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プロローグ


 朝、旅先の宿で目が覚めたら、私は男性になっていた。


「……えっ? ええええ~!?」


 鏡の前での大絶叫のあと、「なんで?」「どうして?」を繰り返すこと数十回。

 赤くなるほど頬をつねること数回。

 パニック状態の頭を落ち着かせるのに掛かった時間と神に祈りを捧げた時間、合わせて約一時間。


 そして私は、ようやく現実を受け入れた。



 ◇



「……おはようございます」


「あら、()()()さんかい? おはよう! 昨夜は、よく眠れたようだね」


 宿屋の女将が、丸っこい体を揺らしコロコロと笑っている。

 女であるはずの私が男になっているのに、彼女が不思議に思わないのには理由があった。

 故郷を出てから早や十日。

 王都を目指し旅をしている私は女の一人旅ということもあり、背中まであった長い髪を肩先まで短くして帽子を被り、さらに男物の服を着て男装をしていたのだ。


「はい、おかげさまでよく眠れたのですが、少々体の具合が……この村に、お医者さまはいますか?」


「残念だけど、こんな田舎の村に来てくれるような酔狂な医者はいなくてね……でも、お薦めの薬屋ならあるよ」


「それって、もしかして……『コンフリー薬房』ってところですか?」


「おや、よく知っているね。店主は若いけど、薬がよく効くと評判なのよ。ただ、彼はちょっと愛想が……」


「…………」


 (わら)にもすがりたいほど切羽詰まっている私には、『(なんじ)、この店に行け』という神の啓示としか思えなかった。

 

 昨日、乗り合い馬車に乗っているときに、急に喉の調子が悪くなった。

 声が出にくくなり「ん゛ん゛ん゛~」と唸っていた私を見兼ねて、乗客の品の良い中年女性が「ちょっと苦いけど、喉に良く効くから」とくれたのがこのお店の薬だ。

 厚意からとはいえ、知らない人からの貰い物を口にするのは躊躇ってしまう。

 そんな私に、「変な物は入っていないから、安心して」と目の前で飲んで見せてくれたので飲んだ。

 たしかに薬は良く効き、喉の違和感はすぐに無くなったのだった。

 

(これは、行くしかない!)


 すぐさま女将から店の場所を聞き、私は朝食も取らずに店へ向かった。



 ◇


 

「ここか……」


 私の目の前には、ツタに覆われた古びた一軒家がある。

 ここは元々空き家だったが、一年前くらいに突然ふらっと村にやって来た店主が外観を一目見て気に入り、建物を修繕して薬屋を開業したそう。

 宿屋の女将によると、「店主は、店が開いていても朝は店内に居ないことが多いから、大声で呼びかけて」とのこと。


「ごめんください」


 ドアを開けて声を掛けたが、薄暗い店内に人影はない。

 至る所に吊るされた薬草の匂いが、辺り一帯にたちこめている。


「あの! どなたか、いませんかー?」


 教えられた通り大声を張り上げると、しばらくしてトントンと階段を降りてくる物音が聞こえた。


「……そんな大きな声を出さなくても、聞こえているよ」


 欠伸をしながらやって来たのは、眼鏡をかけたひょろりと背の高い男の人。

 手に持っていた布で外した眼鏡を拭きながら、チラッと私のほうを見た。


「……で、どこ?」


「はい?」


「頭、目、肩、腰、腹、足……どこか調子が悪いから来たんだろう?」


 彼は起き抜けなのだろうか。

 声がくぐもっていて少々聞き取りにくいが、私に不調の場所を尋ねてくれたらしい。


「えっと、どこかが痛いとかではなく、実は───」


「ただの冷やかしなら、とっとと帰ってくれ」


 彼はもう一度欠伸をすると、「もうひと眠りするか……」と言いながら店の奥へと戻っていく。

 何とも愛想もやる気もない人だが、今、私が頼れるのは彼しかいない。


「待ってください! 私は冷やかしじゃありません!! 急に男になってしまって、困っています。助けてもらえませんか?」


「…………はあ?」


 振り返った彼はすっかり目が覚めたようで、今日一番というくらいの大きな声を出した。



 ◇



「───で、朝起きたら男になっていたから、俺のところに来たと」


 店のカウンター席に座り頬杖をつきながら私の話を聞いていた彼は、「ふ~ん」と呟いた。


「この姿のままでは、王都へは行けません。どうか、元に戻れる薬を作ってもらえないでしょうか?」


 隣に座っている私は、神へ祈るように必死にお願いをする。

 ここへ来たのは神のお導きだから、彼ならきっと解決方法を見つけてくれるはずだ。

 根拠のない期待だけが私を突き動かしていた。


「まず、大事なことを先に言っておく。俺はそんな薬を作ったことはないし、そもそも作り方も知らん。以上!」


「そ、そんな……」


 実にあっさりと、私の期待は裏切られた。

 もちろん彼が悪いわけではないのだけれど、受けた心の衝撃(タメージ)は大きい。


「まあ、おまえが本当に女だったと仮定して……元に戻る必要があるのか?」


「どういうことですか?」


「男装するくらい用心しているのなら、このまま男の姿のほうが都合が良いと俺は思うけどな。これから、王都へ仕事を探しに行くんだろう?」


「それは、そうなのですが……」


 彼の言うことは正論だった。

 女の一人旅より、男のほうが道中の面倒ごとを避けられるのはわかっている。……が、男ではダメな理由があるのだ。


「でも、それでは困るのです! 紹介してもらった仕事ができなくなりますので」


「その仕事って、女じゃないと出来ないことなのか?」


「飲食店での接客です。待遇は保証すると言われました」


 故郷で知り合った旅人の中年男性に、『待遇を保証した王都での接客の仕事』と紹介状を手渡された。

 そんな旨い仕事があるわけないとは、わかっていた。でも、ある理由がありどうしても村から出たかった。

 私は悩んだ末に、これまで貯めたお金と身の回りの荷物だけを持って故郷を飛び出してきたのだ。


「待遇を保証した接客の仕事……」


 眉間に皺を寄せ急に険しい表情になった彼は、私へ視線を向ける。


「店の名前はわかるのか?」


「紹介状に、店名と場所が載っています」


 鞄から取り出し見せると、彼は「やっぱり……」と言ったあと笑みを深くした。


「たしかにここなら、待遇は良いだろうな」


「この店をご存じなのですか?」


「ああ、昔一度だけ知人に無理やり連れて行かれたからな。綺麗な服を着た女性がたくさんいて、男に酌をするような店……つまり、飲み屋だ」


「飲み屋、ですか」


 なんとなく予想していたこととはいえ、いざ現実となってしまうと戸惑いしかない。

 もし元の姿に戻れたとしても、お酒を飲んだこともない私に務まる仕事なのだろうか。


「それにしても……この紹介状が本物だとすれば、おまえは『男』ではなく本当に『女』で、それも、かなりの『美人』ということになる」


「えっ?」


「男になった今でさえ、『金髪の美少年』だもんな……ただし、恐ろしいくらい世間知らずだが」


 真顔でまじまじと顔を見つめてくる彼の視線に居たたまれず、私はそっと目を伏せる。

 わかっていながら、のこのこと故郷を出てきてしまった自分が恥ずかしくなった。


「紹介状を渡したのは、おそらく店の関係者だろう。あと、ついでに教えてやるが、ここは町によくある店とは違うぞ。会員制の高級店で酌はするが、あとは客の話し相手になるだけだ。客層は上流階級の者たちばかりで、金持ちが多い。接客しているのは、美貌と知性と教養を兼ね備えた女性たちだ」


「私はただの田舎者なのに、どうして勧誘なんて……」


「見込みがあると思われたんだろう。おまえは世間知らずの田舎娘?だが、話をした感じでは最低限の知性と常識はあるようだし、教養は後からいくらでも教え込めるからな。それに、おまえと同じように田舎から働きに来ていた子も店にはいたぞ。給金から家族へ仕送りをしたり、上客を捕まえて結婚をした子もいたようだ」


「そうなのですね」


 そんな話を聞いたら、少しは希望が見えてきた。

 もっと知性も常識も教養も身につけなければならないが、私も頑張ったら、王都で最低限の生活くらいはできるようになれるのだろうか。


(それにしても、お店へは一回行っただけなのに、この人は店事情にやけに詳しい気がする……)


「ゴホン……言っておくが、俺からは女性へ何も尋ねてはいない。知人からも『店で働いている子に、余計な詮索はするなよ!』と釘を刺されていたしな。俺はただ、彼女たちの話相手になってやっただけだ」


 私の表情を読んだのか、腕を組みふてくされたようにそっぽを向いた彼に、思わず笑ってしまった。

 彼女たちの気持ちは、今ならすごく理解できる。

 決して愛想の良い人ではないけど、彼はどことなく話しやすい雰囲気を持っているから、ついつい話をしてしまうのだ。


 日が高くなってきたのか、窓から差し込む朝日が眩しい。

 薄暗かった部屋の中はいつの間にか明るくなっていて、隣に座る彼の姿がよく見える。

 先ほどまで私は自分自身のことでいっぱいいっぱいだったから、真っ黒だと思っていた彼の髪色が本当は栗色で、眼鏡の奥の瞳は落ち着いた緋色であることに今はじめて気付く。

 少し長めの髪が、寝ぐせでボサボサなことにも。


「ところで、さっきから気になっていたが、おまえの瞳の色って……」


「えっ、瞳の色?」


 彼の顔が、ふいに間近にきた。

 さっき私のことを『美少年』だと言ってくれたが、そういう彼も涼やかな目元と薄い唇のなかなか整った顔立ちをしているのではないだろうか。

 もっと身だしなみに気を遣えば、格好良くなるのにな……なんて、余計なことまで思ってしまった。


「瞳の色が、どうかしましたか?」


「いや、なんでもない」


 私の瞳は、紺碧の海を思わせる『青』と、深緑の草木を思わせる『緑』を併せ持つ色だと父からは言われてきた。幼いころに亡くなった母の形見のペンダントに付いている色石と同じ色だと。

 光の加減によって青だったり緑に見える不思議な瞳だそうだが、鏡で見ても自分ではよくわからない。



「まあでも、王都へ行く前に店の正体がわかって良かったな。その体が戻るかどうかはわからんが、女に戻れたら故郷で以前の仕事を続ければ───」


「……故郷には、すぐには帰れません。さっきは出てきたと言いましたが、本当は……逃げ出してきたのです」


「おまえ()、いろいろと訳アリか」


「あの……私の話を、聞いてもらえませんか?」


「……俺が嫌だと言っても、どうせおまえは話をするんだろう?」


 私が迷わずコクリと頷くと、「さっきの話の流れで、嫌な予感はしていたんだよな……」とため息を吐きながらうなだれる彼の姿が見えた。



 ◇



 今さらではあるが、私たちはお互いに自己紹介をした。

 彼の名は『ビリー』で、年は私より四歳年上の二十一歳だそうだ。

 私の本当の名は『アンヌ』で、男装しているときは『アンリ』と名乗っていたと説明をすると、「普通は、もう少しかけ離れた名を付けないか?」と呆れたように言われてしまったのだった。

 


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