天才くんが『ぎゃふん』と言うまで
そのクラスには二人の有名人がいる。
一人は西園寺公孝。才色兼備、何をやらせても勝利を譲らぬ天才。
もう一人は佐原瑞樹。常に二番手どまりの秀才。
二人の関係は誰もが知るほど険悪であり、永遠のライバルとして、ずっと変わることはないと思われていた——
「おい西園寺!」
「……? はい、なんでしょうか佐原さん」
「お前のことが大嫌いだから、俺と付き合え!」
「はい?」
——その日までは。
「くっそ! あいつは本当に何なんだ!」
クラスメイト達は喚く瑞樹をちらりと見て、それからため息をついて側から離れた。
瑞樹の親友である相澤優が、それでも嫌々とばかりに瑞樹の前の席に腰掛ける。
「あいつって、西園寺くんのこと?」
「ああ!」
「あんた、また負けたのね」
「くっ、うるさい!」
そう、負けず嫌いの瑞樹が西園寺に勝負を挑むのも、そして負けて喚き散らすのも、いつものことなのだった。
「そこまでは別にいいんだよ! あいつ、勝った後になんて言ったと思う? 『僕が勝つのは当然です、だって僕は天才ですから』だぞ!?」
「あー……」
それが天才くんの唯一の欠点とも言えた。
自分が天才だという自覚があり、そしてそれを他人に隠そうとしないのだ。
それで瑞樹以外の人には殆ど嫌われていないのだから、逆にすごいといえなくもないのだが、と優は思ったが、言うのは止めておいた。
実際、バッサリ言われた方が下手に謙遜されるよりも案外好感が抱けるものなのだけど。
「ちなみに、今日の勝負は何をしたの?」
「ジャンケンだ!」
「……ジャンケンって天才云々関係なくない?」
「いやいや、ジャンケンというのは究極の心理戦だぞ?」
ふぅん、と優は曖昧に頷いた。
そんな反応にムッとしたのか、この日は珍しく瑞樹は優に迫った。
「おい、優も考えてくれないか」
「何を?」
「あいつに勝つ方法だよ」
「あら、あんた西園寺くんに勝ちたかったの?」
「当たり前だ!」
だんっと瑞樹は机を叩いた——が、痛かったのか無言で悶えている。
だったらやらなきゃいいのに、とクラス全員が思った。
佐原瑞樹。“頭の良いバカ”である。
「大丈夫?」
「うぅ、大丈夫だ……大事ない……」
「そう。で? 」
「ん?」
「負かしたいんでしょう? 西園寺くん」
「ああ!」
瑞樹は痛みを忘れたように拳をぎゅっと握り締める。
「負かしたいな! コテンパンに負かしたい! いや、ボロボロに泣かせるのでもぎゃふんと言わせるのでも構わないが」
「何でどんどんハードル上げてくのよ?」
まぁいいけど、と優はため息をついた。
「それで? 勝負ってどんなのがいいの?」
「そうだな、リバーシと五目並べとポーカーとブラックジャックはやったから、それ以外だな」
「……スポーツとかじゃないのね」
「そんなのにしたら、あいつに有利じゃないか」
「ああ、そう。まぁ、あんた一応、生物学上は女子だものね」
「普通に俺は女子だ!」
その喋り方でよく言う、と優は内心毒づいた。
が、逆に喋らなければ美少女なのだから、なんというか、うん、詐欺だ。
「しっかし、負かす、泣かせる、ぎゃふん、ね……ん?」
正直この時、優が瑞樹をいくらか面倒に思っていたことは認めよう。
直前に言った『生物学上は女子』という言葉が頭の中に残っていたのもあったかもしれない。
だけど、優はただの冗談のつもりだった。
「じゃあ、色仕掛けでもしてみれば?」
「は? 色仕掛けだ?」
「そうよ。恋の罠ってやつかしら。こう、惚れさせて、こっぴどく……なんてじょうだ」
「それいいな!」
「はい?」
冷静になって、冗談だけどと撤回しようとした瞬間、かぶせるように瑞樹は声を上げた。
その上、ちょうど西園寺が教室に入ってきてしまったのだ。
話をすれば何とやら、というやつかもしれないがタイミングが悪いことこの上ない。
どうにかして瑞樹を止めなければ、と焦る優を差し置いて、
「よし、早速行ってくる!」
「ちょっと、瑞樹!?」
次の瞬間、瑞樹は西園寺に迫っていた。
「おい西園寺!」
「……? はい、なんでしょうか佐原さん」
「お前のことが大嫌いだから、俺と付き合え!」
「はい?」
やっぱりこの子、頭いいのに馬鹿だー……と思わず優は頭を抱えた。
ええと、と西園寺は珍しく戸惑っていた。
普段からの無表情がうっかり崩れてしまっている。
「ええと、佐原さんって、俺のこと好きだったのですか?」
「いや、好きなわけないだろう。今、大嫌いだと言ったのが聞こえなかったのか?」
「聞こえたから訊いているのですけど……」
嫌いなのに告白。
しかも、それを本人に隠しもしない。
天才は凡人の思考を理解できないというが、それ以前の問題である。
しかし、瑞樹とて何も考えていない訳ではない。
恋愛に時間を取られるというのは、そう言えばよく聞く話である。
ただその場合、自分の時間も使われているというのはすっかり頭から抜け落ちている。
恋愛のせいで成績が下がるのもよく聞くな、などとも思っているが、自分の成績も下がりうるというのは以下略。
瑞樹は面倒そうにまぁ、と言った。
「まぁともかく、私と付き合ってくれ」
「その“ともかく”の中にどれだけの内容が省略されているのか、すごく気になるところではあるのですが……」
それだけ言うと無表情に戻って黙り込むので、瑞樹は答えを促すように詰め寄った。
「それで、返事はどうなんだ? いいのか、悪いのか」
「それは、付き合うかどうか、ということですか?」
「ああ」
「いいですよ」
「そうか、いいのか……いいのか!?」
西園寺はキョトンと無表情のまま首を傾げた。
「何を驚いているのです? 自分の頼んだことでしょう?」
「いや、自分で言うのも何だが、お前にメリットは一切ないぞ?」
「どうでしょうね? しかし、これが貴女がよく仕掛けてくる勝負の一環のようなものだということは分かってますよ」
「そうか?」
「ええ」
そう言ったところで、彼は口の端を少し上げた。
そんな表情も、彼には珍しかった。
「勝敗は、どう決めるのです?」
「む?」
「勝負なら、それを決めなければ話になりませんよ。時間制限とて、それによって変わりますから」
「そうだな……ならば、お前が『ぎゃふん』と言うまでだ」
「僕が?」
「ああ」
西園寺には隅で一層頭を抱える優の姿が見えたが、瑞樹は気づいていないようだった。
それでいい、と西園寺は思った。
「では、その条件で。よろしくお願いしますね……瑞樹さん?」
その翌日の朝。
西園寺がノートを集めて職員室に入った時、担任は優と話しているところだった。
ノートだけ置いてそのまま帰ろうとした西園寺だったが、おい、と呼び止められて振り向く。
「何ですか、先生」
「お前、佐原と付き合うって本当なのか?」
「ちょっと先生」
「ええ、本当です」
優が慌てるのにも構わず、西園寺は普段通り淡々と返した。
「へぇ、意外だな」
「そうですか?」
「そうだろうよ。お前、今までどんな女子に告られても断ってたって聞いたぞ?」
「ええ。だって好きな方が他にいますので」
「……もしかしてそれが佐原だとか言わないよな?」
「え、そうですよ? でなければ、勝負だとて付き合いません。もっとも、負ける気は無いですが」
ヒュー、と担任の男は囃すように口笛を吹いた。
優も同様にそうやってふざけられれば良かったのだが……。
ある予感がして、優は背筋に寒いものを感じていた。
追い討ちをかけるように、西園寺は薄らと口の端を釣り上げて優に笑いかけた。
「だから貴女には感謝しているんですよ、相澤さん。彼女と僕を結びつけてくれて——ありがとうございました」
「……どういたしまして」
「はい。では、僕は教室に戻りますね」
「お、ああ」
その姿が出て行くのを見届けて、優は内心、ほっと息をついた。
なぁ、と声をかけられて、はい、と答える。
「あいつ、実は絶対性格悪いよな」
「ええ、間違いなく腹黒ですね。にしてもどこからが……」
どこからが——必然?
瑞樹が勝つ方法を考えるよう優に迫るところは?
優が冗談で色仕掛けなんて提案するところは?
彼が、ちょうどそのタイミングで教室に入ってきたところは?
いや、そもそも、もっと前——西園寺が瑞樹に恋をした、その瞬間から、全ては必然だったのではないか?
優が感じた寒気の正体はそれだった。
恋の罠だなんてとんでもない、罠に掛かったのはおそらく瑞樹の方だ。
しかし、まぁなんにせよ。
「西園寺くんは絶対に『ぎゃふん』だなんて言ってくれなそうね」
「お前って、案外ドライな女だよな……」
「そうですか? わざと巫山戯て空気を変えようとする先生も先生だと思いますけどね」
「お前なぁ……」
「ちなみに聞いておきますけど先生、瑞樹たちのやった勝負、私と一緒にする気はありません?」
「丁重にお断りしておくよ」
「あら、残念です」