花灯祭と、新たな花
初任務から三日。花譜院はどこか浮き立った雰囲気に包まれていた。
「今年もやるんですね、花灯祭」
紫苑が購買部で売られている色とりどりのランタンを眺める。
「花灯祭?」
紅葉が首を傾げる。
「年に一度、ユグドラシルの枝に灯籠を吊るすお祭りだ。願い事を書くんだよ」
猫柳が説明する。
「……夜、きれい」
エリカがぽつりと言った。
「へぇ〜、そんなのがあるんだ。じゃあ私も——」
紅葉は無意識に微笑んだ。
(……大切な人のこと、お願いしてみようかな)
夕方、学園の中庭では屋台や灯籠の組み立てが始まっていた。
「お嬢様、金魚すくいはやられるんですの?」
猫柳がからかうように聞く。
「子供の遊びに興味はありませんわ」
紫苑は鼻を鳴らす。
「……でも紫色の金魚、似合いそう」
エリカがさらっと爆弾発言。
「……なっ!?」
紫苑は頬を染めて視線を逸らした。
「ははっ、なんかいいな、こういうの」
紅葉は皆のやり取りを見て笑った。
紅葉は小さな白い灯籠を手に取り、墨筆で文字を書き始めた。
願いは——「この仲間と、もっと強く」。
「……それだけ?」
猫柳が覗き込む。
「うん。それが一番だから」
紅葉は照れくさそうに笑った。
日が落ち、灯籠の灯りがゆらゆらと揺れる。
その光景を遠くから見下ろす影があった。
「……今年もやるのか、こんなくだらない祭りを」
夜空に浮かぶ星のような瞳が、枝葉の隙間からこちらを見つめていた。
祭りの片付けを終え、帰り道。
「明日は絶対に楽しもうね」
紅葉が皆に向けて言った。
「当然ですわ」紫苑が笑い、猫柳は「腹一杯食うぞ」と答える。
「……夜、みんなで歩く」エリカも小さく頷いた。
紅葉は夜空を見上げた。ユグドラシルの枝が、まるで彼女たちを見守るように揺れていた。
(この時間が……ずっと続きますように)
―そして翌日。
翌朝の花譜院は、まるで別世界のようだった。
中庭には色とりどりの布が張られ、枝に吊るされた小さな灯籠が風に揺れる。
屋台からは甘い蜜菓子や香ばしい焼き団子の匂いが漂い、早くも生徒や街の人々が集まり始めていた。
「わぁ……昨日までの学園じゃないみたい」
紅葉は感嘆の息を漏らす。
「こういう時だけは平和そうに見えますわね
」紫苑は飾り付けを冷ややかに眺める。
「平和っていいじゃん。ほら、団子買おうぜ!」
猫柳が早速財布を取り出す。
「……甘い匂い、好き」
エリカがぽつりと呟いた。
広場中央では、他の班も屋台の手伝いや飾りつけに勤しんでいた。
「おーい、紅葉!」
低く朗らかな声が響く。振り向くと、長身の青年・蓮が笑顔で手を振っていた。
「蓮先輩!」
紅葉が駆け寄ると、大きな手で頭をわしゃわしゃ撫でられる。
「初任務、聞いたぞ。怪我はもう平気か?」
「はい!」
紅葉は照れながらも笑顔で答える。
その横に、分厚い大盾を両手で抱える小柄な少女が立っていた。
「この子は——」蓮が口を開く前に、少女が深く頭を下げる。
「結芽です! よ、よろしくお願いしますっ」
淡いミルクティー色の髪が肩でふわりと揺れ、タレ目が緊張で泳いでいる。
紅葉は目を丸くする。
「その盾……大きいね」
「は、はいっ……こ、これがないと落ち着かなくて……」
結芽はおどおどと答える。
だが、その瞬間——近くの子供の風船がふわりと飛び、屋台の油鍋へ落ちそうになる。
「——っ!」
結芽は反射的に盾を掲げ、油鍋の前に立ちはだかった。
風船は盾に当たり、無事に地面に落ちる。
「すごい……」紅葉が呟く。
「あ。い、いえ! つい反射で……」
結芽は顔を真っ赤にして目を逸らした。
(おどおどしてるのに……守る時は迷わないんだ)紅葉はその姿に、少し羨望を覚えた。
夜の帳の中、ユグドラシルの枝に吊るされた無数の灯籠が一斉に光を灯す。
金色や桃色の灯りが夜空に咲き、柔らかな風がその花々を揺らした。
「……綺麗」
エリカが小さく呟く。
「記念に写真を撮りますわよ!」
紫苑が皆を集め、肩を寄せ合う。
紅葉は笑顔でシャッターを切った。
笑い声と灯りの海を、遠くから静かに見下ろす影があった。
「……もうすぐだ」
その瞳は、星の光よりも冷たく光っていた。