しょんぼり少女と異能の力
その日、部室の一部を間借りしている新聞部で毎週末に行われる定例会議にオブザーバーとして顔を出した右近は、その帰り際、ちょうど昇降口を出たところでしょんぼりと歩く葵の後ろ姿を発見した。
昼休みの出来事は預真から詳細な報告を受けている。
明らかに落ち込んでいると見て取れる小さな背中に、右近は心配というよりも興味本位。ワクワクと緩みそうになる表情を仄かな心配顔という仮面で覆い隠し取材をかける。
すると予想通り、そこにはいつも陽気に口元をほころばせる葵の姿は無くて、
「葵ちゃん?今日はウチの預真が粗相をしてごめんね」
「あ、高嶺君……、ううん。あれは仕方無いよ。アズマ君が助けてくれなかったら詩音ちゃんが怪我しちゃうところだったから。それよりも余計なことを言っちゃった私が悪いんだよ」
気のないフォローの後、右近の作った続きを促す間に、葵は寂しそうな笑顔を浮かべ応える。
「絶交って言われちゃった」
「それはそれは――、でも、どうしてなのかな?」
葵が醸し出す気易い雰囲気から思わずポロッと口から飛び出しかけた「ご愁傷様」という言葉を、マズイマズイと飲み込んだ右近は取材を続行する。
「先輩のこと、応援してくれないの?って、結局、アズマ君の言う通りだったかも、先輩に恋をしたら駄目なのに詩音ちゃんは聞いてくれなかった。ううん、違うか。私が言えなかったんだ」
「預真の戯言を信じろって方が難しいんだろうけどね。でも、葵ちゃんはよく先輩が危ないって分かったね」
話しながらもみるみる下降線を辿る葵のテンションに危機感を覚えた右近が話題を変える。
「えっ、危ない?」
きょとんとする葵の反応に右近は若干の違和を覚えながらも、ここまで言ってしまったからには隠すことでもないだろうと言葉を繋ぐ。
「預真に言われてね。ちょっと調べてみたんだけど良くない噂をいくつか聞いたから」
それって――と、葵の小動物を思わせる可愛らしい上目遣いに、確かにこれは女神に選ばれる逸材だ。右近は別のことを考えながらも並行して言葉を作る。
「女の子に聞かせるような話じゃないかもしれないけどね。どうも錦織先輩は女の子達を喰い物にしているみたいなんだ。ああ、言葉の通りじゃなくて比喩的な表現の方ね」
ピュアで見た目お子様な彼女にこの表現で伝わるものかと多少の心配をした右近だったが、深刻そうに俯くリアクションを見るに、葵が言わんとすべき事実を理解してくれたのだろうと覚る。
「助けなきゃ」
すぐに駆け出す葵を右近は見送るが、葵はほんの数メートル進んだところで力無く立ち止まってしまう。
そんな葵にゆっくりと追いついた右近は「どうしたの?」一応心配そうな声をかけてあげる。
だが、右近には葵の心情が何となく理解できていた。
――絶交された自分が今更なにを言っても無駄。なんて諦めているのかな?
心配そうな表情とは裏腹に葵の心情を分析していた右近に声が掛かる。
「私の話、高嶺君なら知ってるよね?」
葵の問いかけは情報屋の噂を聞いてのものだろう。
僕も有名になったなあ。右近はそう思いながらも頷きを返し。
「運命の赤い糸が見えるって噂だったよね」
真偽を探るような右近の言葉遣いは職業病のようなものだ。
しかし、葵からしてみたら疑っているように聞こえたのかもしれない。
俯きがちな呟きが返される。
「でも、噂――、なんだよね。私が言ってもの誰も信じてくれない。冗談だって思っちゃうみたい。詩音ちゃんも、他の友達も誰も本気で信じてくれた人はいなかった」
――言い方が悪かったのかなあ。落ち込ませちゃったみたいだ。
後になって失言を嘆いたところで時間は巻き戻らない。だから右近は己の失策を気にすることなく、一歩前へと踏み込んだ。
「僕は信じるけどなあ」
天を仰ぐようなポーズを取りながらの右近の声に葵が形のいい大きな目が開かれる。
だが、そのリアクションは右近にとってはある意味で納得のものだった。
友人すら信じてくれなかった秘密を一番疑いそうな人間が信じると言うのだから。普通の人ならすぐに誂っていると疑念を抱くだろう。
しかし、葵は確証もなければ人を疑うようなことをしない女の子だ。彼女のリアクションは単純に信じてくれると言われたことへの驚きが全てだった。
逆に言えば騙されやすいということなのだが、この場合、右近からしてみたら話が早くて助かるというものだ。
「身近に同じような能力を持った友人がいるからね」
「じゃあ、やっぱりアズマ君も」
勿体ぶるような右近の言葉に対する葵の反応は早かった。
もしかしたらと彼女なりに何か予感めいたものを感じていたのかもしれない。
預真は嫌がるだろうけど彼女になら話してもいいだろう。
――それに目的を達成する為にもサンプルは多いほうがいいしね。
右近は非道く利己的な思考を展開しながら、自分なりに葵が興味を抱くような言葉を選ぶ。
「とはいっても、預真のそれは葵ちゃんの力とは似て非なるものだけどね。むしろ反対側に位置すると言ってもいいと思う。葵ちゃんの力は人の恋する気持ちが見える。そんな解釈でいいかい?」
葵にとってこんな事を訊ねられたのは初めてなのだろう。自らの身に宿った不思議な力を体系化するような右近の確認に、理解がついていかなかったのか、葵は考えをまとめる間延びした声を口に乗せ、決して短くはない空白を挟みながらも言葉を作る。
「ただ好きって気持ちが見えているんだと思う」
それは幼い頃に誰かに言われたことなのかもしれない。少々幼稚な表現による返しを受けた右近は無意識に笑みを零していた。
「ハハッ、本当に間逆だね。けど、そんな力を持って預真のようにならなかったのは、そうとう出会いに恵まれたのかな?それとも目覚めたのは最近?」
右近はその笑い混じりの質問の意味が分からないという風な顔をする葵を見て、彼女の能力が生まれ持ったものであると確信する。
それと同時に、葵のその反応は周囲に愛されて育ってきたという証拠でもあった。
おそらく彼女はいま初めての挫折を味わっているのだろう。だったら尚の事、話しておいた方がいいのかもしれない。思いやりとか老婆心とかそういう感情ではなく。右近はただ純粋に、この類まれなる才能を持った一人の女の子がここで躓いてしまうのは惜しいと思ってしまったのだ。
「預真の力は生まれ持ったものじゃないんだよ」
えっ!?と驚く葵の声を聞く限り、自分の推測は正しかったと右近は核心を深める。
けれど、自分の口からどの程度まで話していいんだろうか。右近は一瞬悩んだものの、結局は自分の欲求に従う形で語り始める。
勿論「他言無用だよ」と最低限の口止めは忘れずにだ。