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『 百 猫 にゃ 行 、 あ る い は 脂 の 招 き 』


「……いいかカナ、息を殺せ。この宿の主人は鼻が利く。ボラとくさやのハイブリッド臭がバレたら、一発で叩き出されるぞ」


コウタは宿の裏口で、脂でヌルつく指を唇に当てた。

二人の体からは、もはや隠しきれないレベルの「海の豊穣(異臭)」が、黄色のオーラのように立ち昇っている。


「にししし……分かってるよぉ、コウタきゅん。カナたん、忍者のように……っ、ひぎぃっ!?」


カナが音もなく踏み出した足元に、闇から光る「二つの点」が現れた。


「ナァーォ……」


「(……ッ!? ネコ……!?)」


宿で飼われている一匹の三毛猫が、カナの足元にスリ寄った。

正確には、カナの服に染み込んだ「ボラのエキス」に、魂を奪われたような顔で鼻をヒクつかせている。


「ちょ、ちょっとぉ! にゃんにゃん、そこはカナたんの『秘蔵の脂』が詰まってるところだから……っ、らめえええっ!!」


「おい、静かにしろ……って、うわあああっ!? なんだこの数は!!」


コウタが絶句した。

一匹、また一匹と、宿の床下や屋根裏、近所の空き地から、おびただしい数の猫たちが「ボラの導き」に従って集結し始めたのだ。


「ナァーォ!」「ミャーォ!」「ゴロゴロゴロ……ッ!!」


「ひゃうんっ! にゃんにゃんたち、そこ、コウタきゅんに釣ってもらったお魚しゃんの匂い……っ、あへぇぇ、くすぐったいよぉぉっ!!」


数十匹の猫たちが、カナの巨躯に「だいしゅきにゃールド」を仕掛け、脂と鱗の付着した服を狂ったように舐めとっていく。

コウタの足元にも、ボラの匂いを嗅ぎつけた精鋭たちが群がり、ズボンの裾を奪い合っている。


「お、おい! 離せ! これじゃ部屋に戻れねえ……ッ! カナ、魔法でなんとかしろ!」


「無理だよぉぉ! こんなにたくさんのにゃんにゃんに囲まれて……カナたん、幸せすぎて魔力が『おほ』ってなっちゃうぅぅっ!!」


脂まみれの男女と、異臭に狂う猫たちの巨大な塊。

それは深夜の宿の廊下で、人知れずうごめく「銀鱗の毛玉」と化していた。


 

「コウタきゅん……早くお風呂に入らないと、カナたん……このまま本物の、にゃんにゃんになっちゃうにゃん……っ♡」


カナは全身に十数匹の猫を吸着させたまま、脂と毛玉にまみれて悶絶していた。

猫たちの猛烈なペロペロ攻撃により、表面の背脂とボラエキスが絶妙に撹拌かくはんされ、廊下にはかつてないほどの「熟成された獣臭」が漂い始めている。


「……お前、語尾まで浸食されてんじゃねえか! 分かった、分かったからその毛玉どもを剥がせ!」


コウタは猫の爪を必死に避けながら、カナの腕を掴んで、宿の奥にある大浴場へと滑り込むように駆け込んだ。

幸い、深夜の浴場には人影はなく、静まり返った脱衣所に、二人の脂ぎった足音だけが「ペチャ、ヌチャ」と不気味に響く。


「……いいかカナ、一気にいくぞ。そのマジカル洗浄とやらで、この猫の毛と脂を根こそぎ洗い流せ。じゃなきゃ、俺たちは明日から『歩く魚粉』として生きていくことになる」


「にしししっ! 分かってるよぉ。コウタきゅん、カナたんの『マジカル・シャワー』、一緒に浴びよぉ……っ♡」


カナが指を鳴らすと、浴槽の湯が魔力で黄金色に輝き、激しく渦巻き始めた。

それはもはや風呂ではなく、あらゆる不純物を分解し、純粋な脂の旨味だけを魂に刻み込む「洗浄の儀式」だった。


「(……ったく、俺は一体何を洗おうとしてるんだか)」


コウタは溜息をつきながらも、湯気に包まれたカナの、いつもより少しだけ「仮面」が剥がれかかった背中を、静かに見つめていた。

脂を落としたその先に、どんな匂いの彼女が待っているのか。

恐怖と、それ以上の好奇心が、コウタの胸をボラのように跳ねさせていた。



「か、かかかか、カナさんッ……ど、ど、ど……とにかく、その……にわかにゃ、にわかにゃあぁぁんっ!!」


コウタは真っ赤になった顔を隠すようにメガネをガバッと押し上げ、這いずるような早足で自室へと向かった。

心臓が、先ほどの激しい釣りよりも強く、うるさく、情けなく脈打っている。


「(……なんだ、この匂い。……ッ、くさっ!? 鼻の奥に、こびりついて離れやがらねえ……なのに、なんでだ、もっと嗅ぎたいなんて思っちまって……俺のバカ! チー牛ヤロウの分際で、何を……頭がクラクラするっ!)」


二人は並んで敷かれた布団に潜り込んだ。

部屋には、先ほどの猫たちの名残である「一筋の毛」と、かすかな「ボラの記憶」が漂っている。

暗闇の中、すぐ隣にいるカナの体温と、あの「未知の香り(深淵のスパイス)」が、コウタの理性をドロドロのスープのように削っていく。


「……ねぇ、コウタきゅん。起きてる……?」


「おきてるう! バチバチおきてるよぉ! かかかか、カナさんッ!!」


コウタは布団の中で、まるで魚が跳ねるようにビクンと体を震わせた。

暗闇で自分の声が裏返るのが、この上なく情けない。


「にしししっ。……明日、楽しみだね。カナたん、コウタきゅんといっしょに、海中の脂、全部釣り上げちゃうんだから……っ」


「……い、いや、生態系くずれます、普通に考えて絶滅危惧種まっしぐらです! ……でも、でもでも、カナさんなら……カナタンにゃら、いけます!! 僕も、全力でサポート、あ、いや、えっと、ご指導ご鞭撻させていただきますぅぅ!!」


コウタは暗闇の中で、そっと自分の手を握りしめた。

そこにはもう、滑るような脂はない。

けれど、カナが握ってくれた時の、あの確かな熱量だけが、いつまでも消えずに残っていた。



「ねえコウタきゅん……。もしかして、ドキドキしてるのぉ……? なんだか、いつもと違うよぉ……?」


暗闇の中、すぐ隣の布団からカナがヌルリと首を傾けて覗き込んできた。

脂の鎧を脱ぎ捨てた彼女の、剥き出しの体温と「深淵のスパイス」の香りが、至近距離でコウタの脳漿をかき乱す。


「ぜ、ぜんぜん、ドキドキしておりません! やましい気持ちはこれっぽっちもありません! ごめんなさい! ありがとうございますッ!!」


コウタは布団の中で直立不動の姿勢になり、天井に向かって絶叫に近い早口でまくし立てた。

脳内の処理速度がオーバーヒートを起こし、もはや自分が何を謝り、何に感謝しているのかすら判別できていない。


「ふふっ……。コウタきゅん、カナたんのこと、しゅきなんだからぁ……♡」


カナが楽しげに、布団の端を「にちゃぁ……」と掴んで距離を詰めてくる。

暗闇で発光する彼女の瞳に射すくめられ、コウタのアイデンティティは音を立てて崩壊した。


「し、しゅきでございません! ござりまするッ!! カナ殿、いえ、カナたまぁっ……あのあのその、わかりませぬうぅぅ!!」


言葉が退化し、江戸時代の武士と迷子の幼児が混ざり合ったような奇怪な叫びが漏れる。

チー牛特有の卑屈さと、限界に達した思春期の暴走が、彼を「ござりまする」という未知の語尾へと突き動かしていた。


「(……ッ、くさいい匂い、でも、やっぱりくさ……いや、尊い!? もう、拙者の拙者が、爆発しそうでするぅ……ッ!)」


コウタは涙目でメガネを震わせ、今すぐボラの群れに飛び込んで頭を冷やしたい衝動に駆られていた。


「カナたんね……こうやって、人とふれあいたかったんだよぉ……」


カナは暗闇の中で、脂のコーティングが剥がれた柔らかな指先を、コウタの震える腕へと滑らせた。

いつもの「だいしゅきホールド」のような破壊的な圧力ではない。

肌と肌が直接触れ合う、生身の重み。

そこから伝わるのは、覇王としての力ではなく、孤独な少女がずっと隠し持っていた、切実なまでの渇望だった。


「……カ、カナさんッ……!! 死んでしまう! おらわっ、この距離は拙者の致死量を遥かに超えて……っ!!」


「コウタきゅん、もうちょっとだけ、ガマンしてぇ……。いつもツルツルして、コウタきゅんの手……ちゃんと握れないからぁ……」


「カナさんあげます!! 手あげるから! 一生分差し上げますから、もう持ってってくださいィィ!!」


コウタは布団の中で、全細胞が悲鳴を上げるのを感じていた。

緊張は臨界点に達し、彼の掌からは脂ではなく、滝のような「手汗」が溢れ出している。

握り合おうとする二人の手と手の間には、脂の代わりに、生々しいほどの熱を孕んだ湿気が充満していく。


「ふふっ……。コウタきゅん、お手々びしょびしょだよぉ……。手汗、すごぉい……っ♡」


カナは、その逃げ場のなさを楽しむように、絡めた指にさらなる力を込めた。

ヌルリとした感覚はボラの時と同じはずなのに、その意味は全く異なっていた。


「ス、スイマセンスイマセン!! 気持ち悪くてスイマセン!! チー牛の手汗なんて公害です、異臭騒ぎですゥゥッ!!」


「ぜんぜん……。ねぇ、コウタきゅん、はなれないで……。もっと、こうして握ってたいの……」


カナは、コウタの卑屈な謝罪を「深淵のスパイス」の香りで包み込むように、そのびしょ濡れの手を自分の胸元へと引き寄せた。


「…………」


コウタの腕を引くカナの力が、ふと、弱まった。

暗闇に目が慣れてくると、すぐ隣に横たわる彼女の肩が、小さく、小刻みに震えているのが分かった。

布団のシーツに、重たい「何か」がポタリと落ち、脂の残り香を弾いて染み込んでいく。


「……カナ?」


コウタの困惑した声が、静かな部屋に響いた。

卑屈な武士モードでパニックになっていたコウタも、その異変に、思わず背筋を伸ばした。


「……ありがと、コウタきゅん……っ」


カナは、コウタの手を握りしめたまま、顔を布団に押し付けた。

こぼれ落ちる涙は、彼女がこれまで自分を守るために纏ってきた「ギトギトの脂」よりも、ずっと透明で、ずっと熱い。


「カナたん……こんなに、あったかくしてもらったの……はじめてだよぉ……っ」


誰にも触れさせなかったその手汗まみれの掌を、コウタは嫌がらず、決して振り払わなかった。


「バカ。……礼なんて、言うなよ」


コウタは、びしょびしょに濡れた自分の手を、さらに強く握り返した。

チー牛で、小心者で、何一つ誇れるものなんてない自分。

けれど、この彼女の孤独を埋めることだけは、自分にしかできないのだと、暗闇の中で確信した。


「(……ああ、もう。……これじゃ、明日からどんな顔してボラ釣ればいいんだよ)」


コウタは鼻を啜り、天井を見上げた。

カナの泣き声と、混ざり合う二人の体温。

部屋に漂う異臭さえも、今はどこか、泣きたくなるほど優しい香りに感じられた。



 『 黄金の朝食、あるいは苦味を越えた共犯者 』


「……ほら、カナ。できたぞ。……昨日のボラの残りと、宿の厨房を借りて作った『特製ボラ脂の炊き込み飯』だ」


コウタは寝不足で充血した目をこすりながら、豪快な大皿をテーブルに置いた。

昨夜の涙でパンパンに目が腫れたカナは、布団から這い出し、その匂いにピクリと鼻を動かす。

皿の上では、昨夜の狂乱の証であるボラの脂が、朝日を浴びて黄金色の湖を作っていた。


「コウタきゅん……っ。これ、コウタきゅんが作ってくれたのぉ……?」


「……ああ。……昨日の礼だ。……さっさと食え」


カナは震える手で箸を持つと、脂の滴る切り身を勢いよく口に運んだ。

だが、その瞬間、コウタは自分のミスに気づいて凍りついた。


「(……ッ!? しまっ、寝ぼけて『マジカル塩水』で洗うのを忘れてた……ッ!!)」


ボラ特有の、強烈な泥臭さと、内臓に近い部分のえぐみ。

魔法の浄化を経ていないそれは、本来なら覇王ですら顔をしかめる「野生の苦味」そのものだった。


「……コウタきゅん。これ、マジカル塩水で洗い忘れてるよぉ……?」


「ヴォエッ……!! ほ、本当だ! ごめんカナ、すぐに下げて洗い直してくる! これじゃ苦くて食えたもんじゃねえだろ!!」


コウタが慌てて皿を奪い返そうとした、その時だった。

カナは「にしししっ」と、昨日までと変わらない、けれどどこか深みの増した笑顔で皿を抱え込んだ。

そして、泥臭いはずの身を、幸せそうにパクパクと口へ運び続ける。


「カナ……!? いいから洗ってくるって! 絶対苦いし、臭みも残ってるだろ!」


「ありがとね、コウタきゅん。……おいしいよ。コウタきゅんがカナたんのために、一生懸命作ってくれたんだもん……っ」


カナは頬張ったまま、少しだけまた目を潤ませて笑った。

魔法の浄化なんて、今の彼女には必要なかった。

コウタが自分のために、寝不足の頭で包丁を握ってくれた。

その事実という名の「最高のスパイス」が、あらゆる泥臭さを黄金の旨味へと塗り替えていた。


「カナ。お前、本当……変な奴だな」


「にしししっ! コウタきゅんのお墨付きだもんねぇ! ……ヴォエエエ、苦いけど……あったかぁいよぉぉ……♡」


再び部屋に満ち始める、濃厚な脂と魚の香気。




 

「にしししっ! コウタきゅん、元気百倍ボラボラにゃん! 新しい竿、買いに行くよぉぉぉっ!!」


「お、おい! 引っ張るなって! 俺の腕が抜ける、生態系ごと抜けるッ!!」


苦い朝食を完食し、完全復活を遂げたカナは、コウタの腕を「だいしゅきホールド(牽引モード)」で掴むと、宿の階段を三段飛ばしで駆け下りた。

朝の清々しい街並みに、二人の移動に伴う「ペチャ、ヌチャ」という脂の駆動音が響き渡る。


「(……ま、カナが笑ってるなら、寝不足も悪くねえか)」


コウタがそんな甘い考えを抱いた、その時だった。

街の中央広場で、一際まばゆい光を放つ一団が、コウタの視界に飛び込んできた。


「あれ……? あそこにいるの、コウタじゃね? うわ、マジだ。相変わらずチー牛オーラ全開だな!」


「キャハハ! 本当だ! ねえ見て、隣にいるの何? 人間? なんか……凄くギトギトしてない?」


コウタの心臓が、ドロリとした嫌な汗と共に跳ねた。

そこにいたのは、故郷の村でコウタを「チー牛」と呼び、陰湿に笑い者にしていた元同級生たちのリア充グループだった。

かつてのトラウマが蘇り、コウタの膝がガクガクと震え始める。


「あ……。い、いや、これは……その……」


「なんだよその敬語! 相変わらずキモいな。おい、そんな脂臭い女とパーティー組んでんのかよ? お似合いだぜ、ゴミ溜めのカップルってか!」


「…………っ」


コウタは下を向き、メガネの奥で瞳を泳がせた。

言い返したい。けれど、染み付いた卑屈さが声を喉に張り付かせる。

だが、次の瞬間。

コウタの前に、巨大な「壁」が立ちはだかった。


「ねえ、コウタきゅん」


カナの声が、これまでに聞いたことがないほど低く、冷たく響いた。

彼女の体から、朝の光を屈折させるほどの濃厚な「殺気混じりの脂蒸気」が噴き出し、周囲の気温が急上昇する。


「この、お口の臭い人たちは……だぁれ? カナたんのコウタきゅんを、バカにしていいって……誰が決めたのぉ……?ぬっころすぞおい」



カナの口から漏れたのは、いつもの「あへぇ」や「にゃん」とは無縁の、地獄の底を這うような平坦な殺意だった。

その背後に具現化した、ボラ数千匹分の質量を持つ巨大な脂の腕が、広場の石畳に「ドロリ……」と重たい影を落とす。


「な、なによこれ! 魔法!? ひっ、服に……服に脂が、シミがぁぁ!!」


「ねぇ……♡ 調子のるなよ」


カナが一歩踏み出すごとに、周囲の気温が数度ずつ上昇し、リア充たちの高級な装備が熱と湿気で「みしり」と音を立てて歪み始めた。

彼女の瞳には、慈悲など一滴も含まれていない。

あるのは、自分の大切な「王子様」をゴミと呼んだ不届き者に対する、無慈悲な処刑の意志だけだった。


「コ、コウタぁ! 助けろよ、お前の連れだろ! このバケモノ、止めろ……ッ!!」


「…………っ」


コウタは震える膝を押さえ、顔を上げた。

かつての自分なら、ここでまた謝って、ヘラヘラと笑って済ませていただろう。

だが、今、自分の前で怒りに震えているのは、誰よりも繊細で、誰よりも優しい「相棒」なのだ。


「カナ」


コウタは一歩前へ出ると、カナの熱を帯びた、脂まみれの肩にそっと手を置いた。


「そいつらに、お前の『綺麗な魔力』を使う価値はねえよ。時間の無駄だ。行こうぜ、竿、買いにさ」


「コウタきゅん?」


カナの殺気が、ふっと揺らいだ。

振り返った彼女の瞳に、コウタは情けなく、けれど真っ直ぐな、かつてないほど「漢」らしい微かな笑みを浮かべて見せた。


「フン。俺が選んだのは、世界一美味そうに魚を食う『カナ』だ。ゴミ溜めのカップル? 上等だよ。最高に居心地がいいぜ」


「…………っ!!」


カナの背後の「脂の腕」が、シュウ……と蒸発するように消えていく。

彼女は数秒、呆然とコウタを見つめていたが、やがて顔を真っ赤にして、昨夜よりも激しい「テラマウンテン級の涙」を脂の頬に溢れさせた。


「にしししっ! コ、コウタきゅん……カッコよすぎるよぉぉぉっ!! カナたん、もう、一生離さないんだからぁぁっ!!」


カナはリア充グループのことなど一瞬で忘れ、コウタを力一杯「だいしゅきホールド」で抱きしめた。

広場に残されたのは、自分たちの無力さと、高級な服にこびりついた「消えないボラの残臭」に絶望するリア充たちの抜け殻だけだった。



「カナ……ありがとな。俺のために、あんなに怒ってくれて」


コウタは、自分の腕に「だいしゅきホールド」でしがみつくカナの、熱を帯びた頭を不器用にかき抱いた。

かつての自分なら、あそこで嘲笑われて終わりだった。

けれど今は、自分のために世界を敵に回す勢いで怒ってくれる、世界一強くて「香ばしい」相棒が隣にいる。


「コウタきゅん」


カナは、コウタの胸板に脂ぎった顔を押し付けたまま、鼻をズズッと鳴らした。


「カナたんね……自分のこと言われるのは、もう慣れっこだけど……。コウタきゅんをバカにするやつだけは、マジで……許せないんだもん……っ」


彼女の体から立ち昇る蒸気は、先ほどの刺すような殺意から、どこか安らぎを感じさせる「背脂の温もり」へと戻っていた。


「フン。お前のおかげで、あいつらの顔、もうどうでもよくなったぜ。さあ、行くか。湿っぽいのは、ボラの脂だけで十分だろ?」


「にしししっ! そうだね! コウタきゅんに、世界で一番強い『バリカタの釣り竿』、カナたんがプレゼントしちゃうんだからぁっ!!」


二人は顔を見合わせ、同時におかしくなって笑い出した。

広場の中央、脂の跡が点々と続くその道は、コウタにとって、もはや逃げ出すべき過去ではなく、カナと共に歩む輝かしいレッドカーペット(脂コーティング済み)に見えていた。


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