新しい日常と高みの見物
決定的な決裂を迎えたその翌日、葵と詩音の関係は表面上はさして変わらないように見えた。
ただ入学以来、いつも一緒だった二人がそれぞれに行動するようになり、ギクシャクというよりも疎遠になっただけともいえる印象を周囲に与えた。
仲の良い友人達は心配したようだが、他の取り巻きと同じように錦織の側に寄り添う姿から、これもキューピットたる葵の手腕の一つなのかと、もともと目立たない詩音の性質もあり、気にする人間は少数に留まったようだ。
そして、その少数の中でも特殊な事情を抱え、彼女達の関係を注視する二人がいた。預真と右近だ。
二人がいたのは運動場を見下ろす校舎中央階段の2階と3階との間にある踊り場、預真は購買で買ったパックのカフェオレを片手に、右近は携帯をチェックするフリをしながらカメラのズーム機能を使って、グラウンドで下手くそな球蹴り遊びをする一団を眺めていた。
「どんな感じになってるんだ?」
「見かけ上は親友からただのクラスメイトにってところかな。高校に入って新しい人間関係が構築される際にままあるパターン。そんな感じだね」
しかし、預真が意図した質問は右近からの回答とは別のところにあった。
「そっちじゃなくてだな。巻藤が――ほら、アレするとか言ってた話の方だ」
どうにか言葉を濁して伝えようとする預真に、分かっているだろうに右近は「もしかして~」と悪戯者の森の小人かくやという風な顔を近づけて言う。
「告白のことかい?どうだろうね。巻藤さんがしたにしても、僕が調べた錦織先輩のこういう場合のパターンからして表面上は友達というか取り巻きを装わせて、裏側では君だけが僕の恋人だよ。とか都合のいい事を言ってキープしているんじゃない。巻藤さんのあの様子からしてあながち間違ってないと思うんだけど。逆に君の目から見たらどうなんだい?」
よくもまあそんな台詞を恥ずかしげもなく言えるものだ。
預真は白けた視線をそのまま下げて、右近の手元の携帯画面に映し出される錦織を応援する女子達に目を凝らす。
「どうだろうな。ぱっと見た感じでいいのなら日向に関する感情が若干解消されたようにも見えるけど、こればかりは本人とセットじゃないと分からないからな」
「恋は盲目とは言うけれど、単純だねえ。頭が良さそうに見えるのにね」
携帯画面を凝視する預真からの情報に右近を評価を添える。
預真は基本的に他人をあまり評価しない右近の反応に意外感を覚えながらも、意図せずして得てしまった、一般的な高校生よりも遥かに濃密な経験則からくる教訓を返す。
「見た目が九割、殆どの人間にとっては精神的な美醜なんて二の次だからな」
「確か第一印象が人間関係の構築に多大な影響を及ぼすなんていう説もあるけど、君が言うと説得力があるね。それで、彼の方は何か企んでると思うかい?」
右近は薄く開かれた瞼の隙間に情報屋としての好奇心を潜ませて、遠くグラウンドでまったりとPK勝負をしている錦織達へと視線を飛ばす。
「前にも言ったかもしれないが錦織の場合、周囲から向けられる嫉妬や殺意、苛立ちなんかの感情が多過ぎて、個人的な情報が読み取りづらい上に、錦織自身の悪意は画一的じゃないタイプだからな。相変わらず悪いことを考えているのは確かだが、その強弱や向けられる対象を観察してタイミングを測るのは難しいな」
酷使した瞳を労るように目頭を揉み解す預真の横で右近が「だね」と同意の首肯を返す。
「だがな。錦織の場合、そもそも強引な手を使わなくても女子の方から寄ってくるんじゃないのか?」
「いや、前にも言ったけれど、脅しという手段は確実に使ってるよ。預真もその身を持って知ったじゃないか。それに錦織先輩は自由になる女性よりも、嫌がる女性を強引にってのがお好みみたいだから、反発があればあるほど屈服させ甲斐があるとか考えているんじゃないのかな?」
右近が断言する限りその情報は真実なのだろう。しかし、預真はここにきてもまだ女子を相手にそんなことをする卑劣漢が自分の身近にいるなど想像ができていなかった。
「だからとは言わないけど、いつ何があってもいいようにくれるかい?僕もできるだけ手持ちのカードを増やしておきたいからね。ギリギリまでいろんな娘への説得を進めるけど。とはいえ、あまり猶予もないのかな」
右近の呟きはグラウンドから戻る途中の錦織に迫る少女の姿を見据えてのものだった。
「早速、出番が来たみたいだね。預真」
そして、肩に置かれた手に預真は不承不承の体で中身が無くなった紙パックを握り潰して、
「はっきり言って俺には関係無いと思うんだが、どうにも、向こうにとって俺達は鬱陶しい存在らしいからな」
「本当にツンデレなんだから。まあ、そんな預真の為にも早めに決着をつけないといけないね」
そんなお馴染みの掛け合いを交わしながらも、錦織達に接近する少女を追いかけるように、2人は階段を駆け下りるのだった。




