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深霧のザーイエッツ  作者: 山崎 樹
第四章 欺き、欺かれて
27/121

あの男はただのロクデナシだ

ハノーヴァー砦前面・バルムンク連合軍水軍・旗船クリームヒルト内部――――


 その日はまるで凍り付くような寒さで始まった。

 九月の半ば、秋の初めだと言うのにこの寒さははっきりと異常である。

 ハノーヴァー砦に集結した連合軍の兵士もまたその寒さに苦しみ、ファーヴニルや神官兵は毛皮などの防寒具を抱きしめ、全軍の三分の二を占める難民崩れの飢狼軍はなけなしのエールをちびりちびりと口に含み、わずかばかりの暖を取っていた。


「本当に寒いな。こんな時は部屋に籠ってカード賭博をするに限る」

「本当です、ブリギッテ様。バルムンクの奴ら……寒さを感じないんでしょうか?」

「狂信者どもだからな。だが、まあそんなに戦争が好きなら、好きなだけやればいいさ。こちらはこちらでさぼっているように見られないくらいに働けばいい」


 城壁を突破する準備を進める陸の部隊を遠目に、神官兵であるブリギッテ竜司祭長を中心にした神官兵の水軍はエルベ河に十数隻の軍船を浮かばせ、攻撃開始の合図を待っていた。

 彼らに科せられた使命はこのままエルベ河を南進して敵の水軍を撃破。

 砦に物資を搬入する港を制圧し、そのまま中枢になだれ込むことだ……それは指令官リヒテルが考えた正面突破と合わせた同時攻撃でもある。

 操船の技能は神官兵にしかないわけではないが、蓄積された経験は比べようがなく、それは敵であるスヴァルト軍も同じ。

 結果として、河の戦いは両者とも気心の知れた神官兵同士で行われる。

 そしてそこにブリギッテら〈腐敗した〉神官兵らが漬け込む隙があった。


「……ありました、竜司祭長!! 川底に丸太と鎖。このまま進んでいたら下手すりゃ、座礁していましたね」

「おおし、ご苦労。河の水は冷たかっただろう。後でエールを一杯奢ってやる」

「一杯だけですかい。ヒュー、寒い寒い。凍えちまうぜ」


 ブリギッテは敵の神官兵と内通していた。

 それは連合軍が勝利するためという〈まっとう〉な理由では決してない。

 彼女は武官でありながら戦争を嫌っていた。

 面倒くさい……なにより、そんなことで死ぬなんて馬鹿らしい。

 どこまでも自己利益を目的としたものだ。


「これで港の前面まで進めるな」


 内通した神官兵と示し合わせ、八百長戦を仕組んだのだ。

 彼女が率いる水軍は負ける……ある程度は奮戦するが、敵の〈苛烈〉な抵抗を排除仕切れず敗退する。

 つまりは、リヒテルに八百長がばれない程度に戦う……もとい戦うフリをするだけであった。


「私は父が叶えられなかった夢、食べたいものを食べて、飲みたいものを飲んで、ぶくぶく太って痛風(贅沢病)で死ぬのが夢なのだ。それなのに見ろ、この脇腹を……バルムンクの奴らが働かせすぎるから贅肉の一欠けらもつかない」

「こんなところで死ぬなんて馬鹿らしいっす!!」


 軽口を叩くブリギッテ、彼女の表情はこれから死地に行くとは思えない程、明るい。

 それは無論、裏切りの成果ではあるのだが、その裏切りを知らないはずの旗下の兵士達も似たような顔だった。

 正直言って、バルムンク……もっと言えばリヒテル如きに命を賭ける必要性をまるで感じていない。

 既に彼らにとってこの戦いは半ば以上終わっていた。

 後はどのように手を抜きつつ戦うかである。

 しかし、部下の生命を預かる指揮官たるブリギッテにはもう一つやるべきことがあった。


「後は……ヴァンだけか」


 八百長戦が思いの外うまくいった場合、戦傷者は著しく少なくなることだろう。

 そうなると賢しいリヒテルは自分らが手抜きをしたことを必ず疑ってくる。

 そうなるといろいろと面白くないことになる。

 八百長を成功させる最後のピース……それはリヒテルの派遣した監視役、ヴァンを懐柔することであった。


「ヴァンは今、どこにいるんだ?」

「物資の最終確認をしています」

「何? 昨晩もしたのにまたしているのか」

「暇な奴だなあ。そんなことをしている時間があるなら、俺らのサイコロ賭博に混ざればいいのに」

「おい、懐柔はうまくいったか?」

「駄目です。金にも酒にも興味を示しません」


 ブリギッテは当初からヴァンが自分たちを監視するための間者であると決めつけていた。

 だから仕事を押し付けて探らせる暇を失くしたのだが、それとは別に彼が思いのほか堅物であるのにいささか戸惑っていた。

 酒にも金にも釣られない。だがそれでは困るのだ。

 十年前に首都マグデブルクでリヒテルに拾われた混血の少年。

 彼は拾われた恩を返すためにリヒテルに忠勤する。

 リヒテルもそれに応え、テレーゼ姫の護衛という政治的には破格の立場を与えた。

 恐らく、リヒテルにとってヴァンは息子も同然の感覚なのだろう。

 となれば……リヒテルはヴァンの報告を信じる可能性は高い。

 加えて、ヴァンとテレーゼ姫は仲が良く……そしてテレーゼ姫と頭領アーデルハイドも仲がいい。

 つまり、ヴァンの報告はテレーゼ姫を通じて頭領アーデルハイドに届いてしまうということだ。

 ヴァンから伸びる糸は、バルムンク頭領・アーデルハイド、そして副頭領リヒテル……両者に繋がっている。

 ヴァンがサボっていたと言えばサボりであり、頑張ったと言えば頑張ったことになる。

 頭領アーデルハイドと副頭領リヒテルに意見決定に影響を与えられる人物……それがヴァンである。


「なんとかしてこちら側に引き込め、あの愛人を自称するアマーリアとかいう混血女はどうだ。まずはあいつから落とせないか?」

「駄目です。あの女、見かけ以上にしたたかです。多分、俺らとバルムンクを天秤にかけて有利な方に着くつもりです。確実性がないですよ」

「この際、同じ女を使うならばブリギッテ様が自らの肉体で色仕掛けをしてはどうですか?」

「馬鹿者!!」


 不埒な部下をブリギッテは平手打ちにした。その顔は真紅に染まっていた。


「そんなレベルの高いことができるか!! 私はできないことはしない主義なんだよ」

「軍装を脱いで着飾ればあのテレーゼ姫にも負けないと思うんですけどね」

「無理っすよ。竜司祭長はしょせん、しょじ……」

「おおい!! あのリヒテルから命令が来たぞ、戦闘開始だ、戦闘開始!!」


 伝令の神官兵の怒号に彼らの雰囲気は変わらなかったが動きは変わった。

 三割ほどがノロノロとしていたが、兎にも角にも戦闘配置に着く。

 神官は腐敗しているのが常だったが、明確な職務が目の前に示される武官は比較的腐敗が軽微である。

 武力を持つが故に反乱を警戒していたスヴァルトに睨まれ、おこぼれに預かれなかった事情もある。


「ヴァンを呼び戻せ!!」

「いいんすか、最前線に出すといろいろとばれるんじゃあ」

「どうせ、あちらでも探っているさ。それより私の見たところ、あいつは戦闘に関してはかなり優秀だ。でなくばあのリヒテルに重用されまい。手元に置けば役に立つだろう。なんなら私の職務を押し付けてもいい」

「少しは仕事をしてくださいよ、ブリギッテ様」


 部下の苦言を完全に無視して、ブリギッテは出港を命令した。彼らにとってこれはスヴァルトとの決戦ではない。ただのルーチンワークだ。その侮りの代償をすぐに払うこととなる。

 彼女は司令官、盗賊団バルムンク副頭領であるリヒテルの恐ろしさをまるで理解していなかった。


*****


sideヴァンーーー


 ブリギッテら神官兵が陰謀を巡らせている頃、ヴァンは船から降ろした物資を集積させた天幕でその在庫を数えていた。

 本当は他にも仕事があり、この仕事はアマーリアに任せたかったのだが、竜司祭長ブリギッテへ報告しに行った後、その消息は途絶え、その行方は香と知れない。

 つまりは行方不明であった。

 ……サボりとは思えない、アマーリアはこと職務に関しては真面目である。

 彼女曰く、ヴァンさんは真面目な人は好きでしょう、とのことだが、その意味不明な理由はともかく、職務に関してヴァンは彼女を信用していたのだ。

 その信用を裏切られた感じがして自然と表情が険しくなる。

 ただし、傍目にはいつもの無表情と変わらなかったが。


「よう、スヴァルト。仕事に精がでるな」


 在庫整理が一段落したところで、ヴァンに赤毛のファーヴニルが訪ねてきた。連合軍において、百人近い兵士を束ねる大隊長の任に就くアンゼルムであった。


「アンゼルム殿……なんの御用ですか?」

「用が無くては訪ねてはいけねえのかよ」

「貴方は私に敵意を持っているはず。であるならば理由もなく訪ねるのは私に何か危害を与えるためではないのですか。いくらなんでも自衛くらいはします……何かおかしな真似を見せたら殺します」


 ヴァンはアンゼルムを味方だとは思ってはいなかった。

 自分がスヴァルトとの混血だと言う事実を白日の下に晒したのだ。

 言うなれば暗殺を試みたのも同然、容赦をする必要はない。

 例えば組織にとって価値が低い下っ端ならばアンゼルムはヴァンに殺されていた。


「ふん、そういきり立つな。何、もしかすると今回の戦いがお前と今生の別れになるかもしれねぇんだ。さすがの俺も少し感傷的になったんだよ。いいか、よく聞け。この戦いが終わったら、俺はテレーゼ姫に告白する。俺の嫁になってくれるように頼むんだ。姫の隣にいるのはお前ではなく、この俺になるんだ。どうだ、妬ましいか?」

「別段、なんとも。テレーゼお嬢様が選ぶのでしたら私がどうこう言う問題ではありません」


 ヴァンは嫉妬どころか何の反応も見せなかった。

 テレーゼがアンゼルム如きを相手にしないというのも大きい。

 だがそれ以上にヴァンはテレーゼに対する気持ちをリヒテル以外に見せる気がなかった。

 ヴァンはテレーゼを愛している。

 だがそれは決して、それこそテレーゼ本人にも喋ってはいけない秘密なのだ。 邪法たる死術、否、それ以前にスヴァルトとの混血という生まれながらに罪深いヴァンは近づく人間を傷つける。

 迫害という名の鞭は長く広い、当の本人だけでなく、親しくした者に対しても振るわれるのだ。


「そうかい、そうかい、つまりお前は姫の事をなんとも思ってはいないわけだ。だったら、もう姫に関わるな。できることならリヒテルさんにもな。けっ、どこまでも本心を隠し、裏で策謀する。イライラさせる奴だ。本当は周りの人間をみんな馬鹿にしているんだろう。俺のことも、姫の事も、リヒテルさんでさえ……」

「それは偏見というものです」

「……黙れ、鉄仮面。もういい、どうせお前は終わりなんだ。じゃあな、もう二度と会うことはないだろう」


 言うだけ言うと、アンゼルムは帰って行った。どこか含みのある言葉を残して……


(警戒する必要があるな。もしかすると私の暗殺を考えているのかもしれない)


 混血であることが露見しないように警戒してきたヴァンは用心深い。

 寝る場所も不定期に代えるし、道を歩くときでも襲撃されることを想定して行動している。

 闇討ちは……少なくともアンゼルムやその部下程度の腕前では難しい。

 反面、死術の影響で舌がマヒしているため、食事に毒を盛られても、それをヴァンは感知できない。

 狙うは毒殺、一番簡単なのは、なんだかんだでまとわりついてくるアマーリアを買収して毒を盛らせる方法。

 今晩からは食事は自分で用意した方がいいかもしれない。

 そうと決まれば案を練るのは難しくない……十年間、行ってきた警戒を強めるだけである。

 ヴァンにとって、今や最大の敵は正面のスヴァルト軍ではなく、背後のバルムンクであった。


*****


ハノーヴァー砦前面・バルムンク連合軍水軍・旗船クリームヒルト――――


 連合軍十三隻、スヴァルト軍十五隻、合わせて三十にも及ぶ軍船がエルベ河で対峙した。

 船は全てオールで漕ぐタイプの小型のガレー船。

 各々の船の先端には体当たりするための衝角ラムがついている。

 港には侵攻を防ぐ目的から太い鉄の鎖が張られており、それを切るためにも衝角が使われる。

 追い風を待って、ヴァンやブリギッテが乗船する船団の中で最も大きい旗船「クリームヒルト」が帆を一杯に張って突進するのだ。

 それが会戦の最終局面である。

 港を占拠された場合、スヴァルト軍は陸地側の二つの城壁を放棄して中枢たる本城に撤退しなければならない。

 そうしなければ外の城壁にいる兵士は分断され、各個撃破の餌食になってしまうからである。


「いいか、ゆっくりでいい。臆病でいい。決して早まるな……できるだけ犠牲が出ないように進軍するんだ」

「はっ!!」


 見方によっては消極的すぎるブリギッテの演説にしかし、ヴァンは何も言わなかった。

 彼らは水上戦闘のプロであり、ヴァンのようなほとんどリューネブルク市から出たことがないファーヴニルとは蓄積された経験が違う。

 何か考えがあるのではと、やや好意的に解釈した。

 ヴァンはブリギッテが敵と内通し、八百長戦を仕組んでいることは知らない。 故に彼女の狙いも分からなかったのだ。


「では、バルムンクのヴァン殿にはここで待機してもらおうか。とりあえずは私達の戦い方を見ていてくれ」

「いいのですか……?」


 ブリギッテの命令にヴァンは驚いた。自分がバルムンクの監視役(本当はバルムンクをクビになっているのだが……)だと思っているだろう彼女は自分を遠ざけると考えていたのだ。


「……ん、どうしたんだ。何が疑問なんだ?」

「てっきり私はガレー船の漕ぎ手をやらされるのではないかと」

「お前……どれだけ自己評価が低いんだ。漕ぎ手ならば、本隊から二百人くらい借りてきている。確かにそれでも不足しているが、お前みたいな隊長クラスを入れる程逼迫してはいないぞ」

「隊長クラスですか? 私が……」

「そうだ。私の調べではあのアンゼルムとかいう赤毛の大隊長に能力面では勝っているぞ。と言うよりもあいつが過大評価されているだけだが」

「そうですか……」


 ヴァンはどこまでもその評価に懐疑的であった。

 今までそんな評価を受けたことがない。

 リヒテルにさえ、そんなことを言われたことがなかった。

 故に自分は未熟者だと思っていたのだが……。


「なるほど……やっと弱点が見えてきたぞ」

「なんのことです?」

「いや、何でもない」


 どこかはぐらかすようにブリギッテは会話を打ち切ると船団に命令を伝える。 水上戦闘は相手の船に乗り移り、白兵戦でもって決着をつける。

 しかしその前に弓矢やボウガンを用いて露払いをしなくてはならない。

 少しでも敵兵を減らし、連携を乱すのだ。

 運が良ければ各個撃破できる。

 孤立した船に二隻、三隻で群がりなぶり殺しにしてしまうのだ。

 船単位で動くため、船上戦闘は個人の武勇よりも統率力が物を言う。

 弱い者が負けるのではなく、結束を乱した方が負ける。


「ブリギッテ様、奴ら船に投石器を乗っけてますぜ。ユラユラ揺れる船の上で当たるんですか?」

「地面と違ってしっかりした足場がないから重心が乱れる。下手すれば味方の船に落ちるな」


 スヴァルト軍の船団はどこかチグハグだった。

 投石器を乗せることもそうだが、彼らは船団を互いにロープか何かで縛っている。

 確かにそうすれば各個撃破の的にはならないが、柔軟な行動が出来ない。

 一隻でも座礁すれば船団全体が止まってしまう。


「奴らめ……演出するのが下手だぞ。これでは勝たなくてはごまかせないではないか」

「竜司祭長殿。勝ってはいけないですか?」

「い、いや、もちろん勝ったほうがいい。だが、だが……相手は私達と同じ神官兵。水上戦闘に長けているはず。それが素人のような戦い方をするなんて何か罠があるのではないかと疑っているのだ」


 しどろもどろに言い訳するブリギッテにヴァンは彼女を疑い始めた。

 演出が下手とはどういうことか……もしかすると敵側に寝返る気なのではないか? 最低でも内通くらいはしているかもしれない。

 最悪の場合……ヴァンは腰のカトラスに手をかけた。

 ブリギッテを殺して寝返りを防がなくてはならない。

 恐らく、一般兵は寝返りを知らない。

 であるならば、彼女を殺せば寝返りを防げる。

 ヴァンは間違いなく彼女の部下に殺されるだろうが、戦争に負けるくらいならば……。


「よし、ここは一端、距離を取って敵を引き付ける。相手の手の内が読むまで積極的な攻勢は控えるのだ」

「ちょっと待ってください。スヴァルト軍は港を守れば勝ちなのです。引き付けられるはずがありません」

「分からないぞ。こちらの弱腰を見て決着をつけに来るかもしれない。相手だって戦争は長引かせたくないだろう」

「戦争は一か月以上長引きません。それ以上は我らの本拠地リューネブルクが危険にさらされます」

「もう、決めた。竜司祭長である私が決めたのだ。ヴァン、お前は今、私の部下だ。命令には従ってもらう」

「あなたは……」


 殺すしかない……ヴァンは静かに冷徹な判断を下した。

 この女は裏切り者、裏切り者は殺さなくてはならない。

 

「背後より、敵襲!!」


 爆音とともに、最後尾の船が燃え上がる。

 ヴァンの凶行は突然の攻撃により止められた……あり得ないはずの背後からの攻撃。

 その動揺が全体に広がろうとしていた。


「まさか、敵軍が回り込んで……」

「馬鹿が、こんな開けた大河で回り込めるか!!」

「落ち着け、被害を報告しろ!!」

「ブ、ブリギッテ様!!」


 ブリギッテの一喝が周囲の混乱を鎮める。

 突発的な事態にも平静を保つ彼女の胆力にヴァンは驚くと同時に尊敬した。

 しかも彼女の表情はやや興奮しているものの、常と変わらない寝ぼけたものだ。

 どうやら、怒って自身の動揺を抑えこんだわけでもないらしい。


「船体の被害は軽微。死傷者はいません。しかし、攻撃は、攻撃は……」

「どうした、何があった!!」

「攻撃は背後の友軍から行われています!!」


 全てを聞かず、ヴァンとブリギッテはマストによじ登り、対岸を見やる。

 そこには弓兵がずらりと百人ばかり並んでいた。

 いずれもそれは〈自分達に〉的を絞っていた。


「まさか……ばれたのか、あのことが。戦わなければ殺すというのか、味方である私達を!!」


 なるほど、本当に裏切っていたのか。

 ヴァンは冷静にその事実を受け入れた。

 先ほどの尊敬は消し飛び、今はただどうやって彼女をバルムンクの都合のいいように動かすかを考える。

 それにしてもとヴァンは思う。

 さすがはリヒテル様、ヒトの動かしかたをわかっていらっしゃる。


「この上は前進しかありません。後退すれば船ごと火矢で焼かれるでしょう。お覚悟を、ブリギッテ・バウムガルト竜司祭長」

 振り向いたブリギッテの顔は怒りで朱く染まっていた。

 背後から奇襲を受けた時と違い、本当に動揺しているのだ。

 もしかしたら切り捨てられるかもしれない。

 それだけのことを言った自覚がヴァンにはあった。


「お前はどうしてそんなに冷静でいられるんだ?」

「オロオロと狼狽えても事態は好転しません」

「違う、そんなことじゃない。わからないのか? あのリヒテルはな、私達だけじゃなくてお前も殺そうとしているのだぞ。十年間捧げたお前の忠誠を土足で踏みにじった。恩を仇で返しているんだ!!」

「恩を受けているのは私の方で……」

「ああ、わかった。そうか、そうか!!」


 ブリギッテはヒステリックに髪を掻きまわすとヴァンの肩をがっしりと掴んだ。

 思いの外、力強いそれに、そして彼女の迫力にヴァンは内心、怯えた。


「あのリヒテルは育てるとこんなガキができあがるのだな。いいか、一度しか言わないから一度で記憶しろ。目を見開け、自分の頭で考えろ。お前を育てたリヒテルはただのロクデナシだ!!」


 その言葉はまるでハンマーのようにヴァンの頭を打ち据えた。

 今や、アールヴの英雄とまで唄われる主がロクデナシ? ヴァンは怒っていいはずだった。

 敬愛する主が貶められたのだ……殴っていい、斬りかかってもいい。

 だがその心に怒りの炎は湧いてこなかった。

 それどころか何の情念もなかったのだ。

 ああ、そうかと了解する……それが自分の狂気なのだと。


「私にも神官兵としてのなけなしのプライドはある。お前だけは必ず生き残らせてやろう。五体満足で、必ずだ!! くそっ、こんなところで死んでたまるか!!」


 激昂しながらマストを降りるブリギッテを見送り、懊悩の果て、ヴァンはいつまでも立ち尽くしていた。


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