい……


*****


スラム街―――


「なんだと……」


 振り降ろされたカトラスが新円を描く。身体はただそれを作り出すために動く器械だ。それはかつて幾多の戦場を切り抜け、己が命を懸けるに足ると信用していた御業。事実、それを手に死線を越え、仇敵たちを斬り払い、守るべき者を守ってきたのだから。

 それが今、裏切った。いささか主観的な見方だが、彼にとっては驚愕せらざるものだったのだ。


「できましたわ」


 ヴァンとテレーゼの最後の激突、その秘儀を衰えていたヴァンは再現できず、逆に会得していなかったテレ-ーゼが模倣して見せた。ヴァンばかりが彼女を見ていたわけではない。彼女もまた傍らに侍る少年を見続けていたのだ。

 何物をも切り裂く白銀の刃はヴァンの剣を半ばから〈斬り〉、彼の腕をすり抜け、深々と腹に突き刺さっていた。

 勝敗は決した。


「プロ―ジット!!」


 その瞬間、朗々たるテノールが辺りに響き渡る。現れたのは奇妙な男であった。まるで貴族のようにきらびやかな服に騎兵が付ける胸甲、手袋などで肌を隠し、極めつけは道化の仮面、その上から左目にあたる部分に眼帯が付けられている。


「さすがはテレーゼ嬢、単純な戦闘力ではバルムンク二番目の実力を持つヴァンを退けるとは、今度からは貴方がNO.2……」

「貴方は誰ですの!!」


 突然、現れた仮面の男を睨みつけるテレーゼは、自身の折れた剣を突きつける。その闘志は立派だが、先ほど実力が伯仲するヴァンとの戦闘での消耗が激しい。

 またその半ばから折れた武器には無数のヒビが入っていた。どうやらヴァンの全てを斬る業を真似することができたとはいえ、まだ付け焼刃の域を出ていないらしい。


「私はお母様の使いですよ、お迎えに上がりました」

「知らない人についていってはいけません、ってお母様に教えられましたわ」

「では合言葉を言いましょう」

「何それ……?」

「アーデルハイドは味音痴、なんでも作る料理は辛いものばかり」

「な、なぜそれを!!」

「くっくっくっ……」


 慌てふためくテレーゼをからかう仮面は説得は容易だと判断していた。合言葉の事ではない、彼女の幼馴染を手中に収めていたからだ。


「ツェツィーリエ、私はお嬢様を市街までお連れする。君はヴァン殿の治療を頼む……と言いたいところだが、君も呼ばれていてね。代わりにファーヴニルの皆様にお願いしようか、彼の手当を頼む。お腹と……背中に包帯を巻いてくれ」

「……っ!!」


 会話しながらも、彼女が背後で倒れるヴァンを気にしていたことを仮面の男は見抜いていた。治療と言う形で彼を保護すればテレーゼは従順になる。互いを想う気持ちは鉄よりも強い鎖となることを彼は知っている。


「嘘……背中にこれだけの傷を負って、私と戦っていたの、だったら私は……」


 やや手荒にひっくり返されたヴァンの背中には真っ直ぐな斬傷があった。洗脳された不死兵、アンゼルムのよる剣の傷だ。背骨まで届きそうなその負傷は彼の体力を著しく奪ったことだろう。


「後悔しているのかな」

「い、いえ……」


 先程、ヴァンを正そうといきり立った戦士の姿はそこにはない。そこにあるのは暴力を振るったことに心を苛ませる令嬢の姿、お優しいことで……その言葉を彼は口の中にしまった。


「嘘をつかなくてもいい、君は後悔している。それは対等でない者に決闘を申し込んだことからか、それとも対等でない弱者に剣を向けたことかな、もっとも刃を向けた君が後悔する資格はないが」

「……」

「グ、仮面の男さん、あまりお嬢様を苛めるものじゃないよ、僕はいじめが嫌いだな、カッコ悪い」

「すまない、ツェツィーリエ。いじめは止めるよ。その代わり見送りに来てくれ、私とテレーゼ嬢、そしてアーデルハイドの〈隠居〉をね」

「お、おいちょっと待ってくれよ」


 茫然自失のテレーゼ、仮面、ツェツィーリエが去ろうとする中、周囲のファーヴニルから不審の声が上がる。彼ら三人はファーヴニルらの疑問に何も応えてはいないのだ。


「答えて欲しいことがある、頭領とテレーゼ様はスヴァルトに下ると、亡命すると聞いた。それは本当なのか」

「それは違う、テレーゼ嬢がおおげさに言ったかもしれないが、ただ病気のアーデルハイド様が静養のために田舎に隠居するだけだ」


 知れっと、〈嘘〉を吐く仮面、しかし当然のことながらファーヴニル達は納得しない。


「それはどこだ、スヴァルトの支配領域ではないのか。お前、仮面で顔を隠していて怪しすぎるぞ。顔を見せろ、いや、肌の色か耳の形でもいい、お前がスヴァルトでないと証明して見せろ!!」

「そうだ、そうだ!!」

「貴様はスヴァルトの間者ではないのか、顔を見せろ」


 周りから怒号に近い弾劾が飛ぶ。その迫力にヴァンを傷つけ、罪悪感、および諸々の感情で弱気になったテレーゼが俯く、しかし彼は無論、彼ら雑魚の弾劾など歯牙にもかけなかった。


「証明してもいい」

「そうだ、しろ」

「だがもし仮に俺がスヴァルトならば俺を囲うアーデルハイドは裏切り者だ。彼女に協力するバルムンク古参幹部も同様に……」

「それがどうした」


 彼は目の前のファーヴニルの手を取り、自らの仮面の淵を掴ませた。生殺与奪の権利を与えたのだ。ファーヴニルは思わず緊張から生唾を飲み込む。


「裏切り者は死刑だ、磔だ。アーデルハイド、幹部、それに連なる縁者数百人、彼らを皆殺しにする覚悟がお前にあるのか?」

「なっ、それは、ど、どう思う、皆……」

「俺はお前に聞いているのだ。他に意見を求めるんじゃない。さあどうだ、イエスかノーか、保留は認めない」


 短い沈黙の後、ゆっくりとファーヴニルの手が仮面から離れた。


「そうか、ノーを選んだか」

「わ、私は下っ端だ、選択する権利はない」

「ならば他の奴にも聞いてみるか?」


 周囲のファーヴニルが一斉に視線を外した。今の苛酷過ぎる二者択一に耐えられる度胸がある者はこの場にはいない。彼らはただ嵐が過ぎ去るのを待つばかり。仮面の男は言葉と立ち振る舞いだけで十数人のファーヴニルを無力化したのだ。


「リヒテルやヴァンならば迷わなかっただろうな。まあいい、人それぞれの自由だ。ともかく既定方針道理にやれ」

「わかった、ヴァンを手当てすればいいんだな」

「既定方針通りにやれ、頭領はお前たちに何を言った?」


 彼らは頭領アーデルハイドに一度だけヴァンを殺すチャンスを与えられた。

 今やバルムンク幹部、魔道長に就任し、組織の一角を占めるヴァンを殺すことはバルムンクに対する明確な反逆行為、その処刑方法は凄惨だ。町中を拭きずり回す、車輪刑に処す、五体を順々に斬り落とす、いずれにせよ、楽に死ぬことはできない。

 スヴァルトのように家族にまで罪が波及することはないが、そこは自由を尊ぶアールヴ、順法精神に欠けた彼らは天誅と称して反逆者の家族に危害を加えることもある。組織の人間が行うのではない、まったく関係のない他者が鬱憤ばらしに罪人を捌くのだ。それはアールヴの、そして法の外に生きる盗賊ファーヴニル故の理不尽であった。

 その諸々の影響をアーデルハイドは免罪してくれるというのだ、慕う兄貴を不死兵に変えた外道を捌く唯一のチャンス、それを逃すすべはない、しかし……


「スヴァルトと戦う優秀な戦士を殺してもいいのか」

「て、テレーゼ様もなんというか」

「いくらアーデルハイド様が許したって、テレーゼ様は許すまい。例え自分が不利になるとしても、従者ヴァンの仇を取るぞ」


 三人が去った後、仮面の男の恫喝に怯んだ彼らは臆病風に駆られたのだ。今まで彼らはヴァンをリヒテルやテレーゼの情けで生かされているペットか何かと考えていた。

 しかし、あの〈姫〉と五分以上に戦う実力、ならばリヒテルやテレーゼが贔屓にしたとしても、例えスヴァルトとの混血だとしても、最低でも理屈には合う。

 また、ヴァンは別段、その贔屓を笠に着て威張り散らすこともなく、ましてや私腹を肥やしていたわけでもない。何よりもこの緊迫した状況のなか、スヴァルトと戦う戦士は一人でも欲しい。

 優秀な戦士を自分たちの個人的な感情で排除してもよいのか。あるいは彼らが慕うアンゼルムならば迷わずヴァンを殺したかもしれない、だが彼らにその覚悟がなかった。

 彼らが慕うアンゼルムは不死兵となって人格を失い、今はその抜け殻となった体さえもツェツィーリエについていった。彼らを導く者はいない。


「こ、このまま放置して死ぬに任せるというのは……」

「馬鹿が、俺らは手当を頼まれたのだぞ、放置して死なせたら殺したことと変わらない」

「だけど、このチャンスを……もしヴァンが目を覚ましたら俺らは必ず復讐されるぞ、奴は、死術士の奴ならば俺ら全員を屍に変えるのなんてわけない」

「じゃあ、お前が殺せよ、責任を取れ、お前がやれよ」

「ふ、ふざけるな、こうなったら多数決だ、多数決を取るぞ」


 ヴァンの実力と人望の無さ、テレーゼの義侠心が彼らにのしかかり、錯綜する感情の中、彼らは最も安易な方法を取った。


*****


「はい、あのここはバルムンクの直営で、関係のない方は……え、営業ですか、今はちょっと掃除中で……あはは、一週間程待っていただけませんか?」

「問題ない、混血の女、すぐに終わる」

「あの……何度も言いますが、この銀の雀亭はバルムンクの持ち物で……」

「俺らはファーヴニルだ。この酒場を利用したことがある」


 有無を言わさずファーヴニルは瀕死のヴァンを彼女に押し付けた。その瞬間、彼女は事態を把握して蒼ざめる。


「お前はこのヴァンの愛人だとか言うじゃないか、どうせ無理やり手籠めにされたのだろう、恨みを持っているはずだ。ヴァンの処分を任せる。どういった方法を使っても構わない。ただし、報告は必ずすること、いいな!!」


 顔面蒼白となったアマーリア・オルロフを放置してファーヴニルらは去って行った。彼らはもう目の前の問題を片づけたと確信して、晴れやかな笑顔だった。


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