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第二十七話

金曜日の夜深く。

ピンポーン。

インターホンが鳴った。

甲高い電子音が静まり返った部屋を突き刺す。

梨央の体がびくっと跳ねる。

一瞬で空気が凍った。

「……誰?」

涼真は包丁を持ったまま振り返った。

その表情は穏やかだが、瞳だけが笑っていなかった。

「無視すればいい」

「でも……」

ピンポーン。

もう一度。

さっきよりも少し長く鳴る。

梨央の手が膝の上で強く握られる。

鼓動が速くなる。

喉が渇いて、声が出ない。

「出なくていい」

その声はさっきより低く、冷たい。

空気の密度が重くなる。

ピンポーン。

三度目の音が鳴る。

その直後、扉の向こうから声が聞こえた。

「梨央開けて」

その声。

聞き間違えようがなかった。

涼真の声。

現実のあの人の声。

梨央の呼吸が止まった。

目を大きく見開き、扉の方を見つめる。

「涼真……?」

イマジナリー涼真が静かに首を振った。

「違うよ。気のせいだ」

「でも……」

「違うって言ってるだろ」

その声には、初めて怒気が混じっていた。

梨央は息を呑む。

涼真の瞳が暗く濁っていく。

ピンポーン。

扉の向こうの声が少し強くなる。

「梨央。 俺だよ」

梨央は立ち上がろうとする。

でも、足が震えて動けない。

「涼真……」

イマジナリー涼真が彼女の手を掴んだ。

「行かないで」

冷たい指先が梨央の手を強く握る。

血の気が引くような感触。

「痛い……」

「行かないでくれ」

その声が低く沈む。

まるで底なしの闇の中から響くようだった。

梨央の瞳に涙が浮かぶ。

外からの声がまた届く。

「梨央、頼む。話を——」

その声を遮るようにイマジナリー涼真が叫んだ。

「やめろ!!」

その瞬間、部屋の空気が震えた。

照明が一瞬、チカッと点滅する。

梨央は思わず目を閉じ、耳を塞いだ。

息が詰まる。

世界が狭まる。

ピンポーン。

ピンポーン。

外の声と中の声が同時に重なっていく。

梨央は震えながら首を振った。

「やだ……もうやめて……」

イマジナリー涼真が静かに彼女を抱きしめた。

「大丈夫。俺が守る」

梨央は泣きながら、その胸にしがみつく。

「こわい……」

「大丈夫。もう、誰も入ってこれない」

外ではまだ扉が叩かれていた。


その音は梨央の意識から次第に遠ざかり、雨の音と混ざっていく。

やがて、部屋に再び静寂が戻った。

梨央は泣き疲れて、涼真の胸の中で息を乱していた。

涼真が彼女の耳元で囁く。

「もうすぐだよ」

「なにが……?」

「永遠が始まるんだ」

その声は優しく穏やかなのに、梨央の背筋を氷のように冷たいものが這い上がった。

「永遠……?」

涼真は微笑む。

「ずっと二人だけ。誰にも邪魔されない」

その瞳が暗闇の中で静かに光る。

まるですべてを呑み込むような——

梨央は何も言えなかった。

その意味を問い返す勇気はもう残っていなかった。 


***


数時間後。

梨央の部屋のドアの前に立っていた現実の涼真は、扉越しに聞こえた声の違和感に気づいていた。

あれは……梨央の声じゃない。

いや、梨央の声なのに、何かが違う。

まるで別の誰かが喋っているような——

涼真の胸に不安が広がる。

(梨央……何があったんだ……?)

彼は一度、扉から離れる。

廊下を数歩歩いて、深呼吸をした。

(落ち着け……でも、様子がおかしい)

スマホを取り出し、莉香にメッセージを打つ。

『今、梨央の部屋の前にいる。様子がおかしい』

すぐに返信が来た。

『無理に入らないで。警察呼ぶ?』

涼真は少し考えて返信する。

『まだいい。俺が何とかする』

彼は再び扉の前に立った。

(梨央……!)


***


「梨央いるんだろ?……開けてくれ」

声が静かな階段に吸い込まれていく。

返事はない。

涼真は一瞬、ドアノブに手を伸ばしかける。

だが、握る前に手が止まった。

鍵がかかっているかどうかを確かめる勇気が出ない。

もし中で梨央が——

そう思うと体が動かなくなった。

「……心配してるんだ」

喉が詰まり、声がうまく出ない。

涼真は額をドアに押し当てた。

「顔だけでも見せてくれ」

また沈黙。

耳の奥で自分の鼓動だけが響く。

ドア一枚隔てているのに、梨央がまるで別世界にいるようだった。

ポケットの中のスマホを取り出す。

何度も送信したメッセージの通知がずらりと並ぶ。

既読はついている。

でも返事はない。

画面を見つめながら、涼真は小さく呟いた。

「……梨央」

目を閉じて、ゆっくり息を吐く。

「俺が悪かった」

風が頬を撫で、目の端に滲んだ涙を乾かす。

「ちゃんと構ってあげられなくて、ごめん」

声が震える。

「仕事のことばっかりで、いつも後回しにしてた」

胸の奥が痛いほど軋む。

「でも——」

言葉が喉で詰まる。

「でも、俺は……梨央のこと好きなんだ」

最後の一言は声にならないほど震えていた。

返事はない。

ただ、薄いドアの向こうで、誰かの気配が一瞬、動いたような気がした。

涼真はその小さな変化に希望を感じた。

ドアにそっと額を当てる。

「梨央……聞こえてる? 俺だよ」

静まりかえる。

それでも彼は諦めなかった。

数秒おきに名前を呼ぶ。

言葉は次第に掠れていく。

ドアの向こうで、梨央は泣いているのか、それとも、もう何も感じていないのか——

その答えはわからない。

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