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預真の過去と泣き虫少女

 昔、あるところに小さな男の子がいました。

 彼は優しく真面目な父親と元気でパワフルなお母さんに囲まれ幸せに暮らしていました。

 一見すると非の打ち所のないような幸せな家族なんだけれど、あろうことか、少年の父親には妻の他に愛する女性がいたのです。

 少年の父親は普段は親子3人幸せな暮らしを、限られた時間で愛人の下で愛を語るというスリリングな二重生活を送っていました。

 けれどそんな生活が長く続くハズがありませんでした。

 ある時、彼の幸せがその浮気相手の知るところになってしまったのです。

 と、ここから先はお約束だね。

 浮気相手は自分の調べた事実を突きつけ、『奥さんと別れて私と結婚して――』なんてこんな感じで懇願したと思うんだ。

 けれど、身勝手な父親は幸せな家庭を壊すを嫌い、彼女との関係を精算しようと考え始めました。

 一方、その愛人となった女性には、愛しているということを大前提として、周囲との関係、将来への不安、もしかしたら結婚適齢期なんていう俗物的かつ差し迫った問題とかもあったのかもしれない。

 そのどれか、それともその全てか、はたまた男の態度から自分に訪れる結末を知ってしまったか、絡みあう複数の要因によって彼女は追い詰められていったんだと思うんだ。

 ある時、浮気相手は愛しの彼が暮らす幸せな家庭に訪れたんだ。その手に包丁を握りしめてね。

 目的は言わずもがな愛しの彼を奪う為って感じかな。

 インターホンに出た男の妻は当然驚く訳だ。

 そんな母親の悲鳴を聞きつけて、小学生の男の子は幼いながらに自分のお母さんを守らなきゃって思ったんだろうね。髪を振り乱して襲い掛かる父親の浮気相手に向かって体当たりをしたらしいよ。

 かくして母親の命を狙った一撃は飛びかかった少年によって防がれはしたものの、揉み合いの果ての事故か、それとも故意にか、裁判の上では偶然の事故ってことになっているけど。まあ、結果的に大怪我を負ってしまったのはまだ小学生だった男の子の方だったんだ。

 ざっくりと喉を縦に裂くように包丁が突き刺さったみたいだよ。それこそ肺の先っちょに突き刺さらんばかりにね。

 けれど少年はある意味で幸運だったのかもしれない。

 もしも、刺さった包丁の角度が少しズレていたら。

 もしも、彼女の使った包丁がよくあるステンレスの薄刃じゃなくて肉厚な出刃包丁だったのなら。

 そもそも刃物じゃなくて別の方法で殺害を狙っていたのなら。

 でもそれはもしかしての可能性にすぎない。

 結果的に全てのイフをクリアした彼女の刺突は奇跡的に致命的な臓器を避けて通り、少年は命を取り留めたんだ。

 僕はそこに何らかの力が働いているって考えているんだけど。これはどうでもいい話だよね。

 だけど、危機が去った訳じゃない。男の子の負った傷は重症で、犯人はまだすぐ側にいるんだから。

 でも、結果的に少年は助かった。

 母という生き物は偉大なものだね。夫の浮気相手が少年の首から包丁を抜き出した隙に、彼の母親は今一度息子目掛けて包丁を振り下ろさんとする浮気相手から少年を庇うように抱え、幾つか決して小さくない傷を追いながらも、命からがら隣の家に逃げ込むことに成功したんだ。

 その後、いつの間にか姿を消していた女の方も、隣人の通報を受けた警察によってその日の内に身柄を確保され、事件によって発覚した浮気を原因に両親はめでたく離婚。幸せな家庭は脆くも崩れ去り、母子二人は母方の実家で暮らすことになった訳なんだけど……。

 事件後、少年の体というよりか、彼が見る世界と表現した方が正しいのかな。その視界内に劇的な変化が起こったんだ。

 それはトチ狂った女性が生み出した怨念か、それとも一度は死に直面した少年の体が再び憂き目に見舞われないようにと発現させたものなのか。僕としては興味があるところなんだけど、残念ながら今日はそういう話じゃないから省略させてもらうよ。

 少年の視界には人間の負の感情、つまり『悪意』と形容できるものが映るようになってしまったんだ。

 それによって少年はいろいろと悩まされるようになるんだけど、これもまた別の話かな。

 まあ、ざっと説明するとこんな感じだね。

 要するに預真の力はとある女性が起こした事件をきっかけに目覚めてしまったものなんだ。

 だから、同じような危機を秘めていた君達の事が放っておけなかったんじゃないのかな。


 おしまい。と、預真に関する簡単な昔話をそう締めくくった右近は――よし、ここで預真がどうして二人を気にしているのかの理由をさっきの話を交えて教えてあげれば――と、頭の中の資料を確認しているかのように夕焼け空を見上げていた視線を左下へと滑らせる。

 すると、親友に見限られても踏み止まっていた葵の目元から滂沱の涙が流れているのを見つけてしまった。

 そして――、


「アズマく~ん。ごめんなざい」


 葵は恥も外聞もなく顔をくしゃくしゃにして大粒の涙を零す。見まごうことなき大泣きだ。


「あの、葵ちゃん?」


 預真の不遇な過去話に感受性が豊かな葵がどんな反応を見せてくれるのか楽しみだったのは認めよう。しかし、ここまで感情移入してくれるとは予想していなかった。

 右近としては、初対面がよくなかったのだと思われる預真に対する微妙な悪感情ををここらで一発軟化させ、仲良くしてくれたら都合がいいかな。などと目論んでいただけだったのだ。

 しかし、これではまるで自分が泣かせてしまったみたいじゃないか。

 いま右近が気にしていたのは、預真に対するフォローでも、葵を泣かせてしまったことでもなく。むしろ自分に集まる周囲の視線だった。

 今日は新聞部の情報交換会があって、帰宅部の下校時間とは多少ずれてはいるものの、自主的もしくは強制的に補習授業を受ける生徒や、放課後に気の合う友達と少しおしゃべりしてから帰るという生徒達もまだまだ多い時間帯、追記するなら葵は女神スクルドの名を冠す程の美少女なのだ。

 基本的にどんな状況でも見て楽しむ側に立つ場合が多い右近にとって、女の子を泣かせてしまった男という、明らかに注目を浴びる構図に置かれることはまず無いといってもよく、意外と女性の涙に弱いという一面もある。

 慰めようとは思うのだが、こういう状況でそれをするのは預真の仕事であり、右近としては手をこまねいて見ているしかない。

 しかし、そうしている間にも葵の涙は止まらない。それどころか葵は縋りつくようにして、


「私、ヒドいこと言っちゃった。ごめんなさい。ごめんなさい」


 一音一音に濁点が付いて聞こえる葵の泣きっぷりに「ヒドいのは君の顔だよ――」というジョークが脳裏を掠める右近だったが、相手は女の子だ。その台詞は場を和ませるどころかますます悪化させかねない。

 預真がいたのなら天罰だと言いだしそうなこの状況に、右近は面白いことになりそうだと考えてしまった数分前の自分を呪いながらも、


「まあまあ、預真は気にしてないから、取り敢えず泣き止んで」


 後でバレたら面倒だが、預真が同じ状況におかれたらきっとこう答えるだろう。自分本位な推考で葵を慰めつつ、袖を掴む小さな手を引き剥がし、取り敢えず涙を拭いてとハンカチを差し出す。

 受け取った葵はズビーっと鼻をかみ、すんすんと俯きがちに鼻を鳴らしてハンカチを返してくるのだが、

 女の子としてそれはどうなのかな?

 右近はかろうじて透明だった鼻水がねっちょりと付着したハンカチを受け取りそう思ってしまうものの、恨めしげに向けられる周囲からの視線に――もしやこれはマニアックな趣味を持つ彼女のファン達に高値で取引されるのでは――と思い直し、ハンカチに付着した粘着物を損なわないように、丁寧に折りたたんでポケットにしまった上で、どうにか葵を慰める対応策を考える。

 だが、その考えがまとまるよりも早く。


「やっぱり、私、謝らなきゃ」


 切り替えが早い女の子だ。幾分か泣いてすっきりしたのか、目の周りの赤みは酷いものだが、袖口で涙を拭った葵の大きな瞳にはいつものような強い輝きが戻ってきていた。

 とはいえ、こんな葵を預真に合わせてしまったら、いろいろ――主に秘密をバラした事の――な意味で危険過ぎる。

 右近はスライドショー的な場面展開から容易に想像できる叱責を受ける未来の姿に、どうにかしばらく二人を会わせないようにしなければと瞬考、弾き出したスケープゴートを提案する。


「葵ちゃんにはまずあやまらなきゃいけない人は他にいるでしょ。ほら、預真には僕から言っておくから。葵ちゃんは彼女のことを優先した方が良いんじゃないかな?」


 その提案は対応の先送りでしか無い上にそもそも彼女の心を傷つけかねないものだ。

 しかし、よっぽどの危険状態でない限り、自分が助かる為に多少の犠牲も厭わないというのが右近という少年である。

 後でフォローもしておかないといけないけれど。この提案が上手く作用したのなら、楽しくも興味そそられるこれからの高校生活を阻害する要素をまた一つ排除できるだろう。

 少し面倒が増えたけれど、その過程を楽しむのもいい。

 あとは錦織先輩達がどう動くにかかってくるけれど、こっちはこっちで説得工作を急がないとね。

 鼻水をすすり、決意を新たにする小さな背中を眺め、うっすらと性悪な笑顔を作る右近がいた。

 ◆


 あけましておめでとうございます。

 本年ももう一つの作品『集約世界のセーフショップ』共々よろしくお願いいたします。

 因みにURLはこちら → https://ncode.syosetu.com/n4521dv/

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