無謀な少女とケダモノ達の主
詩音への蛮行を一時的に中断した錦織達が覗き込んだ小さなモニター画面には、メインターゲットとなる小柄な少女が映っていた。
「開けて、詩音ちゃんがここにいるんでしょ?開けてくれないと大声出すわよ」
息を切らし、必死の形相でインターホンのカメラを覗き込むその様子から、こちらの動きが勘付かれていると錦織は読み取った。
しかし――、
「どうして君がここに?」
「アズマ君の携帯電話に先輩達がここに詩音ちゃんを連れ込んだってメールがきたからよ」
錦織の質問は明確な答えが返ってくると思っていなかったものだ。
だが、葵から馬鹿正直に告げられた名前を聞いて「またアイツ達か」と錦織は心の中で毒づく。
しかし、スイッチ一つで周囲の監視カメラの映像に切り替えた錦織は、周囲に人影が見えないのを確認、そうした上で表面上は爽やかに見える笑みを浮かべ、会話を再開させる。
「それにしては君以外の姿が見えないけれど?」
「アズマ君は先生に呼び出されてたから、私一人で来たの――っていうか、そんなことはどうでもいいじゃない。詩音ちゃんを返して、大声出すわよ」
先程と同じで答えてもらおうなんて考えは毛頭ない。
だが、期待をしていなかったといえば嘘になるだろう。
――嘘を付いていると可能性は……無いかな。
予想通りの返答を受けた錦織は、葵から放たれる眩しい程の純真さに、打ち震えてしまいそうになる体を抑えつつ、捕食者の本性を目覚めさせる。
「それはちょっと困るなあ。そこで騒いじゃうと警備の人がきちゃうからね」
そもそもこのマンションは父親名義のマンションなのだが、本家とは違い、警備に当たっているのは錦織家が抱える人員とはまた別の警備会社の人間だ。大声を出したところで、すぐ側の警備室に連れて行かてしまうだけなのだが、錦織としてもそれは都合が悪かった。
「いま皆で楽しいパーティーをしているんだ。彼女は帰りたくなって言ってるけど……君はどうするのかい?」
「嘘を言わないで、アズマ君に届いたメールには、その、連れ込まれたって書いてあったわ」
「嘘じゃないさ。――考えてもみてよ。そんな事をしたら逆に僕がそこの警備員さんに捕まっちゃうよね?」
説得力があるように聞こえる錦織の指摘に葵が言葉を詰まらせる。
実際、連れ込んだのには間違いないのだが、葵のイメージするのはそこに無理矢理という前置きがつくものだろう。錦織はそんな葵の素直な思考を読み切った上であえてそこをついたのだ。
「君が何を聞かされたかは知らないけど、安心して、彼女はいま楽しくお茶をしているところだよ。よかったら君もどうだい」
優しげな語り口は葵を意図した決断へと促す誘い水だ。そう、まだ最悪の事態には至っていないという意味での誘い水。
「……分かりました、私が――、私が詩音ちゃんを説得するから中に入れて下さい」
「まあ、説得の方は無駄だと思うけど……。だって君達はいま絶交しているんでしょ」
「うぅ……いいから。入れて下さい」
「しょうがないなあ。じゃあ。そっちに迎えを寄越すからちょっと待っててね」
簡単な煽り文句にまんまと乗ってくる葵に「こんな単純なら最初からこうしておけばよかったかな」とインターホンを切った錦織は、唇をぐんにゃり歪め、8分音符が浮かぶくらいごきげんな声で背後に控えていた仲間達に指示を出す。
「じゃあ小久保君は葵ちゃんをこの部屋まで案内してきてくれるかな。ああ、あの眼鏡の子は用済みだから好きにしていいよ。一応、口止め用にいつもの部屋のカメラを録画モードにしておくから、モザイク越しにも顔バレが嫌だって人は、いつもみたいにクローゼットの中にあるマスクとかで適当に顔を隠しておいてね」
「「「「「りょ~か~い」」」」」
喜色で統一された唱和の背後、部屋の奥から鬱陶しい声が聞こえたような気がしたが、今の錦織にはどうでもいいことだった。
――ようやく。ようやくだよ。
最早、詩音の言葉など微塵も届きはしない。錦織はぞろぞろと詩音を連れて部屋から出て行く少年達に一瞥もくれずベッドに腰を下ろす。
それからそわそわと期待に胸を膨らませて待つこと暫く、小さな電子音が聞こえ、扉が開き「きゃあ」と短い悲鳴をあげた獲物が押し込まれてくる。
と、その直後、この部屋と外界を繋ぐ唯一の扉が閉められ、内側と外側からのオートロックが完了。二人だけの楽園が完成する。
葵が錦織の他に誰の姿も見えない室内と小さな施錠音を気にする素振りを見せるが手遅れだ。
錦織はベッドから立ち上がるなり手に持っていた携帯電話を軽く振って言った。
「今から素敵なメールを出そうとしてたところなんだけど。君の方から来てくれるなんて思ってもみなかったよ」
「やっぱりアズマ君達が言ってたことって本当だったのね」
小さな画面に移る詩音の姿を見つけたのだろう。葵のバランスの取れた薄い唇から零れ落ちた確認のような独り言は、何かを知っているだろうと錦織に思わせるには十分な言葉だった。
「詳しい話を聞きたいな。どうせだからベッドの上で話そうか」
葵は錦織の戯言に首を傾げ、だがすぐにきっと目を鋭く、それ以上に尖った言葉を投げつける。
「私が来たのは詩音ちゃんを返してもらうためなの。それが終わったら先生に先輩のことを言いつけてお終いなんだから」
それは錦織にとって都合良くもバカバカしい宣告だった。
何の対価も、本人の意志も関係なく、ただ返せというだけの理屈もそうなのだが、教師に報告すれば解決できるという甘すぎる考えが何よりも的外れに思えたのだ。
錦織昴の父親はこの地方を基盤とした国会議員だ。曽祖父の時代から続く政治一家で、この地方に絶大な発言力を持っている。母は平和活動家という肩書を持ち、それが故に大山高校には自分に逆らえるものがいないと錦織は考えていた。
事実、市立校としては珍しい攻撃的な教育理念を持つ大山高校の設立にあたっては、当時、市会議員だった錦織太一の存在も大きかっただけに、その考え方は一面では真実だろう。
しかし、それは一人の裏切者の存在で簡単に裏返るロジックだと錦織は気付かない。
いや、気付いていながら些末な可能性だと無視していた。
だからこそ葵の主張を鼻で笑い、不遜な態度で根本となる絶対条件を指摘する。
「そもそも君達は絶交したんじゃなかったのかな?友達じゃない人の話を、ええと――、彼女が聞くと思うのかい?」
それは一方的な絶縁を受けた葵にとってのウィークポイントだった。
だが、詩音の名前すら思い出すことのできない錦織の反論は、確固たる信念をを持つ葵の精神をへし折るには力不足だった。
「私は詩音ちゃんの友達のままだから――、私は助けに来たの。詩音ちゃんはどこ?」
葵が毅然と言い放つ。
しかし、そんな葵の強い態度が錦織の嗜虐を煽り、彼女に現実を見せてやろうというという下卑た企みを思い付くに至らせた。
いまの葵が助けに来た少女の惨状を見たらどれほど絶望するだろうか。絶望の中で全てを奪われてしまったらどうなってしまうのか。錦織はそんな暗黒に沈む葵を組み敷く自分の姿を想像しただけで達してしまいそうだった。
とはいえ、眼鏡の女が出て行ったのは今のさっきだ。
料理の支度が整うにはまだ時間が経かるだろうし、その間、暴れられても面倒だ。
だったら丁度いい。前に作ってもらった新兵器の具合を試させてもらおうかな。
錦織はベッドサイドに何かを探すフリをしながらも、気を抜いてしまえばよだれが垂れてしまいそうなニヤケ顔で訊ねかける。
「隣で丁重に預かってるよ。見るかい?」
「いいから。詩音ちゃんに会わせて」
「怖いなあ。女の子がそんなに大きな声を出すものじゃないと思うんだけど」
しかし、そんな錦織の態度が葵にはのらりくらりと躱しているように見えたのだろう。詰め寄る葵に錦織はしめたとベッドサイドにしまってあった小さなスプレーの中身を吹きかける。
「何をしたの?」
「クロロホルムって言えば分かりやすいかな?本当はなんとかエタノール?エーテル?だっけ、違う名前の薬品なんだけど、やっぱり漫画とかみたいに上手くはいかないなあ」
白煙を吹きかけられ口を抑えて咳き込む葵に曖昧な説明をする錦織。
これも学校の友人に作らせた防犯スプレーなのだが、やはり素人仕事か、完全に自由を奪うレベルには至っていないようで、ただふらつくだけに留まっている葵の状態を見た錦織は、
「やっぱりスタンガンの方が確実かな。でも、隣の部屋に取りに行くのは面倒だから、ここはベタだけど、布に染み込ませて直接吸わせてみようか」
スプレーを吸い込まないように口を覆っていたハンカチにスプレーを押し付け噴射。全身の痺れから逃げることもままならない葵の口にあてがう。
息を止めて抵抗する葵だったがそれも長くは続かない。
男の力で抑えこまれては逃げることもままならず、すぐに限界が訪れて浅く数回息を吸い込むと、徐々に抵抗する力も弱まっていく。
「あんまりやり過ぎると感度まで悪くなっちゃうらしいからね。程々にしておかないと、さて、隣の部屋でも見るかい?」
ぐったりとした葵を胸に抱いた錦織はそう言って、ただただ無邪気に微笑むのだった。




