プロローグ
無断転載、自作発言等NG
「水の都の東京」。そう呼ばれるようになったのはいつの時代からだろうか。
江戸時代において大規模な治水工事が行われ、その後も発展し続けたこの社会は「水」が大事な地脈となっている。高層ビルが立ち並び、昔の面影などないが今も発展し続けている。
一部は水のない道路が存在しており、逆に水の中の街も存在する。
―警視庁捜査一課室 午前十一時五十分ごろ
「日向! 今日も書類提出してないだろ」
俺の名前は雨宮夕貴。年齢は三十八歳で警視庁捜査一課課長である。
春の暖かい日差しが入るようになって来たが、まだ寒い毎日。今は大きな事件もなく、各々が山積みにしていた書類を片付けることに一心不乱になっていた。
しかし、厄介な二名を除いては。
「あっ……課長! ごめんなさい!さすがに……今回は……」
そのうちの一人は同じく、捜査一課水枷班所属の日向透は年齢二十七歳で課の中でも年少の部類に入る。
日向は先週、上から直々のお達しである事件の裏どりの調査をしていたが、昨日に調査を終えたばかりであった。そして、本日提出していなかった書類について問いただしていたところである。
日向の仕事は表向きでは水枷班の一人ではあるが、班にいるのはリーダーの水枷と日向の2名のみ。水枷班自体は表向き、書類の番人と見られていて、日向は課長の使いと呼ばれているそうだ。実際に俺が振り回しているのは事実であり否定はできない。
「それとこれとは別」
「そんなあ」
デスクの書類は山崩れを起こしそうなほどであった。日向は溜息をつきながらも片付けようとするが、そこに見知った影が映る。
「さすがだね、課長の使い」
彼は総務省管理対策室係長(仮室長)の奈賀由和で年齢三十一歳。綺麗な高級そうなスーツに身を纏い、黒縁メガネがトレードマークでいかにもエリート感を出しているが纏っている空気は柔らかくて話しやすい。
「奈賀さあんんん!!」
日向は叫びながら奈賀に抱きつく。今の彼にとってはある意味での救いの登場と言えるだろう。
奈賀は警視庁からの出向で総務省におり、現在は新しい管理対策室の立ち上げを行っている。元は警視庁捜査二課におり、捜査一課や他の課とは何かあった際の連絡係をしていて、色んなところに顔を出せる貴重な人材であった。
「うるさい」
おかげで話を逸らされてしまったので文句も出てしまう。
「あはは、本当に愉快だね」
俺の文句にも意に介さず、面白がっている奈賀はこの場所がいつも面白くてしょうがないらしい。
「杜季くんは相変わらず、あそこなのかい?」
奈賀はデスクを見渡し、目的の人物がいないことがわかると所在を尋ねてきた。
「先輩は……そうだと思います。俺と違って書類は全部片付けてありますし」
日向の隣のデスクにはPC以外は何もない状態の綺麗なデスクがあった。
「あいつは信用できるが冷たい。ここにいるようには言ってはいるが聞こうともしない。資料庫にある書類を読破するだけはあるが」
日向と同じく厄介なのが、俺の一個下の階級の捜査一課課長補佐並びに水枷班リーダーの水枷杜季で年齢三十五歳。
水枷は課長補佐の仕事をしながらも、日向以上の業務量をこなしている。いつも本人のデスクは綺麗で、仕事を早く終わらせて警視庁内にある様々な資料庫を漁るのが日課であった。そのため、不在にしがちでどうやってデスクにいさせるか、仕事をさせるか俺の最大の悩みの種である。
「彼に用事があって来たのですが、今はどの資料庫にいますかね?」
そうでもなければこんな質問もこないだろうが、それだけで本人に連絡が取れないということだけはわかる。なおかつ、セキュリティの関係で電波が入らないところもある。
「………………」
もはや、今日の仕事も早くには終わらないことだけは目に見えた。
「検討がつかないか。しょうがないので見かけたら連絡して下さい。今日は杜季くんからお願いがあるようなんで」
「!?」
水枷からのお願いと言うことは召集。裏でしか動くことは許されない、こいつらの本当の仕事で、通称は警視庁捜査一課裏部署[Untitled]。俺には統括指揮官の役目があった。
裏部署である[Untitled]は通常の捜査方法とは異なり、表舞台に立つことはなく、単独で独自の捜査を行うことが可能になっている。メンバーは公安扱いになっており、一部は民間で仕事をしている。独自の権限としては、極秘で司法取引を行う権限を所有している。司法取引を扱えるのは検察側のため、警察内部でも扱えるように組織されたと言っても過言ではない。また、法の公平性を保つためには最終的に検察側にも内容を掲示する。
日向、奈賀は[Untitled]のメンバーで、他にもメンバーはいるがリーダーは水枷となっている。
「そうか。水枷からのお願いの話は今度聞かせてくれ」
俺は主に監視という立場であるため、非常時以外では指示を出すことはなく見守っている。俺にできることはいかに彼らの本当の仕事をさせるかにあるからである。これに関しては今も多くの課題を抱えている。
「ええ是非。透くんはまた後ほど。女の子達が待っているので失礼します」
恐らく、忘れてないだろうなという意味合いを含めて、日向に声をかけて奈賀は戻って行った。
「あいつの女癖はどうにかならないのか」
奈賀の女癖は知る人ぞ知る噂が流れている。情報を集めるために接触しているのだが、情報をくれる対価の量に応じて態度を変えている。そのやり方がエグいため、人から見ればとんでもない男だと思われても致し方がない。
「別れ話しかこない俺には一生真似できないです」
日向はどちらかと言えば、女の子たちと相手しても最後は別れてしまう。その愚痴を毎度聞かされるのだが、それよりも今は大事なことを確認しなければいけない。
「というよりお前、絶対に忘れてただろ」
「…………あっはい」
しばらくの沈黙の後に、肯定する姿に呆れるが今は何よりも最優先のことをしなければいけない。
「全力で水枷を探せ」
「はいいいいいい……!!」
この際、書類は潔く諦めるしかない。今回の件は先に捜査一課で解決した事件で、喧嘩別れによる殺人として終着していたが、一部の上層部の意向により[Untitled]で再捜査をされていた。その後の詳細をまだ聞いていない。あいつらは単独行動ができるのに召集をかけるのはそれなりの事の時だけだ。何かあった際に把握するために確認しなければいけなかった。
答えながら廊下へと走って行く日向をそのまま見送る。
「日向は本音がないんだよな」
ボソリと呟いた俺の言葉は日向に届かなかった。
「しょうがない。あいつらの所に行ってみるか」
この場所を離れるわけには行かないが、昼休憩と称して他のメンバーのところに向かった。
―都内の国立大学研究所 午後一時ごろ
白い廊下を一歩ずつゆっくりと進む。ひとつひとつ扉はあるが目的の扉は隅っこにある。そこの前に到着して、部屋主がいること示すプレートを確認して声をかける。
「末永、開けてもいいか?」
この部屋の主は国立大学の研究員並びに会社の研究員の末永灰で年齢二十四歳。日向とは違い大人しいタイプで[Untitled]のメンバーである。
この場所は国立大学の研究施設の一角。大学との連携研究ということで、一室だけ特別に使わせてもらっている。
『どうぞ』
確認が取れたので中に入る。末永とはここでしか会うことがほぼできないため、自ら足を運んで来ていた。
「お疲れ様です」
扉を開けるともう一人いた。彼はセキュリティに関する研究のIT会社社長の篠崎遥で年齢二十九歳。彼もまた、メンバーの一人。
篠崎の会社は従業員二桁もいかない小さな会社で、主に国からデータを使って内部のセキュリティを強化するために作られた。そのため、従業員は全て公務員で外部からの攻撃がないようにするための隠蓑であった。
「篠崎もいたのか。この様子だと家には帰っていないな」
中は掃除をしていても掃除はしたと呼べるようなレベルではない部屋の汚さで、まずは自分のスペースを作るために簡単に片付け始める。
「帰れる暇があるなら休暇を下さい」
ソファに寝そべってだらんと寝ていた末永は自宅に帰宅していないようで、疲れ切っていた。そもそも、末永は人と話すのが苦手で、基本的にはこの部屋からは出ようとしない。
それにこの部屋には帰れなくてもシャワー室など、研究室にしてはなんでも揃っていたのでここが自宅のようだ。
「すまんが俺にはできないな。生憎、統括指揮官と言っても上からのお目付役だ」
単独行動ができる集団だからこその意味のお目付役だった。彼らには何度も何かあれば連絡するようには言っているが連絡をよこさないのが多い。
「俺は連絡をこまめにしているので大丈夫だと思いますが」
篠崎は連絡をよこす方で末永の分もまとめてきているからある程度は大丈夫だ。目先の問題は水枷からの連絡がないことについてだった。
「水枷は何か言っていたか? どうやら召集をかけているようだが」
末永は起き上がり、目の前のテーブルに置いてあった封筒を俺に渡す。
「今回の件で使うのだろうと思うのですが、本当にこれだけでいいのかという感じはあります。もしかして何も連絡は来ていないですか?」
俺の元には今回の件の概要は聞いているがその先はどういう風に動いているのかなどの連絡はない。それに篠崎や末永にも詳細は伝えていないらしい様子だった。
「先日の日向の裏取りが含まれているからある程度しか知らない。お前たちに伝えていない部分があるのだとしたら」
「厄介になるということですね」
水枷は厄介なことほど報告してこないという、これもまた悩みの種のひとつでどうにかして直させたい癖だ。
「そうかもしれないですね。紅茶入りますか?」
末永も同意しているあたりそうなのかもしれない。報告さえしていてくれば俺が動く必要はないのでこうして動いている自分が嫌になってくる。
「ありがたいが、俺は戻る。抜け出してきているからね」
「リーダーのことですから心配はないかと思いますよ」
篠崎の言葉通り、心配はないと思いたいが心配性な俺にとっては本当に厄介なことにならないように願いながら部屋を後にした。
―警察庁捜査資料庫A3室 午後二時十分過ぎ
「杜季」
俺の声が静かな棚だらけの広い資料庫に響き渡る。俺はというと、警察庁情報通信局情報分析課所属の水影彼方で年齢は今年で三十二歳。資料庫の一番奥にある大量の画面のPCと向き合いながら仕事を片付けている。
「んー」
「行かなくていいのかい?」
俺の後ろの簡易ソファで横になりながら資料を読んでいるのが警視庁捜査一課課長補佐並びに水枷班リーダーの水枷杜季で年齢三十五歳だが、親戚でもあり幼なじみでもある。
「いやだ。それに言われた仕事は全て片付けた」
彼は[Untitled]のリーダーでもあり、俺は情報管理者としてメンバーに入っているが杜季と統括指揮官の雨宮課長以外は知らない。
「刑事としての自覚があるのか、ないのか……全く困ったもんだねえ」
いつも言っていることだが、杜季は見た目が刑事らしくなく、どこか浮いているように見えていて近寄りがたい雰囲気を漂わせている。
「今は緊急性の高いものはない。高ければここにはいない」
そして、なぜ彼がここにいるのかは日課とでも言えばいいのだろうか。資料庫漁りに来ていたのである。
「その通りなんだけどね。というより、ここの許可は貰っているの?」
そもそもここは警察庁であり、通行証があれば入ることができるのだが、資料庫はさらに許可が必要であった。
「名前言ったら許可くれた」
その言葉で納得する。
「『水』の通じる人間か。古い御伽話を知る人間はここには多いね」
御伽噺と言っても『水』という漢字が、苗字に入っている家は古くから治水工事に関わり水路を守り続けたとされている。世の中では不確かなものとして分類されており、知っている人間は限られてくる。
また、一族は今も残っていて警察組織や地方公務員などとして働いているものが多い。現在、生存確認ができる家は『水枷』『水影』『水瀬』『水無月』『水木』のみとなっている。
「しょうがない。キャリア組はほとんど知っている」
生き残りは少なくなっているが、今も影響力を残してはいた。
「そういえば、今日は召集かけたんだろ? いかなくていいのかい?」
俺は内部の人間であっても彼ら以上に表に出ることはなく裏のまた裏側にいる。他のメンバーと顔を合わせても知らないフリをするだけだ。だから、俺がやるべきことは、今は必要とされていない。
「……今回の取引は公平になるか?」
今回の事件は一度、捜査一課で解決されていたが疑問点が一部残った。上層部の意向もあり、残りに関しては[Untitled]にと引き継がれ、再度調べ直した結果、逮捕した容疑者が情報を持っていた。そこで司法取引が行われた。
「公平だと言えると思うよ。気になっていたのはこれだろう?」
ロックをかけているファイルを開いて見せる。
「もしかして前から調べていたか?」
ファイルの中には俺が独自調べていたことが入っていた。今回の司法取引が公平である証拠の事件の関係者の調書並びに内容を録音させて保管していたものだ。
「今回の件は一度、捜査一課で調べている。それに上からの圧力で単独で動けないことはわかっていたからね」
なぜこれが必要であったのかというと、一部の事件の関係者の調書は上の人間からは触れて欲しくない身内の問題が入っていた。それについては消されてしまったが、復元して誰にも見つからないように保管していたのである。
「助かった。これで召集までには間に合う」
恐らくだが、今回は[Untitled]としての逮捕ではなく、捜査一課での逮捕という形にするのであろう。そうでなければ、召集もかけずに単独で逮捕しているはずだ。
「もしかして、ここにきた理由ってそれを調べるため?」
「ノーコメント」
相変わらず、素直じゃないと思う。俺を頼ってもいいのに頼ろうとしないところが彼らしかった。しかし、それは危うさも秘めていて少し怖いなと思う。
「思ったんだけど、まだ雨宮課長にそれ言ってないよね? 絶対に日向くんを使って探しにくるだろうね」
杜季の悪い癖なのだが、厄介になるほど抱え込んでいるパターンが多く、報告しなければいけないことを後回しにして直前に言う。そのため、そういう時には必ずと言っていいほど雨宮課長が探りにくる。そして、日向くんを使って杜季を探しに来させる。
「それもノーコメント」
どうやら当たりだったようだ。先ほどから雨宮課長から連絡が入っているような気がした。ここは通信が遮断されているため予感でしかないが。
すると、扉がある方向から見知った声が聞こえた。
「しっ、失礼しまーす!!」
声の主はやはり日向くんで息を切らしながらこっちにやってきた。
「あっお疲れ~」
日向くんも毎度ながらすごいと思う。杜季について行ける人間が少ない上にデスクにいつもいない上司なんて俺だったらやめたくもなる。
「お疲れ様です! 杜季先輩やっと見つけました……? あれ? これ……なんかやっちゃった感じですか……?」
相変わらず、空気を読んでいるのがバレバレで本人も隠す気はない。この状態で話しかけられるのは日向くんのなせる技という部分もある。
「戻る」
「はい、これ」
戻ると言うことで、杜季との話はここで中断となり、先ほどの事件の関係者の調書並びに内容を録音したものを記録デバイスで渡す。
「どうも。日向これ」
「えっあっ失礼しました! これは!?」
杜季は日向くんを黙らすかのように手元に隠してあったパンを投げて、そのまま部屋を出ていく。日向くんも追いかけるようについて行った。
「みんな、ひとりぼっちだね」
俺以外、誰もいなくなった資料庫で呟いても答えは返ってこない。誰かに問いかけたとしても答えは返ってこないのはわかりきっていたことだった。
―警視庁捜査一課課長室 午後三時三十分ごろ
「おっ戻ってきたな」
日向に探しに行かせてから数時間後、水枷は俺のいる捜査一課課長室にノックをして入ってきた。
「課長、こちらで引き受けていた件について、司法取引により証拠が全て揃いました。そして、お願いがあります」
普通であれば、報告をしていれば課長である俺を通さずとも動くことは可能でこうして出向いてくるということは予想が当たったようだ。
「毎度、何度言わせたら気が済むのかわからないが報告はしろと言っているだろう。それに召集をかけた理由は?」
要約すると、今回の件は上層部からの指示は公にはしたくないからどうにかしろと投げられているのは知っている。そのため、検察側に引き渡す前にどうにかすべきだった。
「ホシは二人。一人は事情聴取を行った時の録音と記録が削除されていて、この人物は上層部の警察関係者の親戚にあたるそうです。もう一人はこの事件のもう一人の容疑者で先に捕まったのは囮みたいなものです。本人は病気のため手術をしたばかりで現在入院中」
俺のデスクには二人の写真が置かれる。この二人には見覚えがあったのでなるほどな、と思う。
「どおりで上の連中がどうにかしたかったということか」
恐らく、上層部の連中で仲間割れして表上は終わらせたが警察の権威としては黙っていられなかったということだ。それで裏側で探れということだった。
「現在の二人の動きは奈賀に追わせています。日向と俺で二手に分かれて、日向には遙と灰で向かわせて、俺は奈賀と合流します。それで、こちらで捕まえるのではなくて捜査一課として正式に捕まえます」
日向と水枷は正式な捜査一課の所属として、表でも動くことは可能なため、裏部署の存在を知られずにするために二手に分かれさせたようだ。
「それだと正式に逮捕できる形にはなるな」
正式な逮捕ができるに越したことはないが、できない場合もある。そのための存在だからこそ、今回は単独で動かずに二手に分かれるという選択を水枷はした。
「というわけで、課長にも動いてもらいます」
「真っ向から言うやつがいるか」
既に厄介になっていることに頭を抱えたくなりつつも、いつも通りの表情の水枷には文句を言いたくなるがそこまでの時間はない。
「で、どういう風に動くんだ?」
早く終わらせて山のようにある仕事を終わらせたかった。
「日向入って」
水枷が廊下から呼び出すと、パンを齧り付きながら入ってくる日向の姿があった。
「日向、食べながら入るな」
「ふぁーい」
流石にご飯も食べないで探させたので心の中で詫びながら、今回は指摘するだけにしておく。
「それで、今回は陸側なんですか?」
陸とは、治水工事がされ続けても、残った地面の部分のことをいい、低高差がある地域では水路がない場所も存在する。東京ではその二種類が同時に存在しており、地面があるところを陸と読んでいた。
「海の方がよかったか?」
海は、海底のことも含めていい、水陸用の車が発展したのは海底の街も発展したおかげである。
「いえいえ! 了解です! それで今回は課長も動くのですか?」
逃げるかのように質問をする。
「ああ、日向は遙と灰でこいつを。俺と奈賀と課長はもう一人の方に行く」
俺のデスクにある二人の写真を指す。
「あれ? これつい最近裏どりをしてきたやつのだ」
上から直々のお達しである事件の裏どり調査をして、昨日に調査を終えたばかりであったことが繋がっているとは日向は気付いたようだ。
「ってことは残党ですか?」
「そうとも言えるが、こっちが本当のホシ」
正直なところ残党かと思いきや、本命という厄介なものである。表上では終わっている事件に対して時間を割くことはできないというのもあるが、今回は警察の権威にも関わってくるのであろうと思うと上は黙ってはいなかったのが面倒な部分を確実に増やしていた。
「各自に召集場所の変更の連絡を」
そう伝えながら、水枷は隠していたパンを更に分け与える。一体、いくつ隠してあるのかは謎だが。
「お前らはいいよなあ」
この後の事後処理を考えると頭が痛くなってきそうだった。もちろん、水枷にもきっちりとやってもらう。
「ほぉえほい(了解)です!」
そんな俺の気持ちを他所に日向は食べながら、暗号メールを作り、各自に連絡をしていた。
「ホシはまだ動いていないと、送信。久々に動くとしますか」
「えっ出なきゃだめですか……あーもう」
「俺が一応、社長という肩書きがあること忘れてないよね……?」
―とある公園駐車場 午後七時十分ごろ
都内のとある公園の駐車場で車を止める。俺は水枷と共に奈賀のところに向かって合流をする。日向は篠崎と末永と先ほど合流できたようで連絡が入っていた。
「俺は最終手段ということでいいんだな?」
今回は何かあった際の手段として、課長の肩書きを使う。今から俺たちが捕まえるのは上層部の警察関係者の親戚だ。他の上層部には手を回していても、後から何か言われてもおかしくはない。
「それでお願いします」
「はいよ」
水枷に確認をして、車から降りると奈賀は既にいた。
「お疲れ様です。準備はできていますよ」
ホシはここの公園を通勤の道で必ず使うらしく、現れる可能性が一番高かった。
「一人でマークしてもらって助かった。もう一人は大丈夫か?」
日向が暗号メールで詳細を送っていたのを既に読み終えていると仮定して水枷は話を進める。
「透くんの方は大丈夫でしょう。仲間はいないですし、向こうは手負いのため動けない状態ですからね」
手術したばかりで入院中であれば、確かにそうだ。篠崎や末永がいるが、日向がヘマしなければいいことを願うしかない。
「ならいいんだけど」
「いつもは単独行動だからって抱えすぎだ」
心配するのはいつも単独行動だからというのはわかる。それ以上に頼らないから心配なのもわかりやすぎだった。
「それとこれとは別ですねえ」
水枷の言い方からしてあからさまに聞く気はない。
「とりあえず、お前の説教は後だ。奈賀も後で説教させてもらうぞ」
「え? 何かしました?」
きょとんとする奈賀は心当たりがないようで驚いていた。
「俺の元にまでクレームが来てる。どれだけ女の子を泣かせれば気が済む。お前のところの上司も嘆いていたぞ」
「本気にする方がバカらしいのに」
呟いた奈賀の言葉ははっきり言って恐ろしい。その考え方だからクレームが来るのをわかっていない。
「俺の方で支障は出ない程度なら何も言わない。とにかく、配置場所に行ってください」
水枷の言葉も全くもって話にならない。これでチームが成り立っているのが不思議でしょうがないが、だからこそ成り立つのかもしれないと思う部分もあった。近づき過ぎれば、見えなくていいものまで見えてしまう。それならば見えないフリをしていれば楽だ。
「了解で〜す」
そろそろホシが帰宅する予定の時間なので、そのまま奈賀は配置場所へ向かって行った。
「了解」
俺も配置場所へと向かう。予め決めた手順は、最初に水枷がホシに接触してその間に奈賀が道を塞ぐ。俺は近くで待機して確実に抑える。
「……課長は守るためにどうすべきかわかっているでしょうに」
歩きながら頭の中でシュミレーションしていると、水枷はその言葉を置いて配置場所へと向かって行った。
(どこまでも仮面を被っているお前らの本質はどこにあるんだろうな)
振り返って、水枷の背を見つめながら考える。歪な組み合わせの俺を含めたあいつらはどこか危うくて儚くて、脆いのを何かで覆い隠している。自分も人のことを言えたものではないが、何かを抱えて一人で進もうとしている。そんな姿は見たくはないからどうすべきかと考えてしまう。
「お前らにしてやれることはなんだろうな」
―警察庁捜査資料庫A3室 同時刻
「見つけた」
彼らのGPSを使って行動を見守る。自分の出番はないが、管理者として見届けたかった。何かあったら直ぐに対応できるように想定して見守る。
「はあ……どこまで守れるんだろうな。ねえ、君は生きているのかな。僕が生きているうちに会えるといいんだけど……僕たち以外はみんな水になってしまったよ」
椅子にもたれかかって天井に手を伸ばす。
『一メートルが百センチで一センチが十ミリってまるで近くて遠いよな 』
幼き日の過去の記憶が蘇る。あの言葉を言ったのは俺自身で、その隣には女の子がいた。
「君だけはその形跡がないんだ。燈」
あの日から忘れたことは一度もない。見つからない燈という女の子を探し求めて今日も探す。計画が実行される前までにー
「えっ?」
名前を呼ばれたような気がした。
ここは東京にある国立の図書館で書架の整理をしていた。地下の書架は一般の立ち入りが禁止となっているため他の人はいない。
誰かが呼びにきたのかと思って、辺りを見渡すが人影すらない。
するとぴちゃぴちゃと間をあけて音が聞こえる。音がする方にいくと水溜りが少しできていて、雨漏り状態になっていた。
「……っ」
嫌な記憶が脳裏をかすめる。水になって何もなくなってしまったあの記憶が消したくても忘れてはならない記憶。
『逃げて……お願いだから……』
幼いけれど、確か……年が上の男の子が告げる。
『いまだ! 行け!』
もう一人の男の子が背中を無理やり押す。そして無我夢中で走って、逃げて家族らしき人のもとに帰ることができたおかげで生き残ることができた。けれど、彼らはどうなったのかはわからない。会えていないから一生会うことはないのかもしれない。
「稀望が紡がれて願いは意志となり、水となる」
その日が訪れるのはいつだろうかと思いながら、この場を後にする。
始まりがあれば終わりも存在もする中で答えを見つけるための物語は、水面の奥底の真実のかけらの一部が溢れて止まることができなくなっていた。
それがひどく悲しい恋になることとは知らずに、始まりを告げた。
これ以降は書いていないのでここまでとなります。
読んでいただきありがとうございました。