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『石鹸の香りと、震える背脂(チー牛)』


「お、おい……カナ。あんまり俺から離れるなよ……」


宿を出た瞬間、コウタは己の変貌に戦慄していた。

脂という名のバリアを失った彼は、あまりにも「無防備」だった。

隣を歩くカナは、陽光を浴びて真珠のように輝く美貌を振り撒き、すれ違う男たちが一人残らず首をへし折らんばかりに振り返っている。


「えへへ、コウタきゅん? さっきからずっとカナの服の端っこ掴んでるねぇ。もしかして、甘えたくなっちゃったのかなぁ……っ♡」


「う、うるせえ……っ! 外は、その……なんだ、敵が多いからな……っ」


コウタは、かつての不敵な笑みをどこかに置き忘れていた。

視線は泳ぎ、猫背になり、清潔になったはずの指先でボリボリと後頭部を掻き毟る。

街の男たちがカナのあまりの美しさに「お、おい見ろよあの超美人……」「モデルか? 女神か?」とざわつくたび、コウタの心臓はチクチクと痛み、呼吸が浅くなる。


「(……あいつ、今カナの足見たな。……あの野郎は今、カナの胸を見た……!)」


コウタは、ギルドを爆発させたあの「漢」の面影など微塵もない、挙動不審な「チー牛」へと成り下がっていた。

カナをジロジロ見る野郎を睨みつけようとするが、相手と目が合うと、つい「ヒッ……」と情けない声を漏らして視線を地面に落としてしまう。


「コウタきゅん、どうしたのぉ? お顔真っ赤だよぉ?」


「な、なんでもねえよ……っ。……おい、そこのチャラそうな野郎! カナを……カナを、あんまり見るんじゃねえ……っ!」


蚊の鳴くような声で威嚇するコウタ。

かつての覇気は消え失せ、今や彼は「高嶺の花すぎる彼女」に怯える、自信喪失した日陰者のそれだった。


「あああんっ! コウタきゅん、カナのためにヤキモチ焼いてるのぉ!? しゅこ! その挙動不審な感じ、守ってあげたくなっちゃうよぉぉっ!!」


カナは歓喜のあまり、コウタの腕を自分の柔らかな胸元に抱き寄せた。

以前なら脂で「ツルッ」と滑ったはずの接触が、今は生々しい体温を伴ってコウタの脳髄を直撃する。


「ひ、ひぎぃっ……!? よ、よせやい……っ、人目があるだろ……っ!!」


情けない声を上げながら、コウタはカナの香りに当てられ、白目を剥きそうになりながら街を彷徨う。

脂のない世界は、彼にとってあまりにも刺激が強すぎた。


「ねえ、そこのお姉さん。これから暇? 隣の冴えない君といるより、俺たちとパーッといこうよ」


街角で、いかにも羽振りの良さそうなチャラい冒険者たちがカナの前に立ちはだかった。

カナのあまりの美しさに、彼らは後ろにいるコウタを完全に「背景」か「荷物持ち」程度にしか見ていない。


「え、カナたんに御用ぉ? でもカナたん、今コウタきゅんとデート中なんだよねぇ」


カナは困ったように微笑むが、その瞳の奥には「邪魔者は消し炭にするよぉ?」という不穏な光が宿っている。

だが、今のコウタにはそんな彼女の余裕すら、自分への「危機」に見えていた。


「(……い、言わなきゃ。俺が、ちゃんと言わなきゃ……っ)」


コウタは震える拳を握りしめ、一歩前へ出ようとした。

かつて数多の魔獣を屠ったその脚が、ガタガタと情けなく震える。

バリアのない世界で、大勢の注目を浴びることの恐怖。


「……お、俺の……」


蚊が鳴くような、掠れた声が出た。


「……あ? なんだよ、チー牛。なんか言ったか?」


冒険者の一人が、コウタを小馬鹿にするように覗き込む。

コウタは顔を真っ赤に染め、視線を地面の石畳に固定したまま、消え入りそうな声で絞り出した。


「……お、俺の……女だ……っ」


それは、本人にとっては魂の叫びだったが、周囲には聞き取れるかどうかの小声だった。

言い切った瞬間、コウタはあまりの恥ずかしさと緊張で、心臓が爆発しそうになった。

顔から火が出るどころか、全身が沸騰しているような感覚。


「…………っ!!」


コウタはそのまま、銅像のように立ち尽くした。

何も言えず、動けず、ただただカナの服の裾をぎゅっと握りしめたまま、石のように固まってしまう。


「あ、あああああああんっ!! コウタきゅん、今『俺の女』って言ったぁぁぁ!! カナのこと、自分のものだって宣言したぁぁぁっ!!」


カナはナンパ男たちのことなど一瞬で忘れ、硬直しているコウタに狂喜乱舞して抱きついた。


「しゅこ……しゅこしゅぎるぅぅっ!! その挙動不審な独占欲、カナたん、一生離さないんだからぁぁっ!!」


「(……死ぬ。恥ずかしすぎて死ぬ……っ!)」


コウタはカナの腕の中で、もはや呼吸の仕方も忘れたように立ち尽くしていた。


「あ? なんだよ、このチー牛……。ボソボソ言ってんじゃねえぞ!」


ナンパ男たちは、硬直するコウタを完全に舐めきっていた。

一人が苛立ち紛れに、コウタの胸ぐらを掴もうと手を伸ばす。

その瞬間。


「…………っ!!」


コウタの中で、何かが「プツリ」と断線した。

恥ずかしさが限界を超え、脳が防衛本能として「理性」をシャットダウンさせたのだ。


「ひ、ひぎ、ひぎぃぃぃぃぃっ……!!」


言葉にならない絶叫(悲鳴)を上げながら、コウタの拳が爆発した。

そこに「勇者の洗練された技術」など微塵もない。

ただ、見られている恥ずかしさを粉砕したいという一点のみで放たれた、原始的な一撃。


「ガッ!!」


「あぶっ!?」


コウタの拳が男の鼻を捉え、そのまま後方のレンガ壁まで吹き飛ばした。

脂という潤滑剤を失った拳は、その衝撃を逃がすことなくダイレクトに破壊力へと変換している。


「な、なんだこいつ!? やっちまえ!」


残りの男たちが一斉に飛びかかるが、コウタは目を血走らせ、挙動不審な動きのまま、目にも止まらぬ速さで拳を振り回した。


「見、見るな……っ、俺を見るなあああああっ!!」


ドゴッ! バキッ!!

顔を真っ赤にし、視線を泳がせながら、コウタは無意識に敵の急所を的確にブチ抜いていく。

脂のないコウタの攻撃は、重い。

そして、恥ずかしさで暴走しているがゆえに、一切の手加減がなかった。


「……あ、あ、あああ……」


数秒後。

路地裏には、誰一人として立っている男はいなかった。

コウタは肩を上下させ、震える拳を見つめたまま、再び「石」のように固まる。


「キャーーー! コウタきゅんしゅこーいっ!! 恥ずかしすぎて無双しちゃうなんて、カナたん、もう抱きしめて脂まみれにしたいぃぃっ!!」


カナは興奮のあまり、倒れた男たちを踏みつけてコウタに飛びついた。

今度は脂がないため、ガシッ、と確かな肉体の衝撃がコウタに伝わる。


「…………死ぬ。もう、死ぬ」


コウタはカナの腕の中で、今度こそ魂が口から抜けかけていた。

暴力的なまでの強さと、致命的なまでの自意識過剰。

その矛盾を抱えたまま、彼は再びカナという名の「底なしの愛」に沈んでいくのだった。



 


 『背脂の再誕、あるいは油海の饗宴』


「お腹、すいちゃっちゃ……。コウタきゅん、バーベキューしよぉ……♡」


カナは恥ずかしさで魂が抜けかけているコウタの手を引き、人気のない川べりへと連れ出した。

そこには、どこから調達したのか、巨大な鉄板と、溢れんばかりの肉、そして……。


「……カナ。これ、なんだ?」


「アヘージョだよぉ! コウタきゅんの『あ、へぇ……っ♡』な顔が見たくて、カナたん、オリーブオイル三リットル用意しちゃった!」


「アヒージョ、だろ……」


鉄板の上では、もはや煮物かと思うほどの深さでオイルが波打ち、ニンニクの塊が爆ぜている。

その横では、特厚のボア肉が自身の脂で「揚げ焼き」のような音を立てていた。


「ほら、コウタきゅん! 焼肉三昧だよぉっ! 一番脂っこいところ、あーーーんっ!!」


カナは滴るオイルを無視して、真っ白な指で直接肉を掴み、コウタの口にねじ込んだ。

暴力的なまでの脂の濁流。

その瞬間、コウタの乾ききっていた細胞が、歓喜の産声を上げた。


「…………っ、はぁ! これだ……これだよ……!!」


肉を噛み締めるたびに、溢れ出した脂がコウタの喉を潤し、そして再び皮膚の表面へと滲み出していく。

羞恥心で震えていた心に、どっしりとした背脂の安らぎが戻ってくる。


「へっ……やっぱり、俺には石鹸の匂いなんて似合わねえ。……カナ! そのアヒージョのオイル、全部肉にぶっかけろ!」


「しゅこ!! そのギトギトな決断、カナたん待ってたよぉぉっ!!」


カナは嬉々として、沸騰するオイルを肉の山へと注ぎ込んだ。

立ち昇る猛烈なギャーリッキュの煙。

二人の体は、再び「ヌメり」と「テカリ」を取り戻し、月明かりの下で黄金色に輝き始める。


「あははっ! コウタきゅん、また滑るようになっちゃったねぇ♡」


「……ああ。これでいい。……これが、俺たちの正装だ」


コウタはアヒージョのオイルを直接啜り、不敵な笑みを取り戻した。

隣では、口の周りを真っ白な脂で汚した絶世の美女が、世界で一番幸せそうに笑っている。

 

「一本バターも、おいしいよね……♡」


カナはそう言うと、荷物の中から巨大な業務用の無塩バターを取り出した。

包装紙をペリペリと剥がすと、そこには滑らかな、乳白色の「脂の黄金」が鎮座している。


「……ああ。分かってるじゃねえか、カナ」


コウタは、焚き火の熱で少し柔らかくなったバターの塊を、素手で豪快に掴み取った。

それをアヒージョのオイルが滴る焼肉の上に乗せ、さらに直火で炙る。

溶け出したバターが肉の脂と混ざり合い、もはや致死量に近いカロリーの濁流となって鉄板から溢れ出した。


「ほら、コウタきゅん……。これ、端っこから『がぶり』しよぉ?」


カナがバターの半分を口に含み、残りの半分をコウタの口元へと差し出す。

コウタは躊躇なく、その白銀の塊に食らいついた。


「…………っ!!」


濃厚な乳脂肪のコクが、全身の血管を駆け巡る。

先ほどまでコウタを苛んでいた「羞恥心」や「繊細な自意識」が、猛烈な脂の波によって跡形もなく押し流されていく。


「……へっ、これだ。並大抵の奴らならこの満足感は得られねえ」


「ああんっ、コウタきゅんのお口の周り、バターで真っ白だよぉ♡ カナたんが、綺麗に(もっとギトギトに)してあげるねぇっ!!」


カナは自分の口元についたバターをそのままに、コウタの頬に顔を寄せた。

二人の肌が触れ合った瞬間、バターとオイルの相乗効果によって、かつてないほどの「滑走スライド」が発生する。


「ぬおっ!?」


「あはははっ! コウタきゅん、また『つるつる』だよぉ! 一生捕まえられない、カナだけの勇者サマだねぇっ!!」


二人は油膜の海に溺れながら、夜の川べりで笑い転げた。




「あ、あふぅ……っ。コウタきゅん……これ、しゅごい……。オイルが、細胞の奥まで『ぎとぎと』に入ってきちゃうぅ……っ!!」


カナは、三リットルのオイルが煮え立つアヘージョの鍋を前に、瞳を虚ろにさせて身悶えた。

口の端からは溶けたバターとオリーブオイルが混ざり合った「黄金の雫」が絶え間なく溢れ、彼女の豊かな胸元をテカテカに塗り潰していく。


「……はぁ、はぁ……っ。ああ、たまんねえな……。脳みそが、脂で直接洗われてるみたいだぜ……っ!!」


コウタもまた、熱々のオイルに浸したボア肉を咀嚼しながら、天を仰いで悶絶していた。

石鹸で洗われた清潔な皮膚は、今や内側から滲み出す脂と、外から塗りたくられたオイルによって、限界を超えた輝き(ルミナンス)を放っている。


「あ、あへぇぇ……っ♡ コウタきゅん、カナ……もう、自分がどこまでがカナで、どこからが脂なのか、わかんなくなっちゃったぁ……っ!!」


カナは、あまりの多幸感に翼を激しく痙攣させた。

バサバサと羽ばたくたびに、熱せられたオイルが周囲に飛び散り、月夜を極彩色の油膜で彩る。

彼女の表情は、もはや「快楽」という言葉すら生ぬるい、完全な『アヘ顔(脂酔い)』へと変貌していた。


「……へへっ、俺もだ……っ。カナ、お前……最高にギトギトで……いいツラしてるぜ……っ!!」


コウタもまた、焦点の定まらない瞳でカナを見つめ、脂まみれの口元をだらしなく緩ませて「あへっ」と声を漏らす。

二人の間には、もはや言葉はいらなかった。

ただ、熱いオイルの泡が弾ける音と、二人の重苦しい、けれど恍惚に満ちた吐息だけが重なり合う。


「コウタきゅん……一緒に、脂の向こう側……いっちゃお? あ、あへ、あへぇぇぇぇ……っ!!」


二人はお互いに手を伸ばしたが、あまりのオイル量に、指先が触れた瞬間に「シュルリッ」とあらぬ方向へ滑走した。

それでも、滑り落ちる感覚すらも今の二人には最高のスパイスだった。

滑り、溺れ、混ざり合う。

月明かりの下、二人の「覇王」と「勇者」は、アヘージョの海の中で、ただひたすらに脂の深淵へと堕ちていった。


「……コウタ、なんだよ『脂の向こう側』って……。俺はただ、腹を満たしたかっただけなのに……っ」


コウタは朦朧とする意識の中で、濁った視界を必死に繋ぎ止めていた。

だが、目の前にはオイルの蒸気に包まれ、黄金色に発光するカナが、聖母のような(あるいは悪魔のような)微笑みを浮かべて鎮座している。


「コウタきゅん……食べたらわかるよぉ……っ♡ ほら、もぎゅもぎゅしてみて? はい、アーン……っ!!」


カナは、自身の体温と焚き火の熱でドロドロに溶けた「追いバター」をたっぷりと纏わせた、特厚の脂身を差し出した。

それはもはや肉というより、脂の塊をオイルで煮込み、さらにバターでコーティングした「純粋エネルギーの暴力」だった。


「…………っ!!」


コウタの口内に、熱狂的なまでの油脂が流れ込む。

噛み締めた瞬間、脳内の伝達物質がすべて「脂」へと置き換わった。

思考が停止し、心臓の鼓動が重厚な「ドロリ、ドロリ」という音に変わる。


「あ……あへぇ……っ」


コウタの口から、魂の端切れのような声が漏れた。

理性の堤防が決壊し、全ての自意識が、どこまでも続く背脂の海へと溶け出していく。

これが「向こう側」。

悩みも、恥じらいも、勇者としての重圧も、すべてが潤滑油によって摩擦ゼロで流れ去っていく聖域。


「あはははっ! コウタきゅんも、カナと同じ顔になっちゃったぁ! あへあへ、あへぇぇぇぇ……っ♡」


カナは、もはや「あへぇ」以外の言語を忘れたように、脂まみれの翼をバサバサと羽ばたかせた。

飛び散るオイル。

混ざり合う吐息。



「コウタきゅん……ラストは、やっぱりマシュマロだよねぇ♡ 焚き火でとろぉりさせて、バターと一緒に……」


カナは脂で濡れた唇を舐め、夢見るような瞳で白い袋を取り出そうとした。

だが、コウタは虚空を見つめたまま、力なく首を振る。


「……俺は……甘いのは、いらん……。もう、糖分を受け付ける隙間なんて……どこにもねえ……」


コウタの胃袋は、すでにオイルとバターの「飽和攻撃」によって、一滴の余裕もないはずだった。

だが、その時。


「チェー、つまんないのぉ。……じゃあ、カナたん特製! ギャーリッキュの素揚げ、鬼盛りあげゆぅぅうっ!!」


カナはどこからともなく、バケツ一杯分の剥きニンニクを取り出した。

それを、先ほどまで肉を焼いていた「脂の海(アヘージョの残り)」へと、一気にブチ込む。


「……ッ!!」


猛烈な、鼻を突くような、野性味溢れる香りが爆発した。

コウタの死にかけていた細胞が、その刺激臭に反応してビクンと跳ねる。


「ほらぁ、コウタきゅん! これならいけるよねぇっ! はい、あーーーんっ!!」


カナは、黄金色に素揚げされ、ホクホクを通り越して「脂を吸い尽くしたスポンジ」と化したニンニクを、五粒まとめてコウタの口へ放り込んだ。


「…………あ、あへぇぇぇぇッ!!


 もとい

 

 あちいイイイイイイイ!!!」


コウタの脳内で、ガーリックの衝撃波が背脂の海と衝突した。

強烈なパンチ。

圧倒的な口臭。

それは、甘いデザートなどという軟弱な概念をすべて焼き尽くす、男と覇王の「終わりの合図」だった。


「……これだ。これだよ、カナ……。デザートは、脂で揚げた脂に限るぜ……っ!!」


二人は、もはや会話すら成立しない「あへあへ」の極致に達し、夜空に向かって同時に咆哮を上げた。

そこには、英雄も、ヒロインも、清潔感も存在しない。

ただ、ニンニクの匂いを撒き散らしながら、黄金の脂にまみれて溶け合う「二頭の獣」がいるだけだった



『背脂の焦土、あるいは沈黙のチェックアウト』


「……ん、んん……」


翌朝。

コウタが重い瞼を持ち上げた瞬間、視界に入ったのは「地獄」の光景だった。

宿の部屋の壁紙は、二人が発する猛烈な脂蒸気とギャーリッキュの揮発成分により、糊が完全に溶けてベロリと床に剥がれ落ちている。


「おい、カナ……。起きろ、これ、やべえぞ……」


コウタが体を動かそうとすると、全身を覆う脂が「凝固」しており、ミシミシと嫌な音が鳴った。

隣では、カナが真っ白な羽を脂でガチガチに固めたまま、幸せそうにニンニクの寝息を吐き出している。


「ふぇ? あ、コウタきゅん……。カナたん、今、ニンニクの精霊さんと……結婚する夢……見てたぁ……あへぇ」


「夢見てる場合じゃねえ! 逃げるぞ、今すぐだ!!」


二人は「ギチギチ」と音を立てる体を引きずり、脂でスケートリンクと化した廊下を滑走して受付へと向かった。

だが、彼らがカウンターに辿り着いた瞬間。


「……あ。お、おはようございま……っ!?」


出迎えた店主は、二人が纏う「暴力的なまでの香気」が鼻腔を突き抜けた瞬間、白目を剥いてその場に崩れ落ちた。

あまりの濃度のギャーリッキュに、脳の防衛本能がシャットダウンを選んだのだ。


「……悪いな、おっさん。釣りはいらねえ。……壁の修理代に充ててくれ」


コウタは、脂でテカテカになった金貨をカウンターに「ヌルリ」と置き、硬直した店主を放置して宿を後にした。


「ああんっ、コウタきゅん、逃避行だねぇっ! カナたん、どこまでも滑ってついていくよぉぉっ!!」


朝日を浴びて、二人の体は虹色の油膜を反射させ、神々しく(あるいは禍々しく)輝いている。

こうして二人は、一つの宿を「再起不能(リフォーム必須)」に追い込み、次なる脂の聖地を目指して街を滑り出していった。




「ねぇコウタきゅん……。楽しいね」


朝日を浴びてキラキラと(脂的に)輝きながら、カナがふと、柄にもなくしおらしい声を漏らした。


「ああ? なんか言ったか?」


「ううん、何にもない。……ずっと、一人だったから……。ねぇ、コウタきゅん。私、やっぱり変な子かな?」


カナの視線が、わずかに揺れる。

一九〇センチの巨躯に、ギトギトの翼。

誰からも恐れられ、避けられてきた「覇王」の孤独が、一瞬だけその瞳に宿った。


「ああん? ちょっとアブラギッシュでクサイだけだよ! 気にすんな! 年取れば、みんなそうなるさ」


「もう! コウタきゅん、ひどぴえんなんだから! カナたんがダンディズムオジオジみたいじゃない! プンシュコだよぉぉっ!!」


カナは頬を膨らませて地団駄を踏んだ。

その衝撃で、地面の石畳に脂の足跡がくっきりと刻まれる。


「フン! ……でも、俺は脂もガーリックも嫌いじゃないぜ。カナ、三郎系の次は、もっとヤバい『四郎系ラーメン』でも食べに行くか!」


「もう! コウタきゅん、そうやってすぐ誤魔化しちゃってぇ! カナたんだって、いつもハラペコハラペーニョじゃないんだからねっ!?」


カナがぷいと顔を背け、乙女のプライドを主張しようとした、その時だった。


「ぐきゅるるるるるるる……ぐぎやああるるるるるるっ!!」


静かな朝の街道に、魔獣の咆哮にも似た、凄まじい「腹の音」が鳴り響いた。

カナの腹部から発せられたその振動は、コウタの足元まで伝わってくるほどの威力だった。


「……カナ。今、ものすごい腹の音聞こえたけど」


「…………っ!!」


カナは一瞬で顔を真っ赤に染め、もじもじと内股になりながら、潤んだ瞳でコウタを睨みつけた。


「もう……っ! コウタきゅんの、えっちぃ……っ!!」


「??? えっ??? ……今のどこにエッチ要素があったんだよ!?」


「女の子のナイーブな音、そんなに真面目に聞いちゃうなんて、エッチ以外の何物でもないよぉ! 責任とって、四郎系マシマシで食べさせてくれないと、カナたん、もうお嫁にいけないんだからぁぁっ!!」


カナは恥ずかしさを勢いに変えて、再びコウタへと猛烈なヘッドスライディング(抱きつき)をかました。つるっ

脂とニンニクの香りに包まれた二人の、騒がしくもヌメりある旅路は、まだ始まったばかりだった。


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