尾ひれ背びれと呼び出しコール
午後になり、預真の所属する1年A組はいつもとはまた別の密やかなざわめきに包まれていた。
原因は言わずもがな昼休みのグラウンドで起きたあの事件、そして預真が常時身に付けているマフラーの下の真実についてである。
悪事は千里を駆けるというが、例えばそれが事実無根な噂だとしてもまた然り、本人にとって不都合だと思える噂が広まるのは本当に早いもので、預真が教室に戻る頃には新たに作られた噂話が既に届いた後だった。
他にも誰か右近と同程度の情報拡散能力を持つ人物がこの高校にはいるのだろうかと、預真が疑ってしまったくらいなのだから相当のことだろう。
とはいえ、噂話と言う限りはその殆どが憶測に満ちたものばかりで、尾ヒレ腹ビレどころか、背ビレ胸ビレ尻ビレを通り越し、一部では騒動後に突然早退した右近が復讐を画策しているとか、発端となった女子生徒が近いうちに消されるかもしれないなどと、勝手な空想にまで手を広げる者まで現れたくらいだ。
おそらく授業中にもSNSなどで雪だるま式にファンタジーを積み上げていたのだろう。
最早、原型を留めていない噂話により、授業中は無論のこと、放課の時間ともなれば気を使いながらも不躾な視線が否応がなしに浴びせかけられた預真は、本日最後の短い放課も例の場所に移動させられる羽目となってしまった。
だが、噂が及ぼした影響はそれだけには留まらなかった。
「玄道、この後、ちょっといいか?」
ホームルームの最後に付け加えられた担任教師からの呼び出しは、生徒指導室でなく職員室へのものだった。
声のトーンからしても注意とかそういう意味合いの話ではないだろうが、騒動があってからの呼び出しというだけで、噂はセンセーショナルな様相を呈することとなってしまうのが確定してしまったようだ。
明らかにざわつきが大きくなった教室の中、そっちから見ているだろうに、目が合ってしまう度に逸らされてしまう視線から逃れるように教室を出たところ。
「アズマ君。ちょっといいかな?」
どうして面倒事とはこう重なるのだろうか。教室前の廊下で預真を待っていたのは、申し訳無さそうな顔をぶら下げた葵だった。
五時間目の放課に預真が教室にいられなかったのは、影で女神の名を冠せられるこの小柄な少女を避けていたという理由も含まれる。
葵なりにこの騒動が自分の迂闊な行動から発展した事態だと考えて、直接謝りに来てくれているのだろうが、こんな衆人環視の中で学園のアイドルたる彼女に、良くない噂を多数抱える自分が謝罪を受けたとなれば、唯でさえ最悪の印象が地に落ちてしまうのは想像に難くない。
だからこそ5時間目の放課は先手を打って教室を出たのだが、例によって無駄話の多い担任によって帰りのホームルームが長引いてしまったが所為で捕まってしまったという訳だ。
とはいえ、すぐに立ち去らず、どうしたものかと考え込むのは彼女の監視を右近に頼まれていたからである。
曰く、早ければ今日にでも錦織が何らかのアクションを起こすだろうとの想定らしい。
しかし、その見た目とは裏腹に至極真面目な預真としては、教師に呼ばれた以上はすぐに職員室に出向かなければと当然のように考える。
――日向には悪いのだがここは、
「何か用事があるなら悪いが少し待っていてくれないか。黄色と黒い携帯が前ポケットに刺さったバッグがあるのが俺の席だ。昼の件でちょっと職員室に呼ばれているんでな。行くぞ」
傍から見れば明らかに不機嫌ともとれる。限りなく都合よく見たとしても素っ気ない預真の態度に葵は小さな体をしゅんと縮こませる。
預真としては悪気は無い。ただ誤魔化すことなく正直に答えただけなのだが、厳しい態度と取られても仕方のない物言いだった。
泣きそうな女の子を前にしたこの場面、本来ならば愛想よくフォローを入れる場面だろう。
しかし、現在進行形で受け続ける謂れ無き噂から、人付き合いがあまり得意でない預真に落ち込む女子を慰めるような気の利いた台詞をひねり出せるわけもなく。
――こういう時こそ高嶺の出番なような気がするが。
つい先日、右近が考えたのと正反対の主張を脳裏に浮かべながらも、教師を待たせる訳にはいかないと、生来の生真面目さを発揮した預真は「悪いな」と一言。いつもの元気をなくした葵を置き去りに教室を後にした。




