三話
「こりゃあ、医者より葬儀屋に行った方が早かったかもなぁ・・・」
診察所の主人はまさにお手上げといった様子で、血みどろで寝そべる男・・・ミノルの死体を眺めていた。
獣人の少女はまだ微かに息をしていた。ひとまずの応急処置として全身の傷をなるべく塞ぎ、失った右腕を止血する。意識は戻っていないが、容体は安定している。
ひとまず、彼女は一命を取り留めることはできるだろう。
だが問題はこの男だ。彼女が必死になって運んできたであろうこの男は、既に息を引き取っていた。
無理もない。全身に受けた創傷は深く、一部は心臓にまで到達している。喉は半分まで搔き切られ、骨だけでギリギリ頭がくっついている状態だ。これほどの重傷はまず、手の施し様がない。
しかし、寝息に混じり「ミノルさん・・・」と、恐らくその男の名を呟く獣人の少女を見て、やりきれない気持ちになり。主人はそこに意味もなく立っていた。
どうにかしなければ・・・
とりあえず手術台に男を乗せてはみたものの、主人は完全に固まってしまう。
ひとまずその辺にある薬剤や器具をいじってみるが、もちろん何かできるわけではない。
王国医療師でも呼ぶことでもできれば・・・あるいは・・・
だがそれは無理な算段だ。王国で最近誕生したという伝説級の医療魔術師への依頼金は、庶民が一生働いて稼げるかどうか、といった金額だ。
「すまない」それだけ言い残し、主人は手術室を後にした。
「いったい何があったのかしら・・・すごい傷だったけど」
「大方盗賊にでも襲われたんだろう。この辺りでは聞かない話だがな」
「物騒ねぇ・・・この子も小さいのに可哀そうに」
「やっぱり蜷局組の影響さね・・・・せっかく平和な時代になったっちゅーのに」
老夫婦は腕を失ったフミナを物悲しく見つめる。
「・・・王国医療魔術師にでも頼めればのぅ・・・だが彼らはいちいちこんな辺鄙な所までやってきてはくれん」
「何も・・・できんのかねぇ・・・」
「連れの兄ちゃんは息をひきとっとった。ひとまず近くの保安所に報告してから、この子達の身寄りを探そう」
「そうね、嘆いてもしょうがないわ。今は私たちにやれることをしなきゃ」
老夫婦は彼らなりに、やれることを前向きに模索しつつあった。
その時であった。すやすやと眠りにつくフミナが、パチリと目を開けたのだ。
意識が覚醒した直後、フミナは体に掛けてある毛布を引きはがし、乱暴に起き上がる。
だがすぐさま、痛みからその場に倒れこんだ。
「っ!目を覚ましたかい」
「落ち着いて、今動くと傷が開くでさ!」
「・・・さんは・・・」
「・・・え?」
「ミノルさんは・・・どこですか」
老夫婦は押し黙り、沈鬱な表情のまま目を伏せた。
彼は死んでいた。この子が必死になって、傷だらけになりながらも運んだ彼は、既に息絶えていたのだ。
きっとこの子にとって大事な、いや、それ以上の人間のなのだろう。
腕を失っておきながら、真っ先に彼の事を心配する、その反応が何よりの証拠だ。
その残酷な真実を明かせないまま、老夫婦は押し黙ることしかできなかった。
「ミノルさん・・・ミノルさんに会わせてください」
少女は毅然とした声で尋ねる。
まるで生きているのが当たり前であるかのように。そこにひとつも疑問を挟むことなく、
「ミノルさん・・・」
少女が老夫婦の顔を見渡す。悲痛に顔に皺を寄せ、何か言いだそうと、必死に口をもごもごしている。
そこから何かを察したのか、少女の瞳が一気に虚ろに染まっていく。
「うそだ・・・うそだ・・・・・」
少女の瞳がにわかに潤い始める。まるで決壊したダムの様に、彼女の目からは溢れんばかりの涙が流れ落ちる。
「いやだ・・・いやだよぉ・・・また・・・またこんなことに・・・」
老夫婦は何も言わず、少女の体を抱きしめる。
「・・・あああぁ・・・・あああああぁ・・・」
少女は泣いた。赤子の様に泣いた。近所中に聞こえるほど大きな声で、泣きじゃくった。
もはや言葉はいらないだろう。今はこの子の悲しみを受け入れる事しかできない。
老夫婦は優しく、温かく、衣を彼女の涙で染めていった。
いや、出て行きずらいわぁ・・・
主人が手術室を去り、誰もいなくなったはずのそこに一人の男が頭を抱えていた。。
服はぼろぼろにはだけ、髪はぼさぼさ。服は鮮血に染まっている。だが男の体には傷一つ付いていなかった。
男の名前はホリタ ミノルその人である。
この世界には、魔法、魔術の他に能力が存在する。
それは”アビリティー”と呼ばれる代物だ。
生まれた時の才能によって、それは決定する。
魔法や魔術の発動には魔力(生命力)を消費するが、このアビリティーの発動には基本的に魔力消費は伴わない。
個人がもつアビリティーによって発動条件や、発動上限が決まっており、常に発動するアビリティーもあるし、何なら無限に使用できるアビリティーも存在する。
種族と認定されていない、異形として産まれてくることも、アビリティーに分類される。
ちなみにその”アビリティー持ち”と呼ばれる存在が生まれる可能性は一万分の一といわれている。
最も、発現する時期に個人差があり、一概に定義づけることはできないのだが。
そしてこの男・・・ホリタ ミノルもアビリティ持ちである。
『デッドマン』と名付けたこのアビリティ・・・その名称は彼の能力に対しての、彼自身の率直な感想から付けたものである。
利点としては、第一に死んでも蘇る事。傷が治ること、痛覚を遮断できること。毒や体質軟化、催眠などのデバフにかからない事が挙げられる。
そしてデメリットは常に体温が低い事、食事に味を感じない事、そして何より・・・他人に知られてはならないことだ。
まるで・・・ゾンビの様に。
まぁ他にもさまざま特徴はあるのだが、ここでは割愛させていただこう。
このアビリティーはフミナはおろか、家族の誰にも明かしていない。なぜなら、もし情報が洩れでもすれば、大変なことになりかねないからだ。
不死の体を題材とした作品はいくらでもある。詳しくは上げられないが・・・ともかくそういった作品の人物は酷い目に合うと、相場が決まっている。
人体実験、食料化、軍事利用。
当然ながら、この能力は戦闘向きではない。身体能力は普通の人間のままだし、もし拘束されたりでもすれば成す術はない。
それに単純に・・・自身が半分死人であるという事実を、他の人間に知られたくなかった。
ともかくそんなわけで、ミノルはこの状況に手をこまねいていた。
完全に死んだと思い込んでる彼らの前に、違和感なく登場するにはどうすればいいか、思案を巡らせる。
(考えろ・・・考えろホリタ ミノル。お前ならきっとこの状況を打開する方法があるはずだ)
そして暫定的に導き出した方法は4つ・・・。
①逃げる
②素直に喋る
③家族を呼ぶ
④方法はない。現実は非常である
まずは一つ一つを実践することにする。まずは①の、この場から逃げる、という方法だ。
もしここから霧の様に消えることができれば、彼ら医者は怪しむかもしれないが、話しの広がりとしては、村の怪談話程度で済むことだろう。
どう考えても、これが最善策であるように思う。
その後、フミナと再会し真実を打ち明ければ・・・アビリティが知られるのは彼女だけで済む。
そして今更だが、フミナだけにでも自分のアビリティーについて話しておくべきだったと後悔する。
そうすればこんなことには・・・フミナが傷つく事にはならなかったのに。
ミノルの中に後悔と懺悔の念が噴出してくる。
・・・だが、今はここから逃げ出すのが一番だ。
彼女にはその後しっかり謝ろう。
事初めに、ミノルは手術室に外への出口がないかを探した。
この部屋は家の中でもかなり奥の方に設置されており、家の外に出るには、居間を必ず通らなければいけない。もしドアを開けようものなら、一瞬で見つかってしまう。
物音を立てぬよう、慎重に部屋の中を探っていく。分かりやすいドアはなくとも、隠し扉一つあってもおかしくはあるまい。
そんな時、道具入れの一角がゴトッと動いた。
(おっ、隠し扉か・・・?)
道具の奥にある壁を押してやると、そこが開くシステムになっているらしい。
ちょうど人ひとりが通れそうな、穴が現れる。
これが隠し通路ならば・・・という淡い期待は儚くとも打ち砕かれる。
それは只の物入れであった。いろいろと入ってはいるが・・・特に目を引くのは一枚の絵、裸の異性が交わる構図が描かれていた。
ミノルはそれを芸術品的観点からじっくりと観察する。無論、淫らな気持ちなど一寸も持ち合わせてはいない。二つの性という人間社会をを根本から分かつ要素がこうして融合するという一つの芸術を表す作品に感嘆の笑みをこぼした。だがなぜこの家の主人はここまでの素晴らしい作品を封印してしまったのだろう。そうか、とミノルは合点する。きっとこの作品は彼にとっての呪縛なのだ。そう、呪縛であって呪い・・・。推測するに、歳を召すことでもはやこれが必要になるという事はもはやないに等しいであろう。にも拘わらず、彼はこれを持ち続けている。つまり彼にとってこれは縁を切りたくても切れない、恋人のような存在なのである。つまり彼はいつまでたってもこの作品を処理するタイミングに巡り合えずにいるのではないか?。もし仮にそうなのであれば、代わりに自分がこれを処理するというのも吝ではない。何より永遠と日の目を浴びずにここに放置され続けるこの作品の事を思えばそれが不憫で不憫で仕方がなかった。そう、今ミノルを突き動かすのは一つの使命感、そう彼を作品への呪縛から解き放ち救済を行うという使命だ。
ミノルはその絵を懐にしまい、ふぅと一息ついた。
さて、ここに用はない。隠し扉を閉めた。
その後もさくさくと部屋の中を探りまわったが、抜け道のようなものを発見することはできなかった。
もはや①の、『逃げる』というのは不可能になったと言っていいだろう。
その時事である。ドアのすぐ近くから声が聞こえ、ミノルは反射的に身を隠す。
「・・・どうしても、見なきゃダメなのかい?」
「おねがいします。こうなったのは私のせいなんです。私が向き合わなきゃいけないんです」
「けど、正直言ってひどい状態さね。君は大きなショックを受けてしまうかもしれんよ」
「いいえ・・・とにかく・・・ミノルさんに会いたいんです」
フミナと主人の声だ。フミナの声は酷く憔悴している。
それほどのショック彼女に与えてしまったのか。ミノルの中で罪悪感が膨らんでいく。
「ごめんね、それはやっぱり一人の人間として、許可できないわな」
「・・・!なんで・・・?」
「葬式ってのは最後のその人にとっての最後の晴れ舞台さね。その人にとって一番美しい姿をみせなくちゃいけない。それまでの未準備の状態なんて、見られたくない物なんだ。フミナちゃんだって、何か中途半端な時に邪魔が入るのは、嫌だろう?」
「・・・・」
「だからね、亡くなった人の死に顔を無理にのぞき込むなんてこと、しちゃいけないのさ。大丈夫、近いうちに綺麗な死に化粧をしてもらって、会うことができるから・・・」
「はい・・・」
「それにね、多分ミノルさんも、フミナちゃんに死んでる顔なんて見られたくないよ。ね?」
うん。
「わかりました・・・ごめんなさい」
フミナが再び嗚咽を漏らし始める。
とりあえずよかった。ここで部屋に押し入られてたらわが身がどうなっていたかも分からない。
「・・・よかった。それじゃあ、いこうか」
ドアの向こうからフミナの悲痛に泣き叫ぶ声が聞こえる。
彼女が本当に不憫で仕方ない。不安な思いも、恐ろしい思いも十二分にさせてしまっただろう。
もし今、このドアを開ければ・・・
そうだ、もしかしたら・・・彼らに正直に話せば分かってもらえるかもしれない・・・
ドアを開け、驚愕する主人とフミナにに謝り、そして一言、
俺は不死のアビリティ持ちで、体は半分ゾンビなんです。
いや、それは無理だ。ミノルは頭を横に振るう。この世界で屍術は禁忌である。そのようなアビリティは黒魔術の類であると疑われかねない。もしそうなった際には世界中の研究者に追い掛け回され、二度と天下の道を歩けなくなってしまう。
それだけは、避けなければいけない。
ミノルはすんでのところで立ちどまった。
これで選択肢②「素直に話す」も消えてしまったわけであるが・・・。
最後に残ったのがこれ、③家族に呼ぶ だ。
これだけはしたくない。だから最後まで残しておいたのだ。
この手術室で目覚めた瞬間からこの方法が一番無難であると、うすうす気づいてはいた。
ゴブリンに襲われた時も、プライドが邪魔をしてこの手段を使うことは無かった。
だがしかし、状況が状況だ、致し方あるまい。ミノルは手元にあった切り札を使うことにする。
ミノルが懐から取り出したのが音符と呼ばれるマジックアイテム。
ちょうど1000札のような大きさと質感をした、紙である。
微量の魔力を込め、書いてある三つの紋章のうちの一つを指で押す。
すると押した対象の持つ音符に自身の声が届くようになる。30km程度の距離であれば余裕だ。
大方、携帯電話のようなものであろうか。バッテリーではないが、長い時間使えば燃え尽きる。
無論、庶民には手の届かない高級品である。
そして登録してある呼び出し先は三つ。親父、妹、母親だ。
勿論この三人ともこの世界に来てアビリティーを獲得した者たちだ。
それぞれが凄まじい能力を持っており、この世界には余りある程のものである。
ちなみに俺は家族に自身アビリティーは隠してある。まだ発現していないということにして、ずっとはぐらかしている。
兄貴のヒロシも何かしらアビリティーがあるのだろうが、見せてくれたことはない。
彼の事だ、一生使わずに今生を終えそうだな。相変わらず一言も喋らないし。
・・・というわけで、今から音府を使い、助けを呼ぶ。
呼び出す人間はもう決まっている。この状況においては適材だ。
手順通り音府に魔力を込め、対象の印を押す。
にわかに、音府が輝きを放ち隔たれた世界が二つにつながる。
声を抑えつつ、交信を開始した。
「・・・あー、もしもし、俺だけど・・・あ、門限やぶってごめん・・・・・・・・・うん・・・・・・・・・・・うん、ごめん・・・でさ、ちょっと困ったことあるんだけど・・・・あのさ・・・」
「え、場所?あー・・・・あのクルトのさ、いつも実を拾ってる・・・・そう、そこ。その近くの・・・・診療所?的な・・・・・・・・え?もう向かってる?わかった。んじゃ、はーい」
もう向かっていると言っていたが、家からここまではそこそこの距離がある。
最低でも二時間は見積もるべきだろうか。
それまでの間、死んだ人間が生き返っていると、主人にバレずに過ごせるか・・・ミノルは再び思案に暮れた。
しかし、それが杞憂であったという事はわずか五分後に分かる。
家の呼び出し鈴が鳴る。先ほどフミナという少女を寝かしつけた直後の事である。
「はーい、今すぐ」
妻が返事をして、玄関に赴く。診察時間外であったが、老夫婦は快く引き受けることにしている。
「おじゃましま~す」
そこに立っていたのは、この村には不相応なほど派手な衣装を身に纏った、女性であった。
すらりと伸びた黒髪を後ろで結んでおり、端正な顔をした美人である。
老夫婦は思わず一瞬目線がくぎ付けになる。恐らく上流階級の人間であろう。
だが一方で何となく面倒ごとの香りを感じ、主人は顔をしかめた。
「初めて来たのだけれど、素敵な場所ねぇ。まるで絵本に出てくる村みたいだわ」
「は、はぁ・・・」
その女性は、自由奔放にそこらの小物をいじったり、物を動かしたりを始めた。
物を持ち上げてはいちいち独り言のように、リアクションを取っている。
「なぁ・・・」
主人はわずかな苛立ちを込めて言う。
「貴族さんにわざわざ来ていただくような場所ではないこたぁ承知の上でさ・・・けどうちには入院している患者さんもいるんだ。できればおとなしくしといて貰えないものですかねぇ?」
主人はフミナの件もあり、僅かながら憔悴していた。
「あら、ごめんなさい、私としたことが目の前の事に夢中になってしまって・・・」
慌てて手に持った小物をもとの場所に戻す。貴族階級の割には軽い口調である、と主人は思った。
だがその謝罪にはしっかりと誠意を感じることができた。
「あ、あの・・・本日はどういったご症状で・・・?」
妻は恐る恐る尋ねる。見たところ健康的な女性にしか見えないが・・・・
「ふふ、今日は違う用事で参りましたの。治していただきたいのは私ではありませんわぁ」
「というと?」
女性は美麗な笑みを作ると、ドレスの裾を掴みお辞儀をする。
「お初にお目にかかります。私は王国直属医療魔術師、ホリタカオルと申します」
「お、王国・・・!」
「医療魔術師・・・!?そんな・・・!」
二人は膝を地面に着き、頭を垂れる。この世界においての、目上の者に対する最上級の敬礼である。
「大変失礼いたしましたでさ!」
主人が慌てて頭を下げる。田舎言葉は直らないままであるが。
「あらあら、そういうのは大丈夫よ~。お互い無礼講でいきしょう」
「いえ、しかしそういうわけには・・・」
妻が申し訳ないというより、困惑の色を覗かせた。
「お願いね、とにかくほら、そんな姿勢じゃあ話ずらいわ~」
女性は老夫婦二人を立ち上がらせる。そこに皮肉な味はなく、彼女の誠実さが伝わってくる。
「それにね、私だって平民出身なのよ~。貴族も平民もそんなに変わるものではないわぁ」
この世界において平民と貴族の身分の差は歴然だ。
貴族は平民に対してはいかなる犯罪行為も許容される。食事や医療機関を利用し、金を払わないなんてこともざらである。
「あの、この私めの無礼をお許しください! そのうえで救っていただきたい人がいるのでさ!」
「あら、もしかしたら・・・・・奇遇ですね」
「え・・・?」
「申し訳ないのだけれど、その子のいる場所まで連れて行っていただけません?」
予想外の提案に主人も妻も顔を見合わせ、目を丸くする。
老夫婦は彼女を、フミナが寝ている寝室へと案内する。心なしか、彼女はちらちらと手術室の方を気にしている様であった。
「入るよ、フミナちゃん」
寝室に入り、明かりに火を灯す。
フミナは先ほど同様、すやすやと小さく寝息をたてていた。
一見容体は落ち着ているようには見える。麻酔を打って何とか痛みを抑えてはいる状態だが、薬が切れたとき失われた右腕の痛みはどうなるのか・・・
「すみやせん、やれる手は尽くしたんですが、我々にはこれが限界で・・・」
カオルは痛々しく顔をしかめた。
フミナの体に触れ、傷の状況を確認していく。
「あの・・・せめて右腕の痛みをなくしてあげることはできやせんかね・・・?」
「それに関しては大丈夫だわ、安心して頂戴」
カオル老夫婦に、桶に水を入れて持ってくるよう注文する。
二人はうなずき、すぐさま桶いっぱいの水を用意した。
もはや彼女に先ほどまでのようなふわりとした雰囲気はなかった。
空気の変わりように、老夫婦は双眸を開く。
すぐさまカオルが魔法陣を展開する。部屋の中が光に満たされ、治癒の魔法が発動する。
「な、なんて大きさでさ・・・」
主人はカオルの展開する魔法陣の大きさに驚きを隠せない。
「あたしも三十年看護師してるけど、これほど立派なのははじめてねぇ・・・」
妻は輝き溢れる魔法陣に感嘆の声を漏らした。
僅か10秒後、カオルは魔法陣を解除する。
その治療の迅速さにも、老夫婦は度肝を抜かれた。
「本当にありがとうございます。お二人が適切な止血処理をしてくれなければ、この子は死んでいたかもしれない」
「めっそうもないでさ・・・私たちはただの田舎の診療医ですよ」
「いえ・・・お二人が正しく治療してくれたおかげで―――この子を完璧に治すことができた」
「・・・え?」
「ん・・・カオルおばさん・・・?」
目を開け、フミナが目を覚ます。まだまどろみの中なのか右手で瞳をこする。
そう、失ったはずの右手で。
「!?そんな、ばかな!」
「と、とても人間業じゃないねぇ・・・」
「―――魔術とは不可能を可能にするものです。そして医療に関して私に不可能はありません」
老夫婦は度重なる衝撃の出来事に、口をあんぐりとして固まる。
「この度は本当にお世話になりました。それと、ここで見聞きしたものは口外しないよう、お願い致します」
カオルはすっかり人が変わったように鋭い顔つきをしていた。
老夫婦はうんうんと揃って頭を振る。もし仮に口外したところで信じてもらえるとは思えないが・・・。
「本日は本当にありがとうございました。これは少ないですが恩赦です・・・さ、帰るわよ、フミナちゃん」
「ん・・・はい・・・」
カオルはフミナをお姫様抱っこの要領で抱き上げた。
「え・・・はい!?」
主人の手の上に置かれたのは金貨三枚。これは丸一年遊んで暮らしてもお釣りがくるレベルの金額である。
「こ、こんなにいただけませ・・・え?」
気づけばそこにカオルはいなかった、同時にフミナも霧の様に、消えていた。
「え・・・?は・・・!?」
「なんていうことだい・・・これじゃあまるで・・・」
「あぁ・・・あれはまるで・・・神様だったんじゃないさねぇ・・・」
二人だけになった家の中で、老夫婦は口々にありがたやと言い合っていた。
老夫婦が持ってきた桶の水は・・・一滴残らず消えていた。
「え・・・?」
村に夜明けが近づく中で、フミナはそこに光を見た。
「ミノル・・・さん・・・?」
何度も目をこすり、その姿を見つめる。
自分の頬に平手を放ち、今自分が夢の中にいるかどうかを確認する。
「私は今、天国に来てしまったんでしょうか・・・?」
「残念ながら、現実よ。フミナちゃん」
カオルは大きく嘆息すると、険しい顔つきのままミノルに近づく。
「で、でも・・・ミノルさん・・・死んじゃったはずで・・・」
フミナが瞳に困惑を滲ませる。ミノルはそんな様子を見て、気まずそうに後頭部を掻いた。
「そ?それじゃあ見てなさいフミナちゃん」
パァン!
乾いた音が響く。
ミノルが頬を抑えながら倒れこむ。あえて痛覚を遮断せずに平手を受けた。
「ほら、生きてるでしょ?」
「―――ミノルさんっ!!」
ほとんど同時にフミナが倒れたミノルの胸に向かい飛び込んだ。
「ミノルさんっミノルさんっミノルさんっ!」
「・・・ごめん、フミナ。心配も迷惑もいっぱいかけたな・・・」
胡桃色をした彼女の髪を撫でてやる。
「・・・もう一生会えないって・・・私のせいでまた傷つけちゃったって・・・うぅ・・・」
フミナはめちゃくちゃに泣きじゃくる。
「だぁら・・・もぉ・・・・どこにも・・・・うわあぁぁぁん・・・」
もはや言葉にならない嗚咽を口にしながら、ミノルの胸をポカポカと殴る。
「ごめん・・・ごめんな・・・」
ミノルはフミナを抱きしめる。腕にすっぽり覆われ安心したのか、気づけばフミナはむにゃむにゃ言いながら眠りについていた。
「さてと・・・それじゃあ帰ったらいろいろ聞かせてもらおうかしらね、ミノルちゃん?」
「へ・・・へぇ・・・」
「あなたの"アビリティ"について・・・とか?」
いつもの母の冷酷な目つきに、全身が粟立つ。
ゴクリとつばを飲み込み、ぎこちない笑みをうかべる。
「と・・・とりあえずありがと、母さん」
「そ」
カオルは指笛を鳴らし合図を出すと、上空の何かが辺りを陰で染める。
ばさり、とそこに降り立つ巨大な生物・・・現実世界では空想上の生物であったドラゴンだ。
大きさは全長10mをゆうに超すであろう。翼を広げればその威圧感に圧巻される。
「にしてもマジで・・・目立つなぁ~」
「さ、早く乗って」
「タクシー感覚で伝説の竜を使うんじゃねぇよ・・・たくっ」
夜明けが近づく辺境の村から、一匹のドラゴンが飛び立った。
太陽は段々と大地を染め上げていき、朱色の日の出をドラゴンは一身に浴びる。
そしてそれを目撃した村人によって、その村には竜伝説が伝承されることとなったのだが・・・。
「あ、そうよ言い忘れてたことがあるわ」
飛翔するドラゴンの背で、カオルが切り出す。
「・・・なんだよ。ついに小遣いを増やす気になったか?」
「違う、それを増やすのは十年早いわ。面倒な手続きが終わったことだし、報告することがあるの」
何だろう、てんで見当がつかない。
「私は・・・ここに来る前に、軽くあなたたちの木の実拾いのポイントに寄ってきました」
そこは、ミノルとフミナがゴブリンと戦闘を繰り広げた場所である。
恐らくそこには数々の死体が転がっているはずである。
「私も見立てが甘かったわ。 もっとあなたたちにいろいろ教えておくべきだったと思ってる」
「いやべつに、母さんは悪くねぇよ・・・」
助けを呼ばずにゴブリンの群れと戦闘をしようと判断したのは、ミノルのミスだ。
ミノルは今でもあの判断について後悔している。
「だからね、私決めたの。 あなたたちを広い世界に出すべきだって。 この異世界を生き残るうえでのノウハウを、自ら学んでほしいって」
「え、決めたって・・・何を」
「あなたたち四人には・・・・・学校に通ってもらいます」
「・・・がっこぉぉぉぉ!!?」
これが波乱の幕開けになろうとは・・・俺はこの時点で大方予想できていた。
―――続く