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1.異世界に行っちゃいました

本作で登場するネギは、緑の部分が多く細くて柔らかい『九条ネギ』です。

初音○クさんが持っているような『白ネギ』ではございません。

 漫画や小説の世界でしか起こり得ないものだとわかっていながら、そのうち自分も……と密かに憧れていたこと。それが、ついに俺の身に――。

 そう、異世界トリップだ。ついに俺は異世界に行ってしまったのだ!

 正直言って俺は至って平凡な大学生だ。抜群に頭が良いわけでも、武道を習っていたわけでもない。だが一体どういうわけだか、そんな平凡な俺が選ばれてしまったのだ!

 だが俺の異世界トリップは、想像していたものとは百八十度違っていた。いや、さらにそこから斜め四十五度方向にバンジージャンプしながら大気圏を付き抜け、宇宙に猫着地してしまっていたと言っていい。

 自分でも何を言っているのか意味がわからないが、とにかく普通の異世界トリップではないということが伝われば俺としては本望だ。

 俺が行き着いた異世界、それは……。


 ネギの世界だったのだ。


 え? 何をふざけたことをぬかしているのかって? あぁ、自分でも頭おかしいと思う。だが大事なことなのでもう一度言う。ここは、ネギの世界だ。


 ネギ――。


 そう、時にざるそばのツユの中で密かに活躍し、時にラーメンの上で主役を脅かすほどに盛られて存在を主張する、犬には決して食べさせてはいけない、あの緑のネギだ。


 俺が今地に足を着けている場所は、広い大陸でもなければ、中世ヨーロッパ風の城でもない。十畳ほどの広さの、壁一面が若草色で統一された四角い空間、他所の家の広めの個室だと言われても何の違和感もない場所に、俺は佇んでいた。

 そして根の部分を駆使して二足歩行(?)するたくさんのネギ達に俺は取り囲まれていた。

 ちなみに擬人化とか一切無い。長い雑草とも呼べる、あのまんまのネギ。マジで。

 夢も希望もないとはこのことだ。このネギ達が、頭からネコ耳ならぬネギ耳の生えた可愛い女の子の姿をしていたのなら、俺のテンションもまだ高かったろうに。もうちょっと頑張ってくれよ、異世界トリップの神!


 俺がどうやってこんなネギワールドに行ったのかというと――。

 俺はこの春から大学生になり、親元から離れて生活していた。そんでいっちょ自炊でもしてみますかと思い立ち、スーパーに買い物に行ったわけだ。

 ちなみにカレーを作ろうと思っていた。カレーなら一週間持つから食費が浮くぞ、と隣の部屋の先輩が助言してくれたんだ。チーズやロースカツやソーセージと、上に乗せる具材を毎日変えれば一週間続いても飽きないとのことだった。

 本当かよと思いつつも、親からの仕送りをいきなり湯水のように使うのもアレなので、とりあえず俺は先輩の助言に素直に従ってみることにした。で、スーパーの野菜コーナーでニンジンを物色している時に、いきなり足元に魔方陣っぽい光が現れ、俺は()ばれてしまったのだ。このネギが闊歩する世界に。




 俺の眼前には、白い巨大なモニターが広がっている。そしてその下に設置された、航空機のコックピットみたいにボタンがたくさん並んでいる機械を、眉間に皺を寄せながら眺めていた。そんな俺を取り囲んでいたネギの内の一本が一歩前に出ると、おずおずと俺に話しかけてきた。


「あ、あの、勇者様。どんな感じでしょうか?」


 それはまるで夏のそよ風に(なび)く風鈴のように、高く澄んだ声だった。アニメならまず間違いなく美少女ヒロインの声だ。だが大変残念なことに、どこからどう見てもネギだった。いや、そもそも発声器官がないのに何で喋っているのか、っていう話だけど。

 だがそんなことにいちいちツッコんでいたら俺の精神がもたなそうなので、とりあえずネギは喋ることができる植物なのだ、と無理矢理納得する。


「……わかんない」


 俺は眉を寄せたまま、そのネギに静かに答える。ちなみに勇者様とは俺のことらしいです。


「そ、そうですか。でもまだこちらの世界に来たばかりなのですし、どうか焦らずに――」


 ピョコリとネギの先端だけを前に折ると、そのネギはまた後ろに下がった。どうやら今のがお辞儀らしい。当然だがそんな仕草をされても萌えない。ネギなので。


 俺がこの世界に()ばれた理由――。それは魔王を倒してくれとか、戦争を終わらせる救世主になってくれとか、そんなものではなかった。この眼前に広がる機械を直して欲しい、というものだったのだ。


 そんなんお前らで直せ! って感じだが、それをこのネギ達に言ったら「いやあ、これを作ったネギ神様が、先日老衰でお亡くなりになってしまいまして……」という言葉が返ってきたのだ。神なのに老衰で死ぬって、それもう神じゃないだろ!?


 さらに俺は、自分達で直す努力をしてみろ! とも言ったんだが、それに対しても「いやあ、私どもネギの柔らかさでは、この機械をいじることができませんでなぁ」という返事であった。それに関しては妙に納得してしまった。


 別の奴に頼んでみたら、と言えば、既に何人もの人間をこちらに()んでみたが、還暦を過ぎた婆さんやら普通の主婦やら、(ことごと)く機械に弱い人間しか喚ぶことができず、やっと俺みたいな若い男を召喚できたのでそれは簡便してください、という答えが返ってきた。ちなみにこのネギ達は、スーパーの野菜売り場にしか召喚用の魔方陣を発動させられないらしい。もっと場所を選べよ……。


 頼むから元の世界に還してくれ、とお願いしてみたら「これを直してくれたら検討してみます」と歯切れの悪い政治家みたいな返答が。だから俺は仕方なくこの機械を直してみることになったのだが――。

 白状すると俺、こんな機械類は苦手なんだよね……。

 パソコンも持ってはいるのだが、ネットでニュースやら動画やらを見るだけの非常にライトな使用者だ。でも何とかしてこの機械を直さないと、俺はずっとこのネギの闊歩する世界から出ることができなさそうだし。

 それだけは嫌だ。こんなふざけた世界とはさっさとおさらばしたい。それに明日の大学の講義が心配だ。できればサボリたくない。

 仕方なく俺は、漆黒の画面のまま何も映さない眼前の巨大なモニターを睨む。

 が、当然睨んだところでこの機械が直るわけもなく――。俺は後ろに待機している、ネギ達へと振り返りながら質問する。


「……で、そもそもこの機械って一体何なの?」


 俺の質問に、今度はネギ群集の中からやけに青々とした一本のネギが前に躍り出てきた。


「それは俺達ネギの運命を決める、大事な機械なんだ」


 その青ネギは神妙な声音でそう俺に言った。凛々しい声だが、女声なのか男声なのかよくわからんかった。でも『俺』って言ったので、多分この青ネギは男なのだろう。


「運命を決める?」

「あぁ。俺達ネギは、これに指定された場所に、最終的に行き着く流れになっているんだ」

「…………?」


 わかったようなわからないような……。俺が首を傾げながら眉間に皺を寄せていると――。

 突如、部屋に甲高い悲鳴が響き渡った。


「きゃああああ! いやああああ!」


 な、何だ!? 

 悲鳴の聞こえた方向に首を捻ると、何と一本のネギが空中に浮き上がっているではないか。

 ええぇぇっ!? いきなり何なのこのイリュージョン!?

 周りのネギ達はそのネギを見上げ、恐怖に(おのの)いていた――と思う。多分。顔がないからよくわからんけど、そんな雰囲気だった。


「ちっ。おい勇者。モニターを見ろ」

「え?」


 少し偉そうな青ネギの声に振り返ると、先ほどまで真っ黒だった大きなモニターが光っていた。

 そこに映し出されていたのは三十歳前後と(おぼ)しき一人の女性。その女性はスーパーの野菜コーナーの前にカートを止め、何やら選んでいるようだった。そしてその女性の足元に、小さな文字が表示された。

『ケーキ』と。


「いやああ! 私ケーキなんかに使われたくない! いやああああ!」


 絶叫していたネギが突如青白い光に包まれたと思った瞬間――。

 シュン! と光の走ると共に、そのネギは空中で消えてしまった。そしてモニターに映っていた女性の手には、一束のネギが握られていた。

 俺は呆然とするしかなかった。

 この機械がネギの運命を決める物、というのは今ので何となく理解したのだが、なぜに『ケーキ』なのか。


「……あの女性はおそらく、斬新なメニューを考えるのがお好きなお方なのでしょう。そしてケーキにネギを使おうと考え付いたのだと思います……」


 俺の疑問はそのまま顔に出ていたらしく、それを察したのであろう、先端が微妙に枯れたネギが、重い声でそう俺に言った。このネギは枯れてて長老ぽいから長老と呼ぼう。

 なるほど。つまりさっきの女性は所謂(いわゆる)「メシマズ」な人だったということか。とりあえずあの女の人にネギケーキを食わされるであろう人間に、俺は心の中で合掌した。


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