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深霧のザーイエッツ  作者: 山崎 樹
第四章 欺き、欺かれて
33/121

何も知ることができなかった坊やだよ

「督戦隊よ、少しでも後退するは遠慮はいらない、撃ち殺せ。それが例え私であってもだ!!」


 前線で指揮を取る司令官リヒテルの号令一過、連合軍最後の攻勢が始まった。これを凌がれれば後がない。志願、もとい強制的に集められた決死隊が本城めがけて突進する。背後から味方に撃たれる恐怖。体内に種を埋め込まれて、反逆を封じられた憎悪。それらの抑え込まれた反抗心は形を変えて敵軍へと向けられる。もはやスヴァルトは捧げられた犠牲の羊だ。

 この世の理不尽を擦り付けられ、人々の心を慰めるために屠殺される哀れな哀れな供物。だが、裁かれる者が裁く者より弱いと誰が決めたのだろうか。予想を遥かに上回る反撃が、裁く者たる決死隊を蹂躙していく。


「盗賊どもの肉でフリカッセ(肉シチュー)を作れ。トロトロになるまで煮込めよ。ありったけのムスペルの炎を打ち込んでやれ!!」


 スヴァルト側もまた司令官、ボリス侯爵が最前線で指揮を取っていた。砦内に備蓄してある物資を惜しむことなく投入し、取りついてくる連合軍兵士を薙ぎ払っていく。

 連合軍兵士は大型の盾を構えて身を守っているが、それで凌げるのはクロス・ボウまでである。焼夷兵器であるムスペルの炎をぶつけられては長くは耐えられない。それでも燃え上がりながら城壁に取りつく勇猛さは賞賛に値したが、それも武を尊ぶスヴァルトの鑑賞を脱することができない。

 

「なんだ? あの金髪はリヒテルではないか。殿下、リヒテルです。バルムンク副頭領リヒテルが一人で向かってきます」

「まさか、グスタフの予想が当たるとは。悔しいがこれはチャンスだな。リディアの仇を討つとき……よし、誰かオレの槍を持て!!」

「い、いけません、殿下。殿下はこれからスヴァルト、いや、このグラオヴァルト法国の後継者となるべき方。どうか、ご自愛を。盗賊如きなどにこだわるべきではありません」

「悪いな、だがもう決めてしまったのだ。奴を倒さなければオレは先へは進めない。奴を倒さねば、慚愧の念からオレは本当の意味での王にはなれないのだ」


 ボリスの固い決心を感じ入り、側近の騎士は覚悟を決めた。主君がそこまで思っているのならば従者である彼にはそれに従う他はない。


「どうかご武運を。貴方様に我らが父、不死王シグムンドのご加護があらんことを……」

「行ってくる、必ず勝つさ、応援してくれ。だがもし勝てそうになければ……」

「勝てそうになければ?」

「お前らに任せる。オレが修業不足だったということだ。帰ったら反省会だな」

「我ら一同でお祝いいたします」

「おいおい……」


 生真面目な騎士に苦笑しつつ、ボリスは仇敵を見下ろした。倒すべく敵はなんとムスペルの炎に巻かれて燃え上がっていた。あれでは生きている訳がない。

 どうやらリヒテルという男、勇猛であるが大した実力は持ってはいないようだ。意気込んだボリスは肩すかしを食らって内心、落胆していたが、無論顔には出さない。渡された槍を再び返そうかと逡巡したその時、一陣の風が吹いた。


「双剣!!」


 それは竜巻だった。投げ込まれた苛烈な炎が、駿速の矢が、風圧に負けて悲鳴を上げる。必死に縋り付くそれはまるで懺悔する巡礼者のようであった。自らを凌駕する神に許しを乞い、縋り付いて慈悲に縋ろうとする。

 リヒテルの右手が振るわれた瞬間、数十の矢が空しく吹き飛ばされる。左手に持つ真紅のカトラスが放つ剣風を受けて、投げ込まれたムスペルの炎が産声すら上げられずに無残な残骸へと化した。


「斬り姫だ……ザクセンの斬り姫だ。」

「違う、奴はアーデルハイドではない。弟のリヒテルだ。しかし、あの力は……」


 それは人外の化生の力だ。ギガーント(巨人)やトロッリ(食人鬼)のような人が逆らってはいけない存在。ふとその内の一人が頬に触ると、小さな傷から血が流れていた。いつそんな傷ができたのか。まさか、リヒテルの剣風が城壁の上まで届いたのか。妄想と考えつつも、それを拭い去ることができない。


「なんだ……地震か?」

「今度はなんだ、何が起こっている!!」


 リヒテルが城門に取りつき、城壁の死角に入った瞬間、小さな地震が起きた。本当に小さなもので、戦闘にはなんの影響もない。無いはずである。だがその中でただ一人、ボリスだけがそれを正確に推察していた。


「城門を斬っているのだ。カトラス二刀流で……」

「殿下……本城の扉は鉄製です。破城槌ですら壊せませんよ。ましてやいくら、ティルフィング製とは言え、剣如きで……」


 騎士がどこか取り繕うような顔でボリスを宥める。彼が取り繕いたいのは崩壊しつつある自らが信じる常識か。兎にも角にもそれらはまるで卵の殻を踏み潰すようにあっさりと踏み潰された。二度目の地震は、揺れこそ大したものではなかったが、彼らが受けた衝撃は先の比でなかった。城門が斬られたのだ。

 

「殿下、今宵の余興は狐狩りと行きましょうか」

「そうだな、家畜を躾けるのにはいささか飽きた。たまには生きのいい獲物を狙わなくては腕が鈍ってしまう」


 だがしかし、彼らは怯えてはいなかった。彼らは尚武なるスヴァルト、強制でもなく、脅迫でもなく、自らの信念のままに死地へ飛び込む恐るべき男達。

 グスタフのように危険であればあるほど喜ぶ酔狂さこそないものの、自らを凌駕する獣に恐れなど感じない。ましてや主君がそばにいるのだ。無様な真似は見せられない。


「城内に侵入されては連絡線を寸断されますな、仕方がありません、兵士を城内に下げましょう」

「そうしましょう。こんな砦など、盗賊如きにくれてやればいいのです」

「大きすぎる玩具だが、一人くらい幸運な盗賊がいてもいいだろう。二人はいらないがな」

「玩具の中に埋もれて死ね。裏切り者のリヒテル」


*****


「門を突破しました!!」

「やった、勝った。俺たちの勝ちだ!!」


 リヒテルの無謀な特攻により、本城の正門はあっけなく崩れた。決死隊は自らの勝利を感じ、早くも歓声を上げて有頂天になっている。あまりに早すぎる頂であった。


「……いくらなんでも脆すぎる」


 決死隊の中で、やや小柄な兵士がそう呟いた。頭から頭巾をかぶり、顔が見えにくいようにしている件の兵士は誰あろう、決死隊に種を植え付け、死地に送った死術士ヴァンである。

 他者を戦場に送り、自分は安全な場所にいるという神官兵の保身とヴァンは無縁であり、 先導兵の選抜を一任されていた彼は何の葛藤もなく、名簿に自分の名前を書いていた。

 一応、彼は官兵の所属であり、先導部隊には加われない。故にリヒテルに咎められないよう偽名を使ったものの、恐らくは従軍していることは知られているだろう。しかし何も言われないのをいいことにヴァンは図太く従軍していた。


「これで戦わなくて済む。死ななくて済む」

「いや、待て、まだ安心するのは早いぞ」

「そうだ、あいつをなんとかしなければ俺らは……」

「心変わりが早いようで……」


 勝利を確信した兵士たちはその剣をスヴァルトから真っ直ぐにヴァンに向け直した。彼らは自らに植え付けられた種を除去するために最も簡単な方法を選んだのだ。すなわち、術士の殺害。術士であるヴァンを殺せば種は発芽しない。しかし、その行動はヴァンの予想範囲内であった。そして彼らはもう一つ、重要なことを忘れていた。


「死ねよ、スヴァルト」

「よくも俺らに種を埋め込んだな、混血の分際で!!」

「地獄に落ちろ、裏切り者……がっ!!」


 決死隊の最後尾にいた兵士の腹に矢が突き刺さる。背後からの敵襲か? 否、そうではない。それは仲間割れを後退と勘違いした督戦隊による発破であった。疎らな、しかしまごうことなき殺人の武器が後ろから順にヴァンに剣を向けた兵士を貫いていく。


「止めろ、俺らは味方だぞ」

「だ、ダメだ。あいつら命令に従っているだけで俺らのことなんか聞いたりしない」

「前進だ、前進するんだ!!」


 慌てて進軍を開始する決死隊を尻目にヴァンは矢に貫かれた兵士に近づいていた。矢は深々と腹に突き刺さっており、どうあっても救命の望みはない。だが無残にも彼は生きていた。青白い顔で必死に呼吸を繰り返し、生への執着を止めようとはしない。


「お、俺、まだ死にたくない。こんなところで死にたくねえよ……頑張った。俺、頑張ったぜ。だからもういいだろう。もう勘弁してくれよ。許してくれよ。バルムンク様……」

「残念ですが、もう助かりません。ですがご安心を、私が屍兵に変えて任務を達成してあげましょう。胸を張ってあの世に生きなさい」

「いやだ、いやだ……俺はまだ死んじゃ……」

「ケイメン……」


 男の嘆きはわずかもヴァンの心を動かさなかった。彼はただ淡々と呪文を唱えるだけ。死術は死体しか操れない。しかし腹を射られたことにより、種を収めていた胃の血流が止まり、また胃酸が流出してしまっていた。種はこれを死亡と判断する。術者の命で発芽した種は兵士の体に網のように根を張らせ、体を乗っ取るのだ。それはあまりにも無情な介錯であった。


「俺、本当は結婚していたんだぜ。だからこの、ぶたいにさんかしなくても、いい……」

「もう何もかも遅いのです。あなたは義務を果たした、安らかに眠りなさい」


 根が肺にまで達したのだろう。呼吸が出来なくなった兵士は無言で断末魔をあげると現世に大いに未練を残して逝った。後には術士に従順な屍兵だけが残る。


「もしかすると、ここで死ねたことをあなたは私に感謝するかもしれませんよ」


 似合わぬ冗談を口ずさんだヴァンは、彼の顔を目に焼き付けた。それは恐らく、自分が死ぬときと同じ顔であろうから……


「それでは行きましょうか、アンゼルム。バルムンクの勝利のために」


 督戦隊に押し出された先導部隊に続くように、ヴァンは砦内に侵入した。そのさらに後ろから不死の兵士らが続く。まるで葬列のようだった。


*****


「ついてきたのはわずか十数人か……」


 リヒテルはそう自嘲した。城門を剣で斬り、砦内に侵入した彼ではあったが、その後が良くなかった。城門突破で勝利を確信した決死隊は浮かれ、砦内の侵入を躊躇したのだ。

 どうせ勝つのならば、できるだけ危険な場所には行きたくない。まかり間違って死ぬようなことが合ってはならない。早く戦闘が終わればいい。

それが強制的に集められた先導部隊の大方の本音であったが、ただそんな兵士ばかりではもちろんない。リヒテルに付き従う十数名の兵士は自らの意志で決死隊に参加した志願兵であり、士気も実力も十分にある。この戦いが終われば彼らは壊滅したファーヴニル部隊に代わり、軍の中核をになうことだろう。


「リヒテル様、私は故郷をスヴァルトに滅ぼされました。仇を討つまでは死んでも死に切れません」

「だが、無理はするなよ。仇を討つまではお前は死んではならないのだ。いいな、必ず、生き残れよ、命令だ」

「はっ!!」

「それと、リヒテル様、はよせ。さんづけでいい。私は未熟者だ。様で呼ばれるほど偉い人間ではない」


 軽口を叩きつつ、リヒテルは砦の最上階を目指す……のではなく、砦の裏門を抑えにかかった。リヒテルが真に恐れるのは死術を用いた城壁崩し、ヴァンが指摘したようにこの本城をおとりとして使い、また味方ごと自分達を崩落に巻き込むのではないかと危惧しているのだ。

 それを回避するには司令官にして、スヴァルトの〈王位継承者〉であるボリス侯爵の身柄を抑えること。いかに非情な死術士だとしても、ボリス〈王子〉を殺したとあってはスヴァルト社会で生きられない。例え過失であっても〈王族〉殺しの罰は常に極刑だ。


「……何、まさか」

「ど、どうしたんですか、リヒテルさ……さん」

「……勘がいいな。さすがはネズミだ。強者の気配には敏感ということか」


 砦の中央あたり、開けたその場所は礼拝堂であった。スヴァルトの始祖にして神にも等しい不死王シグムンドの肖像画がある。

 対して、周囲のステンドグラスは塗りつぶされていた。恐らくそれは、不死王を打倒し、アールヴの世を作り出した英雄シグルズを讃える内容であったからか


「十年ぶり……あの法王選挙の夜以来、いやこうして面と向かうのは初めてか」

「……ボリス侯爵」

「そうだ、オレの名はボリス・ムスチラスフ・ゴルドゥノーフ。ゴルドゥーフ家当主、父、ムスチスラフが長子。ボリスだ」


 リヒテルから見て真正面、祭壇の後ろにその男はいた。尖った耳と褐色の肌、クセのある銀髪に灰色の瞳。整い過ぎたその顔は高貴な人物故の荘厳さが垣間見えるが、しかしその表情からはどこか砕けた印象がある。服装もそれに合わせるように自己流にチュニックを着崩しており、胸甲で無理矢理抑えつけている感じだ。

 だがそれよりもリヒテルが関心を曳いたのはその特殊能力。そこにいるのに他者に知覚されない。勘が鈍い者ならば後ろに回られ、首をかき切られるまでその存在に気づかないだろう。

 どういう訳かこのスヴァルト貴族は暗殺者としての訓練を積んでいるらしい。それもかなりの練度だ。身分と能力と装備がチグハグ、だが油断はできない。そこに確固たる実力があればそれは異端であっても半端ではない。


「手間が省けたぞ。まるでグスタフのような酔狂さじゃないか、キングの駒が最前線に出るとはどういうことだ?」

「人の事を言えるのかよ、リヒテル。お前もキングだろう。だがまあ、酔狂さは否定しないぜ。オレはな、過去に決別するため、わざわざお前を倒しに来たのだ。ウラジミール公が長女、リディアを覚えているか」


 リヒテルのコメカミに不自然な痙攣が走った。怒りではない、忌まわしい過去を思い出しそうになったのだ。それは苦い苦い禍根の物語、だがそれを表に出すのは憚れた。彼にもまた、親しい者にさえ、否、親しいからこそ教えたくないものがあるのだ。だが、そのわずかに漏れた情動は、ボリスにだけは見抜かれていた。


「……せめてもの情けだ。殺したら墓は隣に作ってやるよ」

「勘違いしているようだから言わせてもらう、下手人は私ではない」

「何……?」


 ボリスの目にが動揺が走る。だが、すぐにそれは卑しい畜生を見るような視線に変わる。それは命乞いを図る罪人を見るような視線だった。


「十年を無為に過ごしたな、ボリス侯爵。全ては〈蜘蛛〉が知っている」

「グスタフが……馬鹿な、あの時グスタフは首都マグデブルクにいなかった。それにいくらあいつでもリディアを殺したりはするか」

「私が勝ったら全てを話す。だがその前に一つだけ教えてやる。お前は所詮、貴族の坊やだ。何も知ることができなかった貴族の坊やだよ」

「それではその坊やにご指導願おうか、裏切り者のアールヴが!!」


 ボリスの槍が閃き、それにリヒテルの双剣が呼応する。ハノーヴァー砦の中心、各々の王、ケーニヒとカローリが剣を交えた。


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