新聞部と三女神
そのぴっちり中分けのロングヘアーからして古いタイプの熱血教師に憧れでもあるのだろうか。担任教師の長い無駄話がメインのホームルームも終わり、それぞれが部活に補習にと動き出すクラスメイトと同じように帰り支度を整える預真は、背中越しに聞こえる声に振り向いた。
「それでどうしよっか。あの調子からして、すぐにでも葵ちゃんが来るかもなんだけど――待つのかい?」
自称ならずも情報屋の肩書を持つ右近は、暗躍とか暗躍とか暗躍などと入学以来何かと忙しい放課後を送っており、普段の帰りはほぼ別行動が多い。そんな右近が来るかも分からない相手を待とうかなんて声をかけてくるということは何かしらの目的があってのことだろう。
――しかし、さっきの今で名前呼びとは……この男も大概馴れ馴れしいな。
預真は昼休み以来のベイビーフェイスと比較してそう思いつつも、多数を占める探るような嫉妬含みの揺らめく視線を敏感に察知。溜息を吐き出しこう答える。
「別に待ってやる義理もないだろ。それよりも場所を変えないか」
そんなこんなで預真が連れてこられたのは、預真達の教室がある新校舎から渡り廊下でつながった旧校舎二階の角部屋。右近が幽霊部員として所属している新聞部だった。
正確を期するなら、部員が一名もおらず廃部同然だったディレクティブ部なるふざけた名前の廃部寸前の部に籍を置きながら、新聞部と提携しているというのが本当だ。
右近曰く、素直に新聞部に入ってしまうと、個人的に活動する情報屋としての立場から新聞部員にも迷惑をかけてしまうのかもしれないと、協議の結果、独自に集めた情報を提供するのと引き換えに、この場所と、ここにある機材と、それから人員を借りられる『提携』という立ち位置に収まったとのことらしい。
実際、新聞部の方も右近の情報収集能力を高く評価しているのに加えて、そうした方が新たな部を創設するよりも少ないながらも部費の面で有利となり、お互いにWINWINの関係になれるからとの契約だったらしい。
要するに学校内裏取引とでも呼べるものか、情報を扱う両者の利害が一致したといえばそれまでだが、この抜け穴のような部活動が悪しき慣習にならなければいいと預真は思っていた。
と、そんな心配は自分の考える事ではないか。
預真はいったん余計な思考を打ち切って周囲を見渡す。
部室内には取材の準備を整える新聞部の部員達が多数いた。ホームルームを終えてすぐ来たというのにも関わらず(無駄話で長引いたが)既に動き始めている新聞部員達を見て、預真はある種の関心をさせられると同時に、完全なる部外者である自分がいては邪魔にはならないのだろうかと若干の居心地の悪さを感じながらも、右近に促され、部室の片隅に設けられた小さな応接スペースに腰を下ろす。
「しかし、余程の事がない限り他人にかかわらない君が忠告だなんて珍しい。僕としてはそっちの方が気になるね。何?彼女みたいなタイプ女の子が好きなの?恋しちゃったの?」
身を乗り出して好奇心を剥き出しにする右近の態度に、たかが放課を一つ潰されただけのつきまといに大袈裟なと辟易する預真だったが、この程度の誂いでいちいち目くじらを立てていてはこの少年とは付き合えない。平静を保ちつつこう答える。
「少し似ていたんでな。気になっただけだ」
「似ていたって……ああ、聖香さんに似てるかもね。もしかして預真ってマザコンかい?」
「違う」
預真はその一言でのっけからフルスロットルだった右近の冷やかしを断ち切る。
決して声を荒らげた訳ではないが、真剣な色を感じ取ったのだろう。バタバタとしていた周囲は勿論。右近も無駄口を叩くのを止め、静かに次の言葉を待つ。
と、一つ息を吐き出し、
「一緒にいた眼鏡をかけた女子の方だ。彼女が纏う不満のようなものが『あの女』のそれと似ていたんだ」
預真の口から語られた気になるきっかけとなった人物が『あの女』と抽象的になってしまっているのは、周囲にまだ新聞部員が数名残っていたからだ。
しかし、預真に関わる事情を知っている右近だけは納得したようで、
「成程、確かにそれは気になるね……と、それはそれとして、いつもと違って美女に追い掛け回される気分はどうだい?」
とはいえ、後半の台詞にはどう答えたものか。普段から追い掛け回されたりしている原因は大抵が右近の所為だったりするのだが、そんな事実を指摘したところでこの男には馬耳東風であることは間違いない。
だからではないのだが目には目を強引な話題転換には強引さを――と、右近の戯言を黙殺。預真は別角度というべきか切実な問題について訊ねてみる。
「いつも以上に明らかな殺気みたいなのを感じたんだが、やっぱり日向葵が原因だよな?」
「葵ちゃんはこのウチの高校の三女神だからね」
「三女神?何だそりゃ?」
自然と漏れてしまった気の抜けた声に、右近は待ってましたとばかりにニンマリと口端を吊り上げる。
「現在、この高校に六人いる、言わば学園のアイドルみたいなものかな?」
学園のアイドルなんてものは空想の産物だと思っていたのだが、本当にそういうのがあるんだな。
そんな感想と平行して預真の脳裏に一つの疑問が浮かぶ。
「ん、三女神じゃないのか?」
三女神なのに対象者が六人もいる。名称と実数の差が気になったのだ。
「それはだね。君もゲームとか漫画で読んだことがあると思うけど、現在・過去・未来を司るノルンの三姉妹ってのがあるよね。ウルド・ヴェルダンディ・スクルドって言ったほうが分かりやすいかな。それに引っ掛けて、年に一回、ゴールデンウィーク明けの時期に新聞部が各勢力の有志を募って厳選した美女を独自に審査、その女神の名にふさわしい女の子決めてるんだよ。
で、今年、未来を司るスクルドにあたる女神に選ばれたのが葵ちゃんって訳さ。
因みに現在6人の女神が存在するのは、学年が上がって違う人が女神に選ばれたからであって、三年間女神に選ばれ続ける人もいるらしいから、本当に3人しかいない年もあるらしいよ」
成程――、つまり、その毎年やっているミスコンみたいなものに選ばれた女子を全て女神と呼んでいると、
しかし、その理屈で考えると過去の女神も選ばれるんだよな。
どんな選出方法があるのか知らないが、ちょっと失礼じゃないのか。
預真としてはそうも思わないでもないのだが、どちらにしても――、
「くだらない。というか、そんなの発表して女子からの反感とか買われないのか?」
長々とした説明を聞き終えた預真が断じる。
ミスコンみたいな投票ならともかく、審査する各勢力というのがどんなものなのかは知らないが、有志による審査なんていう独断と偏見が混じりそうな審査など不平しか招かないと考えたのだ。
だが右近は首を左右に振って、
「それは問題ないね。審査結果は新聞部の特別会員にしか公開されないようになっているから。それに、罰則は緩いけど秘密情報は可能な限り他人に話さないって規約になってるし、一応、表向きにも文化祭で同じようなミスコンがあるから、殆どの人がそっちの上位入賞者と混同してるんじゃないかな。それに、もしもそんなものがあるなんて女子に知られていたらゴールデンウィーク前に君が何か気づいたでしょ」
言われてみれば――、右近からの説明に納得させられかける預真だったが、思い直すのは、そんな極秘事項みたいなのを俺に話しても平気なのか?という疑問だった。
しかし、右近は「それも分かっているよ」とでも言うようにしれっとこう続ける。
「君にはこれから3年間お世話になるだろうからね。僕が特別部員の特権を使ってねじ込んでおいたんだよ」
いつの間にと預真が睨みを効かせるも、右近は特に悪びれもせず更に言葉を重ねる。
「まあ、そんな女の子を独占しているんだから恨まれても仕方ないよね。ただでさえ預真はいろんな面で注目されているんだから」
個人的な主観はどうあれ葵は女神と讃えられる女子である。多くの男子が嫉妬するのも分からなくもないと思う預真だったが、後半の台詞は聞き捨てならなかった。
「いや、そもそも注目されるのはお前が原因なんだがな。
それになんだ。あの浜中タイムズって、どう考えてもお前の仕業だろ」
「いやいや、名誉に誓って僕じゃないよ。それに葵ちゃんの時にも言ったけど二つ名を複数もらうなんて名誉なことじゃないか」
預真の文句に手を降って否定しながらも、右近の口調には熱がこもっていた。
「こういう二つ名ってのは男の勲章、男子一生の憧れだからね。それに預真は前からマフラー男なんて呼ばれてるよ。それよりかはカッコよくていいじゃないか。そもそもだね変なアダ名で呼ばれるのが嫌なら、別のところに特徴を出していったらいいと思うんだよ。例えばマフラーをデザイン性に富んだチョーカーに変更するとか」
確かにマフラー男なんてアダ名よりかは、浜中タイムズのがまだとマシなような気もするが、
いや、そうでもないのか。
しかし、その後の提案はどうだろうかと思う。
何故なら――、
「アクセサリー類は校則違反だぞ」
「本当に君って変なところで真面目だよね」
そもそも預真は自分でも異質だと理解しているマフラーの件と右近によるトラブルさえなければ、成績優秀、品行方正、無愛想ながらも意外と面倒見も良く、場合によっては委員長に選ばれるようなタイプの人間なのだ。
「ともかく、預真も葵ちゃんにつきまとわれて目立ちたくないのなら、僕みたいに相手の不安を解消してあげればいいんじゃないのかい?」
右近の発言に目を細める預真。
右近が言う「僕みたいに――」というのは昼休みの連中の事だろうが、武闘派の三年生がただ不安を解消されたくらいで手を引くというのは、胡散臭いにも程がある。
それにだ。右近の情報活動は基本的に営利によって立ち回っている。一銭の得にもならない助言に妙に乗り気な態度が気になるのだ。
逆に右近が積極的になるとするならば、興味を引く裏事情があるか、右近なりの正しさがそこに存在している筈で、
しかし、預真がそんな思考を疑問の形に構成するよりも早く、右近は自ら白状する。
「実は僕も前々から葵ちゃんの事は気になっていたんだよね。なにか接触する機会は無いかと思っていたんだけど。預真が関わってくれるのは都合がいいからね。出来ることがあれば協力するよ」
ぱっと聞くとそれは非常に男子高校生らしい話に聞こえるが、こと右近という人間においていうのならあり得ない。そもそも右近に女子とお近づきになりたいなどという下心があるのなら、自身が集めた情報を使って『説得』するだけでいい話なのだ。
「なにか失礼な事を考えてない?」
「企んでるのはお前だろ。何が目的だ?」
まるで思考を呼んだように口をとがらせる右近に預真が鋭く切り返す。
すると、そもそも隠すつもりは無かったのだろう。肩の力を殊更抜いた右近は手を軽く広げてわざとらしい降参のポーズを取ってから、ややしかめた表情をいつもの人を喰ったような笑顔に差し替えて言う。
「実は彼女――日向葵ちゃんは、君と同じような力を持っているかもしれないんだ」