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【2】神さま、ハンバーガーを食べる



 青年は、ツカサという名前らしい。

 お店に行くまでの道のりで、簡単な自己紹介をされた。

 アリワラツカサ、二十歳。現在大学三年生。今日は学校のあと、バイトまでの時間をこの辺でつぶそうとしていたらしい。

 青年が連れていってくれたのは、コッテリアというファーストフード店だった。

 ハンバーガーという若い子向けのジャンクフードが売っているお店。

 初めて聞くお店の名前に、どんな店か聞いてみると、ツカサは驚いた顔をした。普通なら知っていて当然の知識だったらしい。

 それから、ファーストフード店はいくつかあって、コッテリアはシェイクという飲み物がおいしいのだと教えてくれた。


 店内に入って、注文はツカサに一任した。私にわかるわけがなかったから。

 私には、チーズの挟まったハンバーガーと、ピンク色のシェイク。

 ツカサはハンバーガーを二つと、ポテトという細長い揚げ物、それから大きなサイズの飲み物を頼んでいた。

 二階に上がって、席に座ると、ツカサは早速ハンバーガーを食べだした。

 それを見ながら、私も見よう見まねでハンバーガーを手にしてみる。

 でも、何が悪いのかぽろりと葉っぱが落ちたり、汁が垂れたりしてしまう。


「ハンバーガー、食べたことないの? 君って本当にお嬢さまなんだね」

「おじょうさま?」

「あれ、違うの? そんな気がしてたんだけど」


 常識知らずなためにそう思われたのだろうか。

 お嬢さまではない。神さまだ。

 けれどそんなことを言ったからって信じてもらえるとも思えないし、信じられたら信じられたで困ってしまう。


「よくわからない」


 本当のことを言うわけにはいかない私には、そう答えることしかできなかった。

 いいように誤解してくれているなら、そのままにしておいたほうがいいんだろう、たぶん。

 余計なことを言ってボロを出してしまえば、ツカサを観察できなくなる。

 研修期間中の身として、最初に見つけた“善良な人間”のことをもっとよく知る必要があると思った。


「まあ、お嬢さまだって当人にとっては自分が普通だもんな。そういうもんか」


 勝手に納得しつつ、ツカサは私にハンバーガーの持ち方を教えてくれた。

 包装紙は外さないこと。四本の指と親指で挟むように持つこと。持ちにくいなら両手で持つこと。

 ツカサの言うとおりにすると、具はこぼれないし手も汚れなかった。

 おお、と感動する私にツカサはおかしそうに笑った。

 そうして、ツカサの真似をして、大きく一口。


「……おいしい」


 ふかふかのパン。ジューシーな肉。とろりとしたチーズ。すべてをバランスよく整えるソース。

 食べる、という行為がこれほどの驚きと感動をもたらすものとは思ってもいなかった。

 神は物を食べる必要性がない。

 天界では、酔狂な先輩神が食事の真似事をしているのを、醒めた目で見ていた。

 どうして人間を真似る必要があるのかと。

 そう問いかける私に、先輩神はいつかわかるよ、とだけ言った。

 でも、そうか。

 こんなにおいしいものなら、食べたいと思うのも当然なのかもしれない。


「ぷっ」

「な、なんで笑うの?」

「すごいことになってるよ、口のまわり。ははっ、食べ方へっただなぁ」


 その言葉と明るい笑みに、私はぽかんとする。

 食べ方? そんなもの知らない。だって、食べ物を口にするのはこれが初めてのことなのだから。

 言われた口のまわりに手を伸ばしてみる。

 べたり、と何かが指にまとわりつく感触がした。


「ああ、そんなさわり方したら余計に汚れが広がっちゃうよ。ほら、こっち向いて」


 ツカサはいつの間にかその手にティッシュを持っていた。

 覗き込むようにして顔を近づけ、私の口のまわりを拭っていく。

 それから、私の手についたソースも拭き取り、最後に「ん、きれいになった」と笑顔。

 ツカサは善人というだけでなく、面倒見もいいらしい。


「食べるときはおっきく口を開けるんだ。あーん、って」


 手に持ったティッシュを丸めながら、ツカサは私に見せるように口をぱかっと開く。


「あーん?」

「そうそう、あーん」


 ツカサに言われるがままに、大きく口を開けてハンバーガーにかぶりついてみる。

 どう? と言うようにツカサに目を向けると、彼はまた楽しそうに笑った。

 なぜかはわからないけれど、胸があたたかくなった。


「うん、さっきよりはマシになった。食べ終わったらまた拭いてあげる」


 そのツカサの言葉はからかうような響きを含んでいた。

 どうやら、私の食べ方はからかわれるくらいにひどいものらしい。

 あまり汚さないようにしよう、と思ってもなかなか難しい。

 初めて食べるものとして、ハンバーガーというのは向いていないような気がした。

 結局、食べ終わったころには先ほどと同じくらい口のまわりを汚していて、ツカサに拭ってもらう羽目になった。

 ハンバーガーを食べるのに必死になっていて、一緒に頼んだシェイクの存在をすっかり忘れていた。

 ピンク色の飲み物は少し怖かったけれど、勇気を出して一口飲んでみると、その冷たさに驚き、甘さにも驚く。

 なんとなく、癖になる味とでも言えばいいのか。

 一気に全部飲んでしまって、もう終わり? と思っていると、ツカサがまた笑った。


「お嬢さまっていうか、子どもみたいだ」

「……子どもじゃないわ」


 誤解に任せておこうと思っていたが、それだけは否定した。

 神に子どもという概念はない。生じたその瞬間から完全なのが神だ。

 見習い期間はあれど、それはまだ精神面が未熟だというだけで、身体や頭脳はすでに一人前だ。

 人間のように十年以上もかけて成長するわけではない。


「そうだね、俺と同じか、少し下くらいにしか見えない。なのに変に子どもっぽいから、ギャップがすごいよ」


 ツカサはくすくすと笑いながら、その黒い瞳に私を映す。

 子どもを見守る親の目とは、こういう色をしているのかもしれない。

 妙な居心地の悪さを感じ、私は無意識に眉根を寄せていた。


「ああ、怒らないでね。貶してるわけじゃないから。むしろ……」


 そこで、ツカサは一度言葉を切った。

 ぽかんと口を開け、目をまたたかせる。

 自分が言おうとした言葉に、自分で驚いているような表情だ。

 すぐにはっとしたように我に返ったツカサは、今度は私の顔色をうかがうような視線を投げかけてくる。


「……ねえ、君の名前を聞いてもいい?」


 その問いは、私を大いに困らせた。

 私には、名前がない。

 より正確には、神と呼ばれるものすべてに名前はないのだ。

 なぜかと言うならば、神は装置であるから。

 名前を持ち、個として認識してしまえば、ただの装置ではなくなってしまう。

 人間界に降りるとき、先輩神に言われた言葉を思い出す。


『名前を名乗る必要が出てきたら、適当につけなさい。それを自分の名前だと思ってはいけないよ。狂った神になりたくないのなら』


 それは脅し文句にも近かった。

 狂った神になりたい神などどこにもいない。

 先輩の言葉を胸に刻み、私は自分の名前を考える。

 適当に、適当に。

 自分の名前ではない、ツカサの前でだけ名乗る識別記号。


「……メグミ」


 『女神』を少しだけ音を変えて、名前を作った。

 神は世界を正常に動かすことによって、人々に、世界に住むものたちに恵みをもたらす。

 即席の名にしては、この国に紛れるにふさわしい名になっているだろう。


「メグミ、メグミ。うん、かわいい名前だね。君に似合ってる」


 そんな褒め言葉と共に、ふわり、とツカサはきれいな笑みをこぼした。

 その時の心の動きを、どう言い表したらいいのか。

 心臓の音、というのを今までで一番はっきりと認識した。

 人間は神の身体を模して作られた。だから、神にも心臓というものは存在するのだ。

 どくんどくん、と響く心臓の音。

 突然訴えだした身体の不調に、私は動揺した。

 だから、次の言葉がすんなりと頭に入ってこなかった。


「メグミ、その……さ。また、会えないかな」


 また?

 意味を取りかねて、私は首をかしげる。

 私の反応を見て、ツカサはあわてたように両手を振った。


「や、えっと、変な意味じゃなくて! そうだ、メル友になろうよ!」

「メル友?」

「携帯アドレス、よかったら教えてくれない?」


 いいことを思いついた、とばかりにツカサの表情が明るくなる。

 けれど私はそれをすぐに曇らせてしまうだろう。

 私は神だ。人間界に居を構えている神も中にはいるが、私はそうではない。

 とどのつまり。


「けいたい……持ってない」


 むしろ、持っているほうがおかしいのだ。

 携帯電話を持っている神など、数えられるほどしか存在しないだろう。


「……ほんとーに……お嬢さまなんだなぁ」


 ツカサは呆れたように、軽く息を吐く。

 そこに失望が含まれているように聞こえて、私は思わず口を開いた。


「でも、会おうと思えば、会える」

「本当!?」

「嘘は言わない」


 再び明るい表情となったツカサに、私ははっきりと答えた。

 そうだ、私も、ツカサと次の約束をすることは悪いことではない。むしろ、願ってもないことだった。

 “善良な人間”であるツカサは貴重なサンプルだ。

 彼と会い、彼と交流を持ち、彼のことを知ることは、人間というものを理解するためには必要なことなのだ。

 また会えたらいいと思っているのは、それだけの理由のはずだ。


「じゃあ、待ち合わせしよっか。いつなら会える?」

「いつでも」


 見習いである私には、神としての仕事はまだない。

 人間界に降りてくる日と時間をツカサの都合に合わせればいい。


「明日、十四時に、今日俺たちが会った、大時計の下で」


 ツカサは私が聞きもらさないように、一句一句区切って言ってくれた。

 約束の内容をきちんと理解し、私はうなずく。

 天界では、時間というものは存在しているようで存在していない、あやふやなもの。

 明確な約束というものは、これが初めてかもしれない。

 今日は初めて起きることばかりだ。

 初めて人間界に降りたのだから、当然なのだろうが。


「あんまり早く来すぎちゃダメだよ。また変なのにつかまっちゃ困るから」


 くすっと笑みをもらすツカサに、私はむっとする。

 からかわれるのは、あまりいい気分ではない。


「もう、大丈夫だもん」

「どうかなぁ。まあ、もしつかまってもまた助けてあげるけど」


 本当だろうか? 本当にツカサは助けてくれるんだろうか?

 人間界のことなんて何も知らない私を助けてくれて、叱ってくれて、おいしいものを教えてくれたツカサ。

 少しも面倒がることなく、むしろ率先して。

 私の前で笑みを絶やさないツカサは、まるで私と一緒にいることを望んでくれているかのようで。

 また、心臓が大きな音を立て始めた。

 それは鎮まることなく、むしろどんどん勢いを増していく。


「今日はありがとね、楽しかった。また明日、君とたくさん話したいな」


 話を締めくくるように、ツカサは私に笑顔を向け、そう言った。

 社交辞令、と言われるようなものなのかもしれない。

 それでも、うれしい、と私は思った。

 ……うれしい、という感情を、私は知った。


「……わたしも」


 気づいたら、私の口はそんな言葉を発していた。

 そうか、私は今日、楽しかったのか。

 もっとツカサと話したいと、そう思っていたのか。

 これまであまり感情の起伏というものを感じたことがなかった。

 浮き沈みする心など、面倒なだけだと思っていた。

 けれど、そうか。

 感情とは、こういうものなのか。


 ツカサと話していると、楽しい。

 ツカサが楽しかったと言ってくれて、うれしい。

 楽しい、うれしい。

 感情は、どうやら素敵なものらしい。







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