第1話 義父という地雷
全10話、執筆完了済みです!
最後まで一気に投稿しますので、安心してお読みください。
店員に土下座を強要する「カスハラ義父」を、店内の客全員で断罪するお話です。
最後はしっかりスカッと解決します!
「おい、どうなってんだこれは!」
日曜日の昼下がり。
平和なスーパーマーケットの喧騒を切り裂いたのは、聞き飽きるほど聞いた、あのダミ声だった。
私は持っていたキャベツをカゴに落としそうになるのを堪え、天を仰ぐ。
(……またか)
ため息をつく間もなく、私は声のした方へと早足で向かった。
レジカウンターの前には、真っ赤な顔で仁王立ちする小太りの男――私の義父、権田昭三(六十二)の姿があった。
その目の前で、高校生くらいのアルバイトの女の子が、涙目で縮こまっている。
「ですから、レジ袋は有料化されておりまして……」
「そんなこたぁ知ってるよ! 俺が言ってんのは、『なんで俺に聞かねぇんだ』ってことだ!」
「え、あの、お会計の前に、確認を……」
「聞こえなかったな! お前の声が小さいからだろ! 客に恥をかかせやがって、店長を呼べ店長を!」
典型的な、あまりにも典型的な「カスハラ(カスタマーハラスメント)」の現場だった。
義父は元来、自分が敬われないと気が済まない性格だ。
定年退職して社会的な肩書きを失ってからは、それが「店員への説教」という形で暴走している。
私は視線を巡らせる。
本来、この場を収めるべき人物――私の夫であり、義父の実の息子である誠を探した。
いた。
レジから五メートルほど離れたサッカー台の影で、彼は一心不乱にスマホを見つめていた。
背中を丸め、まるで「僕はここに存在しません」と念じるかのように、気配を消している。
(……逃げた)
怒りよりも先に、乾いた諦めが胸に広がる。いつものことだ。
夫の誠は、父親が絡むトラブルから徹底的に逃げる。
周囲の客からの、突き刺さるような冷ややかな視線。
ヒソヒソと交わされる「最悪ね」「老害じゃん」という言葉。
それが全て、義父の家族である私に向けられている気がして、胃のあたりがキリキリと痛んだ。
「お義父さん!」
私は意識して声を張り上げ、笑顔という名の仮面を張り付けて戦場(レジ前)へと割って入った。
「あら、お義父さんじゃないですか。どうしたんですか、そんな大きな声だして」
「おお、美咲ちゃんか。いやな、この店員の態度がなってねぇんだよ。教育的指導をしてやってたところだ」
義父は私を見ると、少しだけ矛を収めた。外面だけはいいのだ、この人は。
私は義父の言い分をスルーして、震える店員さんに素早く向き直った。
「すみません、お騒がせしました。レジ袋一枚ください。あと、後ろの方もお待たせして申し訳ありません」
深々と頭を下げる。九十度。接客業時代に培った完璧な謝罪だ。
店員さんは「い、いえ……」と涙を拭いながらレジを打ち直してくれた。
「おい美咲ちゃん、俺はまだ納得して……」
「お義父さん、お義母さんが家で待ってますよ。アイス買っちゃったから溶けちゃうんです。行きましょう?」
私は義父の腕を強引に取り、サッカー台の方へと誘導した。
「ったく、美咲ちゃんが言うなら仕方ねぇな。今の若い奴は全くなってねぇ……」
ブツブツと文句を垂れ流す義父をなんとかなだめ、荷物を詰め終わる頃。
ようやく、夫の誠がのそのそと近寄ってきた。
「あ、買い物終わった? 父さん、偶然だね」
なんて白々しい。
さっきまで柱の陰からチラチラ覗いていたのを私は知っている。
「おう、誠か。まったく、ここの店員はどうしようもねぇぞ」
「あはは……父さん、まあまあ」
誠は愛想笑いを浮かべるだけ。
義父を諌めることも、私に「ごめん」と目配せすることも、店員さんを気遣うこともない。
ただ波風を立てないことだけに全力を注ぐ、その事なかれ主義な態度。
◇
駐車場への帰り道、義父の機嫌はまだ直らなかった。
「お客様は神様って言葉を知らねぇのか最近の奴らは」
「時代が違いますから」
私が小さく反論しても、義父の耳には届かない。
「金を払う方が偉いんだ。それを教えてやるのが年長者の務めだろ?」
自分の車に乗り込む義父を見送り、私たちが自分たちの車に戻った瞬間、張り詰めていた糸が切れた。
ドサッ、と助手席に座り込み、大きく息を吐く。
「……誠」
「ん? どうしたの、美咲」
運転席でシートベルトを締めながら、誠がキョトンとした顔で聞いてくる。
その無邪気さが、今は猛烈に神経を逆撫でする。
「どうしたの、じゃないよ。見てたでしょ? お義父さんが店員さんに怒鳴ってるところ」
「ああ……まあ、声は聞こえてたけど」
「なんで来てくれなかったの? 実の息子でしょ? 私が謝ってる間、あなた隠れてたじゃない」
責める口調にならないよう、努めて冷静に言ったつもりだ。
けれど、誠は気まずそうに視線を逸らし、ハンドルを握りしめた。
「だってさ……父さん、火がつくと止められないから」
「だからって私に押し付けるの?」
「美咲の方が上手く扱えるだろ? 俺が行くと余計に拗れるんだよ。父さん、俺のこと認めてないし」
まただ。誠の十八番、「卑下して逃げる」。
自分を下げて相手の戦意を削ぐ、彼なりの防衛本能なのかもしれないが、今の私にはただの責任逃れにしか聞こえない。
「上手く扱えるとか、そういう問題じゃないの。あんなのただの迷惑行為だよ。いつか警察呼ばれるよ?」
「大げさだよ。昔気質なだけだって」
「昔気質なら何してもいいわけ?」
車内の空気が重くなる。誠は口を噤んでしまった。これ以上責めると、彼は貝になる。
私は窓の外を流れる景色を見ながら、胸の奥に溜まった澱のようなものを飲み込んだ。
夫との仲はいい。優しいし、家事も手伝ってくれる。
でも、この「義父問題」になると、彼は驚くほど頼りにならない。
結婚して二年。義父の暴走は年々エスカレートしている気がする。
そして、誠の「逃げ癖」も。
(私が我慢すればいいと思ってたけど……)
今日、店員さんに頭を下げながら感じた屈辱と、周囲からの白い目。そして何より、私を守ろうとしない夫への失望。
それらが混ざり合い、私の中で警鐘を鳴らしていた。
このままじゃダメだ。
何かが、決定的に壊れてしまう前に。
そんな私の憂鬱をよそに、スマホが震えた。
画面に表示された名前を見て、私はさらに血の気が引いた。
『義父』からの着信。
嫌な予感しかしない。
「……はい、もしもし」
『おう美咲ちゃんか! さっきは悪かったな。侘びと言っちゃなんだが、来週の日曜、いい店予約したから飯でもどうだ?』
電話の向こうで上機嫌な義父の声。
これが、私たちが地獄を見る「食事会」への招待状だとは、まだ知る由もなかった。
お読みいただきありがとうございます!
今のところ、ただただ不快な義父と、頼りない夫ですね……。
ここから主人公(美咲)の堪忍袋の緒が切れ、反撃の準備が始まります。
第2話では、さらにイライラさせられる「夫の事なかれ主義」が炸裂します。
ぜひ、最後の「公開処刑」までお付き合いください!




