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深霧のザーイエッツ  作者: 山崎 樹
第四章 欺き、欺かれて
30/121

本当にここは地獄なのだ

 凶悪な鉄塊が屈んだテレーゼの頭上を通り過ぎる。大剣使いであるグスタフの攻撃は単純な薙ぎ払いであった。その一撃を予測することは容易く、それどころか攻撃を掻い潜って反撃することも難しくはない。事実、避けるテレーゼは無傷であり、グスタフは細かな傷を受けて手足が血まみれになっている。致命傷ともいえるものこそないもの、劣勢さは隠しようがない。だが、しかし……


「おっと……」

「避けて!!」


 見事に空振りしたグスタフの大剣はそのまま半回転して、城壁を突破しようとしたファーヴニルの腹にぶつかった。まるで粘土細工のように彼の鎧はひしゃげて押し出された内臓が口から飛び出す。人間の尊厳を剥奪された無残な死に様だった。


「悪いな……また、お前の部下をハンバーグにしてしまったぜ。はははっ、晩飯のおかずにでもしてくれ」

「貴様!!」


 グスタフが劣勢……とんでもない。彼は遊んでいるのだ。彼の大剣を避けるために城壁の上を縦横無尽に駆け回るテレーゼはしかし、実の所、追い込まれていた。戦局は攻める連合軍が俄然有利、外壁は制圧されて守備隊は内壁に撤退している。だがそれ以上攻め込めない。外壁の頂上、グスタフの奮闘が巨大な杭となって、連合軍の勢いを堰き止めているのだ。無論、一人でファーヴニル部隊二百名を抑えこむことはできないが、彼が中間で暴れているために部隊の陣形が乱れ、バラバラに内壁に取りつくファーブニルはその都度撃退されていた。このままでは内壁に戦線が張りなおされ、膠着状態に押し込められてしまう。


「このままでは……矢であの貴族を撃ち殺せないのか?」

「駄目です、こう動かれては……テレーゼ様に当たる可能性が」

「賢しいことを考えるな。そのテレーゼごと撃てばいいじゃないか」

「お前……いつのま!!」


 この難局から逃れるべくテレーゼは後方に飛び退く。八十ゼントル(約三メートル)の距離を跳躍した彼女だが、わずかに遅れて反応したグスタフは彼女を超える速度で追いすがってくる。追い抜かれた。着地はグスタフが先、薙ぎ払らわれたツヴァイハンダーをテレーゼは躱せない。だがなぜか剣の速度が落ちる。その幸運を手ではなく、指先で掴んだ。紙一重の差で死の刃がのけぞった彼女の眼前を通り過ぎる。危う過ぎる偶然はしかし、実は必然だった。剣の先には血と亜麻色の髪が絡みついている。途中で二人のファーヴニルを斬り飛ばしたために剣の速度が鈍ったのだ。


「味方を盾にしたな、いい判断だぜ」

「貴方!!」


 弄ばれてきたテレーゼの堪忍袋がついに切れる。激昂した彼女の背後には青白い炎が幻視し、どこか幽鬼めいた、妖しげなオーラが漂う。妖精の女王が怒るとすればもしかするとこんな雰囲気を醸し出すのかもしれない。表情の変化としての怒りではなく、怒りというお題目の表情。


「いい顔だ。まるで十年前のリヒテルのようだ」

「兄ですもの……当然ですわ。それよりも……どうして手加減するんですの、本気で戦いなさい!!」


 テレーゼの激怒を涼しげに流し、グスタフが愉しそうに笑った。邪気のないその笑いはいつもリヒテルがテレーゼをからかう時に見せるそれに少しだけ似ていた。


「俺が本気を出す価値がお前にはないだろう、すぐに死んでしまうからな。お前には半分くらいの力で十分だ」

「それは油断ですか」

「そうだ、油断だ。俺はお前を侮っている。チャンスじゃないか、敵が隙を見せているんだ。今のうちに襲ってしまえ。不意を突いてしまえ。ここを逃せば後はないぞ」

「……」


 テレーゼは攻撃を躊躇った。グスタフは敵だ。そして無論、彼にとっては自分が敵だろう。だが、何というか、グスタフからは敵意というものがまるで感じられない。むしろ、旧友に会ったような気安さが感じられる。


「攻撃しないのか、ヴァンならば躊躇わないぞ。まったく、リヒテルといい、アーデルハイドといい、バルムンクの人間はくだらないことを考えて損ばかりする。十年前にしても、うまくやっていれば今頃……」

「はぁぁぁぁ!!」


 皆まで言わせる気がなかった。テレーゼは真正面から斬りこんでいく。無謀な突撃、だが彼女は一人ではない。グスタフはここが戦場だということを忘れて話し込み過ぎたのだ。止まった兵士はただの的である。別方向から矢を放つ二丁のクロス・ボウ。テレーゼと合わせた三方向からの同時攻撃である。


「そうそう、そう来ないと、だがしゃらくさい。お粗末なんだよ、お前たちは!!」


 グスタフはツヴァイハンターを逆手に持ち替えると凄まじい速度で体を一回転させた。瞬時に竜巻のような風が巻き起こり、その風圧で矢が跳ね飛ばされる。至近距離なら板金鎧すら撃ち抜くクロス・ボウの矢は剣圧の余波にすら及ばなかった。


「いい判断だ……道理は無理で蹴散らせるが、そうでない場合は潔く退く」


 グスタフは腹に突き刺さったカトラスを引き抜いた。二本の矢は突破できなかったがテレーゼの突きはあの暴風を突破し、グスタフの腹に刃を突き入れた。皮と肉を貫いた一撃はしかし、内臓までは届かなかったのだ。そして筋肉にめり込んだ得物は瞬時には抜けなかった。テレーゼの手に今、武器はない。


「少し、驚いた。よもや突破されるとは思ってはいなかったぞ」

「効果がなければ突破しても意味なんてありませんでしたわ。それにしても、今の感触、まさか皮鎧すら着ていないなんて、大した度胸ですわね」

「多少、危険な方が愉しいだろう。大きいのを一撃受けるだけで致命傷。ギリギリの条件での殺し合いだ」

「愉しい……? 人が死ぬ戦争を愉しいと言いましたの!!」

「そうだ、戦争は愉しいゲームだ。賭けるのは己の人生、成功報酬は自己満足だ」


 テレーゼの背中を冷たい物が通り過ぎる。なんなのだこの男は。醸し出されるそれは紛れもない余裕。恐らく、このグスタフという男、自分なんかとは比べようのない程、多くの修羅場を潜り抜けているのだろう。だが、そこに武人としての気概が感じられない。そこにあるのは肉食動物が食される餌に向ける純粋な憐れみ、相手を同じ人間とは思っていない酷薄な視線だった。


「見て見ろ、スヴァルトの兵士を……十年前の一度きりの勝利に奢り、その虚勢に胡坐をかいてきた末路を。バルムンク如き盗賊団にかみつかれて無様に狼狽している。俺が予備隊を連れてきたと言うのにそれでも立て直せない」


 ふと見ると再び戦況はファーブニル部隊が優勢となっていた。テレーゼとグスタフ。両陣営とも指揮官を欠いた形だが、連合軍が大隊長アンゼルムを中心に、体勢を立て直しつつあるのに対し、スヴァルトの守備隊は戦線を張りなおせなかった。騎士は怒号を上げるばかりで、配下の兵士は自分の身を守るのに精一杯。未だ混乱は続き、平常心を取り戻せない。


「このままだと負ける。内壁も突破されて本城までの道を切り開かれる。このままじゃ不味いよな。大変だよな。だから……」


 グスタフは童のように邪気のない笑みを見せて先を続けた。


「リセットしよう」


*****


「舵にひっかけられた鎖は外せないのか!!」

「陸に上げて鍛冶屋とかに頼まないと。最低でも戦闘中には無理です」

「落ち着け、鎖で繋がれただけならそんなに大きな問題じゃない。落ち着くんだ!!」


 連合軍船団旗船「クリームヒルト」は恐慌寸前にあった。戦況自体は硬直しており、どちらかが勝機をつかんだとは言えない状況である。攻め寄せるスヴァルトはクリームヒルを攻略できず、連合軍もスヴァルトに攻勢をかけられない。だが死をも恐れぬスヴァルトの猛攻によって連合軍兵士の神経はすり減らされ、今回の決死行によって限界を迎えつつある。その混乱は甲板の兵士だけでなく、船底の漕ぎ手にも伝染しつつあり、戦闘経験に乏しい漕ぎ手は恐慌をきたせばもう冷静さを取り戻せない。とはいえ動けない以上、漕ぎ手は必要ないのだが……


「竜司祭長、敵軍は投石器を用意している様子。いかがいたしますか?」


 そんな中、ただ一人平静さを維持していたのはヴァンであった。それは特別胆力があったわけではない。彼にとって目の前の生死をかけた戦闘もどこか遠い出来事のように薄っぺらなものだった。人間はどうせ死ぬ。それは早いか遅いかの違いでしかない。死の恐怖に狼狽えるのはそれを理解できない愚か者のすることだ。


「……竜司祭長?」

「う、うるさい、今対処法を考えているんだ。話しかけるな!! 鎖を、鎖を……」

「鎖に繋がれたぐらいでは大きな問題はないのではないですか?」

「この船はな……だが他の船は違う。いいか、スヴァルトの船に対等以上に戦えるのは大型のクリームヒルトだけだ。その船が動けないということは奴らにとっては無視できるということ。この船を迂回して後方の船に襲い掛かり全滅させる。その後にクリームヒルトを四方八方から取り囲んでなぶり殺しにする。それで決着だ」

「なるほど……」


 ヴァンは素直に感心した。腐敗神官と呼ばれる彼女だが決して無能ではない。それどころか専門知識を持っている分、水上戦においてはファーヴニルなどの無頼漢よりも数段上だ。彼女は使える。リヒテルは腐敗神官ということでかなり低い評価を下しているようだが、ヴァンは高く評価していた。ここで失うには惜しい。


「私に策があります」

「なんだ、何があるって言うんだ?」

「はい、まず……」


 恐慌寸前のブリギッテの顔が驚愕に染まる。ヴァンが口にした作戦は彼女の常識を超えるものだった。


「そんな、うまくいくはずがない」

「他に方法はないでしょう。気に食わないというのならば代案を出してください。まあ、ないでしょうが……」


 ヴァンはわざと攻撃的なしゃべり方をした。何か意図があったわけではない。ただ馬鹿らしくなったのだ。もう自分の正体は露見し、バルムンクが勝とうが、負けようがその運命は決まっている。ギロチンの刃が首に当たっている状況で行儀よく振舞ったところで何の意味がある。これからは好き勝手にやろう。


「……分かった。お前の策に従おう」

「ありがとうございます。では他の船……分船団の指揮権をいただきたい。私が指揮します。見事、スヴァルトを手玉に取って見せますよ」


 もしかすると不遜な物言いにブリギッテが激昂するかとも思ったが、彼女はしばしの沈黙の後、まっすぐにヴァンを見つめた。その顔は歪でひどく真面目腐ったもので不真面目を絵に描いた彼女には似つかわしくなかった。


「私が全ての責任を取る。お前の好きなようにやれ。遠慮はいらない、下の面倒をみるのはお姉さんの特権だ」

「……」


 ヴァンはなぜかその顔を直視出来なかった。眩しそうに目を細め、ゆっくりと船尾の小型船に移動する。それで後方の船に移動し、分船団の指揮を取る。

 ブリギッテには大口を叩いたヴァンだったが、自らが立てた策に絶対の自信があったわけではない。ただ最も勝率が高い方法を提示しただけであった。失敗しても責任は持たない。ただし、失敗した場合はヴァン自身、無事では済まないだろうが。まがい物でもヴァンはファーヴニル、戦場では常に危険な場所に身を置くのだ。


「投石器が来ます!!」

「サイン、コサイン、タンジェント、計算は完了。大丈夫だ、この船には当たらない!!」

「ほ、本当ですか、ブリギッテ様?」

「マグデブルク大学主席の私を信じろ!!」

「後方に着弾!!」

「よっしゃあぁぁぁ、本当に当たらなかった!!」


 願わくば、一人でも多く生き残れることを……そう思い、ヴァンは苦笑した。心にも無いことを思うものだと。


*****


「三発目、敵船前方に着弾」

「投石器では……かすりもしないか」


 スヴァルト軍旗船「アレクサンドル」の甲板にて指揮官、騎士セルゲイが思案する。彼は水上での戦いの経験がない。よってその戦い方は陸での戦闘に順じたものとなり、無駄な行動が随所で見られるのだが、彼には長年に渡って軍事を預かってきた神官兵にはない柔軟性があった。そもそもスヴァルト自体、十数年前には未開の蛮族でしかなかったのだ。彼らは今、成長期。驚くべき速さで知識と経験を吸収する。


「投石器は止めだ。作戦変更、あの大型船を迂回して後方の中型船に攻撃をかける。ただし、万が一を考えて三隻を大型船に貼りつかせる。積極的に攻撃をかける必要はない。ただ継続的に矢戦を行い、奴らを消耗させろ。コンドラートが命を懸けてひっかけた鎖を外す余裕を与えるな!!」

「はっ!!」

 

*****


 後方の船団にたどり着くのは簡単だった。そして自分のようなガキが指揮権を振りかざすことを認めさせるのはもっと簡単だった。

 当初、ヴァンは彼ら神官兵が命令を聞かない。あるいは反抗することを予想していた。十代半ばの子供、それ以前に神官兵と仲が悪いバルムンクの回し者。これだけの悪条件をそろえているのだ。事実、バルムンクでは十年に渡って忠義を貫いたにもかかわらずスヴァルトとの混血ということが露見しただけで裏切り者扱いだ。神官兵もバルムンクの手の者であるということで牙を剥くのではないかと考えていたのだが、それは杞憂に終わった。彼らの顔は命令されることに慣れ切った没個性な物。自分達を生き残らせてくれるのならば誰であっても従うと言う信念の無き奴隷の姿。

 その姿勢にヴァンは感謝した。これでうまくいく。これで勝つことができる。ヴァンの号令一過、旗船クリームヒルトを除いた連合軍船団は一斉に後方へと撤退した。


*****


「おい、奴ら逃げて来るぞ」

「所詮は腐敗神官よ。バルムンクのお荷物。無駄飯ぐらいだ」


 エルベ河の川岸、神官兵を戦場に向かわせる督戦隊は再び火矢を構えた。彼らに科せられた命令は神官兵が乗る船団が逃げようとしたら矢を放って無理矢理戦場に向かわせること。

 火矢程度で船を落とすことはできない。だが背後に剣を突きつける心理的効果は意外なほど大きいのだ。後退すれば殺される。そう思えば兵士は死にもの狂いで戦う。例え未熟であってもその戦闘力は高い。無論、その分、犠牲も大きいのだが、司令官リヒテルは裏切り者たる神官兵に情けをかける気はなかった。極端に言えば、目的さえ遂げてくれならば全滅しても構わないのだ。


「俺らは命令通りにやればいい、拾ってくれたリヒテルさんの命令をな。矢を構えろ、神官の船を燃やし尽くしてしまえ!!」


*****


「奴ら、弓を構えてます!!」

「まだだ……まだ早い!!」


 動揺する兵士を叱り飛ばし、ヴァンは目前を見据える。目の前には味方を殺す督戦隊。彼らの得物はまっすぐにこちらを狙っている。だが思えば自分にとっての本当の敵は常に味方であった。敵であるスヴァルトとの混血。それが露見すること以上の危険があるのか。

 教会での死術士、リューネブルクを支配していたミハエル伯。だがヴァンを捕え、牢獄にぶち込んだのはいずれでもない、味方のファーヴニルであった。

 ヴァンは笑った。十年間笑みの一つも見せなかった少年は面白くて仕方ないように声高く笑った。本当にここは地獄なのだ。誰が裏切るか分からない。昨日の友は今日の敵。自分は誰に何を求めていたのか。その愚かしさがおかしくて仕方がなかった。自分は、混血以外の何にもなれないのだ。

 ヴァンは左手を掲げ、ゆっくりと振り降ろした。その仕草に伝令の兵士は安堵し、船団全体に命令を下す。これは賭けだった。失敗すれば全滅する。だがそれもどうでも良かった。死ぬときには死ぬ。ヴァンは自分の判断で大多数が犠牲になる状況になんの罪悪感を覚えなかった。


「左舷に旋回、いそげぇぇぇぇ!!」


 号令と共に、連合軍船団が一斉に左に旋回し始めた。急速な方向転換を可能としたのはたゆまぬ訓練の証。であるならばそれが出来なかったのは怠慢故の自業自得か。最後尾の数隻は命令についていけず、まごついて動きを止める。それを見逃すスヴァルトではない。ある船は衝角ラムの一撃で船をひっくり返され、ある船は体当たりに耐えても乗り移ってきたスヴァルト兵により虐殺の憂き目にあった。まるで牛刀でバターを切るように容易に蹴散らされる神官兵。腐敗しきった彼らでは同数のスヴァルト兵には勝てない。だがしかし……


*****


「セルゲイ様、川岸に弓兵部隊!!」 

 

 追撃をかけ、陣形を千々に乱していた彼らの前に味方殺しの督戦隊が姿を現す。逃げる味方を撃ち殺す彼らは敵であるスヴァルトにとってなんであるのか。騎士セルゲイは彼にとってまっとうな判断を下した。すなわち督戦隊への攻撃を命じたのである。


「しまった、敵の伏兵か。 陣形を立て直せ!!」

「大変です。敵船団が反転し、こちらに向かってきます」

「挟み撃ちか。おのれ、栄光あるムラヴィヨフ家がこんなことで……!!」


*****


 ヴァンの策は実に簡単、川岸にいる督戦隊とともにスヴァルト船団を挟み撃ちにするというものである。本来ならば味方殺しの督戦隊はこちらにとっては敵だ。だが本来の敵であるスヴァルトは連合軍の内部事情など知らない。督戦隊もまた自分達と戦う兵士の一部隊と考えるだろう。督戦隊如きにスヴァルトを倒せるとは思えない。だがスヴァルトは督戦隊のために兵力を二分する。同兵力では勝てない神官兵だが二倍の兵力ではどうか。その結果が今、示されるのだ。


「私に続け。白兵戦で勝負を決める!!」


 二正面、それ以上に追撃戦のために陣形を乱していたスヴァルトの船が一隻ずつ血祭りにあげられる。一隻に対し、三隻、五隻で襲い掛かるのだ。精鋭揃いのスヴァルトであってもたまったものではない。

 もちろん、必死に陣形を立て直そうとするが、地上の督戦隊を牽制しながらでは動きが鈍い。また、ヴァンは知らなかったが、スヴァルト側の漕ぎ手である神官兵は自らの危機を敏感に悟り、恐慌をきたしていたのだ。ブリギッテらリューネブルクの腐敗神官の下をいくヒルデスハイムの神官兵は存分にスヴァルトの足を引っ張っていた。


「ヴァン様……旗船に捕えました。あの船を制圧すれば我らの勝ちです」

「よし、決着をつけよう」

「はい!!」


 スヴァルトの船団は数隻にまで数を減らし、対して連合軍側は八隻。しかもスヴァルト側が密集してなんとか体裁を整えているのに対し、連合軍側は鶴翼の形で反包囲の状態にあった。しかも地上にいる督戦隊の援護もあり、兵力差は五倍以上。もはや戦況は連合軍の圧倒的な有利にあったが、目前の死を見てもスヴァルトは粘り強く抵抗する。


「我が名は騎士、セルゲイ!! 名のある戦士はかかってこい!!」

「相手の挑発に乗るな。距離を取って矢戦を続けろ。消耗させるんだ!!」


 ヴァンは冷静だった。ここを最期と悟って抵抗するスヴァルトとは直接戦わず、火矢などの遠距離攻撃で消耗させる。警戒すべきは彼らではない。遥か遠く、旗船クリームヒルトに貼りつく三隻とそれまでの攻撃で半壊した数隻。それらのスヴァルトの船が解囲を行うことにだけ注意すればよい。火矢程度で船は沈まない。だが度重なる火矢と、それに伴う乗組員の負傷により消火が間に合わなくなっていた。少しずつスヴァルトの船は赤く包まれ、紅蓮の炎に飲まれていく。騎士セルゲイの挑戦はむなしくエルベ河に消えていった。

 勝利の寸前、だが三度戦況は変化する。それは現場ではなく、地上のハノーヴァー砦からやってきた。


「な、なんだ!!」

「見ろ、城壁が……城壁が崩れていく!!」


 大地を揺らす震動。砦を取り巻く城壁が轟音ともに崩れていく。

 例えば、巨大な樹木の根に斧を突き入れればあんな壊れ方をするだろうか。大地がその上に立つ建造物を拒否したように、その形を保ちつつ城壁が倒れていく。恐らく、そこで戦っていた兵士は全滅だろう。人間が建物に押しつぶされて生きているはずがない。


「いったい何が起こっているんだ」


 連合軍、スヴァルト軍、共にその圧倒的な破壊に思考を止めた。戦闘どころではなかった、まるで天罰におののく信者たちのように硬直する兵士達。


「テレーゼ様ご無事で……?」


 ヴァンは知らずに名前を口にしていた。あまりにもむなしい希望だった。


*****


―――ハノーヴァー砦司令官室


「どうです、うまくいったでしょう、キャハハハ!!」

「ああ、本当に。お前、スヴァルトに生まれれば良かったよ、それも貴族階級に。そうすればオレが重要してやったんだけどな」


 目の前で崩れ去る城壁を、司令官ボリス侯爵は仮面の死術士シャルロッテとともに満足げに見ていた。

 作戦自体は以前から考えていた。だがこうまで大規模に行えたのは彼女の協力あってこそ。それに素直に感謝していた。ただ彼は同時にスヴァルト至上主義者でもある。混血であるシャルロッテを重用したりはしない。混血を重用しては他の貴族の反感を買うし、なによりスヴァルト以外の者が高位にいては秩序が乱れる。


「オレは別にこの砦が陥ちても構わないと思う。軍事的には重要だが、砦はしょせん建物だ。建て直せばいい」


 そう言うと彼は胸にかけた首飾りを弄り始めた。ガラスに花を閉じ込めた変わったペンダントであった。上級貴族である彼には似合わない、彼に似合うのは宝石や金などの貴金属である。だがあえて彼はこの粗末なアクセサリーを身に着けていた。それは十年前に永遠に失ってしまった少女の形見。リディア・エドゥアルト・リューリク、愛しい〈王女〉殿下の物だ。


「さて、リヒテル。砦を攻略して南部のヒルデスハイムの盗賊と合流するとのことだが……果たして合流できる程兵士が生き残るのかな?」


 スヴァルトの王太子、ボリス・ムスチラスフ・ゴルドゥノーフは自らに歯向かった盗賊を心底憐れんでいた。


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