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深霧のザーイエッツ  作者: 山崎 樹
最終章・その手を一つに
106/121

ある老婆の死

リューネブルク市上等区・司教府前・バルムンク本陣―――


「城門が破られました……貴族連合軍の兵士が雪崩れ込んできます、このままでは」

「ヴァン隊長はどうなった?」

「連絡なんてつけられねえよ、死んだんじゃないのか、あの混血……いや死術士は」


 時は夕暮れ、いつのまにか粉雪が降り注いでいたリューネブルク市。

 そう言えば、今は聖誕祭であった。

 彼らアールヴ人の英雄にして始祖でもあるシグルズの誕生を祝う日、本来ならば神の祝福を言祝ぎ、家の中、家族と共に、自らの幸せを噛みしめるその時を、バルムンクの兵士達は絶望と共に過ごしていた。

 なぜ、こうなった。

 侵略者スヴァルト人に抗うために、十年もの間準備を推し進め、千載一遇の機会をつかみ取って起こした反乱は無残にも鎮圧されようとしている。

 何がいけなかったのか、準備が足らなかったのか、タイミングが不味かったのか……あるいは、反乱を起こしたこと自体が間違っていたのか。

 ことはもう単純なアールヴ人とスヴァルト人の争いだとは断言できない。

 確かに貴族連合軍はスヴァルト人で構成されている、だがしかし彼の軍は目の前に迫る脅威の一部でしかない。

 彼らは決して認めたくはなかったが、スヴァルト貴族の奴隷と化したアールヴ人の法王軍もまた彼らに迫りつつある。

 嫌々ながら従軍している訳ではない、自らの意志でもってバルムンクに襲い掛かる彼らはもはや奴隷とは言えない。

 まさか自分らバルムンクを共通の敵として、スヴァルト人とアールヴ人、宿敵同士の他人種が手を結んだのか……だとするならば、何という道化だ。

 命よりも大事な物があると、革命家は言う。

 ならば、お前こそ先に死ねばいいのだ。

 誰もが死にたくはない、生きていたいのだ。

 ましてや、自らの命を賭けた行いがまったくの無駄だとするならば、なぜ戦う必要があるのか。

 端的に言えば、バルムンクの兵士達は後悔し始めていた、なぜ反乱に参加したのだろうと。


「内壁が落ちたか……外壁から兵力を引き抜けないかイグナーツの部隊に伝令を飛ばせ」

「いえ、それは不可能です」

「イグナーツ、戻っていたのか……話が早い」


 兵士達の心情を知ってか知らずか、総司令官リヒテルが鷹揚と、外壁を守っていたはずのイグナーツの帰還を迎える。

 そう、守っていたはずなのだ。

 リューネブルク市をぐるりと取り囲む堅固な大城壁、その利点をイグナーツは生かせなかった。

 油断していたわけではない、ただ純粋な能力の差だ。

 今、内壁と外壁、二つの戦線が一つとなった、それ以外にこの状況を表せる言葉は存在しない。

 つまりは惨敗だった。

 


「申し訳ありません、リヒテル総統……守り切れませんでした」

「そうか……」

「やはり、数だけではありません、兵の質ですらも大きな差をつけられております。あれ程無能な兵士達ではどれほど有利な陣地にいたとしても……」


 敵に背を向けて逃げ出した男がブツブツと言い訳をし始めた。

 こんなことをしたいわけではない、イグナーツはただ自分の無能さが情けないのだ。

 兵士が悪いのではない、自分こそが外壁陥落の原因。

 だがその本心は薄っぺらな矜持に遮られ、口から出てきたのは自己弁護の類だけである。

 その報告を聞いたリヒテルがはっきりと失望を見せた。

 つまらない冗談でも聞いたように耳を塞ぎ、唾でも吐くように口元を動かす。


「率いていた兵士はどのくらい生き残っている、お前が連れて行った二百名はどうなった」

「……敗走時にバラバラとなり、連れてこられたのは三十名程です、ですが完全に外壁が制圧される前に撤退しましたので、それ以外に五十名以上は生き残っているはずです」

「その五十名はどこに……」

「すぐに戻ってくるかと」

「いや、戻っては来ないだろう」

「逃げたと言いたいのですか」

「いや、今頃彼らは法王軍に投降しているだろう、こちらに戻ってくるはずがない」


 イグナーツ率いる志願兵は先のブライテンフェルト会戦の折、故郷であるライプツィヒ市を焼き討ちにされ、その復讐心から戦場に赴いた。

 そのため士気が高く、どのような困難でも乗り越える気でいる。

 だが果たして、その復讐が到底叶えられない不可能事だとしても彼らは士気を保ち得るか確証はなかった。

 何もなさず、何もできず、ただただ無駄死にするためだけに剣を取って戦えるのか。

 誰もが英雄のような強靭な精神を持っている訳ではない。 

 復讐に燃える狂戦士も折れる時は一瞬なのだ。


「そ、そんな……彼らは勇者です。スヴァルトの圧制によって故郷を、愛する者を奪われた復讐者、私と共に最期まで戦うと誓ったのです、貴方は彼らを侮辱している。上から物を言いやがって、ふざけるな、お前はあの時も私達を捨て石に!!」


 絞められた鶏のように、まるで糾弾されているのが自分であるかのように怯え、錆びたハープのようなしわがれた声を出すイグナーツ。

 しかしその狂態にリヒテルまるで動じない。

 イグナーツの異常さばかりが際立つが、リヒテルの表情もまた常人とは異なる様相を醸し出していた。

 負傷と死術の毒、その痛みを抑えるための過剰なアヘン摂取による薬物中毒、そして敗戦を間近にした精神的重圧。

 それらがない交ぜになり、彼から活力という物を奪い取っていた。

 干乾びた皮膚を香油でごまかしたミイラモドキが口を開ける。

 既にリヒテルの脳は荒廃していた。


「負け癖がついたお前について行きたい者などいやしない」

「敗北は貴方が選んだ結末だろうが!!」


 正論である、だがあまりにも配慮に欠けたその言葉が、追いつめられたイグナーツの精神にトドメを刺す。

 腰の剣に手をかけ、しかし血で汚れた剣がなかなか鞘から抜け出そうとはしなかった。

 苛立ち、腕に力を込めるがそれでも抜けない。

 貴方も私を嘲笑うかと剣に怒鳴りつけ、目についた陶器製のグラスを手に取る。

 それはリヒテルが水に薄めたアヘンを入れていたグラスだったが、躊躇なくテーブルに叩き付けて砕いた。

 その破片を手が傷つくのも構わずに手に取る。

 確かにその陶器の破片は武器となった。


「貴方にはこれで十分です」


 もはやこの場に正気を保った者は存在しない。

 正常な者は皆死んだか、逃げてしまったか、あるいは裏切ったか。

 そして残りは既に魂を狂気に譲り渡していた。

 目前に迫る貴族連合軍、真に倒すべき敵はその存在は忘れられて、今はただ何か残虐なことをしなければおさまりがつかない有様である。

 そしてその時、大地が揺れた。


「……地震?」


 生物の本能か、大自然の脅威に反応した動物的な直感がわずかの間、イグナーツを正気に戻らせる。


「これは……」


 その誰何に何の意味もなく、ただ現実は彼ら二人の認識を超えて動き始める。


*****


リューネブルク市・下水道―――


「目が焼けてしまったわ、アロイス……これでは私の部下達の顔が見えないじゃない」


 市街地に突入し、貴族連合軍の背後を取った神官軍は、グスタフの、味方であるはずの貴族連合軍ごと焼き殺す破天荒な策略で壊滅した。

 バルムンクの兵士が、彼らを助ける意味もあって城門を開いたものの、助けられたスヴァルト兵士の、恩知らず、のせいで神官軍にだけは救済の門は開かれない。

 城壁を制圧したスヴァルト貴族は固く城門を閉じたのだ。

 垂らされた蜘蛛の糸は切れることなく、糸を奪い取った卑劣漢達だけが助かった。


「リヒテルはまさか、私達ごと敵兵を焼き尽くすつもりだったのでしょうか」


 ぐっしょりと濡れた身体を振るわせてヨーゼフ大司教の副官アロイスが蚊の鳴くような声を挙げ、幼子のように涙を流す。

 城壁の上からグスタフの策を見届けたヴァンと違い、貴族連合軍ごと焼かれた神官軍には状況を知り得る方法が存在しなかった。

 彼らが分かったのは突如巻き起こった理不尽、自らを焼き尽くさんとする炎。

 死の物狂いで生きる人間を、神はその気まぐれで吹き飛ばす。

 そこに罪悪感はなく、そこに人間と言う存在がいたことも知らず、ただただ踏みにじるのだ。

 神官軍に必要だったのは敵だった。

 自分達をこんな目に合わせた仇敵、自分達が殺されるのに必要な理由、それを兼ね揃えた存在は皮肉なことに味方だったのだ。

 味方の裏切り、彼らを信じて背中を任せなければ自分達は死なないはずだった。

 それは甘美な鎮痛薬だった、後悔と言う名の居心地の良さを彼らは存分に味わった。

 死ぬ前のわずかな時を……。


「こうら、なんでもあの子のせいにしないの」

「ですが、あの男は血を分けた姉すら殺したのですよ、私達だって初めから捨て石のつもりで……」

「私達が信じてあげなくてどうするのよ、何もかも、背負う必要のないことまで背負ってしまったあの子をどうして疑えるのかしら。いや理由なんて分からないわね、ただ私はあの子を信じる、それだけよ」


 顔の上半分が焼け焦げたヨーゼフ大司教の口元に微笑みが浮かぶ。

 まるで母親のような慈愛が見える。

 皮肉やで意地悪で、癇癪持ち。

 されど彼女は十年前の敗戦時、打ちひしがれる彼らを叱咤し、向かうべき道を指し示してきた大恩人であった。

 彼女が信じる……ならば彼女の、息子達、もまたリヒテルを信じるだけだ。

 それが死ぬ前の最後の瞬間だけであったとしても……信じたところでなんの行動も起こせなかったとしても。


「では私も信じます。貴方が信じるのでしたら皆も彼を信じるでしょう」


 水没したはずの下水道……しかしなぜか次第に水が引き始めている。

 副官アロイスは彼が慕う、母親、が盲目となったことに感謝していた。

 スヴァルトに閉ざされた城門、炎に閉じ込められた神官兵は最後の逃げ道として水没していた下水道に逃げ込んだのだ。

 しかしそれは死に方を変えただけだった。

 完全に水没した下水道に逃げ道などない、炎から逃れた彼らは出口のない真冬の寒水につかり、一人また一人と飲み込まれていった。

 そして彼らの死体は流れ、要所に敷きつめられる。

 死体で水が詰まったのだ。水の流れが変わり、ヨーゼフ大司教とアロイスが助かったのはただの偶然でしかない。

 しかし生き残っている者も、水につかり、氷のように体を冷たくした体でできることなどなかった。

 ましてや、それが六十を超えた老婆であれば、生き残る可能性など無きに等しいのだ。


「後は彼らに任せましょう、きっとなんとかできるわ」

「……」 


 できるはずがない、アロイスは見ていたのだ。

 炎の向こう、共に焼かれた貴族連合軍が城門を打ち破り、上等区に流れ込んでいくのを……。

 数で圧倒的に劣るバルムンクが城壁という加護を失えば結果は火を見るより明らか。

 もうお終いだ、バルムンクは滅びる。

 誰も助からない。


「大丈夫、奴らは連れていく。あの子らの未来の邪魔はさせないわ」


 その言葉は力強くて、ともすればまだ生きていられるのではないかとアロイスは錯覚したが、ふと手に伝わる体温が失われていくの感じた。

 そこにあるのはもはやただの死体であった。

 ヨーゼフ大司教は死んだ。

 最後まで誰かを案じ、そしてその衰えた身体で気丈な姿を繕ったまま。

 彼女は天に召された、恐らくは自分が死んだことに気付かぬまま。


「だい、し、きょう……」


 目からこぼれる涙だけが温かった。

 そして凍り付いた体を癒すその温もりが再び失われそうになったその時、地面が、いや天井が揺れた。


「……何事だ!!」


 アロイスが叫ぶ。

 元々、バルムンクは本拠地リューネブルク市での防衛戦を想定していなかった。

 下水道を拡張して連絡通路を作ったのも苦し紛れの策であり、作業は杜撰を極め、用は突貫工事で急場を凌いだだけであった。

 安全性など考慮すらしていない、穴だらけで不恰好、外観すらも取り繕えない。

 しかしそれを脅威と見た法王軍の騎士セルゲイは、エルベ河を堰き止めて河の水を流しこむことで通路を水没させて封鎖した。

 バルムンクの、誰もが考え付かなかった破天荒な策、だがそれは同時にひどく乱暴であったのだ。

 流し込まれた水は中の建造物を傷つけ、破壊し、そして今、神官兵の死体が水を詰まらせた。

 水の流れが変わる。 

 吹き溜まりには許容量を超えた水が押し込まれ、逆に水が引いた場所にはボロボロとなった柱だけが残った。

 天井が、他の者にとっての地面が、また揺れる。

 暴れ狂う体内の水に耐え兼ねたように、支えてくれていた何者かの喪失を悲しむように。

 気まぐれなる神が、無思慮なる神が、今、数多の人の声に足を掴まれて驚愕と共に恐怖する。


―――こちらを、見ろ!!―――


*****


リューネブルク上等区・城壁上・貴族連合軍本陣―――


「なんだ、これは!!」


 驚愕と共にレオニード伯が呻く。

 城門を閉じ、自分達だけを助けた傲慢なる貴族は先ほどまで眼下の演目ショーを愉しんでいたのだ。

 神官兵が焼かれ、あるいは水没した通路に逃げ込んでいくその姿を酒の肴にしていたのだ。

 あのライプツィヒ市の虐殺も、彼にとっては上等な劇でしかない。

 それが一月と立たずにまた見れたのだ、彼はご満悦であった。

 あのアールヴのゴミ共、その嘆く姿はいつ見ても飽きない。

 他の貴族もそう、兵士と共に司教府へ向かった勇猛な貴族もいたが、それは極少数である。


「地面が割れる……何が起こっているのだ!!」


 地下の下水道で起こったその奇跡を推測した者はいなかった。

 彼らにできたのはただ驚愕することのみ、引きずり降ろされ、重ねてきた罪を糾弾される罪人にしてはあまりにも滑稽な姿であった。


「老婆が見える、小さな老婆だ……」

「レオニード様、お気を確かに……急いで避難なさってください、ここは危険です」

「笑っている、この私を……嘲笑っている!!」


 それは夢か幻か、顔を紅潮させた彼の貴族は眼下に何者かが見えた、その者は挑発的な視線でただただ彼を蔑んでいた。

 取るに足らない者も見たようなその無礼な態度が貴族の矜持を傷つける。


「ばっ、抜剣せよ、眼下に敵影を発見!!」


 怒号を上げるレオニード伯、しかし彼は斜めに傾いた。

 気付くと、ひび割れた地面には奈落が覗いていた。

 まるで地獄に続くような深い深い穴に彼らが立つ城壁が飲み込まれていく。

 倒壊、違う、飲み込まれているのだ。

 水の流れが変わり、地面を支えきれなくなったことでその上に建てられた建造物もまた運命を共にする。

 堅固に建てられた城壁も例外ではない、足元を崩され、崩れるその姿はまさに天地の崩壊。

 人知を超えたその光景に対し、レオニード伯は、伝説にあるフェンリル狼の咢を連想した。


「私は貴族だ、貴族なのだ、選ばれた……あああ!!」


 歯をがちがちと鳴らし、それでもなおも彼は貴族の矜持にしがみつく。

 自らの存在を超えたそれを感じ、始めて自分がしてきたことを理解したのだ。

 虐殺、殺戮、彼は常に加害者の立場にあり、被害者の事情など省みることなどなかった。

 そうか、奴らはこうやって恐怖していたのか。

 こんな絶望を味わっていたのか。


「ゆる、してくれ!!」


 口から漏れる遅すぎた謝罪の言葉、それが出たか否かの時、レオニード伯爵は漆黒の闇に引きづり込まれていった。。


*****


リューネブルク上等区・司教府前・貴残族連合軍先鋒・対・ヴァン率いる城壁残存兵―――


 ゆっくりと、スヴァルトの兵士が膝を落す。

 手から離れた剣が地面に転がっても、気にならなかった。

 彼は従者の家に生まれ、貴族に仕えることを美徳と教わり、その正義を疑うことなく生きてこれた幸運な人間だった。

 しかしその幸運は先ほどまでであったようだ。

 倒壊する城壁、上にいた貴族達が生きているなど、誰がそんな妄想を信じられるだろうか。


「馬鹿な……閣下」


 過去から続く道、そして未来へと続く道、貫かれた忠義の道が消滅したことを彼は悟った。

 リヒテルの首を狙い、バルムンクの本陣である司教府に迫った貴族連合軍は、仕えるべき主を失い、全面降伏したのだ。


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