表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/31

威を借る狐ととある少年の終着点

 ※対決パートです。長丁場なのでお気をつけを――。

「はぁ?なにが返してもらいましょうかだ。これはれっきとした不法侵入だぞ。警察を呼べばそれでお前達はお終いだ!!」


 語気を荒らげ殺気立つ錦織に預真は当惑していた。

 まあ、「アズマ君?」と心配そうな顔を向けてくる葵の有様からも緊迫した状況は伝わるのだが、教師の呼び出しを済ませた後、いなくなった葵に気付き右近へ連絡。説明もなしに直でこの場に呼びだされた預真としては、この状況がイマイチ飲み込めていなかったりするのだ。

 しかし、玄関で出会した素っ裸の連中と隣の部屋での惨状を見せられては見て見ぬふりという訳にもいなかいだろう。

 とはいえ、この男が午後の授業を使って仕込みに走ったんだ。細かい事情は任せておけばいい。

 状況に流されながらもそう結論する預真が何を言うまでもなく、それが自分の役目だと一歩前に出た右近がオーバーに肩をすくめて錦織の不遜な物言いに応じる。


「先輩こそ頭大丈夫ですか?先輩が警察に通報したのなら、確かに僕達は一時的にも不法侵入で捕まるかもしれませんが、隣の部屋の道具やら、あなたがしようとしていた乱痴気騒ぎを葵ちゃんや巻藤さんに白状されたら終わりなんですよ」


 脅しともとれる右近の指摘は妥当なものだった。

 何しろ錦織達は二人の制服を無理矢理脱がしているのだ。どのような言い訳を並び立てようにも申し開きは成り立たない。

 しかし、錦織の余裕は崩れない。

 彼は馬鹿にしたようにこめかみを指でつつきながら言う。


「それこそ頭大丈夫かって話だ。錦織に逆らおうとする人間がこの街にいる訳がないだろ。こっち『合意の上』っていう都合のいい言葉があるんだよ」


 どうやら錦織には祖父や父が有する権力への盲目的な自信があるらしい。

 預真も一度は同じ懸念したので分からないでもないとも思ってしまうが、今回ばかりは相手が悪すぎる。


「どうですかねえ。二人だけでなく、いやいや相手をさせられる人にとっては、このスキャンダルをネタにして、多額の慰謝料が請求できるとなれば、この街に住む必要も無いんじゃないでしょうか?」


 お前――と睨みつけるということは、それが可能かもしれないと言外に認めているようなものなのだが、すぐに表情をリセットした錦織はシンプルかつ効果的な対処方法を提言する。


「そういう奴には相応の対処の仕方がある。簡単な話だ。実力で黙らせればいい」

「忘れているかもしれませんから言っておきますが、肝心の実働部隊はこちらで全員確保してますけど」


 言うと右近はそれを示すように入ってきた扉をノックする。


「俺が動かせるのがアイツ等だけだと思ったか?」


 だが、錦織はそんな事実をつきつけられても余裕の笑みを浮かべ、携帯電話で何処かへ連絡を取ろうとする。

 けれど、少ししてから「ん?」と小さな疑問符を浮かべて、別の番号にだろう。電話をかけ直そうとしたところに右近からの声が飛ぶ。


「ああ、先輩がお小遣いやら女の子やらで私兵のように使っている警備会社の方でしたら、今日付け――じゃなくて、つい一時間前くらい前ですかね。突然の左遷が決まって、それどころではないかと思うんですけど。それとも、今吉署の岡田警部にですか?」


 図星を指され、危うく携帯を落としそうになる錦織だったが、すんでのところでキャッチ。ただ動揺は抑えられなかったようだ。ひっくり返った声で聞いてくる。


「錦織周辺の人事をどうしてお前が知っている!?」

「簡単な話です。僕があなたのお祖父様に会ってきたからですよ。さっきいいましたよね。実働部隊はこちらで確保しましたと」


 右近からの説明が理解できないようだ。錦織は何事かを反論しようと口を開くのだが喉の奥から出るのは単音ばかり。

 それは右近の午後の動きを知る預真にとっては、この期に及んでともいえる情報だったのだが、右近をたかが情報屋を名乗る高校生程度にしか認識を持っていない錦織としては耳を疑う情報なのだろう。

 なにせ話の中にあった錦織昴の祖父というは、引退したとはいえ未だ日本の政治に一定の発言力を持つ人物だ。一介の高校生がそんな人物と面会できるなど考えられないのが普通の感覚といえる。

 だがしかし、その相手が目の前の狐面となると話が違ってくるのだ。


「残念ながらコイツ。普通の高校生じゃないんですよ」

「人聞き悪いなあ。僕は友人に口を聞いてもらっただけなんだけどな」


 気だるそうに首を傾けた預真が流し目を向ける右近の言い分もその通り、ある程度の大人の力があってこそ錦織家での門前払いを防げたのだろう。

 だが、そんな相手を友達と呼べるこの少年も普通ではないのはまた確かで、


「なにか失礼なこと考えてない?」

「ショックを受けてる先輩の心の声を俺が心の中で代弁していただけだ。全くたまたまこっちに戻って来てたとはいえ、女帝だっけか?そんな風に呼ばれてる女社長を足に使う高校生なんてお前くらいなものだぞ」

「彼女にファンだって言われる君が言うかなあ」

「あの人は俺のファンというよりも、純粋に絵の中身が欲しいだけだろ」

「それはご謙遜だよ。きちんと君の絵の方も好きだと思うけど」

「何をごちゃごちゃ言ってやがる」


 二人が話していたのは極々プライベートなアルバイト(・・・・・)に関する話だった。

 確かにこんな場面でベラベラと喋られても苛立つだけだろう。

 だからではないが、こんな茶番劇はさっさと終わらせるべきか、そう考えた預真は頭を下げて本題に移る。


「すいませんね。まあ、そういうことなんで、さっさとソイツを離してもらえます?」

「どういうことでだっていうんだよ!?」


 万策尽きたか。近づこうとする預真から逃げるようにベッドに飛び乗った錦織は、スタンガンでもくらったように動けない様子の葵を引き摺り、ジリジリと後ろへと下がってゆく。

 そして、辿り着いたベッドサイドに備え付けのボタンをプッシュ。せり上がってきた収納棚から一丁の拳銃を取り出した錦織は、羽交い締めにした葵にその銃を突き付ける。


「おやおや物騒ですね。でも、モデルガンですよね。それ」


 それが本当に高校生のやることか、半裸の少女を盾に取りベッドの上に立てこもる錦織に、右近の口から苦笑が漏れるのは仕方のないことなのかもしれない。

 出入りしている探偵事務所で小耳に挟んだ話によると、近年発生したとある暴力団組織の分裂騒動によって、ピストルも一昔前よりも入手がしやすい状況になったらしいのだが、たとえ政治家の息子だとしても日本の高校生が気軽に触れられるものではないのは変わりない。

 断定ではなく確認。右近の発言はその事実を考慮したものではなかったのかもしれないが、どうやら、その推理自体は間違っていなかったようだ。


「なめるなよ。確かにこれはモデルガンだけど、限界まで改造してあるからな。スチール缶くらいは余裕で撃ち抜く威力は出せるんだぞ」


 一方、錦織の方もそれを隠すつもりはないようで、モデルガンであることを認めた上で、威力の証明の為か、壁から生えるアームで繋がれているモニターの一つを狙い、決して小さくない蜘蛛の巣状のヒビを作り出す。


 ――しかし、デモンストレーションにしても勿体無い。というか、


「隠れるなよ」


 先日の行いは忘れてはいない。預真が自分を盾にする右近に抗議する。


「いや、預真だったらあれくらい避けられるだろうし、動きに合わせれば当たらないかななんて思ってね」

「ハァ?当たらない?なに言っているんだ?」


 顔を覗かせる右近の発言を挑発と受け取った錦織は無造作に発砲する。


「――と、危な」


 弾道を先読みするかのように、預真はしがみつく右近ごと体を横に振って避けてみせる。

 と、その動きに錦織がモデルガンを連射。

 しかし、預真はその全てを難なく躱して、


「何で当たらない?」

「ほら、先輩。脇を締めて照準を使って、よく狙って」

「というか、お前はどっちの味方なんだよ」


 錦織が困惑と右近の誂うような声が重なり、預真が文句を飛ばす。


「だって、怒って狙われた方が避けやすいでしょ」


 確かにそれはそうなのだが……、

 ただ意味もなく狙われるのだとしたら話は別だ。

 更に文句を重ねようとする預真に右近が言う。


「それに、たくさん撃てば弾切れになるでしょ。さっさと終わらせるためにも、ね」


 ああ、そういう狙いもあったのか。

 無駄かに思われた挑発の狙いに納得する預真の一方でこの男が叫ぶように言う。


「お前達、俺に手を出していいと思ってるのか。俺はあの錦織太一の孫だぞ。お祖父様が一声かければ警察がお前らを許さないんだからな」

「許さないんだからな――って、さすがに政治家とはいえど私的に警察を動かすなんて無理でしょう。どちらかと言えば捜査される側なんですし、常識的に考えてみて下さいよ。僕ら、一応不法侵入しようとしていたんですから、誰の断りもなく来るわけないじゃないですか。きちんと先輩のお祖父様からの許可もいただいていますよ」


 ――いや、許可というよりも脅しだろ。絶対。


 頼みの銃も役に立たない。取り乱す錦織に身振り手振りを交えて反論する右近の態度はふざけているようにしか思えないが、こう見えて右近は人並み以上の正義感を持っていたりする。今回に限っては被害者も大勢いる事を考慮して、慎重な立ち回りに努めたのだろう。


「嘘だ。おじ――」

「嘘じゃありませんよ。先輩が撮り貯めた映像をちょっとお祖父様に見せたら快く協力してくれました」

「どうや――」

「どうやってですか?警備会社を過信していたのかな?それともあなたがパトロンをしている科学部の若葉先輩に監修してもらったセキュリティが完璧だと思ってたんですかね」

「ば――」

「まあ、こいつはこういう事だけは得意ですから」

「は、犯罪だぞ。犯罪。弁護士に連絡してやるから待ってやがれ」


 ことごとく台詞を先取りされた錦織が最終的に絞り出したのは以上のような遠吠えだった。

 最初に言われたことすら忘れてしまったのだろう。駄々っ子のように喚き散らす哀れな少年に右近が楽しそうに口ずさむ。


「訴えるなら訴えるでいいですけど。証拠はどうやって提出するんですか――ってこれもさっきいいましたよね♪」


 ――本当に悪趣味な男だ。


「とはいえ、さっきもチラッと言ってた実力行使とか、腐ってもボンボンなんだから。自分の小遣いを使っていろいろとやりようはあると思うけどな」


 錦織に同情した訳でもないが、何気に思いついたことを口にしてしまった預真は、右近の方から「どっちの味方なのさ」と非難を受けてしまうが、即座に応戦。


「お前の場合、そっちの方が面白いだろ。いきがってる相手を徹底的に叩くのが好きだからな」


 すると右近は少し考えてから「否定はしないかな」と目を細める。

 と、そんな間にも預真の助言にヒントを得た錦織が新たに連絡を取ろうとするのだが、二人は慌てることもなく、どちらかと言えば鬱陶しそうに額や腰に手を添えて、


「もしかして東京におられるお父様ですか?それとも今は海外のお母様?どちらにしても無駄ですよ。もう、先輩の悪行に関する全ての映像は、お祖父様の手配によって、お二方のみならず先輩に親しい方々に送らせてもらっていますから」


 代表して口を開いたのは右近の方だった。

 預真は特に何かしらの考えがある訳ではなかったのだが、右近が悠然としている以上、特に問題は無いのだろうという逆説的な信頼感からなすがまま任せていたのだ。


「そんな訳でこちらは君のお祖父様からのビデオメッセージです」

「お前達は何者だ?」


 何しろそれは元総理候補とまで呼ばれた錦織太一からのビデオレターだ。

 右近がケーブルのつながった携帯端末をポケットから取り出して淡々とメッセージを再生する途中、周回遅れの質問をする錦織の気持ちは理解できなでもない。


「だからさっきから言ってますよね。ただの高校生ですけど」

「どうだろうな」

「もう、なんなのさ預真、それじゃあ僕達が普通の高校生じゃないみたいじゃないか」


 水を向けられた預真の適当な相槌に右近はこう反論するが、少なくとも一般的な高校生と比べて右近の持つコネクションは一線を画していた。

 ただ同様に預真自身、人生経験という点で語るのなら、おおよそ一般からかけ離れていることは自覚している。


 だからこその腐れ縁なのかもしれないな。


 預真がそんな現状とまるで関係のない恣意に耽っている間にも、右近が用意したメッセージは終了したようだ。

 要約するまでもなくそのメッセージは絶縁宣言と呼べるものだったのだが、


「ふざっけんな!お前たち絶対に許さないからな!!」


 放たれた怒りは、頼りにしていた祖父に見限られたことに対してか、それとも追い込んだ右近に向けたのもなのか。錦織が取った――いや、取れたか――手段は先程までと変わらず情けない悪あがきだった。


「ええと、相変わらずの人質を取った籠城ですか?威勢のいいことを言った割に使う手段がありきたりですね」

「五月蝿い!!この部屋から出られればお前らは終わりなんだからな」


 がなり散らす錦織の顔には既に学校一の美少年という肩書は見る影もなく、隣室で寝ている男達にも劣る酷く矮小な人物像を映し出していた。


「おもちゃの銃なんでしょ。私はいいから」


 対照的に人質である葵の振る舞いは断固たるものだった。

 悪意に染まることはない毅然とした態度が、錦織から放たれるヘドロのような悪意の発光を退ける無色透明の壁ととなり、二人の間にくっきりとしたコントラストを浮かび上がらていた。

 だがしかし、葵の勇気が追い詰められてもなお鈍らない錦織の嗜虐に火をつける。


「うるさいな。君は黙っていればいいんだよ。さっきも言ったかもだけどコイツはスチール缶もぶち抜くんだ。瞼ぐらいは余裕で貫通するだろうから、目を瞑ったって無駄だっていうの」


 闇の中の瞳は焦点を失い、口からは浅い息と一緒に今にもよだれが零れ落ちそうになっている。切羽詰まった人間特有の反応が見える錦織の状況を知っていながら、いや、知っているからこそ、右近は平然と手を挙げる。


「盛り上がっているところすいませんが、それで錦織先輩はこの部屋を出てどうするんですか?」


 それは錦織にとって予想外の質問だったのだろう。

 へ?と空気が抜けるような間抜け声に右近が続ける。


「だって、人質を取ったってなにも変わらないじゃないですか、先輩はもうお祖父様に見限られたんですよ。どうするんですか?」


 右近が言外に告げるそれは逃亡者がまず最初にぶち当たる問題だ。

 今回の場合、警察は関わっていないもの、稼ぐノウハウを持たない高校生にとって、逃走を機に親族からのライフラインを絶たれるという事態はそれだけで死活問題だろう。

 しかし、錦織にとって右近の指摘は的外れだったようで、自信満々にこう切り返す。


「お小遣いはたっぷりあるんだ。数ヶ月くらい暮らすには問題無いよ。だから後は時間をかけてママを説得すればいい。お祖父様もママには甘いからね。ちょっと泣き落としすりゃすぐ許してくれるさ」


 幼児退行してしまったかのような錦織の口振りに、右近はがっかりしたように肩を竦める。


「最後はお小遣いとママが頼りですか。とんだドンファンですね」

「地獄に連れて行かれないだけマシだろ。まあ、被害者達の親がこの事を知ったらどうなるかは知らないがな」

「余裕ぶってないでそこをどくんだよ」


 二人の口から零されるため息混じりの言葉に、錦織はフラストレーションをぶつけるように銃を向け、道を開くように恫喝する。


「構わないが捕まるだけだぞ。なんていうか、この部屋の外には先輩の祖父さんが寄越した警備員みたいな人達がいっぱいいるからな」

「はあ?ド低脳かよお前。雇い主捕まえる訳がないだろ」


 預真の心配の声(?)を的外れと罵る錦織。

 だが、本当に頭が悪いのはどっちだろうか。


「預真がド低脳かと聞かれてしまったら。先日の中間試験の順位を見て下さいと答えるしかないのですが、またまた忘れていませんか。僕達はそんな警備の人を横目にここへ入ってきたんですよ。先輩こそ頭大丈夫ですか?」


 こめかみを指で指しながらした右近の注意は言い過ぎだったが違いない。事実、預真がこのマンションに到着した時には、既に錦織太一の口添えで既に固められている状態だったのだ。

 つまり、放っておいても錦織一派はこのマンションから外に出た時点で、一旦警備室に留め置かれる手筈になっていたのだ。


「なら何で入って来ない。僕に怪我させられないんだろ。だったら同じことさ。僕もそいつ達を横目にこのマンションから逃げ出せばいい」


 とはいえ、錦織の主張もまた事実で、例えクライアントの依頼だとしても、結局のところ警備員たる彼等も会社員なのだから、相手が有無を言わせない現行犯ならまだしも、ただの乱痴気騒ぎをしているようにも見える住人が相手では、会社への確認などをしなくてはならず、それでは時間がかかってしまうということで、預真達が前線に立つことになってしまった経緯があるのだから。

 だったら、どうして一介の高校生がこんな面倒な現場に立たされているのか?と問われてしまえば、それにはいろいろな事情が絡んでくるという訳でなく、


 ――高嶺の事だから自ら積極的に請け負っただろうがな。


 つまり、自分達は志願してこの場に立っているという状況なのだろう。現状の認識からそんな言い訳を脳内に走らせる預真の横で右近が虚空に向かって話しかける。


「――だそうですが、どうします?」

「誰と話している?」


 右近はその問い答える代わりに、科学忍者隊が被るヘルメットのようなミディアムヘアのおかげで見え難くなっている右耳のインカムを指で軽く叩いてから、胸ポケットのウェアラブル端末を取り出して、そのレンズを人質立て篭もり犯と化した錦織に向ける。


「先輩のご家族ですよ。最初からここでの顛末はお祖父様を含めた皆さんにネット配信されていますから、ええと――これもさっき言いませんでしたっけ?」

「聞いてない――ぞ!?」


 騙し討ちのような真実を明かされ、錦織の顔に明らかな焦りの色が浮かぶ。よもや今の状況がライブ中継をされているなどとは思ってなかったのだろう。

 しかし、右近の台詞を注意深く話を聞いていたのなら、その事実に気付けた筈なのだが、祖父を始めとする権力の上に胡座をかき、色欲がもたらす熱毒に浮かされていたのでは致し方ないのかもしれない。

 ともあれ、これだけの醜態を見せられてはさしもの錦織太一とて考え方も変わるだろう。


「悪いな。こういう奴なんだ。で、後は外の人達に任せてもいいのか?」


 錦織に同情を向けた後、預真が話しかけるのは右近だが、質問の真の受け取り手はその向こう側にいるだろう錦織太一だった。


「僕としては君の手で救い出してあげた方が感動的だと思うけど、ちょっと乱暴になっちゃうかもしれないからね。どうですかね?……あ、OKが出たよ」

「いいのかよ。というか本当に俺がやっていいのか?」


 正直、プロがいるのならそちらに任せた方がいいと考えていた預真だったが、相手側にも何かしらの考えがあるのか、元政治家のご指名とあらばいかなければならないなと思ってしまうのは小市民というもので、


「さて、見せ場だよ預真。囚われの姫は王子様が助ける。燃える展開じゃないか」

「王子でもなけりゃ。姫でもないけどな」


 お気楽に囃し立てる右近に背中を押されるように前に出た預真は、こんな状況下にあって微量の不満が向けられるのはどういうことだろうか?半眼を向けてくる葵にそんなことを思いながらも、


「それになにより彼女の安全の為にも君が行くのが一番無難じゃないのかな。まかり間違って葵ちゃんが撃たれて失明とかなんてことになったら後味が悪いでしょ」


 次いで放たれた右近の意見は否定出来ない。

 錦織家が用意した警備員だかボディガードも、相手が雇い主の関係者かつ人質を取っているとなれば多少の手心は加えてしまうというもの。

 そんな隙が大事故につながりかねない。

 錦織太一もそれを危惧したのだろうか。

 そんな卑怯で慎重な推測に行き当たってしまった預真は「なんでこんな面倒な事に関わってるんだ?」とブチりながらも、権力者ってヤツも大変だとばかりに頭を掻いて、葵を盾にベッドに立て篭もる錦織へと無造作に近付いてゆくのだが、


「近付くな!」


 当然の抵抗だろう。錦織はグイと葵を抱き寄せて、警告を思い出せとでも言いたいのか、これみよがしに葵の右目に銃を押し付ける。

 しかし、突きつけられた葵の方はそれは覚悟の上だと小動もしない。

 対して預真は――こういうのはあまり得意じゃあないんだけどな――と、心中の躊躇いがちな声とは裏腹に力強く言い放つ。


「アンタは終わりだ。最後くらいは格好良く引いておいた方がいいんじゃあないか。スバシッコ先輩」


 それは、口下手な預真にしては挑発的過ぎるとも思える台詞だった。

 それもその筈、これはもしもの時にと前もって右近から託されていた台詞だったからだ。

 すると、「誰がスバシッコだぁ!!」と、台本通りに殺意が走り、遅れて銃口が向けられる。

 しかし、カシャッとエアガンらしい射出音が聞こえた頃には、既に預真のいなくなった空間を弾が抜けていった後だった。

 相手の敵愾心を見るまでもない。預真は錦織が跳ね上げた銃が照準を合わせるよりも早く飛ばされる悪意の射線を読み取り、大きく横から回り込むような進路を取ることによって躱しただけだ。

 慌てて銃口をスライド。二度目を放とうとする錦織昴。

 しかし、いくらモデルガンとはいえ、それがトリガーアクションである限り、ごく僅かなレスポンスは存在する。ゲームのようにボタン一つで連射するのは不可能だ。

 軽微な重みのあるトリガーを再度引き絞る指の動きよりも早く、預真が葵を抱く錦織に肉薄する。

 だが、相手が人質と密着している状態では迂闊に手が出せない。

 ならばどうするか?それ対抗する策も右近に託されている。

 預真の左手にあるのは携帯電話だ。その頭には例のスタンガンもどきのアタッチメントが付いていて、預真はそれを葵を抱え込む錦織の腕に突き付けスタンバイ状態だった画面をタップする。

 常識範囲内の痛みという触れ込みの電流が錦織の神経を刺激する。

 それによって引き起こされる筋肉が硬直する無条件反射そのものが隙だと言わんばかりに、預真は錦織の腕を引き剥がす。

 と――、


「危ない!」


 葵の悲鳴と重なり、至近距離からの銃撃が放たれようとしていた。

 だが、そんな事は百も承知。そして、預真には錦織がどこを狙っているのか手に取るように分かっていた。

 なにしろこの近距離に加えて切羽詰まった状況だ。幾多の悪意に紛れる強い攻撃性くらい見間違える筈が無い。

 自分から威力を自慢していたというのに、容赦なく顔を狙ってくるところに錦織の性根がよく現れている。

 預真は意識上に顕在化した黒いレーザーサイトを遮るように手の平をねじ込ませる。

 果たして放たれたプラスチック弾は意識下に描き出された軌道を辿り、自慢するだけの威力はあったようだ。まるで釘でも撃ち込まれたかのような痛みが預真の手の平を突き刺さる。

 けれど、そんなものは予想していた痛みだ。どんなに鋭いものだったとしても我慢できる。

 預真は流れる血も気に留めず、弾丸が喰い込んだままの右手を腰に伸ばす。

 ポケットに引っ掛けられるように顔を覗かせるの輪っかは、こんな事もあろうかと隣の部屋で拾ってきた本格的な鋼鉄製の手錠。

 預真はそれをまるで早打ちガンマンのように引き抜くと、鞭を扱うかの如く銃を突き出す錦織の手首目掛けて振り上げる。

 ジャリッと小気味良い音を立てて手首に引っかかる手錠に、錦織は銃を持つ手はもう使えないと判断したか、空いている左手でベッドの上にあったスプレーに拾い上げる。

 おそらくこれは催涙スプレーの類だろう。

 葵が何かを言っているが集中する預真の意識には入ってこない。

 だが、問題はない。

 要するにこの手のタイプの武器はその噴射物を体内に取り込まなければいいだけだ。

 預真は引っ掛けた手錠がきちんとロックされているか確認しないまま。目と口をしっかりと塞ぎ、白い煙を撒き散らしながら跳ね上がってくる錦織の左手側ではなく、銃を持つ右手側に潜り抜ける。

 と、背後に回りこむ形になった預真の動きの所為だろう。錦織からファルセットの悲鳴が聞こえるが、


 ――知った事か、痛いのはこっちも同じだ!!


 その動きが原因となったか、床にスプレー缶が柔らかいベッドに落ちる。

 その極々小さな音を敏く聞きつけた預真は、目を開き、痛みで緩んだもう片方の手首を素早く見つけ、強引にもう片方の手錠を引っ掛け、いい意味でも悪い意味でも極端に肉付きの薄い背中を前屈させるように軽く押し倒す。

 そうしてようやく安堵の息を吐き出すと、その背後――、


「相変わらず見事な手際だね。さすがは捕縄術の名手火縄先生の一番弟子だ」

「俺が習ったのはただの護身術だ」


 安全を確認して歩み寄る右近に預真が文句を飛ばす。


「護身術で江戸時代から伝わる由緒正しい捕縄術を習う人なんて滅多に居ないと思うけど」

「お前が勧めたんだろ」


 そう、ここで披露した技術は、常時マフラー着用という悪目立ちする風貌から、日々絡んでくる不良たちに頭を悩ませていた預真が無償で覚えられる護身術のようなものはないかと、右近に探してもらった師に教えを乞うて身に付けたものだったりする。

 曰く、古くは江戸時代、罪人を取り押さえ尋問する目的で作られた武術らしいのだが、


「用途が用途だけに廃れるのはしかたないだろ。おかげでタダで教えてもらえるんだから文句は言えんが」

「いやいや、体系化してきちんとしたカリキュラムが作ったのなら習う人も出てくると思うよ。用途が用途だけにね」


 金の匂いがまとわりつく右近の呟きに、錦織の背中に膝を置き「これで任務完了か?」と訊ねる預真。

 そして、「そうだね」と答えた右近が続いて「で、処分はどうしましょう?」と問い合わせるのは、繋ぎっぱなしだった通信の向こう側に向けられたものだった。

 そして「はい――、はい――」と断続的に聞こえる殊勝なやり取りの後、


「こちらこそ、いろいろとご迷惑をお掛けしまして。はい、失礼します」


 錦織の処置が決まったのだろう。通話を切った右近は、後ろ手に拘束され床に伏した状態の錦織にニコニコ近付くと、その耳元で悪趣味に声を弾ませる。


「先輩よかったですね。お祖父様が直々にプランを組んだ海外留学(・・・・)で鍛え治してもらえるそうですよ」


 因果応報というべきか、哀れ錦織には絶望の道しかしか残されていないようだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ