後悔と自縛の黒線
事態が終息した部屋の中、使用目的は一つしか無いだろうと連想される円形のベッドに腰を下ろすのもなんだろうということで、立ったままで思いの外手の平の奥までめり込んだBB弾を摘出する預真の傍ら、錦織いじりを十分に堪能した右近が立ち上がる。
「さてと、灰になってしまった先輩は放っておいて、ほら、預真も声をかけてあげないと、君が助けたんだから、ここはバシッと決めるところじゃないのかな」
錦織をこんなにしたのはお前だろう。さっきから弾みっぱなしの声の右近が手を広げて促す先にいたのは放心状態の葵だった。
果たしてこの視線誘導は意図して行われたものなのか、図らずも扇情的な葵の姿を目撃してしまうことになった預真は、各方面というべきか、いろいろな意味で危険な格好で惚ける小柄な少女に脱いだ上着を投げ付け、非難の眼差しを右近にスライドさせる。
「それは俺の役目じゃないだろ」
「預真は本当にツンデレなんだから」
「茶々を入れてる暇があったなら、呼んできやがれ」
うりうりと肘で突いてくる右近を預真がキックをするフリで追い立てると、「分かってるって――」と右近は一言、半開きだったオートロックの扉から部屋の外へと出て行く。
と、その足元、預真は再びロックがかからないようにと、挟まるように転がしていた全裸を再認識する。
そういえば、この小久保という少年も含めた、隣の部屋で気絶もしくはふん縛られている他の連中はどうするんだ?
錦織だけに制裁を下しても、ここで行われたことを知っている連中が学校に残っていたのなら被害者達は安心できないんじゃないのか。
いや、それくらいの可能性を高嶺が忘れる筈がないか。
手を握開、預真が怪我の影響を確かめながら、物思いに耽っていたところ。
「呼んでくるって?」
何気なくかけられた声は、よちよちとこちらに歩いて来ようとする葵のものだった。
「友達なんだろ」
右近曰く、催眠スプレー(ようなもの)の影響が残っている葵の危なっかしい足取りに、『ここは手助けをするべきだろうか?』心配の目線を送りながら預真が答えていると、案の定、足をもつれさせる葵。
そんな葵を「危ないぞ」と抱きとめる預真だったが、
「おやおや、二人して何をしているのかなぁ?」
まさに狙ったかのようなタイミングで戻ってくるいやらしい狐面。
「五月蝿い。それよりも巻藤はどうした?」
変なところを見られた決まりの悪さから、早口になる預真に、「ハイハイ」と右近は適当な相槌を入れながらも、開いた扉の脇に避けて腰を折り曲げる。
「足元にお気をつけ下さいお姫様」
芝居がかったエスコートで入ってきたのは、純白のシーツをドレスのように体に巻きつけた詩音だった。
助けたばかりの彼女はほぼ全裸状態で目のやり場に困ったものだが、意外と手先が器用な右近の仕業だろう。おそらく安全ピンか何かで止めているだけなのだろうが、こうして見るとどこぞの舞踏会に出ても――とは言いすぎか、元々着ていた制服よりもこのマンションにはマッチしているように見える装いにチェンジしていた。
そして、そんな詩音の姿に歓声をあげたのは葵だった。
「詩音ちゃん」
先程までふらふらだったのが嘘のような動きで親友に飛びかかる。
以前に一度、葵のタックルを見せられていた預真としては、詩音のような大人しそうな女子が受け止められるのかと少々心配ではあったのだが、そのあたりは幼馴染が成せる熟練の技なのだろう。飛びつかれた方の詩音は上手く衝撃をいなしたようで、弾丸のように飛び付く葵を難なく受け止める。
「詩音ちゃんっ!!詩音ちゃんっ!!!!詩音ちゃんっ!!!!!!」
だが、喜びを爆発させる葵とは裏腹に詩音の表情は優れない。
その表情には戸惑いや後悔などの感情が渦巻いているのが見て取れた。
それも当然、何しろ葵の格好も含めたこの現状の要因となったのは、彼女の迂闊な行動になのだから。
本人もそのことを深く自覚しているのだろう。預真の視界には先日までとは別の、細く頼りない黒線が伸びているのが見えていた。
そして、その黒線が向かう先は葵ではなく詩音本人だ。
絡みつくように詩音の周囲に張り巡らされるその細黒線が表すのは、自分に抱く悪感情。つまり罪悪感だ。
後ろめたさに囚われた彼女が自分を責めるのは必然ともいえよう。
「葵ちゃん。あのね。私ね」
詩音なりに勇気を振り絞ろうとしているが、続く言葉が出てこない。
素直に謝るべきなのか、許しを乞うべきなのか。それとも、自分の失態にこれ以上関わらせないようにあえて突き放すべきなのか。
先走る感情が、答えの出ない思考回路が、詩音の言語機能にトライアンドエラーを引き起こさせる。
すると、何も言えないでいた詩音の胸に顔を埋めていた葵は、ともすれば逸らしてしまいそうになる直線的な眼差しをもって、眼鏡の奥で揺れる瞳を覗き込み。
「いいの。詩音ちゃんが無事ならそれだけで」
破顔一笑。葵が詩音を優しく抱きしめ、次いで耳元で囁かれたのはウィスパーボイス。
「おかえり詩音ちゃん。私の大親友」
それは優しくも都合のいい言葉だった。
葵にとっても、詩音にとっても。
正直、預真としてはこれで良かったのかとも思いもした。
だが、その時、葵と詩音の間を隔てていた細く弱々しい黒線が光の塵となり消えたのを預真は視認したのだ。
後悔の嗚咽が溢れ出し、崩れそうになる詩音の体を小さな葵が支える。
そこには怒りも嫉妬もわだかまりも、彼女達を阻む黒い感情は全て消え失せていた。




