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深霧のザーイエッツ  作者: 山崎 樹
第一章・腐った大地
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序章

 そっと首に触れるとはっきりと痣のようなものがあった。

 まるで縄か何かで締め付けたようなそれは十年前に付けられた絞首刑の跡である。

 彼は運が良かった。

 何度も罪人の首を締め、ボロボロになるまで酷使されたその縄が間一髪で切れなければ、そのままあの世行きだったろう。

 彼以外にも刑を行わなければならない者が数多くいたため刑のやり直しもなく、そのまま磔に移行されたのはまさに奇跡であった。


「……」


 回想はドアを叩くノックの音で終わらされた。

 返答より先にゆっくりと黒い首輪をつけるその顔は未だ幼さの残る少年のものである。

 ややクセのある漆黒の髪と低い鼻、幼い丸顔には不釣り合いな落ち着きが年齢を不明瞭にさせていた。

 なかんずくガラス玉のように透き通った瞳が目を引く、なぜならそこからは何の表情も伺えないからだ。

 死人のようなと、葬儀屋は称するかもしれないその印象は彼が尋常な世界の人間でないことを証明していた。


「ヴァン……尋問が終わった。後を頼む」

「了解いたしました」


 入ってきたのは金髪の青年であった、彼をヴァンと呼んだ金髪の青年は彼が仕える主人である。

 十年前、磔にされていたヴァンを助け、自分の属する盗賊団に招き入れた恩人。

 その恩義を返すためその身を刃とし、主人と共に悪行を重ねたヴァンは今やどこに出しても恥ずかしくない罪人である。

 とりわけ死者を操る俗に〈死術〉と呼ばれる邪法に手を染めたのは救いようがない

 生命を弄ぶその術は凶悪な賊の中でも忌み嫌われる……今やかの盗賊団の中でもヴァンは異端者として扱われているのだ。


「やはり貴族は私の組織を潰すつもりだったらしい……重税かあるいは征伐か、だが舐められたものだ……このスラムは我らが庭、そこで密談など可能だと思っていたのか?」

「可能だと思ったからの愚行でしょう……しかし今回の件でそれも振出しに戻ります……貴族は錯乱する、密談相手と口論になり剣を抜く……朝には同士討ちとなった死体だけが残るのです」

「良い筋書きだ……これで奴らの信頼は地に堕ちる、大きな行動が取れなくなるだろう」


 しかし死術は同時に有用でもあった……今回の件においても尋問された貴族は殺された後、ヴァンの術で操られその仲間を手にかける。

 誰が見ても悪いのは「錯乱した」貴族であってヴァン達ではない。

 死術は異端であり、それ故にその実情を知る者は少ない。

 幸か不幸か占領をすすめる彼らは大多数に含まれていた。


「それでは術を行使して参ります、しばしお待ちを……」

「待ってくれ……」

「はい……?」

「辛くはないのか?」


 藪から棒な主人の台詞にヴァンは首を傾げた……今更何を言うのか、その言葉をヴァンは飲み込んだ……相手が恩人だからである。

 代わりに別の言葉を放した、煙に巻くために。


「私は元死刑囚です……日の当たる場所を歩ける身分ではありません、だから辛くはないのです」

「答えになっていないぞ……それを言うなら私も所詮は盗賊団の副頭領でしかない、だが時代が味方をして侠客と崇められるようになった……お前もまたそう呼ばれてもおかしくはないのだぞ」


 現在この街を占領する貴族はヴァンら白きアールヴとは人種が違う。

 かつて辺境に押し込められていた黒きスヴァルトの民。

 彼らの反乱に軍事力での鎮圧を唱えた神官らは戦況の変化とともにあっさりと勝利者であるスヴァルトに寝返り、民衆は圧制の只中に放り投げられた。

 そのころからだろうか……盗賊やゴロツキなどの蔑まれていた彼らに期待がかけられるようになったのは。

 侵略者であるスヴァルトと裏切り者の神官を倒し、あるべき国を取り戻すための革命。

 そのための武力が賊の中にあると皆が思い始めていた。

 不思議なことに期待をかけられた賊の方もそれらしく振舞うようになっていき、今では侠客と称されるまでになっている。

 その中でもヴァンが属する盗賊団〈バルムンク〉は曲がりなりにも混沌たるスラムを治めてきた生粋の侠客であり、その組織力は他組織の比でなかった。

 本当にスヴァルトと戦える実力を持っているのである。


「……救国の志士など呼ばれなくてもいいのです。私は彼女のそばにいられれば」

 

 ヴァンは主人の妹分たるテレーゼの事を思い出していた。

 幼馴染であり、死術に手を染めてもその関係を変えなかった蒼髪の少女。

 随分と世話になっている、その明るさに助けられている……だがそれ故に近づけたくない、見せたくない姿もあるのだ。


「本来なら、断ち切るべきなのでしょうが、未練がある自分が恨めしい。愛しているのです」

「……」


 金髪の主人はそれを黙って聞いている、ここからヴァンが話すのは血なまぐさいバルムンクの現実であった。


「私はバルムンクの正義など信じていません……所詮は盗賊団、ほんの十年前までは奴隷売買で儲けていた悪党です……時代が味方しても内情までは変わらない、ですがそれでは困るのでしょう」

「その通りだ……悪党のままでは民衆の支持を得ることはできない、だからこそ私だけが〈本業〉を、悪党を続けるのだ」

「……地獄までついていく所存です。私に恩を返させていただけませんか」

「悪党を続けるのは私一人で十分なのだがな……」


 ヴァンの覚悟に諦めたのか、彼は説得をあきらめ、部屋を出ていこうとする。


「今回の暗殺は牽制のためではない。南方の同志と連絡がついた。武器も人員も送ってくれるそうだ」

「ではついに……」

「ああ、我らは黒きスヴァルトに蜂起する。ここから先は血で血を洗う戦いになるだろう」


 敗戦より十年、待ちに待った反抗ののろし。

 だがそれに歓喜を覚える人間はこの中にはいない。二人にとってこれはただの戦争であり、決して聖戦などではないからだ。


「願わくば、バルムンクが明けの明星となることを……私がいなくなった後も輝き続けることを……」


 その言葉がどちらから漏れたのか。

 明けない夜はなく、止まない雨もない。

 しかし、バルムンクがもたらす日の光を、二人が浴びることは決してない。

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