注意喚起とその対処法
「悪いようにはしないから巻藤さんのことは僕達に任せてくれないかな。やっぱり喧嘩中の葵ちゃんから直接言われちゃうと巻藤さんも意固地になっちゃうのかもだし」
「……高嶺君の言う通りなのかも、ごめんなさい」
古い表現で言うところのじゃじゃ馬娘への注意喚起といったものか。
戦慄の現場から離れ人気の少ない階段下に連れ込まれるなり、右近からされた軽い叱責含みの誘導的な説得に、葵は指先をイジイジと納得がいかないという風にしながらも頭を下げる。
自分から非を認めたのはマフラーに関する負い目があったのかもしれない。
謝罪を終えて、トボトボと歩き出すその背中には哀愁を誘われるのだが、これもいい薬だと、預真は葵の後ろをさり気なく追いかけながら、踊場での話を思い出したかのように隣を歩く右近に声をかける。
「それで、大口叩いたお前はどうするんだ?」
「ノープロブレム。ちゃんと手は考えてあるさ。将を射んと欲すればまず馬を射よ――っていうよね。つまり――」
「御託はいいから要点だけ話せ」
諺を絡めて勿体ぶる悪い癖を一刀両断する預真に、右近はぱっと手を開き。
「預真って意外とせっかちさんだよね。早い男は女の子に嫌われるよ」
「もともと嫌われ者だから心配するな」
いちいち余計な言葉を挟まなければ説明できないのか。
自虐的な台詞を口にする預真の棘の生えた台詞に右近は苦笑しながらもこう答える。
「分かってるって、僕はこれから彼のお祖父さんに会いに行こうと思うんだ」
ようやく寄越された本題に、一度は納得しかけた預真だったが、すぐに首をひねる。
その理由は、
「錦織のじいさんって確か元政治家だったんじゃないのか。そんな人にお前なんかが会えるのか?」
「なんかってちょっと失礼じゃないかなあ」
昨日、錦織の悪癖に絡めて聞かされた情報によると、錦織の祖父は大臣職まで務めたこの地方の偉人と言ってもいい人物らしい。情報屋を自称するとはいえ、一介の高校生でしかない右近ではアポイントメントを取ることさえ難しいのではないのか、そんな事実を改めて確認する預真の遠慮のない問いかけに、右近は少しいじけたフリをしてみせるも、
「確かにただの高校生が飛び込みで会ってもらうなんて普通なら無理だろうね。でも、今回は緊急事態だから、ちょっとくらいの裏技を使ってもいいんじゃないかなあ」
――そういうことか。
いや、預真には右近のいう裏技がどういうものかは分からない。
しかし、預真は高嶺右近という人物のことはよく知っている。
だから、右近の言うちょっとくらいの裏技というものが、どうせロクでもない方法だと容易に想像できてしまうのだ。
白眼視を向ける預真に右近は誤魔化し笑いを浮かべる。
「そんな訳で僕は早退するから、預真にはこのまま葵ちゃんの監視をお願いしようかな。巻藤さんのこともあるし、新聞部の先輩達にもフォローも頼んであるから、何かあったら僕への緊急メールがそのまま転送される設定にしておくよ。後は預真の判断でよろしくね」
真面目な預真にとって、自己判断で対処というのは、本音のところ、あまりしたくはない事である。
とはいえ、騙し討ちというべきか巻き込まれたというべきか、いつの間にか渦中に置かれたこの状況で今さら嫌とは言えないだろう。
預真は渋々といった風に首肯して、1つ質問を返す。
「それはいいが、本当に1人で大丈夫なのか?錦織のじいさんなんだろ?」
預真に右近について行こうなどという気は毛頭ない。ただ、あの親にしてこの子ありではないが、伝え聞く錦織の悪行と直接関わった印象から、その祖父たる錦織太一への印象もあまり良くないものだった。
加えて錦織太一が元政治家だという事も大きいだろう。
こう見えてというべきか、預真は毎日のニュースを欠かさず見るタイプであった。
テレビやインターネットから流れてくる昨今の政治状況にやきもきさせられる事も多く、政治家に対して少なくとも好意的に見られない土壌が預真の中に存在していたのだ。
しかし、右近は反対に楽観的な見方をしているようだった。
「一応、福祉事業なんかにも出資してたりとかして、高潔なイメージもあるし、僕が知る限りでは黒い噂も聞かないからね。大丈夫なんじゃないのかなあ」
逆に言うのなら、そんな人物の元に早退してまで押しかけるのはどうかと思う預真だったが、右近が急ぐからには何らかの動きを察知しているからなのだろう。
「何より、交渉には君には見せられない資料を提示しなければならないからね」
「いつのも禁則事項ってヤツか?」
「まあ、口が固い預真になら見せてもいいんだけどね。意外と紳士な預真にとってはあんまり面白い映像じゃないだろうし、なにより、ゲットした動画を使うことを了承してくれた女の子達にも悪いからね」
その口ぶりからして右近は例の映像を手に入れたに違いない。
アポを取れると言った自身の源はその映像か。
とはいえ、右近が見せるものじゃないと言う限り、相当過激な内容だったんだろう。
預真が会話の内容から読み取れる裏事情に思いを巡らせている間も右近の話は続く。
「孫というのは目に入れても痛くないと聞くけれど、本当に甘やかされて育てられたんだろうね。権力も三代続けば腐るのには十分な時間だったってことだよ。本当なら権力を持っているからこそ教育をしっかりしなければいけないんだろうし、本人も自覚しなきゃならないんだけれど、出来た人間なんてなかなかいないってものの良いサンプルさ」
こう見えて右近は、人並み以上の正義感を持っている。
まあ、それをジャーナリスト魂と呼ぶのかは分からないが、あまりに面白くない現実を浮き彫りにされ、珍しく火が着いているようで、おなじみの道化じみた笑顔の奥には薄っすらと青い炎を潜んでいた。
「そういうことで、もしかすると今日にでも動きがあるのかもしれないから、放課後に合流ってことで、それまで葵ちゃんの見張りよろしく。僕は彼にお祖父さん相手にちょっとしたお楽しみさ」
だが、それも束の間、基本的に右近は性悪だ。
すぐに真面目な気配を霧散させ、いつもの貼り付けたような笑顔を向けてくる。
「本当、悪趣味なやつだな」
「失敬な。常々いっているけど僕はハッピーエンド主義者だよ」
そんないつも通りのやり取りを交わす二人は教室へ戻る葵を追いかけるように校舎の中へ入っていった。




