預真の事情とその異能
玄道預真には人の悪意や害意というような悪感情が見える。
それは先天的にではなく後天的に宿った超常的な力である。
小さい頃に一人の女性が引き起こした理不尽かつ身勝手な事件に巻き込まれたことによって得てしまった超能力だ。
得てしまった――としたのは、それを預真が望んで手に入れたのではなく、現在進行形で手放したいと思っている力だからだ。
そもそも、預真の視力が定義する悪意や害意というような人間の負の感情が、一体どのようなものなのかという前提の議論もあるのだが、それは、正義とは、愛とは、などという永遠に答えが出ないだろうテーマなってしまうので、この際どうでもいい。
問題はその結果。
常時、人の悪意が見えているという世界がどういったものなのか。身の回りの現実にあてはめて想像してみたら理解できるだろうか。
例えば友達ができたとして、ふざけ合いの度を超えた悪感情を察知してしまう。
例えば恋人ができたとして、彼女が犯してしまうかもしれない背信を暴いてしまう。
それは他人だけではなく身内にも言えることで、父親、母親、それ以外にも関わりある全ての人間がどんな瞬間に、どの程度、自分や他人を疎んでいるのかを全てさらけ出してしまうのだ。
器用な人間ならば見て見ぬフリもできるだろう。
むしろ社会を上手に渡っていくという一面では、これ以上ないほど至上の能力の一つとも断言できるのかもしれない。
しかし、知ってしまった相手の持つ悪感情は時に人の心に深い傷を刻みつけてしまう。周囲の環境によってはその力が自らを滅ぼす猛毒となり得るのだ。
本音と建前がベーシックな日本社会で心の一端を知ってしまう能力を持つ人間の安らげる場所は少ないのだ。
だが、幸いにも預真の母である聖香は、預真の宿った力を知った上で――生来持つ竹を割ったようなあけすけな性格もあるだろうが――上手く付き合ってくれていた。
それは彼女を育てた祖父母にも言える事で、自分は裏表の少ない彼等の性格によって辛うじて生かされていると預真は考えている。
友人にしてもそうだ。表面上はドライに見える右近との関係だが、目的に向かって忌憚なく悪意を向けてくる右近の本質を預真は気に入っている。
時折向けられるすがすがしいまでの悪ふざけも心地いいとさえ感じるほどだ。
度が過ぎれば毒となるのだが……。
けれど、預真がそれを口にすることは決してない。
恥ずかしいという本音も確かにあるが、それよりも、余計な情報を与えて、自然とにじみ出てくる彼等の個性が壊れてしまうのを恐れているのだ。
いや、右近の場合で言うのなら、本気で嫌ったとしても離れてはいかないと預真は知っている。
理由は単純明快。高嶺右近が異能という力の存在に憧れているからだ。
最終的には身に付けたいと画策しているといった方が正しいだろう。
こんな自分と友人関係を築いたのもそんな私欲が大きく絡んでいる。
これは本人からも聞かされているから間違いない。
打算的ともいえる関係だが預真はそれを有益であると考えている。
右近と付き合うことは即ち、自分に宿ってしまった力の秘密を暴くことの近道だからだ。
そんな右近の情報によると、今日の昼休みに偶然関わってしまった日向葵も同じような力を持っているのだという。
これも右近の企みとも思えるのだが、それは考え過ぎだろうか。
ともかく、日向葵は運命の赤い糸が見えるらしい。
中学時代に両思いと診断された男女の交際率は100%。ケースによっては結果的に結婚(年齢的に婚約という形になるのか?)にまで至ったカップルもいるらしく、彼女は愛のキューピットなどとも呼ばれ、1年女子ならず全学年の一部の女子から神格化されているとのことだ。
そんな冗談みたいな力がある訳が――と、実際に同じような能力を保有する預真には否定出来ない。
その根拠となるのが、右近が自分自身の欲求に従い発掘した三人の超能力者だ。
預真もその二人とは直接面識を持っているが、こうまで自分にそっくりな力を持っていると言われた人間は初めてだった。
真偽の程はつかないものの、その情報をもらった預真が無自覚にも葵に対してシンパシーを抱き、別件の理由と掛け合わせ、ついお節介を焼きたくなってしまうのも無理からぬことだったのかもしれない。