時限付きの呪いの指輪を押し付けられた宮廷薬師令嬢ですが、婚約破棄されたので余命を「返品」させていただきますわ ~呪いの解呪は、掛けた本人にお返しします~
「アイリーン、お前との婚約を破棄する」
王城の大広間に、第二王子ロデリックの声が響き渡った。
シャンデリアの光が煌めく夜会の席。数百の視線が、私――アイリーン・ヴァルロードに突き刺さる。
「お前は薬師のくせに、私にかけられた『時限付きの呪いの指輪』すら解けぬ無能だ。義妹のセラフィナを見ろ。彼女こそ、私にふさわしい」
ロデリックの腕には、蜂蜜色の巻き毛の令嬢――義妹セラフィナが、勝ち誇った笑みを潤んだ瞳の奥に隠して寄り添っていた。
(……なるほど。定例の断罪イベントですわね。台本まで用意周到なこと)
私は内心でため息をついた。感情の凪いだ菫色の瞳を、ゆっくりとロデリックの右手へ向ける。そこには、鈍く黒光りする古代の呪具――『時限付きの呪いの指輪』が嵌まっていた。
外せば装着者は死に、一年後には自動的に命を奪う、いわく付きの呪具。
それを『婚約の絆の証』と偽って私に押し付け、解呪できねば無能の烙印を――というのが、この茶番の筋書きなのでしょう。
前世の記憶が囁く。日本の製薬会社、品質管理部。不良品を掴まされたときは、まず現物を確認する。それが鉄則だ。
「ロデリック様」
私は静かに口を開いた。喚きもせず、涙も見せず。
「その指輪、少々拝見してもよろしいですか」
「はっ、今さら解こうというのか? 遅い。もう決めたことだ」
「いいえ。解こうとは申しておりません。ただ――確認、を」
その瞬間、記憶がよみがえる。ほんの一刻前、夜会の会場で。
毒見役が席を外した隙に、私は習慣で並べられた料理と装飾品を検分していた。品質チェックは、体に染みついた癖だ。そのとき――卓上に無造作に置かれていた指輪に、素手で、触れていた。
(……ああ)
菫色の瞳が、わずかに細まる。
私の左手の薬指には、いつの間にか――薄い呪詛の紋様が、静かに浮かび上がっていた。
「何をなさるおつもり? もう決着はついたのよ、お姉様」
セラフィナが、可憐な声で牽制する。
「セラフィナ。あなた、この呪具の仕様書を読まずに購入なさいましたね?」
「……なんの、こと?」
セラフィナの笑みが、わずかに引きつる。
「この『時限付きの呪いの指輪』は、古代呪具です。そして古代呪具には、必ず契約条項がございます」
私は鑑定スキルを起動した。視界に、指輪を包む呪詛式が緻密な光の文字として展開されていく。前世で無数の品質規格書を読み解いた目には、それはただの『取扱説明書』にすぎなかった。
「契約条項、第一項。――『本呪具は、最初に素肌で触れた者を、正式な契約者とする』」
ざわり、と広間の空気が揺れた。
「先ほど、私はこの指輪に素手で触れました。会場の卓上で。毒見役が不在の間、料理と装飾を検分していた折に」
私は左手の薬指を、静かに掲げた。呪詛の紋様が、しんと光る。
「つまり――ロデリック様の指に嵌まっているそれは、もう『空』の器。呪いの契約者は、今この瞬間、私です」
「なっ……! そんな、馬鹿な……!」
ロデリックが自分の右手を凝視する。指輪はまだそこにあるのに、彼の顔から血の気が引いていく。
「そんな……そんなはずないわ!」セラフィナが叫んだ。「その呪いは、あなたを苦しめるためのっ――」
言いかけて、彼女は口をつぐんだ。
遅い。
(自白、いただきました。日時、場所、証言者多数)
私は内心で淡々と記録する。前世でクレーム対応の議事録を取り続けた手癖は、こんなときにこそ役に立つ。
「セラフィナ。あなたは今、『あなたを苦しめるための呪い』と仰いましたね。婚約の絆の証だと私に説明したはずの指輪が、なぜ私を苦しめる目的だと、あなたはご存知なのでしょう?」
「そ、それは……!」
「よろしいのです。答えは、この指輪自身が知っておりますから」
私は微笑まなかった。ただ、凪いだ瞳のまま、告げた。
「婚約破棄――謹んでお受けします」
一拍の、間。
「ついでに、この不良品も。お返しいたしますね」
*
その夜、私は自室の工房にこもった。
侍女のリゼットが、震える手でランプに火を灯す。
「お嬢様……その、指の呪いは……本当に、一年で……?」
「一年後に、私の命を奪う。それだけの、単純な仕様です」
「単純って……! そんな軽々しく仰らないでください……!」
リゼットの声が悲鳴じみる。私は鑑定スキルで展開した呪詛式を、羊皮紙に一つひとつ書き写しながら答えた。
「リゼット。落ち着いて聞いてください。前世で私が学んだことは、たった一つ。不良品を掴まされたら、まず原因を突き止め、責任者に差し戻す。それだけですわ」
私は羊皮紙を睨む。呪詛式の解析が、少しずつ完了していく。判明した事実は、三つ。
一。この呪いは『解呪』できない。術式が命そのものと結合しているため、断てば装着者が死ぬ。
二。だが『契約者の付け替え』――返品は可能。呪具を市場に流した違法業者と、呪いを掛けた本人、その両者の魔力署名があれば、契約者を巻き戻せる。
三。そしてセラフィナは、この呪具を黒魔術師から違法に購入し、王家に虚偽申告をしている。
(トレーサビリティ。流通経路の確認)
私は静かに指を組んだ。
「リゼット。明朝、王家監査局へ。それから冒険者ギルドの調査依頼窓口へ。呪具の違法流通調査を、宮廷薬師の正規権限で発動します」
「で、でも、そんなことをすれば、セラフィナ様が……」
「ええ。彼女が、呪いを掛けた『責任者』ですから。返品の宛先は、掛けた本人。これ以上に正当な差し戻し先はございませんでしょう?」
リゼットが、涙を堪えて頷いた。
「……お嬢様なら、必ず」
私は答えなかった。ただ、もう一枚、別の羊皮紙をそっと引き出しの奥へしまった。それが何であるかは――まだ、誰にも言わない。
*
王家監査局の一室。
白髪を几帳面に撫でつけた老監査官、モーリス・グレンフェルが、私の差し出した書類の束を、一枚、また一枚とめくっていく。
その手が、途中で止まった。
「これは……呪詛式の完全解析書。そして、黒魔術師『闇市のドルグ』の取引記録。さらに――セラフィナ・ヴァルロード嬢の購入署名と、王家への虚偽申告書の写し」
「はい」
「アイリーン嬢。あなた、これをすべて三日で?」
「冒険者ギルドの流通調査班にご協力いただきました。指輪の魔力残滓から流通経路を逆算し、取引記録と突き合わせただけです」
モーリスは、老いた瞳をわずかに見開いた。長年、体面優先の王城で正論の通らぬ現実に辟易してきた男の顔に、静かな感嘆が浮かぶ。
「……ここまで揃った案件は、我が監査官人生で初めてですぞ」
「恐縮です。前世で、証拠のない主張は通らないと、嫌というほど学びましたので」
「前世?」
「独り言です」
モーリスは書類を丁寧に揃え直し、深く息を吐いた。
「呪具の違法流通、王家への虚偽申告、そして王族への呪詛の意図的付与。どれ一つとっても、公開査問に値する重罪です。三日後、大広間にて開廷いたします。冒険者ギルド、王家監査局、両者立ち会いのもとに」
私は一礼した。
(手続きは、整いました)
喚く必要も、涙を流す必要もない。ただ、正しい書類を、正しい窓口に、正しい順序で提出しただけ。それだけで、世界は動く。
「アイリーン嬢」立ち去ろうとする私を、モーリスが呼び止めた。「一つだけ。あなたは、なぜそこまで冷静でいられる? あなた自身が、余命一年の呪いを背負っているというのに」
私は振り返り、初めて――ほんの少しだけ、口の端を上げた。
「不良品の後始末に、感情は不要ですわ。必要なのは、手順だけ」
*
公開査問、当日。
大広間には王侯貴族が居並び、中央には被告席のセラフィナと、青ざめたロデリックの姿があった。
そのとき――空気が、変わった。
重い足音。いや、足音すら立てぬ巨躯が、音もなく広間に現れる。
身の丈は常人の頭一つ半。褐色の肌に、首筋から腕へと朱色の鱗が走り、金の縦瞳が静かに広間を睥睨する。
「ひっ……」
「竜将……ガイウス・ドラクヴェイン……!」
貴族たちが、蜘蛛の子を散らすように後ずさる。『冷酷無比の竜将』――辺境を守る、化け物と噂される男。
だが、その男は。まっすぐに私の前まで歩み寄ると――深々と、頭を垂れた。
広間が、しんと静まり返る。
「……アイリーン・ヴァルロード殿。呪具の違法流通を、証拠を以て暴いた薬師と聞いた」
低く、重い声。
「俺は、かつて呪具の被害で母と妹を失った。原因を潰さぬ限り、悲劇は繰り返す。――貴殿の、感情に流されず元凶を差し戻すその姿勢に、敬意を表する」
(まあ。竜人の将軍が、わざわざ)
「ご丁寧に。ですが将軍、頭をお上げください。周囲の方々が卒倒なさっていますわ」
私が淡々と告げると、ガイウスは顔を上げ――なぜか、その頬の鱗が、ほんのりと朱く染まった。
「……そ、そうか。すまん」
(……あら? 鱗が赤くなりましたわね)
「将軍。もしや照れていらっしゃる?」
「て、照れてなど――」
鱗が、さらに赤くなった。
(嘘がつけない体質ですのね。品質検査でいうところの、正直なロット表示ですわ)
「余計なことを言った。……査問を、続けてくれ」
ガイウスは咳払いをして、私の背後に静かに控えた。まるで、護衛のように。
私は前を向く。被告席のセラフィナが、憎悪の目で私を睨んでいた。
さあ。返品の時間ですわ。
*
「開廷いたします」
モーリスの厳かな声が響いた。
私は中央へ進み出て、証拠の束を掲げる。
「証拠、第一。呪詛式完全解析書。この指輪が『最初に素肌で触れた者を契約者とする』古代呪具であること」
「証拠、第二。黒魔術師『闇市のドルグ』の取引記録。買主の名は――セラフィナ・ヴァルロード」
「証拠、第三。王家への虚偽申告書。『この指輪は正規に入手した婚約の証』とする、セラフィナ嬢直筆の署名入り書類」
貴族たちのざわめきが、波のように広がる。
「ち、違うわ! それは偽物よ! アイリーンが仕組んだのよ!」
セラフィナが立ち上がって叫んだ。
「魔力署名は、偽造できません」私は静かに切り返す。「署名には術者本人の魔力波形が刻まれる。この書類の波形と、あなたの魔力を照合すれば――」
「照合、いたしました」モーリスが割って入った。「完全に一致。セラフィナ嬢、あなたの署名です」
セラフィナが、言葉を失う。
「では、手続きを進めます」
私は広間の中央に、魔法陣を描いた。呪具返品の魔術儀式。契約者付け替えの術式。
「本儀式には、二つの魔力署名が必要です。一つ――違法に呪具を流通させた業者。黒魔術師ドルグは既に監査局が拘束し、署名を取得済み」
私は羊皮紙を陣の一角へ置く。
「そしてもう一つ――呪いを、掛けた本人。セラフィナ、あなたの魔力署名は、この虚偽申告書に既に刻まれています。つまり、返品に必要な署名は――もう、揃っているのです」
「い、いや……いやよ! やめて!」
「契約者付け替え、儀式――発動」
魔法陣が、青白い光を放った。
私の左手の薬指から、呪詛の紋様が浮かび上がり、光の糸となって空を走る。
それは、まっすぐに――セラフィナの指へと、吸い込まれていった。
「あっ……あああっ……!」
セラフィナの薬指に、余命一年を刻む呪詛の紋様が、くっきりと浮かび上がる。
「返品、完了いたしました」
私は、静かに手を下ろした。
「掛けた本人へ、お返しいたします。――これが、正当な差し戻し先ですわ」
*
「なっ……何をした! この呪いを、すぐに解け!」
セラフィナが自分の指を掻きむしりながら叫ぶ。
「解呪はできません。この呪具は、解けば装着者が死ぬ仕様です。先ほど申し上げたはずですが」
「そんな……そんなの、いや……!」
そのとき、ロデリックが青ざめた顔で立ち上がった。
「ま、待て。アイリーン。この指輪は――『連鎖呪詛』だと聞いた。放置すれば、王家全体に呪いが広がると。それを止められるのは……」
「はい。この古代呪具の連鎖呪詛を制御できるのは、王国でただ一人。王国最上位の鑑定スキルを持つ、宮廷薬師。――つまり、あなた方が『無能』と罵り、婚約破棄した私だけ、ですわ」
ロデリックの顔から、完全に血の気が引いた。
「……嘘、だろう」
「私は薬師のくせに呪いすら解けぬ無能、でしたね? ロデリック様。人を肩書と噂だけで断じ、本質を見抜けない。前世の職場にも、そういう管理職はおりました。決まって、大きなトラブルを起こすのです」
「あ、あれは……あれは言葉のあやで……!」
私は玉座の方へ、視線を移した。国王が、額に脂汗を浮かべている。
「陛下。連鎖呪詛の制御、及びセラフィナ嬢の呪具の管理は、宮廷薬師の正規業務の範疇を超えます。私は既に、婚約破棄によって王家との縁を絶たれた身。――この案件を、お引き受けする義理は、ございません」
「ま、待ってくれ! アイリーン嬢!」
国王が、玉座から降りた。
貴族たちが息を呑む中、ヴェランディア王国国王その人が――私の前に、膝をついた。
「頼む。この通りだ。王家を、救ってくれ」
(……まあ、国王陛下自らが。あれほど威張っていた上司たちが、致命的な不良を前にすると、こうして頭を下げる。因果応報。実に、規則正しい世界ですわ)
「連鎖呪詛の制御は、お引き受けいたします。ただし――正規の対価と、宮廷薬師としての完全な裁量権を、書面で保証いただきます」
「ああ、約束する! なんでもする!」
「では、後ほど契約書を。口約束は、無効ですので」
私は一礼した。背後で、竜将ガイウスが、ほんの少しだけ――笑ったような気がした。
*
査問の終わり。
セラフィナは、床に崩れ落ちていた。
「なぜ……なぜ私がこんな目に……! 私は悪くない! 悪いのはアイリーンよ! あの女が、私の指輪を横取りしたんだわ!」
喚き散らす義妹を、私は静かに見下ろした。
(ここで――一つ、種明かしをいたしましょう)
私は、ドレスの隠しから、小さな硝子瓶を取り出した。中には、淡く光る琥珀色の液体。
「セラフィナ。実は、あなたに一つ、伏せていたことがございます。私は呪いを返品する前に――既に、この呪詛の『中和薬』を完成させていました」
広間が、どよめいた。ガイウスすら、金の瞳を見開く。
「なんですって……?」
「この中和薬は、呪いそのものを消しはしません。ですが、装着者が『心から自らの過ちを悔い、償う意志を持つ』ことを触媒として発動し、余命の呪詛を緩やかに解いていく――そういう仕組みです」
私は硝子瓶を、セラフィナの前に置いた。
「つまり、あなたにはまだ、助かる道が残されている。心から悔い改めれば、この薬が、あなたを救います」
セラフィナの目が、瓶に釘付けになる。
「……ほ、本当?」
「ええ。ただし、条件は『心からの悔悟』です。偽りは、この薬が見抜きます」
セラフィナは瓶を掴んだ。そして――叫んだ。
「わかったわ! 私が悪かった! これでいいんでしょう!? だから早く効きなさいよ、この役立たずの薬が!」
琥珀色の液体は、静かに――光を失った。
「……なんで! なんで効かないのよ!」
「申し上げたはずです。『偽りは見抜く』と」
私は静かに告げた。
「悔いる言葉と、悔いる心は、別物です。あなたは今も、自分が悪いとは、露ほども思っていない。――薬は、正直ですわ」
「そんな……そんなの、あんまりよ! なぜ私が! 私は悪くない! 悪いのは、悪いのはっ――」
最後まで、彼女は自らの罪を認めなかった。差し出された救いの手を、自ら振り払って。
(救済の余地は、残しました。それを蹴ったのは、あなたご自身です。原因が過ちを認めぬ限り、改善は決して起こらない。前世で嫌というほど見てきた、たった一つの真実)
私は、それ以上何も言わなかった。
*
査問から、数日後。
連鎖呪詛の制御を終え、宮廷薬師としての正規契約を果たした私は――辞表を提出した。
「もう、王城に用はございません」
リゼットが、旅支度をしながら微笑む。
「お嬢様。次は、どちらへ?」
「さあ。あてはありませんが――」
そのとき、工房の扉が、控えめに叩かれた。
入ってきたのは、褐色の肌に朱色の鱗を持つ巨躯――ガイウス・ドラクヴェインだった。
この偉丈夫が、なぜか身を縮めるようにして、私の前に立つ。
「アイリーン殿。……いや、アイリーン」
「将軍。何か?」
ガイウスは、ごつごつとした手で、何かを差し出した。粗削りだが、丁寧に磨かれた木箱。開けると――薬草を刻むための、上等な工具一式が入っていた。
「これは?」
「……贈り物だ。その、餞別、というやつだ」
「まあ。薬草を刻む工具一式ですか。ご丁寧に」
「それと」
ガイウスの頬の鱗が、じわじわと朱く染まっていく。
「俺の辺境には、呪具の被害が絶えん。原因を潰せる薬師が、要る。……いや、違う」
彼は一度、目を閉じた。そして、意を決したように――膝をつき、私を見上げた。
「俺の辺境で、好きなだけ返品業をやれ。工房を建てる。誰にも、お前の邪魔はさせん」
「……」
「……お前と、暮らしたい」
無骨で、不器用で、けれどまっすぐな言葉だった。鱗を真っ赤に染めた竜将が、金の瞳で、じっと私を見つめている。
(まあ。品質保証つきの、正直な求婚ですこと。鱗が真っ赤ですわね)
私は、ほんの少しだけ、微笑んだ。
「一つ、確認いたします。将軍」
「な、なんだ」
「その工房、経費と裁量は、私に一任いただけますか?」
「……ああ。すべて、お前の好きにしていい」
「では」
私は、彼の差し出した工具箱を、そっと胸に抱いた。
「謹んで、お受けいたします。――返品ではなく、今回は」
ガイウスの鱗が、これ以上ないほど赤くなった。
リゼットが、涙を堪えて笑っている。
「お嬢様。私も、まいります。工房の、第一の従業員として」
「ええ。頼りにしていますわ、リゼット」
窓の外には、辺境へと続く空が広がっていた。
*
辺境の地に、小さな薬師工房が建った。
朱色の鱗の竜将が守る土地に、灰銀の髪の元宮廷薬師が営む、呪具鑑定と解呪――そして『返品』を請け負う工房。
開店から半月。私は薬草を刻みながら、静かな日々を噛みしめていた。
喚く上司も、手柄を横取りする義妹も、体面ばかりの王子もいない。ただ、原因を突き止め、正しく差し戻す。前世からずっと、私がやりたかった、それだけの仕事。
「アイリーン」
ガイウスが、工房に顔を出す。もうすっかり、鱗を赤くせずに私の名を呼べるようになった。……たまに、まだ赤くなるけれど。
「昼を、一緒にどうだ」
「ええ、すぐに。この呪詛式の解析だけ、終えてしまいますわ」
そのとき――工房の扉が、慌ただしく叩かれた。
リゼットが受け取ったのは、一通の封書。王家の紋章とは違う、見知らぬ貴族家の封蝋。
「お嬢様。……依頼状です。それも、なにやら物々しい。見知らぬ貴族家の封蝋で」
私は封を切った。
『拝啓。貴殿が呪具の元凶を「返品」する薬師と伺い、藁にもすがる思いでご連絡差し上げます。我が家に代々伝わる呪われた宝冠。装着した者を次々と狂わせ、既に三人が命を落としました。原因は、いまだ不明。どうか、この呪具の「返品先」を――突き止めてはいただけないでしょうか』
私は、手紙を読み終え、そっと机に置いた。
(まあ。次の不良品案件ですわね)
「アイリーン。どうした」
ガイウスが覗き込む。
「お仕事ですわ、将軍。――トレーサビリティの確認から、始めましょう」
私は鑑定スキルを起動した。菫色の瞳が、静かに光る。
窓辺には、木の看板が下がっている。ガイウスが不器用な手で彫った、我が工房の看板。そこには、こう記されていた。
『宮廷薬師令嬢、返品承ります』
私は、羽根ペンを手に取った。
「さて。――今回は、どんな不良品でしょうか」
原因を潰さぬ限り、悲劇は繰り返す。ならば私は、何度でも、突き止めて差し上げましょう。
正しい宛先へ、正しい手順で。
返品は、こちらで承ります。
(――続く)




