第2話 「誰……?」
「…ん………。」
マキは重い瞼を開けると、そこには見知らぬ純白の天井があった。どうやらベッドの上らしく、左手首には点滴が繋がれていた。次第に意識がはっきりして来たマキは、今いる所が病院である事を理解する。ベッドの側を見ると、村で出会った白衣の男が椅子にもたれ眠っていた。マキが体を起こすと、その音に気付いた男は目を開ける。
「……おはよう、マキ君。」
「ど、ども……。」
「身体の調子はどうだい?どこか痛い所は……?」
「いや、ぱっと見特にどこも悪くないかな。」
「そうか。…はぁ……良かった……!」
男の安堵した様子に、マキは目をぱちくりさせる。
「どうしておっちゃんが安心してるんだ?」
「なんでって……命の恩人の君がこのまま目覚めなかったらどうしようかと思っていたからかな。……あ、そうだ。遅くなったが、僕は『久遠寺新太』。……マキ君。あの時、僕を助けてくれてありがとう…!!」
アラタは目に涙を浮かべ、マキの手を強く握り締めた。その様子にカイト達孤児の顔が頭に浮かんだマキは、嬉しさで顔を綻ばせた。
「……って、村の皆は!?徴兵された皆はどうなった!?」
マキはアラタからあの後の経過を伝えられる。魔物の襲撃で村は大きな被害を受け、付近の村人の数人が犠牲になったが、迅速な援軍部隊の掃討作戦で農場は無事である事。そして、徴兵された子供達を乗せた車両は大きな被害もなく、全員が帝都にたどり着いたとの事で、その話を聞いたマキは大きく胸を撫で下ろした。
「さて。ここは帝都の病院で、君は10日も眠ったままだったんだ。何か食べられる物を貰って来るよ。…おっと、そうだ。マキ君さえよければなんだけどね……。」
「なんだ?」
「僕の養子になって、一緒に暮らす気はないかい?」
「……は?」
「僕は君に一生かけても返せない恩がある。だから、少しでも君の力になりたいと思ってるんだ。……退院する時にでもいいから、それまでに考えてもらえるかな?」
「うっす……。」
マキは頷くと、アラタは病室を出た。
「俺がおっちゃんの養子かぁ……。」
突然の事にマキは思考が追いつかず頭を抱える。気絶後の経過とともにアラタに聞かされた話だと、対魔隊への正式入隊の最低年齢は15歳。しかし、対魔隊入隊の為には、予め帝都内にある国立の対魔隊養成学校へ3年間通う事が義務付けられているという。現在マキは13歳。そこから学校へ通うとなると、入隊は遅くとも16歳になる事が確定している。
「学校は基本自宅通いらしいけど、経済的な事情があれば学生寮に入れるらしいし、無理に世話になる必要もないよな……。でも、あそこまでおっちゃんに言われて断るのもなぁ〜。……なー、このままじゃ埒が明かない!1回顔でも洗ってすっきりさせるか!」
マキは点滴が空になったのを見て手首から外しベッドから出ると、病室備え付けの洗面所へと向かった。蛇口を捻り手の平に水を溜め、マキはそれを思いっ切り顔に打ちつける。適度に冷えた水により、長らく閉じていた目もシャキッと動く様になった様な気がした。
「ふぅー。やっと目が覚めたって感じがするぜ!よし、改めてこれからどうするか決めていくか…………って、え……?」
マキはふと目の前の鏡に目をやり自身の前髪を触る。そして、普段の自身の黒髪が、今手に触れている部分のみ赤色に染まっている事に気づいた。また、マキは自身の顔の新たな異変に気づく。やけに肌の感触がいいのだ。それに、心なしか顔の輪郭が丸みを帯びている。まるで、昔の幼い頃の顔つきに戻ったかの様だった。
「あれ、俺こんな顔だったっけ…?ていうか……はぁ!?」
髪を触る自身の手を見ると以前より指が細く、手全体のサイズも小さくなっている様に感じた。また足も同様だった。そして、極めつけはここ3年間で鍛え続けた全身の筋肉に、以前程の硬さが感じられなくなっていた。
「お前……誰だ………?」
マキはあまりの出来事に驚き、鏡の前の別人の様な自身の姿に暫く空いた口が塞がらなかった。
マキは病室に戻って来たアラタに自身の身体の変化について話すと、アラタは「やはりか……。」とだけ呟き押し黙る。
「あの、俺一体どうなってるんでしょう……?」
「すまない……。私にもまだよく分かってない状況なんだ。少なくとも考えられる事としては、果実を2回取り入れた事、もしくはあの黒い果実の影響が考えられるんだけど……。」
「そうか……。」
「まあ、そう気に病んでも仕方ないよ。昔の野生味ある感じもよかったけど、今の可愛らしい感じも結構……」
「可愛らしい……?」
「……いや、なんでもない………。」
「うーん……。まあでも、こうなっちゃったもんは仕方ないよな!?たとえ筋肉が落ちてもまた鍛え直せばいいだけだし!」
[気にする所、顔じゃなくてそこなんだ。]という言葉をアラタは押し殺した。
マキは両頬をパチンと叩くと、アラタの方へ向き直る。
「アラタのおっちゃん。」
「ん、なんだい?」
「その、養子の件だけどさ……。俺に新しい父親が出来るっていう感覚がまだよく分からないんだ……。けど、この身体の事もあるし、学校の入学までにまた自分を鍛え直さなきゃいけない。……だから、入学まででいいからさ、俺をおっちゃんの家に住まわせてくれないかな?」
マキの真剣な顔に、アラタは微笑み頷いた。
「分かった。養子の事は忘れてくれて構わない……。だけど、家には気が済むまで居てくれていいからね!」
「……ありがとう。アラタのおっちゃん!!」
マキとアラタは固い握手を交わした。
退院の日。
アラタの付き添いでマキは病院を後にした。それから彼の車で向かう事30分、アラタの家に着いたマキは、現在彼と共にドアの前に立っていた。
「ほら、ここが今日から君の暮らす家だよ。」
「俺の家……。」
マキは自分の暮らす「家」というものに未だピンと来ていなかった。孤児時代は床と寝床に藁を敷き詰めた簡素な小屋で大勢の子供達と寝食をともにしていたが、自身が余所者であったがために「家」だと認識してはいなかった。また、それ以前は屋内外を転々と回っていた為、これといった家がなかった。家があったのは、両親が共に生きていた帝都時代の話だが、余りその頃の家での生活を憶えてはいなかった。
(でも、なんか悪い気はしないな……!)
マキは無意識に顔を綻ばせながらドアを開けた。
すると、玄関の前には待っていたかの様にこちらをじっと見つめる少女がいた。
「……誰………?」
「アラタ、こいつがマキか?」
「ああ、森羅真希君だ。仲良くするんだぞ?」
「ふーん。……話には男と聞いていたが、そうだな……まだ第二次性徴期前という事か……?だが、それにしても……。」
少女は赤縁の眼鏡かけ直すと、靴を脱いで家にあがったマキの周りをぐるぐると回りながら、じっと観察されていた。
「あの、アラタのおっちゃん?こいつは………」
「マキ君には伝え忘れていたな。この子は僕の娘の『久遠寺華』だ。これから仲良くしてやってくれ。」
「仲良くといっても……」
「ふむ……体臭も特に変わった所は無いようだな……。」
「ぐゎ!?首の匂い嗅ぐな!気持ち悪い!」
「よし、次は脱げ。」
「は……?」
「ほら、さっさとしろ。」
「………ひぃ!?触るな!寄るな!離れろー!!」
ハナはマキの服の袖に手をかけると、マキは顔を赤くし部屋の奥へと逃亡した。ハナはマキを急いで追いかける。
「おい!まだ観察の途中だっ!逃がさんぞ!!」
「だから来るなって〜!」
そんな2人の様子を見て、アラタは「どうか仲良くしてくれよ……!」と苦笑いしながら呟くのだった。