間章・二 グスタフ
本当に我儘な女だった。そのうえ、気が強く負けず嫌い。欲しいものは何でも手に入れなければ気が済まない。そんな女だった。
「自害なさったということですか!!」
「ああ、ボリス侯爵は敗戦を苦にして自ら剣で胸を貫いた」
グスタフの回想は、ムラヴィヨフ家の騎士、セルゲイの詰問により中絶させられた。時刻は夕方。敵味方を巻き込むトール・ハンマーの発動の後、初戦と同じように両軍はなし崩し的に休戦となった。だが再戦の予定はない。 宿舎より北、正面玄関までを蹂躙したそれはスヴァルト軍の主力を壊滅させ、今、前線で戦えるのは砦の外に出て、側面攻撃を敢行したムラヴィヨフ家の私兵団、100名ほどしかない。バルムンクらがどれだけ兵力を残しているか知れないが、500を下回ることはないだろう。
さらに砦は半壊状態、五分の一程度の兵力ではとても守り切れない。残る手段は船を使ってエルベ河から逃走するのみ。多くのスヴァルト兵にとってそれは敗北。だがグスタフにとってこれは前哨戦でしかなかった。本番はまだ来ない。十年ぶりのパーティーは未だメインを始めてはいない。
だが、全てが計画通りという訳でもない。バルムンクの意外な奮闘によって狂った歯車もまた多く、その修正には少なからず手間がかかる。その一つがボリス侯爵自害の後始末である。
「……まさか、このようなことが。スヴァルトの次代を担う王太子を死なせてしまった私はどのように償えば……」
「そのことだがセルゲイ、その自害にはどうも不審なことが多くてな」
「なんですって!!」
「……っ!!」
グスタフの発言に、彼の傍らにいた死術士シャルロッテが孤立した兎のように身震いした。その顔に不吉な痙攣が走る。
「今回の戦い、惨敗とは言えボリス侯爵、ゴルドゥノーフ家の主力軍は農民一揆鎮圧のために本領にいる。つまりは未だ健在だということだ。やり直しが利く状況にも関わらず、絶望して自害とはどうも腑に落ちない」
「……」
「俺が思うに……誰かに殺されて、自害に見せかけられたのじゃないかと思うんだよ」
「そ、そんな、グスタフ様、何を……」
耐え切れなくなったのか、シャルロッテが慌てて口を挟もうとするが、グスタフに頭を撫でられて黙らされる。何もしゃべるな。その強い強制を解せぬほど、シャルロッテは愚かでもなく、そしてグスタフをそれ程信頼してもいた。
「無いとは思うが、一応、後方にいた補給部隊を調べてくれないか。仲間を疑うようで悪いとは思うが、そうでなければ他の貴族が納得しない」
「……」
「やってくれるか」
「……分かりました」
緊張した、そしてどこか苦渋に満ちたような表情でセルゲイは命令を承諾した。
「よ、よろしいのですか、グスタフ様。もし、私の工作が露見すればお命が……」
「何、心配はいらないぜ。奴が真相を調べるのは全てが終わった後になる」
セルゲイが立ち去ると待ったとばかりにシャルロッテがグスタフに説明を求めた。ボリスの死は自殺ではない。グスタフに殺されたのである。そしてその死体をシャルロッテが操り、自殺に見せかけてのだ。
だが勿論、そんなことがばれればグスタフの命はない。彼がいかにリューリク家の一員だとしても、仲間を殺した罪は決して許されず、それどころか次期ウラジミール公にあたるボリス王子を死なせた事実だけで殉死を強いられるだろう。
「ボリスが死ねば臣下は殉死させられる。セルゲイは臣下とはちょっと違う。だが同じ戦場にいた以上、連座させられる可能性が高い。だが自害なら話は別だ、敗戦ごとに気弱な主人が自害して、臣下が殉死させられてしまっては兵士がいなくなってしまう」
「なるほど……騎士セルゲイも人の子、このまま自害の形にした方がいいと言う訳ですね。自分が死なないように……」
「ちょっと、違うな」
グスタフは右手の人差指を横に振り、腰を低くしてシャルロッテと目線を合わせた。
どことなく、父親が娘と会話するような形だ。
「スヴァルトは死を恐れない。それは命が軽いからじゃない。彼らが精一杯生きたその最期が死なのだ。スヴァルトは己には生まれた義務があると信じている。それは忠義であったり、軍役であったりそれは人それぞれだが、兎にも角にも成すべきことをしたならば死んでも満足なのだ」
「では、セルゲイは……」
「奴は主人のためならば死んでも満足だろう。だが、そうでないならば死にたくはない。今、主人の仇を討てず、成すことも成せず、何も残さずにこの世から退場することに耐えられない。だから、仮に俺の工作を知ってもそれを暴露するのはバルムンク打倒後になる」
グスタフの説明に納得したのか、シャルロッテの顔が目に見えて明るくなる。彼女の中で恐怖の色が消えた。
「このことは誰にも言うなよ。もしお前がうっかり口走ったのならば、俺の首が飛ぶ。俺の命はお前にかかっている。頼んだぞ……」
「はっ!!」
主君の命を預かる身に余る大役を承ったシャルロッテの目には、グスタフへの盲目的な忠誠があった。その目にグスタフは気を良くして頭を撫でてやる。これで彼女はグスタフを裏切らない。
「ところで、あれはもう船に積んでいるのか」
「……はい」
グスタフが、彼がこの戦いで得た戦利品のことを話すとシャルロッテはどことなく不機嫌そうな顔になるとつむじを曲げた。そっと出した彼女の右手にはくっきりと歯型がついている。
「油断していて噛まれました」
「……そうか、いや、悪い。笑っては悪いな。ははは、さすがは斬り姫の娘、虜囚となっても牙は折れずか」
「あの女は常に脱走を狙っています。せめて痛めつけておくべきです。五体満足のままにしてはどんな危険があるか……」
「悪いがそれはできない。無事なままで運ぶのが顧客の要望だ」
笑いながらシャルロッテの要求を断るとグスタフは歩みを再開した。その三歩後ろから忠実なる死術士が続く。敗戦を迎え、嘆きに満ちたスヴァルト陣営の中、彼ら二人だけがその空気に感化されないでいた。
*****
暗いくらい船底の下、その女はいた。やや潤いが失われていたとはいえ、綺麗な蒼い髪と、同色の瞳を持ち、その表情は絵画か彫刻のように整っている。年の頃は十代半ばを過ぎたあたり、だが、その強い光を放つ瞳が年齢を幾分か上乗せしているようにも思えた。
彼女は断じて、ただの虜囚ではない。その身に隠された誇りと強靭な意志は戦場で命を懸ける武人のそれ。何も知らないものが見れば恐怖を、知る者は畏怖を抱くだろう。
本当に我儘な女だった。その上、気が強く負けず嫌い。欲しい物はなんでも手に入れなければ気が済まない。でも本当に欲しい物はいつも手をすり抜けていって、結局は始めから欲しくなかったと意地を張る。そんな女だった。
グスタフが時折思い出す故人とは別の人、だがどことなく似ていた。魂の深部に近しいものがあるのだ。
囚われた武人の名はテレーゼ・ヴォルテール。バルムンクの蒼き姫である。




