枯死に近づく聖なる大樹・一
バルムンク守備隊・対・貴族・???連合軍―――リューネブルク上等区・ヘルムート橋前—――
その日、不死王シグムンドがおわす、死者の森への道が開かれ、始祖の恩寵は示されなかった。
「あ……」
貴族連合軍の強弓が放つ矢の嵐、腕や脚を突き刺されながらも盾にしがみつき、戦線を維持しようとしていた男。
彼がふと眼下に目をやるとまるで呆けたように目を見開き、そして横合いから飛んできた矢に盾の隙間から眉間を貫かれてそのまま城壁の下から落ちていった。
その不可解な行動、しかしそれを咎める者がいないことが……それ以上におかしかった。
「戦士達が蘇った……」
「馬鹿を言うな、奴らは死んだはずだ!!」
自らを利用したバルムンクを許すな……射殺され、焼き殺され、叩き潰され、溶けた鉛を頭からかけられ、昨日まで同胞と呼ばれた人間に裏切られ、盾にされて死んだ。
ファーヴニルとは、侵略者スヴァルトに抗う盗賊が美化された名詞だ、彼らは侠客とさえ呼ばれ、そのような姿にあこがれ、そのように振る舞い、その末路が積み重なる無残な死体だった。
彼らファーヴニルの無念は自分達を敗戦へといざなったバルムンクへと向けられる。
そう本当の敵、彼らを死地へと送った最も憎むべき法国軍には憎しみは向けない。
憎しみは常に自分達より弱い者に向けるべき物なのだ、強い物に復讐はしない、なぜならば勝てないから……それが結局の所、盗賊たちが辿りついた結末であったのだ。
「死術で戦死したファーヴニルを蘇らせたのか……しかしこの数は」
「城壁を昇ってくる……ヴァン様、ど、どうしたら!!」
渾身の力を込めて石でできた城壁に指を突き刺す、ボキリと不気味な音を立てて指が第一関節まで砕けた。
だがそれで彼らが怯むことはない、ようは壁に張り付くことが出来ればいいのだ、元より痛みなど感じない、そもそも脳が壊死しているので思考することすら既に不可能なのだ。
彼らは死んでいる。
「……」
何度も、繰り返し指を突き立てる。
第二関節まで砕けた、それでも続ける。
そして手が砕け、腕にヒビが張り始めた頃、その努力を嘲笑うように後続の死体が彼を踏み台にして城壁に貼りつく。
一体、二体……五体目が彼の上に昇った時、彼はその重さに耐えきれずに潰れた。
後に残ったのは、肉の塊……つまりは足場となったのだ。
「全クロス・ボウ兵は眼下の死体を撃ち殺せ!!」
「止めろ……奴らは死体だ、弓なんて効かない!!」
ヴァンの制止を振り切り、昇りくる死体らに一斉射撃を浴びせようとする弩弓兵達、彼らは驚くほどの素早さで矢を番え、射ち放つ。
訓練でもここまでの早さは出なかった、先の貴族連合軍の攻勢であってもここまでの必死さはなかった。
正義感や使命感より、なおも勝る根源的な恐怖が彼らに行動を促したのだ。
「放てぇぇぇぇ!!」
「止めろ!!」
城壁下の死体らに数百の矢が降り注ぐ。
至近距離では家屋の壁すら撃ち抜く弩弓の一撃、頭部が貫通し、頭が消し飛び、中には首がもげて申し訳程度にそれを載せている者もいる。
だが彼らは城壁を昇るのを止めない。
死んでいるのだ、腹に寄生するミストルティンの種を破壊するか枯れさせない限り、その行動を止めることはできない。
それは生命を弄ぶ死術の業、屍兵であった。
「死なねえ……」
「燃やすしかないです、早くムスペルの炎を……全て持ってきてください」
「あ、はい……了解しまし」
ヴァンの命令を受けた小隊長はその命令を部下に伝えることができなかった。
ヒュっと風切る音がヴァンの横で響く。
彼は口をあんぐりと開け、心臓に突き刺さった矢を茫然と見続けている。
「伏せて!!」
屍兵の攻勢に合わせた貴族連合軍の一斉射撃。
先の守備隊が放った弩弓の物と比べ物にならない高密度の地獄雨……身を乗り出し、眼下の敵に集中していた弓兵が一瞬で蹴散らされた。
「盾を構えろ……皆殺しにされるぞ!!」
「は、はっい……!!」
ヴァンは素早かった、だがそれを受け取った兵士の動きはあまりにも鈍かったのだ。
盾を構えられたのは半数余り、そしてその裏側に完全に入られたのはそのさらに半分……守備隊の大半は無防備な半身をさらけ出したままそれを受けた。
「ぐぁぁ!!」
「目、俺の目はどこに……」
「何も見えねえ、何がどうなったんだ!!」
たちまち血の海を作り出す愚鈍なるバルムンクの選抜兵達……悲鳴を上げてのたうち、苦しみ抜くその姿は、無事だった者達の精神をも苛んでいく。
「負傷した者は後方へ……動けぬ者はそこで待機、すぐにでも搬送するから悲鳴を抑えよ!!」
守備隊が動揺する中、その不安を抑えつけるように凛としたヴァンの声が響き渡る。
ヴァンは死術士、鉄の首輪と漆黒の僧服を着た彼は遠目にも目立つ。
半ば士気崩壊しかけた守備隊は自分達の指揮官が無事であること、そして何よりも「何をすべきか」を命令されたことにより、最悪の結果は免れた。
何も考えずに言われたことを遂行する。
ただし、その姿は何も味方だけに目立つわけではない、遠目にも、そう相対する遊牧民あがりの、タカの目を持つスヴァルトの弓兵達の目をも集めた。
その目立つ的を狙わない愚か者は、少なくとも貴族連合軍にはいない、敵指揮官抹殺を狙い、まさしく魔弾と化した数十の矢がたった一人の少年に集中する。
「はぁぁぁぁぁ!!」
その時、蒼髪の戦姫が剣を振るう。
たなびく髪が旋風のよう……その瞳には幼馴染でもあり、大切な人でもある彼を奪わんとする脅威に向けられていた。
瞬間、常人では目に映らぬ速度に達した刃が空間を断絶する。
その怒りに屈したように、次々と踵を返して地面に向かう襲撃者達……そして一秒の何分の一が過ぎ去り、全ての矢が叩き落されたのを確認したヴァンがそのチャンスを最大限に利用した。
「……!!」
右手に三本、左手に三本……ナイフのように先をとがらせた死体返しの聖木が握られていた。
「枯れ果てよ(Töten)!!」
テレーゼの剣速に匹敵する速度で、聖木がヴァンの手より放たれる。
落ちていく矢に追いつき、追い越し、トネリコの枝で作られたナイフが城壁を昇る屍兵に突き刺さった。
それが人間ならば蚊に刺されたような物だっただろう。
たが死体である彼らには破滅的な効果をもたらした。
まるで黒死病が農村を席巻するように、四肢に伸びた根を黒く染めて枯らし、そのまま病魔は体の中心にある種にまでたどり着いて、その源を砕いた。
彼らは復讐の機会を与えてくれた種子を失い、地面に落下していく……それは死んでいるにも関わらず、無念に満ちた醜悪な表情をしていた。
(残り、九千九百九十七体……)
殲滅したファーヴニルは約一万人、その全てが蘇ったと言うならばその計算は正しい。
ヴァンは自分が敵を侮っていたことを理解した。
屍兵と貴族連合軍……完全なる同時攻撃、兵力差は十倍以上、ましてや屍兵は破壊しなければ、死なないのだ。
屍兵に特効となるトネリコの枝を扱えるのは同じ死術士であり、修練を積んだヴァン一人、焼夷兵器で対処できることはできるが、それでも数千倍の敵兵をヴァン一人で相手にできるかと考えれば答えは否だ。
(シャルロッテ……ここまでとは)
ヴァンはハノーヴァー砦で戦った自分と同じ混血の少女を思い出していた。
初対戦時ではヴァンはシャルロッテをあのグスタフが所有する奴隷と言う存在としか認識していなかった。
何の戦闘訓練も受けていない、それどころか武器を手に持ったこともない全くの素人……しかし彼女は戦士でないために、弱者であるがために、冷徹な合理主義者でもあった。
例え、それがどんなに卑劣で卑怯な方法でもそれが有効であるあるならば躊躇うことなく使用する。
誇りも流儀もない、そして油断も侮りもない。
(敵は市街地中心の教会か)
屍兵は死んでいるが故に目も見えず、耳も聞こえない。
つまりは敵味方の判別も出来ず、投入の際は術者が目に見える距離で事細かく命令しなければならない。
そしてそれは同時に術者を倒して屍兵を一網打尽にできるチャンスでもあったのだが、シャルロッテはその危険を犯したりはしなかった。
彼女はただ、一万の屍兵に城壁に取りつけと命令するだけ。
自身は遠く離れた、絶対に狙われない安全な場所で術を行使する。
別に直接手を下す必要はない、屍兵が城壁を昇り切ってバルムンクの戦線が破られれば、後は友軍である貴族連合軍がトドメを刺してくれる。
シャルロッテに戦士としての誇りはない、彼女はただ遥か高みから、まるでアリ同士の喧嘩でも見るように、戦果が運ばれてくるのを座って待っていればいい。
かつて奴隷として搾取されていたシャルロッテがたどり着いたのは、自らが他者の運命を弄ぶ支配者としての地位だったのだ
「戦闘が再開できる数は……」
「半数を切っていますわね、ただし死にそうな負傷兵を見捨てると言うのであればもう少し……」
「それは貴方が言う言葉ではありません」
矢が飛び交う中、盾の裏に隠れて状況を分析するヴァンとテレーゼ、開戦より数時間、まだ太陽が中天に君臨するお昼ごろだ、にもかかわらず城壁上の守備隊は壊滅状態になっていた。
ここが最終防衛線なのだ……後には引けない。
「リヒテル総司令官に予備兵力をお願いしましょう」
「……もうそれしかないですわ。兎にも角にも時間を稼ぎましょう、大丈夫、ヨーゼフ大司教が後は何とかしてくれますわ」
「……だといいのですが」
この時点でヴァンは貴族連合軍を撃退することを諦めた。
自分達にできることはただの時間稼ぎ……とは言う物の、彼は同時にヨーゼフ大司教の動向にも疑問を浮かべていた。
戦闘前にわざと遠方に移動し、戦闘が始まった所で帰還、攻めたてる法王軍の背後を突く。
作戦に不備はない、ヨーゼフ大司教の能力を疑っている訳ではない、だがしょせん戦果などという物は相対的な物だ。
自分が優秀でも、相手がさらに上手であった場合、実績や自信など消し飛んでしまう。
「あの男……」
法王軍を中心としたグラオヴァルト法国連合軍、それを統率するのはあのグスタフだ。
幾度となく邂逅した。
獰猛で残忍、他者を虐げることに至上の喜びを抱く蛮族。
だが今ならば分かる、それは死術に侵され始めた身体がそうさせるのか……今はもう、テレーゼの側近、死術士リーリエの体が腐り始めていることも推察できた。
グスタフ・ベルナルド・リューリク。
あの男は必ず自分の前に姿を現すだろう、何度目かの、そして最期の……。
*****
リューネブルク市司教府・中庭・バルムンク本陣—――
ヴァンが貴族連合軍と屍兵の攻勢に苦慮している中、それとは別に、司教府を守る外壁がついに法国軍の攻撃を受け始めた。
多方向からバルムンクを攻めたて、戦力を消耗させようとする敵の狙いは明らかだが、もはやバルムンクに防御以外の策が取れる余力はなく、故に成すべきことは一つであった。
「ヴァン様が指揮する内壁に対する攻撃が激化……」
「北側の外壁に法王軍と思わしき大軍を発見……!!」
「本隊か……?」
「いえ、分隊と思われます、ですがそれでも数は目視で数千……駐屯している兵士程度では防ぎきれません!!」
バルムンク本陣がある司教府に至る道は二つある。
一つは市街地を制圧し、橋を渡って内壁を突破、つまりは内側から攻略する方法。
そしてもう一つは、市の外から外壁を超えて直接、司教府になだれ込む方法。
どちらが容易かと言われれば、間違いなく内壁の方が楽だ。
外壁は、このリューネブルク市が対蛮族の最前線であった頃の大城壁がそのまま残されている。
いかなる攻城兵器でも破壊できない分厚い城壁は城壁上の守備隊を撃破し、雲梯を使って昇る以外に攻略法はない。
ただバルムンクは少数なのだ……ヴァンが守る内壁、今からイグナーツが向かう外壁、両方から攻撃されれば戦力をすり潰されてしまう。
比率から言えば、法国軍は例え十倍の損害を受けても勝利なのだ。
「では、リヒテル総統、行ってきます」
「健闘を祈る……」
「……!!」
戦況が悪化する中、まるで他人事のようにそっけなく答えるバルムンク総統リヒテルの姿に殺意を持ってイグナーツが睨みつける。
スヴァルト貴族に故郷を焼き滅ぼされた彼は、復讐心から苛烈な性格であり、同時に不平屋であった。
自分を説き伏せたヴァン以外の人間に対して敵意を見せることは珍しくない……が、その行動を咎められていた時はむしろ良かった。
イグナーツと言う男はどこかおかしい……それで良かったのだ。
今の彼が向けるリヒテルへの殺意、それを周囲の人間が賛同し始めていた。
「本当に全ての兵士を連れて行っても良いのですか……」
「構わない、そうでなくば、外壁を守り切れない」
「ですが、予備兵力を根こそぎ持って行くのですよ」
「それが何か……?」
「ヴァンらの援軍要請に一兵たりとも送れないことが、お分かりにならないのですか!!」
リヒテルが命令書を置く机を拳で粉砕したイグナーツが怒号でもってリヒテルを詰問する。
本来ならば不敬……どころの騒ぎではない、ここまで司令官に対する敵意を見せてはそれがかつてのファーヴニル組織・バルムンクでは腕の切断という罰則が科せられ、ブライテンフェルト会戦で敗北するまで機能していた、バルムンク連合であってもイグナーツは更迭されただろう。
当時はイグナーツ程度の人材などいくらでもいた。
だが今、彼の横暴に咎める人間はいない、リヒテルを補佐する軍師衆は先の会戦で全滅した、周囲にいるのは文書係程度、文字が読める程度の雑魚だけである。
彼らにはイグナーツが何に対して怒っているかが分からない。
ただ、自らが仕える主の衰えを感じ取ってはいた。
「外壁を攻めている敵将が判明しました……騎士・セルゲイと名乗っています」
「……セルゲイ、だと!!」
リヒテルを睨みつけていたイグナーツの目に動揺が走る。
ブライテンフェルト会戦で戦ったあのスヴァルト騎士……イグナーツはその実力を痛いほど知っていた。
彼は優秀だ、そして被支配者であるアールヴ人を扱える稀有なスヴァルト人、付けこむ隙は無い。
「行け、イグナーツ……義務を果たすのだ」
「……はい、リヒテル総統」
危機的な状況の中、仲間割れなどしている時間はない。
総統リヒテルは何も錯乱している訳ではないのだ、葛藤の末、イグナーツの中で理性と常識が勝った。
彼は無念やるかたない表情を浮かべながらも、残存戦力の全てを率いて攻撃を受けた北側の外壁に向かっていく。
それをリヒテルは油膜が浮かんだ目で見送った。
「まるで悪夢だな」
リヒテルの目はひどく充血していた。
朱くではなく、目に走る血管が黒く染まっていた。
彼がアヘンと言う名の麻薬で軽減しようとしていた死術の毒、それがついに首から上も浸食し始めていたのだ。
かつてリヒテルの側近、アンゼルムが見た地獄、それが再び現れる。
もはやリヒテルは人を人間とは認識できない。
辺りに侍るのはただの泥人形、人の声を出す泥人形の群れが、ただただ彼の命令を待っていた。




