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深霧のザーイエッツ  作者: 山崎 樹
最終章・その手を一つに
109/121

剣に生き……・一

 数百年前……司教制度が誕生する遥か昔、為政者は神の名の下で、つまりはその権威を利用した神権政治でもって民衆を統治していた。

 しかし無輪、神が本当に頂点に君臨していたわけではない。

 知識が極端に偏り、知識を持たぬ民衆は果てしなく愚かであり、神の代行者を名乗る神官(現在の官僚としての神官とは別個の存在、しかし名称がなごりとして継承されている)らはそんな獣程度の知力しか持たない大多数の民衆を、独占した知識でもって洗脳していた。

 それが虚偽の物であっても、御言葉であると言えば道理は引っ込み、要求は押し通される。

 どんな横暴も神の意志であり、その真偽を確かめるどころか、疑問に思うことすらしない人々はまさに神官にとってエサ程度でしかなかった。

 かつての……英雄シグルズの革命で打破される前の暗黒時代。

 だが近年、考古学と言う概念の発展によって調べが進むうちに、本当に神はいたのではないかとの説が生まれる。

 学者は言う、その神は植物でありながら天空を駆ける翼を持ち、咢と牙を持つ、そして何よりも巨大であった。

 死者の軍勢を指先一つで生み出し、彼の神に睨まれた者は、それが強大な王や長であっても九族に至るまで皆殺しにされたと言う。

 人間がちっぽけなアリ程度に貶められるその魔神、なるほど、そのような存在がいたのであれば人が生み出した身分や秩序、階級などなんの意味もない。

 その魔神と意思疎通ができる者、魔神の気まぐれを察知できる者、そして魔神が気まぐれで人間社会を滅ぼさぬよう宥められる者が頂点に立つ。

 それが赤子であれ、奴隷であっても、その者は王であり、皇帝であった。

 海より、天空よりも遠い、遥か彼方から現れる神々。

 死術とは死者を操る術ではない、そのような異界の存在と意志を交わし、力を借りるための召喚術なのだ。


 その説を唱えた学者・ツェツィーリエ・バスラ―はその後、アールヴ人、スヴァルト人の祖先に対する研究をも進め、両人種の怒りを招いたことにより首を撥ねられることとなる。 

 二百年前のことであった……。

 

*****


リューネブルク市・市街地・崩壊後―――


「……!!」


 人は真に恐怖した時、悲鳴ではなく沈黙でもって応えるのだと証明されていた。

 棒立ちになったスヴァルト貴族の私兵らが樹木でできた鉄槌に踏み潰される。

 足で踏み殺されたのだ。

 残ったのは、血袋が破裂した凄惨な光景ではない……身体を支えるあらゆる活力を奪い取られた塵芥であった。


「逃げろ、逃げるんだ!!」

「しかし、まだ瓦礫の下に我が主君の遺体が……」


 ヴァンの策により、バルムンクの本陣たる司教府への攻略を諦めて、主君たるスヴァルト貴族の遺体を瓦礫の下から掘り出していた忠臣達がいの一番に犠牲となった。

 竜の姿をした〈神〉は彼らが憎かった訳ではない、それどころか〈彼〉にとっては貴族の私兵らは友軍であったはずなのだ。

 彼らの不幸は忠誠心にあらず、誰かに敵対したからでもない。

 ただ、竜が進む先、その目的地の射線上にいたと言うそんな理由でしかないのだ。

 神は人を顧みない、ただ蹂躙するばかり……そこに謝罪の気持ちはなく、罪悪すら存在しない。

 ただ気付かない、そこに人間と言うモノがいたと言うことを……そもそもニンゲンとはなんであろうか、舞い散る埃に名前などあるのだろうか、と。


 *****


「し、司教府に向かっているぜ……ってことは法国軍の何かか、おい、何が起こっているんだよクソアマ!!」


 剛毅で知られた傭兵隊長マリーシアが、捕虜となった死術士シャルロッテに掴みかかる。

 波の男ですら失禁するほどの迫力も、あの竜の身内たる矮躯の元少女奴隷には涼風程の威力もなかった。

 ただ、せせら笑うばかり。

 その余裕はしかし、何か後ろ盾があった訳ではない。敗北して剣を突きつかれたシャルロッテにできるのは虚勢を張るぐらいなのだ。

 ただ死に望んでも、その勇気ある態度は、かつて同じ少女奴隷であったアマーリアと比べて、胆力があると言わざるを得ない。


「あの竜は神代の頃、この大陸を支配していた神の一柱、そしてツェツィーリエはそれに仕える神官の一人だった……信じられないことだけど今、私の主人であるグスタフ様が数万の兵士を生贄に神を蘇らせたのよ!!」

「なんだと!!」

「人間が神に抗えるはずがない、バルムンクはもう終わりね」

「態度だけは一人前だな!!」


 ただ、その虚勢はこの場では逆効果であった。

 人知を超えた状況にマリーシアは明らかに余裕をなくしていたのだ。

 いつもならば聞き流すような安っぽい挑発を聞き流せない。

 部下がいる手前、辛うじて自制心を働かせているが、もし仮にシャルロッテと二人きりであれば、彼女はものの数秒で目前の死術士をひき肉に変えていただろう。


「……殺すの、私を?」

「そうしたいな」

「止めた方がいいわ、私を殺してしまえば貴方達もグスタフ様、いえ〈神〉に殺されるわよ」

「どういうことだ」

「あの神は死術の産物、敵味方の区別はつかない。ただ生者と死者を分けるだけ、ただし……死を操る死術士だけは区別できる。死術士である私がいるから、竜神はこの周辺を攻撃しないのよ」


 あの竜は死術が生み出した怪物……実際には〈逆〉なのだが、兎にも角にも死術士は攻撃の対象とならない。

 正確には、あくまで周囲から無尽蔵に生命を吸い上げる儀式魔術の対象から外れると言うだけでしかないのだが、いかに天才と言えど、修練の月日が浅いシャルロッテはそこまで知らなかった。

 彼女はただ、この場を逃れるために自分に都合のいい解釈を話すだけである。

 そしてそれだけで十分だった。


「お、お前……」

「私を殺すのならば、貴方と部下は道ずれよ。ほら、分かったのならばそれに相応しい態度があるでしょう、跪いて許しを乞いなさい。どちらの立場が上か弁えなさい、卑しい傭兵風情が!!」

「くっ……」


 マリーシアは歯噛みする、余裕を失くした彼女は同時にひどく臆病となっていた。

 長年培ってきた勘から、シャルロッテの言い草が虚勢であると見抜いていたが、万が一それが真実であった可能性を捨てきれない。

 掛けられているのは自分の命だけではないのだ、思い切った決断を下せない。

 そしてマリーシアの弱気を目ざとくシャルロッテが見抜く、自らを高貴な存在と称するシャルロッテだが元は卑賤の出、相手の顔色を伺うのは得意である、また騎士や侠客が持つような、相手の弱点を突く卑怯さに躊躇する良心もない。

 勝負はついた、マリーシアはもうシャルロッテに従う他はない。

 勝ち誇るシャルロッテの、その誇らしげな顔がしかし、その時曇った。


「……?」


 蒼い風が吹く……なぜだか分からない、否、理由は分かっている。

 シャルロッテは、マリーシアを屈服させるのに利用したその優れた洞察力が警鐘を鳴らすのを確かに感じた。

 小手先の技術が通用しない者がいる。

 脅迫や懐柔が通用しない存在がいる。

 総身を責め立てる恐怖が臓腑を締め上げた時、彼女は自らの過ちを悟った。

 冷徹なる刃がシャルロッテを斬る。

 

 *****


リューネブルク市司教府前・バルムンク本陣―――


「グスタフだな……決着をつけようと言うのか」


 古に跋扈した神の出現、その中でただ一人平静であったのは、バルムンク総統、リヒテル・ヴォルテールだけであった。

 物見役からの報告はなかった。

 既に〈不幸な〉第一発見者は正気を手放し、ついぞ報告に現れなかったのだ。


「テレーゼ様は……もはや生きてはいないでしょうね」


 蒼く染まった唇を震わせてヴァンが呟く。

 テレーゼ……生還を期待して送った幼馴染の生存をヴァンは絶望視したのだ。

 そして奇妙なことだがにもかかわらず、ヴァンはあの巨大な竜を倒す方法を考えていた。

 体にいくら攻撃しても意味はあるまい、頭部……少なくとも喉より上でなくばあれにダメージを与えることはできないだろう。

 追いつめられた時、人はその素顔をさらけ出す。

 ヴァンが絶望の底で表したのは職務への献身であった……十年前の惨劇でリヒテルに命を救われてより捧げてきた忠誠、裏切られ、死を要求されてもなお失わなかったそれが最期に残された。

 死後の世界を、魂の存在を信じなかったヴァンは、今、考えを変えた。

 愛する人達とは……来世で再会しよう。


「……あの巨体を攻撃するには頭部を狙う必要があります、であるならば……近接してあの巨体を取りつくのが良いでしょう」


 スラスラとヴァンが戦い方を提案する……世迷言を、馬鹿馬鹿しい程丁寧に告げる様はまさに喜劇であった。

 アヘンと死術の毒で犯され、地図上にしか存在しない十万の援軍を信じたリヒテルと大差ない。

 そして、喜劇を終わらせようとする無粋な真似をする人間はいなかった。


「いや、この司教府はあの竜の肩の高さに届く……何も一から昇る必要はない。接触の瞬間に飛び移るのだ」

「しかし、竜には翼がある……飛ばれてからでは」

「飛べぬよ、あの竜、いやグスタフは……神ではない」

「どちらにせよ、あれを止めることは不可能……司教府にいる方々を避難させないといけませんな!!」


 リヒテルがヴァンの策を修正し、やけくそになったイグナーツがその会話を強引に断ち切った。

 

「イグナーツの言は良し。では正面でヴァンと私の二人で時間を稼ぐ……その間に人々の避難を頼む」

「ええ、任されましたよ……あの世にでも避難させますか、自決用の短剣でも配ってきますよ、はっ!!」


 捨て台詞を残しイグナーツが司教府へ駆けていく、本当に自決などされては困るのだが、ヴァンはもはやそれを止める気力を見いだせなかった。

 そしてリヒテルの脳は未だ現実に回帰していない、どうやら先ほどの会話を忘れてしまったようだ。誇らしげな表情で別な話題を口から吐き出す。


「十年前もグスタフと剣を交えたよ、その時、私は勝ってお前を助け出した。本当によかったよ」

「ありがとうございます、ですがやはり私は十年前の地獄から抜け出していなかったようです」


 十年前の勝利に何の意味がある……少しばかりの皮肉を込めてヴァンが育ての親に首肯する。

 返答はなかった。


 *****


リューネブルク市・市街地・崩壊後―――


 クチャクチャ、ハフハフ……。

 肉を、植物を噛みちぎる音を、シャルロッテは茫然と、右腕……右腕があった場所を抑えて聞いた。

 そこには彼女が死術を使役するのに使った、ミストルティンの種が埋め込まれていたのだ。

 幸いなことに、種に浸食されていた腕は切り離されていたとしても痛覚を刺激したりはしなかった。

 本当に幸いなことだった……だから彼女は自分の右腕が食われるという衝撃に辛うじて耐えられたのだ。


「温和なお嬢様だとばかり思っていたのに……口先だけだと思っていたわ」

「……」


 死術の源たる〈種〉は人と死術士を分つ存在、それに寄生された者は幽世の住人になるのだ。

 それは自らの生命を切り売りするのと変わらない。

 ましてや何の準備もなく種を飲み込めば……それは屍の兵士、知性無き化け物の兵士を作る方法と同義だと彼女は理解していたのだろうか。

 テレーゼはシャルロッテの右腕を切断し、埋め込まれていた種を肉ごと飲み込んだのだ、彼女は……躊躇なく神に挑む選択をした。


「歯が……少し欠けてしまいましたわ、でもこれで多分は……そうでしょう?」

「ええ……確かに種を飲み込めば索敵を逃れて、あの竜に取りつけるかもしれないわ……でもあれは神なのよ、神代でこの大陸を支配していた神なのよ、人の身で……神に勝てると思っているの!!」

「私の家族が待っています……見捨てることはできませんわ」


 最高の言葉だった。

 これ以上ないほど明確で、翻意できない台詞だった。

 テレーゼが味方するのは、強い者でも正しい者でもない……彼女が味方するのは自分の信念によって、侠客と呼ばれる、幻想でしかない物を掲げて生きる。

 愚かで、そして美しい生き方だ。

 誰もが憧れて、そして誰もが行きたがらない道だった。

 ただ、それを貫けば……自殺を志願するテレーゼをシャルロッテは嘲笑する気になれなかった。

 シャルロッテは何かを言いたそうに口を開けて、結局、何も語ることなく思い直したように敬礼する。

 テレーゼは愚直そうに返答した。

 

「勝負は後でつけましょう」


 この後に及んでこれか、ヴァンとは別の意味でクソ真面目な……そう思ったシャルロッテは無論、思考を表には出さない。


「決闘は貴方の勝ちよ、お姫様……願わくば、痛い目にあって帰ってくることを」


 そうして蒼い髪の戦乙女は走り去る、お互いに……〈再会〉の約束が果たされないことを予感していた。


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