ルイス・ウィルソン
アブダビの夜は、明るい。
煌びやかな灯りの中、ただ走る。
俺も、このマシンも、数多の名場面を知っている。
そして、俺の真後ろを走る…彼も。
彼は元々、瀬名のファンだったらしい。
日本で小さなレースを戦っていた時から追いかけ続け、師事するに至ったそうだ。
俺からすれば彼はまだまだリトルチャイルドだが、確かに瀬名に通じるところはある。
少年時代の思い出というのは色あせていくこともあれば、更に色濃く強固に残ることも多々ある。
彼にとっては、後者だったのだろう。
年齢差は倍近いってのに、彼は俺の話をよく聞いてくれる。
全く失礼も無いし、愉快なやつだ。
こういうのを『後輩力が高い』とでも言うのだろうか。
まさか、俺のガレージが空になるとは思わなかった。
「『こっこここれを…ボクに…!?!?』」
イギリスの自宅、ガレージを開ける。
そこに鎮座しているのは、薄く埃を被ったメルセデス・AMG ONE。
「『ここで腐らせておくのはつまらん。新たなメルセデスのドライバーとなった、キミに是非貰ってほしい。』」
と、いうのは建前。
本音はコッチだ。
「『コイツは売れば日本円で3億5000万は下らない。将来のための資金にするなり、親孝行・師匠孝行するなり…どうするかは自由だ。』」
と、そこまで言ったところで。
横の彼が泡を吹いていることに気が付いた。
蘇生に時間はかからなかった。
あの後は半ば強制的に渡したわけだが。
彼の性格的に売るようなことはしないかもしれないな。
少しでも生活の足しになれば…と思ったが、過ぎた心配だったかもしれない。
メルセデスへ移籍した初陣、このアブダビグランプリで、松田裕毅は俺に次ぐ2番手グリッドを獲得した。
来年度からは大型契約だ。
チーム資金も、ドライバーへの報酬も潤沢になる。
『俺が王座を明け渡すときが来るなら…新たな王座に座る者は、未来ある若者がいい。そう思っていただけだ。』
そうは言ったが、俺はまだまだ王座を降りるつもりはなかった。
でも、降ろされることになってしまいそうだな。
つくづく思うんだ。
もし、瀬名の身体に不調がなくて、裕毅くんと共に襲い掛かってきたら…と。
まぁ、F1界は彼らの独壇場になるだろうな。
…そうだ。
…俺にも、そのチャンスがあったんだ。
今から10年前。
俺はF2からF1へとステップアップした。
F2時代にチームメイトとして共に戦った人がいた。
その人は俺の2コ上で、俺は『兄さん』と呼んでいつもついて回ってた。
ぶっちゃけ、兄さんは俺よりも速かった。
初年度から大活躍して、ドライバーランキングでは2位を獲得していた。
後々に出てくるどこかの天才が初年度でワールドチャンピオンを取るまでは、この記録がアンタッチャブルレコードとして語り継がれる…はずだったんだ。
その記録と記憶は、次年度に起きた衝撃的な出来事によって、人々の頭の中から消え去ることになる。
兄さんは初戦、第二戦とリタイヤが続いていた。
走りが悪いわけではない。
よく攻められていると、俺も後ろで見ながら思っていた。
第三戦、事件が起きる。
決勝レースの序盤で高速コーナーに差し掛かった時、前を走る兄さんのマシンが急に目の前から消えたのだ。
直後にレッドフラッグが振られ、事態が深刻であることに気が付いた。
兄さんのマシンは壁に一直線に突っ込み、大破していた。
すぐに病院に運ばれ、一命はとりとめたものの…それから目を覚ましていない。
事実上あの日のピットでの会話が、俺と兄さんの最後の会話になったんだ。
『ルイス。いつかF1を、俺たちだけの独壇場にしてやろう。俺とお前なら、きっとできる。』
その言葉を、今でもたまに思い出す。
そして皮肉なことだが、俺が初めてワールドチャンピオンを獲ったのはその年だった。
それから俺は途切れることなく7年間、ワールドチャンピオンを獲り続けた。
いつ兄さんが目を覚ましても、勝っているところを見せられるように。
いつしか俺は、『絶対王者』と呼ばれるようになっていた。
その称号は元をたどれば、兄さんのものだ。
2年前の開幕直前に、俺に知人から連絡が来た。
兄さんが、死んだのだと。
思えばあの年、ワールドチャンピオンを初めて逃した。
伏見瀬名が、デビュー初年度ながらチャンピオンを搔っ攫って消えていった。
いつ兄さんが目を覚ましても良いように、勝ち続けてきたつもりだった。
でも、実際は違った。
俺は…兄さんに『勝たせてもらってた』だけだったのかもしれない。
前に日本に行ったとき、瀬名の師匠の墓参りに同行させてもらった。
そこで瀬名が言っていたことが、今でも心に残っている。
「『勝ち負けは二の次なんだ。大切なのは次の世代に伝説でも伝統でもなんでもいい、繋いでいくことが大事だと、俺は思ってる。』」
だから瀬名は、裕毅くんを大切に育てていった。
もしかすると、兄さんもそうだったのかもしれない。
亡くなった人の遺志は、別の人間が伝えることができる。
俺は、兄さんに託されたんだ。
チャンピオンだったころは、鳴りやまない歓声を浴びてきた。
勝てなくなってからは、それも少なくなったが…そんなことは関係ない。
I run forever.
兄さんのために、自分のために、そして…次の世代に繋ぐために。
明るい夜空を見上げながら、チェッカー後の余韻に浸る。
あの空の向こうで、今も見守ってくれているはずだ。
この後は来シーズンに向けたテストやらなんやらで色々と忙しい。
落ち着いたら…墓参りにでも行くかね。




