終の16番~犯罪者の末路~
犯罪を犯すと、こういう生活が待ち受けて、こういう結末にたどり着く。そんな様子を書きました。
第一章 終の始まり
平成23年9月16日、昨夜来の台風の影響で淀んだ空気が部屋の中にも満たされていた。その影響で学校が休校になるのか朝から気がきでなかった。結局、学校は休校となり1日娘のゆきえと家に居ることになった。他人とうまく接することが苦手な娘は家で一人遊ぶことを好んでいる。『パパすごいでしょ?』と得意げに愛用の人形を手に喜ぶ姿は何ともいとおしい。まるで嵐が去った後の静けさか嵐の前の静けさか、そんな和やかな1日が送られると私も感じていた。
昼過ぎ突如、妻のさおりが帰ってきた。『あれっ、どうしたの?仕事は?』ふと口をついた。さおりは無言で荷物を整理し始めた。すると、すると、突然、背後から恰幅のよい中年男やら長身の男やらがドタバタと次から次へと家の中に入ってきた。次の瞬間、恰幅のよい中年男の『はい警察、「後松 理」だな!逮捕状』とはっきりとした声が静まり返った部屋に響いた。何が起きたのか解らない私は『はい』と応じ立ち上がった。その間に荷物を整理し終えたさおりは『しっかりしてよねっ!父親なんだから!』そう捨て台詞を言い残し、ゆきえを連れて足早に家を後にした。2人が去るのを確認すると、茫然自失状態の私に、中年の刑事は『解るよね?』と呟き、私は『はい』と力無く応じた。逮捕容疑は脅迫であった。心当たりのある私は容疑を認めた。連れの刑事たちが部屋の中を物色し始めようとしたので、私は動揺し思わず大声で『止めろよ、勝手にいじくるな!』と叫び、長身の刑事と暫し睨み合った。すると、野前と名乗る中年の刑事は警察手帳を見せ、逮捕状について説明を始めた。そこには裁判所の判が押されてあり、罪名の「脅迫」という文字も見てとれた。この悪夢のような現実を漸く冷静に理解し始めていた私は野前刑事の説明を一通り聞き終えた。部屋の捜索をしていた刑事たちも、特に目ぼしい物が見当たらなかったのか、その作業を終え、遂に私の腕に鎖がかけられようとしていた。30代前半くらいであろうか若手の刑事が徐に持参した紙袋から手錠を取り出し、私の腕に回そうとした、次の瞬間、野前刑事がそれを制した。『待て』、そうたしなめるとゆっくりと呟いた。『後松さん、約束してくれ』そう穏やかに呟くと『近所の目もある、ここではしないから逃げたり、走ったりしないでくれ』と…私は野前刑事に『ありがとうございます』と頭を下げた。暫くの後、私は野前刑事たちに促され足早にワンボックス車に乗り込んだ。すると、鉄のワッカがかけられた。午後0時49分のことであった。この時、私は40年間の人生に幕が降りた、そう感じたことは言うまでもない。車を何れくらい走らせただろうか?一、二時間否二、三時間だろうか?車中、野前刑事は下ろし立てのノートを一冊取り出した。何でも新しい事件になると用意するのだと言う。生い立ちから今日逮捕されるまでを事細かに訊かれた。そうこうしながら警視庁境街署へと向かっていた。警察署には大勢のマスコミが愚かな容疑者を、そのフレームに納めようと躍起になっていることだろう、そんなことを思い巡らしていた。案の定、台風の余波が残る悪天候のなか毎夕テレビのカメラが執拗に狙っていた。私は顔を隠すでもなく、下を向くでもなく定まらない視点の中にぼんやりとそのカメラが視界に入った。ワンボックス車を降りると裏口通用口へと歩を進めた。途中、『後ろを振り向くな』という刑事の声が聞こえた気がした。
境街署に到着すると、取調室に連れていかれ簡易的な身体検査をされ、早速取り調べが始まった。氏名、住所等は先ほど車内で細かく聞かれていたので確認の意味で改めて聞かれた。。担当の野前刑事は境街署の刑事ではなく警視庁捜査一課の所属だと本人から説明があり、所轄の刑事ではなく本庁の捜査部隊が出動するほど大変な事件を起こしてしまったのだと改めて自分の犯した罪の大きさに驚いていた。その日は、署に到着した時間も遅く簡単な調べ(警察署の方はそう呼んでいた)だけに終わった。野前刑事から逮捕から勾留までの説明があり、最大で22日間の勾留が可能だと説明があった。私は自分の犯した犯罪が当然、有罪だという認識があった為、裁判で刑期何年で執行猶予が何年付くんだろう、そんな事をぼんやりと考えていた。
5時前くらいだっただろうか、調べが終わると、留置場へと通された。まずは身体検査をした。離職後、何年も身体検査をしていなかったが、まさか、こんなかたちで検査をされるとは、全くもって不思議な感覚だった。身長、体重更には何と肛門の中を覗かれたのである。確かに犯罪者だから、どこにどんな危険物を隠し持っていても何ら不思議はないということなのか?そして、ここで【境街16番】という番号が私に付けられました。個人情報を守る意図だとは思うが、何とも言い様のない脱力感が全身を包んでいきました。人ではない動物でもない、物につく番号が私に付いたのです!案内された3室と呼ばれる居室は3~4人は収容可能なほどの広さがあったが、私1人で入室することになった。入居するとすぐに夕食が出された。箱2つの弁当だった、冷めたご飯と冷めたおかずと温かいお茶の三点であった。食卓も何も無い居室に安っぽいゴザのような敷物が用意され、あぐらを組んで食事をとった。トイレは居室内にあり三方を透明なアクリル板のようなもので囲まれた所で何とも便がすすまない、そんな感じを抱いた。これからどんなにか過酷な留置生活が待っているかと思いながら、程よい脱力感と疲労感からか、その日は時間を要することなく9時の消灯とほぼ同時刻に床についた。 ここから修正
私は多少の疲労感を感じながら朝を迎えた。起床時間は6時、布団上げから始まり、居室の清掃、洗顔と忙しない時間が過ぎていった。朝食は冷めきった仕出し弁当と即席の味噌汁、味云々というより食欲がある筈がない。よく臭い飯と言われるが、決して臭い訳ではない、ただ冷たいだけである。それは犯した罪の重さや留置されているという現実が臭い飯にしているように思えた。
食事を終えると点呼が始まり、16番の1日が始まるのである。
程なくすると、担当の野前刑事らが私16番を呼びに来た、留置場の年配の看守から『16番、調べ』そう声がかかると取り調べの始まりである。今日から約3週間に渡る長い取り調べが始まったのである。取調室は畳三畳ほどの小部屋で机が一つ、無造作に置かれたパイプ椅子が三脚。留置場を出る際に手錠をされ、取り調べ中は椅子に手錠をかけ私は腰ひもでぐるぐる巻きにされています。 今日から具体的な取り調べです、まずは証拠固めの為の自供を促されます。刑事は予め用意してある書類を眺めながら、一つ一つ確認していった。私は何百という脅迫メールを送信しており、一つ一つは覚えていません。しかし本人からの自供を得たい刑事は執拗に問い質し、その確認作業で何時間も費やされていった。その自供を元に刑事はパソコンに供述内容を入力し検事宛にメールをしているようであった。私の場合は全てのメールは実名、現住所、連絡先電話番号を記名していたので、事実を認めるだけでしたので、テレビドラマのような激しいやり取りはなかった。11時を過ぎた頃であろうか、これから地検に行くという事で今日の取り調べは終了した。
私は再び両手錠に腰ひもという状態で逮捕時に乗せられたワンボックス車に乗り、地検へと向かった。皇居や国会議事堂を横目に道中は僅か10分足らずで、まもなく地検に到着した。両手錠に腰ひもと16と書かれたサンダルの不自由な私は野前刑事ら3人に守られる形で中へと歩を進めた。薄暗い舎内は異様な静けさに包まれていた。担当検事がいるという六階までエレベーターで上がり、待機室へと向かった。昼過ぎという時間帯で、まだ呼ばれそうもないと判断した年配の看守は持参させた食パンと小鉢、それに牛乳を与えてくれた。私はこんな状況にも不思議と食欲は旺盛で全てを平らげた。中々、検事から声がかからず同行の野前刑事らはしびれを切らしており、中にはうたた寝をする刑事もいた。
かれこれ二、三時間は待たされたであろうか、漸く声がかかった。
当然だが初めて歩く地検の廊下は、テレビドラマに出てくる、正にあの風景であった。634号室書そして担当検事であろう風向晋吾という名前が書かれて部屋の前で立ち止まった。私と刑事ら皆で一瞬顔を見合せ、中に入っていった。まず目に飛び込んできたのは、検事ではなく大きな窓であり、その景色の良さであった。すぐに、検事の方に目をやると、30代半ばくらいであろうか、やや痩せた体型の、しかし大きく見開いた目には人を射る鋭さのある男であった。傍らには書記官であろうかがっしりとした体躯の男がいた。私は2人に頭を下げ前へ進んだ。検事の机の前にはパイプ椅子が一つ。刑事に促され椅子に腰掛けた。形式的とは言え、手錠を外され少し気が落ち着いた。『名前は?』『住所は?』…定番の質問が始まった。私も『後松理です』『神奈川県小田原市…』と応じた。さていよいよ本題か?と思った時、検事が口を開いた。『何でこんな事したの?』柔らかい口調だが少し呆れ顔で訊ねてきた。そう私が何故、一介の地方議員に脅迫メールを送ったかであるが、今から3年前、現在もだが、当時無職だった私は生活保護の申請をしたが該当しないという決定をされ、生活に困窮していた。居住地区の代議士だった園岡高司は選挙公約として命を守るという事を盛んに訴え当選したのである。が、当選後は天下りの斡旋やら政治資金の不正受給など相次ぐスキャンダルを起こしていた。私は自分が生活保護を受給できなかったのは、園岡が天下り資金に流用する為にわざと却下したんだと思い込んだからである。そして、園岡に対し危害を加える旨の脅迫メールを数百回にわたり送付したのである。 私は震える声で『園岡議員や役所の人間に生活困窮者の切なる声を聞いて欲しかったんです』と言った。すると検事は『そんな事をして聞き入れてくれると思ったの?』と返した。私は力なく『はい』と呟いた。検事は首を傾げながら暫し沈黙した。『分かりました、今日はこれで結構です』と言い、書記官にタイプを促した。ここで初めて供述調書をとられる事になり、署名そして拇印での押印を終え検事室を後にした。あっという間の出来事で、この為に何時間も待たされたのかよ、と初めての検事との接見を訝しく感じていた。
署に戻ったのは6時を過ぎていたであろうか、遅い夕食となり冷えきった弁当に箸を進めた。監視中の看守の係長から勾留延長が告げられ先行きが見えない勾留生活がいつまで続くんだろう?そう考えを巡らしていた。明日は地検にも行かないという事なのでいよいよ本格的な取り調べが行われるのであろうと覚悟を決めていた。
終の16番~犯罪者の末路~ 第二章 居室での日常
勾留3日目の朝も背の高い看守の『はい、起床』という掛け声で目が覚めた。毎夜そうだが夜9時の消灯時間から4~5時間は寝付けずにあれこれと想いを巡らせている為か寝不足感は否めない。布団上げ、掃除を終え洗面所で歯磨きをしていると係長の看守が『差し入れがきたんだから、洗面セットを買ってくれないかな?』と言い寄ってきた。そう私は勾留生活は初めてで右も左も分からぬまま、用意された洗面具を使っていた。話を聞くと、それは留めと呼ばれる留置所の所有物でお金がない者の為の備品との事で差し入れ(現金)が届いたら自分専用の洗面セットを購入てくれ、そういう事だった。そんな事は初めて連れて来られた時に説明してくれよ、なんて思いながら、早速購入した。前日に妻のさおりから現金書留で1万円が送られてきていることを昨夕、地検から戻った後に知らされていた。確かに、三食昼寝付きの生活ではあるが、当たり前だが決してお客さんではないから必要なものは自分で購入しなければならなかった。帰りの交通費にしては、何で1万円も送ってきたんだろう等と思っていたが、なるほど留置所生活もお金がかかる
んだなと改めて自分の無知さ加減に呆れていた。
朝食を終え暫し休息していると、20代後半くらいどあろう若手の看守が居室前にきて『はい16番、調べ』と言ってきた。彼等は取り調べの事を調べと呼んでいる。私は16と書かれた真新しいサンダルを履き入り口へ向かった。そこで簡易的な身体検査を受けるのである、身体全体を軽く触手し不審物がないか、更に金属探知機を身体全体に滑らせる。そのあと両手錠に腰ひもをあてがわれる訳だが年輩の看守はいつも『16番、手錠きつくない?大きいのにしようか?』と訊ねる。私はスポーツ経験もほとんど無く、どちらかというと肥満体だったので『単なるデブだからですよ、平気です』と応じるのがこの看守とのいつものやりとりであり留置所内で唯一笑みがこぼれる瞬間であった。
取調室ではごま塩頭の野前刑事が老眼鏡をかけ、パソコンと向かい合っていた。おはようとも押忍ともつかない独特な挨拶が野前刑事の特徴であった。私が取調室に来ると、野前刑事は決まって、若手刑事に熱いお茶を用意させるのであった、しかも茶っ葉を新しくさせ一番茶を持って来させた。そんな野前刑事の気遣いも、この殺伐とした署内では心和む瞬間の一つでもあった。野前刑事は早速10センチ以上はあろう分厚いファイルを見開き、私が園岡議員宛に送信したメールを明示して質問を始めた。8月10日に送信したメールが今回の逮捕容疑になっているとの事で、このメールを確認した秘書が園岡議員本人に見せ被害届を提出したのである。私はこの以前にも何十否、何百と園岡に対し決定の取り消しを求めるメールを送付したが、聞き入れられるどころか全く相手にされず、不満が鬱積していた。そんな時に、遂に「殺す」という文言を織り混ぜてしまったのである。
野前はプリントアウトしたメールを指し示しながら、『8月10日15時59分 件名 殺害予告 内容 ……住所神奈川県小田原市……氏名後松理』と無機質に読み上げた。私が無言で頷いていると、野前は『間違いないね?』と念押しした。 私は当初から本当に殺害などの危害を加えるつもりは全くなく、こういう事をすれば相手が何らかの形で交渉のテーブルに就いてくれるのではないか?そんな思いでメールを送付していた。だから、逃げも隠れも嘘も否定もしないと心に決めていた、故にメールにも現住所や本名、連絡先を明記していた。理由は、自分の主張には正当性があり、生活保護申請を却下した行政側に落ち度がある、というか天下り役人たちの言いなりになり、区民の命を守ると公言していた園岡議員こそが悪いのだという確信があったからである。野前刑事は、口を開くと『ダメなものはダメなんだよ、後松さん、こんな事をして決定が覆るとでも思ってたの?』とやや呆れ顔で諭すように言い放った。さらに『もったいないよ、後松さん、こんな事でさ、前科者になっちゃったんだよ』そう言うと我が事のように残念がった。野前刑事は警視庁捜査一課所属の刑事であり、普段は主に殺人事件などの凶悪事件を担当する現場たたき上げの敏腕刑事であった。そんな野前刑事にとって今回の私の事件は拍子抜けのする事件だったに違いない。野前刑事の言葉の端々にはそんな落胆すら感じられた。
結局、この日の取り調べは午前、午後と二度行われ終了した。
居室に戻ると、居室に1人横たわる姿があった、今日から相部屋となったのである。どんな人物なんだろう?そんな好奇を抱きながら居室へと向かった。長身で優しそうな、否、私が勝手にそう思い込んでいた、その看守は『今日から相部屋になるから、いろいろと教えてあげてね』そう言い残し去っていった。すると横たわっていた男が振り向いた。『どうも』片言の日本語が耳をついた。どうやら中国人のようだ、私は『よろしく』と呟き自分の定位置である便所の向かいの隅に腰を下ろした。暫し沈黙したあと、その男は片言の日本語であれこれと話し始めた。私はこのままずっと1人がいいなぁ、なんて思っていたので少し複雑な思いを抱きながら男の話を聞いていると、どうやらこの男は不法滞在で自ら出頭したようで、いつ中国に帰れるかを聞いているようであった。そんな事を俺に聞かれたって知らねえよ、と思いながら適当に相槌をうっていた。
この閉ざされた狭い空間で今後の事を1人考えるのが私の日課のような、そんな生活が破壊されようとしている何とも言えない気持ちだった。が、居室の先輩として、いろいろと教えてあげてよと言われた以上、そのことに応えるのが今の自分に課せられた役割なんだなぁと思い自分にそう言い聞かせるのであった。
終の16番~犯罪者の末路~ 第三章 同行室
留置所生活4日目の朝は、同居室の住人も増え何とも不安な気持ちであった。いつも1人淡々とこなす朝の日課も相手と分担して行う事となり、面倒くさいなぁと思いながら先輩ぶりを発揮しながら朝のルーティーンを黙々とこなした。食事の際に用意される1メートル四方のゴザが二枚用意され、向かい合って食事する事になった。向かい合っての食事とは言え、友達でも家族でも何でもない犯罪者同士が向き合うという何とも不思議な空間であった。
食事を終えると、長身の看守がやって来た、今度はどっちが呼ばれるのかな?そんな事を思い巡らせるのも相部屋になった弊害だ。まずは私が呼ばれた、『はい16番、今日は地検に行くからトイレとか準備しといてね。今日は1日というか半日かかるから…』と言い去っていった。別の看守の話によると、今日からは護送車で他の警察署からの被疑者と一緒に地検に向かうという。どういう事か全く訳が分からない私は不安な気持ちでいっぱいだった。
9時30分を過ぎた頃であろうか、何やら看守たちの動きが慌ただしくなり、『到着』などと言っている。そして、再び居室に私16番を呼びに来た、いつものように身体検査を終え両手錠に腰ひもをきめると、前後に看守が張り付き大声で『順送一名』『順送一名』と大きな声で連呼しながら、護送車へと向かった。護送車の回りには境街署の職員であろう輩が見送り?に集まっていた。いくつかの警察署を回って被疑者を積み込んできた護送車のコの字形の座席は既に9割方の席が埋まっていた。席をつめてもらう形で私は座についた。手足がブルブルと震えていた私は、必死にその震えを抑えようとしていたが、顔を上げる度に飛び込んでくる輩の視線にただただ、怯え続けた。護送車が動き始めると、担当の警官らしきやたら体躯のいい男が話し始めた。地検内での注意事項や本日地検に集まる人数やタイムスケジュールなどを説明している。何が何だか訳が分からない私は窓から見える皇居のお堀やら国立劇場やらを朧気に見つめていた。10足らずで地検に到着すると、最高裁判所などを横目に護送車が集まる駐車場へ、さらに、同行室へ向かうエレベーターがある建物の前に護送車が横付けされ、腰ひもで結わえられた15~16人はいたであろう被疑者の隊列の最後尾から建物へと入っていった。エレベーターが2基並んだ、そのエレベーターホールは2日前に初めて連れてこられた場所だった。単独と一般に区分けされたエレベーターの今回は一般と表示された大きい方のエレベーターに乗り込んだ。右手前よりコの字形にぐるっと回り込んだ、私は最後尾だったので、前の被疑者のサンダルを踏まないように気を付けながら進んだ。どうやらエレベーターで地階へと運ばれていったようだ。降りると警官が数名さらに配置されており、奥へ奥へと送り込まれていった。通路の右側を壁を這うように前へ進んでいった。途中、すれ違う女性警官は壁に身体を寄せ顔を伏せ目を合わさないようにしていた。確かに、今後いつ何処で、この凶悪犯罪者らと鉢合わせになるかも分からないから当然の配慮といったところだろう。暫し歩くと、同行室に通された、そこは学校の体育館ほどはあるだろう大きな部屋で20以上はある待機室には既に各々10名ほどが押し込められているように私には見えた。私もこの被疑者たちの中に放り込まれるんだ、そんな恐怖感が胸を襲った。腰ひもをほどかれた私の護送車グループは用意された20脚ほどの椅子に座らされた、そして待合室の部屋割りの読み上げが始まった。暫くすると、『境街16番』私が呼ばれた。私は恐怖の余り小学生のように大きな声で返事をしてしまった。すると、部屋割りを発表していた担当の警官は『そうだ、今みたいに元気よく返事してくれ』と言いながら続けた。そうここでは返事もろくに出来ない輩が大勢いるのだ。通された待合室は8番であった、すでに10人が所狭しと腰をかけており、私は担当警官に促されるまま、僅かな隙間に腰を下ろした。収容されている被疑者は全員両手錠をされているとは言え、どんな凶悪犯罪を犯してきたか分からない。そんな輩との長い長い同行室での1日が始まったのである。この待合室は定員12名と表示があるが、大の男が定員いっぱいになると、とても身動きがとれないほどの狭いスペースである。ベンチシートタイプの椅子は座面、背面共に木製で長時間座っていたら、足腰に痛みが生じるのは初めて見る私にも容易に想像がついた。
暫くすると、担当の警官が同行室での注意事項を話し始めた。ここでは他の被疑者と話をしてはいけないことなど専ら人としての尊厳を脅かすような、ある意味奴隷専従的な内容であった。私は余計なことで勾留が長引くのは嫌だったので、おとなしく、時を過ごそう、そう思っていた。が、案の定、隣に座っていた年頃は50代前半といったところだろう男が『ねぇねぇ、何したの?』どこか愉しげに聞いてきた。私は無視したかったが、1日一緒に居なければならない事もあるので、ここは穏便にと思い『脅迫です』と小さな声で呟いた。すると男は『へぇ~、誰?パチンコ屋?』と早く誰を脅したのかを聞き出したそうにしていた。『いえ、地方議員です』そう言うと、『偉い人を脅迫すると罪が重いんだよね~、でも認めてるんでしょ?』矢継ぎ早の質問責めにたじろぎながらも『はい、認めてます』と言い、早く会話を終わらせようと必死に下を向いた。すると助け船が来た、定員12名の待合室に私は11番目で入ったが、12番目が来たのである。その輩は茶髪にロン毛に鼻ピアスと見るからに犯罪者の臭いがする若干20代前半といったところか?私の隣の男は待ってましたとばかりに『ねぇねぇ、何やったの?』と詰め寄った。その青年もすぐに応じた、『殺人です』と私は身が凍る思いがした。回りにいた数名も思わず目を見張っていた。確かに脅迫も痴漢も詐欺も、そして殺人も同じ犯罪に変わりはありません。が、いきなり殺人かよと思いながら、私は寝たふりをして何とか無事に今日1日を過ごそうと心に決めたことは言うまでもありません。待合室にはトイレがあるが、囲いなどは全く無く人目の中で用を足さなければならないという環境で小心者の私は当然トイレに行く事も出来ずに悶々とした時間を過ごしていた。
午前中、検事から声はかからず昼を迎えた。昼飯は留置場と一緒でパン食だった、スティックパンが二本とジャム2つ、それにチーズと紙パックジュースだった。問題はこれを隣の人に渡していくところだった、留置場では自分用の弁当箱だけだったが、他人の分を次に渡さないとならないのが嫌だった。昼食時は不便だろうという配慮からか手錠を片手錠にしてくれた。が、私にはそれも落ち着かない理由の一つであった。私は6人ずつ並んでいるうちの前から4番目で後2人分の食事を渡さないとならなかったからだ。途中、万が一落としてしまったらどうしよう、さっき片手錠になったばかりだし等と要らぬ事を考えていた。私の隣の男はパン、ジャムなど渡す度に『ありがとう、ありがとう』と言い、思いの外、親切で安心した。食べ終わった後は自分で入口に置かれた箱に投げ捨てる事になっていたので安心だった。昼食を食べるだけなのに、こんなにも神経質にならなければならない同行室での時間は生きた心地のしない生き地獄のようなところだと感じた。
午後2時を回った頃、担当警官が呼びに来た、『境街16番』そう言うと鉄扉を開けた。私は『はい』と返事をし立ち上がった。待合室から出ると腰ひもを巻かれ同行室を後にした。長い廊下へ出ると別の待合室の被疑者が担当警官に付き添われ往き来していた。私も担当警官に付き添われながらエレベーターまで進んだ。何階の何という検事のところに連れていかれるのかすら分からない状況に不安を覚えていた。一昨日、担当した検事は土日専用の検事だと野前刑事から聞かされていた私は正式に担当になる検事がどんな人物か気になっていたのである。するとエレベーターは六階で止まった、まさかと思ったが案の定、担当警官は634号室の前で立ち止まった。一昨日の検事が良いか悪いかは私には分からない、ただ同じ説明を二度もしなくていいから手間が省けた、そんな思いだった。中に入ると、一昨日と同じ2人が腰かけていた。2人に一礼しパイプ椅子に座ると、担当警官が決まり事のように手錠を外しパイプ椅子にくくりつけた。その様を見届けた検事が口を開いた、『何でこんな事をしたのかな?』前回も聞かれたような気がしたが、同じように『交渉の席に着いて話を聞いて決定を改めて欲しかったからです』と言うと、検事は暫し考え込んだ。すると『だからと言って殺害という言葉はね…』そう言いながら分厚いファイルをめくりながら思案していた。私も殺害という言葉は敢えて使わずに訴えていたが、3年という時間が私を我慢の限界に到達させてしまったのだ。今日はその程度の聴取で終わり、供述調書に押印し退出した。毎回5分程度の聴取で何が分かるのか?当然だが、ここは自分の主張をする場ではなく自分の犯した罪を悔い改め、検事の決定を仰ぐ、そういう場なんだ、そんな複雑な思いを抱きながら同行室へと戻っていった。
午後4時を過ぎた頃だろうか、担当警官が逆送について説明を始めた。往きが順送だったから、逆送って帰りの事なんだろうと安易に想像がついた。到着した順番通りに護送車毎に呼ばれていった。私の乗る護送車は3号車という事で最後の最後であった。地検に近いという事で3号車の中でも呼ばれるのが最後だった。また朝と同じように15~16人で隊列を組み一番最後尾になった。前の人のサンダルを突っ掛けないように、慎重に歩を進めた。あと何回、こんなところに来なければならないんだろう、そんな事を思いながら護送車内を過ごしていた。
第四章 家族との終(前)
9月16日以降、音信不通になっていた妻のさおりと娘のゆきえはどうしているだろう?毎夜、2人のことを考えては辛く、虚しい思いをしていた。
消灯時間が9時と早いため、1人冷静に色んな事を考える時間があった。一番気にかけていたのは妻さおりの仕事の事だった。私たち夫婦は三年前に離婚したが、他人には理解し難いと思うが、娘ゆきえの為に奇妙な同居生活を送っていたため、法的には他人だが、事実上は家族同然の生活をしていた。そんな彼女は大手衣料品メーカーの販売員として、デパートで勤務していた。今回の事で仕事に影響が出ていないか?ちゃんと仕事に行けているのか?心配だった。取り調べ中に野前刑事に訊ねたところ仕事には行っているとのことで、とりあえずは安心したが、周りからの目はどうか?冷たい好奇の目で見られているんではないか?と気を揉んでいた。1人娘のゆきえは学校に行ってるだろうか?私の事でイジメられていないだろうか?本当に心配でならなかった。野前刑事によるとゆきえも学校へは行ってるようだとの事で一安心だった。 取り調べの中で野前刑事は、さおりの職場やゆきえの学校へも事情聴取に行っていると話しており、私は何度も野前刑事に噛みついた事がある。取り調べの中で野前刑事は『いいか、後松さん、家族も被害者なんだよ』と何度も言った。確かに被疑者である私の回りを調べ私の居場所がなくなるのは、自業自得かもしれないが、家族には何の罪も責任もないのに…そんな悔しさがいつも頭をもたげていた。そんな私の心情を察してかどうかは分からないが、野前刑事は、『奥さんが面会に来たがっているみたいだけど、どうする?』と聞いてきた。私は咄嗟に『断ってください、こんな所に来させたくないんで』そんな言葉が口をついて出た。野前刑事は『そうだよ、こんな所だよ』と応じ、お前は大変な事をしてしまったんだと言いたげであった。後でさおりから聞いた話では、もう二度と家に帰って来ないで欲しい旨を伝えようと面会を希望していたのだそうだ。そういう、さおりの気持ちも全く理解出来なかった自分が今でも恥ずかしく思う。
だが私の中では逮捕された時点で、この三人での楽しい生活は終を迎えた、否、自分が迎えさせてしまったという思いであった。
とにかく留置場にいる間は、謝罪も何も出来ないことに本当に苦しんだ。野前刑事や看守からは手紙を書きなさいと何度となく促されたが、私は頑なに断り続けた。それは手紙の文字だけで謝罪して済む問題ではないと考えていたし、直接的会って謝罪すべきだと考えていたからだ。自分の身勝手で起こした事件故、自分で責任をとらなければならない。家族への責任、それはどんな形で、どう償えばよいのか?日々考えているが、今の私には見つからない。もいかしたら、永遠に見つからないかも知れない、つまり、それは終わりの無い責任なのかも知れない。
第五章 二度目の勾留延長
二度目の検事との聴取から何日が経っていたか、はっきりとは覚えていないが三度目の聴取の朝がやって来た。漸く中国人との同居生活にも慣れてきた今日この頃ではお互い身振り手振りで会話をするようになっていた。もちろん仲良くなるつもりなど毛頭ない。こんな所で友人を作ろうなど考えもしなかった。いつものように朝のルーティーンを終え、暫し休憩していると、背の高い若い看守がやって来た。『16番、今日地検だってね』何も知らされていない私は『そうですか、分かりました』と半ば上の空で返事を返した。いつもそうだが、ここでは先の予定をほとんど知らされないし、自ら訊ねると非常に嫌な顔を露骨にされる。それに気付いてからは自分から予定を訊ねることはしないことにしていた。そんな矢先の地検行きであった。
いつものように9時過ぎくらいであったか、看守の『到着したよ』という声で居室から出た。今日はどんな輩が同行室で待っているんだろうか?そんな不安な気持ちを抱きつつ護送車へと乗り込んだ。車内では相変わらず担当警官が今日のスケジュールなどを説明し始めた。護送車での地検行きが二回目の私は前回ほどの極度の緊張感はなく、非常に冷静に今日1日を想像していた。
同行室に到着すると、今日は11番の待合室に通された。前回同様に既に10人の犯罪者達がところ狭しと腰を下ろしていた。私は今日も遅い着順という事もあり、6人列の真ん中9と書かれた場所を指定された。今回は小賢しい奴は見当たらず、1日穏やかに過ごせそうだ、不謹慎にもそんな事を考えていた。
今日は10時過ぎに声がかかった、『境街16番』私は元気よく頷き待合室を出た。今日の担当警官は新人らしく傍らでベテラン警官らしき年配の警官が指導しながら付き添っていた。そしてエレベーターで六階へ、降りると両サイドをガードされるような形で634号室に連れていかれた。いつものように軽く会釈して部屋に入り、腰を下ろした。今日は新人さんが手錠を外そうとするが、慣れない為かうまくいかず手間取っていると、検事は怪訝そうに覗きこんできた。『大丈夫?』と声をかけ、新人警官を気遣っていた。二、三分かかったであろうか、漸く段取りが整い聴取が始まった。 検事は妻さおりの言葉として、『子どもが貴方に大変なついてるそうですね』と言ってきた。なんだ?この展開はそう思いながら『そうですか?妻がそんな事を言ってるんですか?』と返した。更に検事は続けた、『お子さんは、障害を持っておられるんですか?』と問いかけてきた。私は暫し間をおいてから『多少、人付き合いが苦手なようで…』と応えた。娘が自閉症と診断されている事は敢えて口にはしなかった。こんな所で娘の話をするものか!そんな微かな抵抗心があったのかも知れない。更に検事は『10月2日は運動会ですよね、今年は行けないよね』と言い私の顔を見つめた、私は力無く頷いた。この日は事件の事には一切触れず、こんな話で聴取は終わった。検事は野前刑事からあらかじめメールで供述調書を貰っている訳で改めて事件の事を聞く必要もなかったようだ。ただ反省の態度とかを確認しているように思えた。今日は早くに終わってしまった為、昼食後の時間は睡魔と腰の痛さとの戦いであった。
夕方、署に戻ると身体検査室なる部屋で少し遅い夕食を取った。途中、看守の係長が来て勾留延長が告げられた。まだ何か聞くことがあるのか?そんな不満でいっぱいだったが、大変な事件を起こした犯罪者故、仕方がないと内に収めた。これが二度目の勾留延長で10月7日までの勾留が確定した。そのあとは、起訴されて東京拘置所送りか、罰金刑で釈放となるかのどちらかであった。野前刑事によると、自分の今までの経験からすると、これだけの犯罪をやったんだから不起訴はあり得ないだろうとのこと。ただ初犯だから裁判になっても、よほど後松さんが変な態度、例えば裁判官に挨拶もしないとか楯突くとか、そんな事でもない限り、執行猶予はつくから大丈夫だよと聞かされていた。何れにせよ、勾留延長が決まった以上は、それに従うことしか出来ない、そう私は犯罪者なのだから…
それにしても検事は、あの短い時間に一体何を見ているんだろう?こんな接見を続けてどんな決定を下すんだろうか?私の中に不安とも不信ともつかぬ思いが沸々と沸いて出てきた。
第六章 検事の判断
三度目の検事との聴取が済んで以降、野前刑事との事情聴取も殆ど終わり、事情聴取に託つけて世間話をする時間も増えていった。お互いにパチンコが好きなことは、以前の事情聴取中に分かったことで途中、息抜きにパチンコの話題に花を咲かせるのも暗黙の了解となっていた。 そんな他愛の無い話をしていると、若手刑事から電話があり、検事との四回目の聴取が明日に決まったと連絡があった。この連絡を受けて、今日の調べはこれで終了となった。いよいよ結果が出るんだろうなぁ?どうなるんたろう?そんな事を考えながら複雑な気持ちで明日の決定を前に床についた。四回目の地検行きの朝は珍しく目覚めが良かった。何かが吹っ切れたような否、諦めにも似た感じだったようにも思う。
例の如く、9時過ぎに護送車が境街署に到着した。こんな事に慣れてしまったのか特段緊張するでもなく、護送車へと乗り込んだ。車内からの風景も見慣れたもので、新鮮さも失われていた。
前回の検事との接見以降、次は自分から少し質問をしてみようか?そんな事を考えていた。同行室に着くと、いつものように10名が待合室におり足を揺する者、口を開けて居眠りをする者、じっと一点を見つめる者など様々であった。私は初めて一番奥の12番に腰を下ろした、やったー今日はのんびり出来るぞ、そんな微かな喜びに浸っていた。
今日は中々声がかからずに、昼を迎えた。毎度お馴染みのパン食だが、味気無い食事の中にも僅かながらでも満足感を得ようと努めた。食事を終え一眠りしようと背板に寄り掛かると、腹痛が襲ってきた。一番怖れていた事態だ、ここ待合室では絶対に用を足さないと決めていたのに…そんな事を思いながら必死に耐えた。このトイレは囲いが無いことは以前述べたが、問題はそこではない。大便をする時は、水を流しながらするという何とも難儀な方法を取らなければならないのだ。何度も逮捕され同行室の常連みたいな輩は事も無げに用を足すが、いくら同行室自体には大分慣れたとは言え、トイレだけはどうにも使用出来なかった。結局、痛い腹をさすりながら、順番を待つことにした。
3時を少し回ったころ、漸く声がかかった。『境街16番』腹に負担がかからないように、ゆっくりと立ち上がった。担当警官に気取られないようにしながら、エレベーターへと向かった。634号室に入り椅子にかけ手錠を外され、いつもの準備が整った。さぁ今日は自分から質問をと思い前に目を向けると検事の机には、分厚いファイルも書類も何も無い。いよいよ起訴が決まって、もう何も話す事がないからなのか?一瞬の間に色々な思いが頭を駆け巡った。次の瞬間、検事が口を開いた『今日は調書は取りません』しっかりとした口調で呟いた。やはりそうか、拘置所行きだ、そう思った時検事が再び口を開いた。『今までの貴方の供述内容や態度、そして今日の貴方の態度をみて処分を決めます』そう言い放ったのだ。どういうことか、すぐには理解出来ずにいると検事が続けた『貴方はこれからどうしますか?』どうもこうも、どうなるかも分からない状況で何と答えれば良いのか、答えに窮していると、『ここを出たら、まず何処へ行き何をしますか?』そう問われた。私は迷わずに『まずは妻と娘の所へ行きたいです』と答えた、そして妻と娘に謝罪したい…と その後、周囲の状況を確認した上で
就職活動を始めたい旨を説明した。すると検事は『そうですか』と短く応じ『今日はこれで終わります』と述べ三回目の接見が終了した。全く予期しない不思議な展開に動揺を覚えながら待合室へと戻った。いつの間にか腹痛も治まっていた。私は検事の言葉を何度も何度も思い返しながら、逆送の時間を待った。署に戻り少し遅めの夕食弁当を食べながら、担当の長身の看守に今日の検事の言葉を話してみた。『いい感じだと思いますよ』そう言うと薄く笑みをこぼした。彼ら看守の言う「良い」とは東京拘置所に行かないこと、つまり(不起訴)(略式起訴)(起訴猶予)(罰金刑)の何れかを指す。私はそのすべてにおいて全く知識が無かったので、何がなんだか把握しきれていなかった。何れにせよ看守によると「いい感じ」だということに変わりはないとのことだった。前回の接見で膨れ上がった私の不安はほんの少しだけ取り除かれた、そんな思いであった。 が、検事は一体どんな評価をして、どんな判断を下そうとしているのだろうか?また、また眠れない夜が続きそうだ。
第七章 最後の取り調べ
10月6日、逮捕から20日が経ち野前刑事との取り調べも何回目になるだろうか、そんな事に思いを巡らせていた。10時を過ぎた頃、『16番、調べ』看守が歩み寄ってきた。『16番』すっかり染み付いた私の名前も、いよいよ明日で終わるのか、それとも東京拘置所に移送され新たに名前が付けられるのか、全ては明日決定する。取り調べ室に入ると頭を丸めた野前刑事が待っていた。机に常設状態だったパソコンも見当たらず、あの分厚いファイルも見当たらない。昨日の検事室と同じ光景に目を見張った。野前刑事は例の如くおはようとも押忍ともつかない挨拶をし私もそれに応じた。椅子に座り手錠をパイプ椅子に付け替えると、徐に話し始めた。『もう取り調べはやらないよ』そう呟くと、傍らにいた若手刑事にお茶を催促した。明後日に迫った勾留期限を前に、こちらも調べは尽くされたのであろうか?それとも拘置所送りの被疑者に今さらという事なのか?私の身体中に緊張が走った。
『いよいよ明日、決まるね』そう呟くと少し笑みを浮かべ続けた『検事さんがどんな決定をするか分からないけど絶対に諦めるな』そう言うと『俺は明日から別の事件に入るから今日でお別れだ』私は『そうですか、お世話になりました』と応じた。野前刑事は刈ったばかりの頭を触りながら、『拙い調べで悪かったな』と頭を垂れた。私は『そんな事ありません、色々と話を聞いてくれてありがとうございました』と謝意を述べた。『後松さんにとっては辛い20日間だったかも知れないが、いい社会勉強だったと思ってこれから人生をやり直してくれ』そう笑顔で呟くと『貴方の事は誰も覚えちゃいないから絶対に大丈夫だから前を向いて生きていってくれ』『もし、誰かに何かを言われたら、確かに過去に過ちを犯したことはあったけど、今、一生懸命生きてます、頑張ってます』そう言えば必ず分かってもらえるからと…私は本当にありがたく野前刑事の言葉を受け取り深々と頭を下げた。そんなやりとりを終え、いよいよ別れの時がやって来た。私は最後に『止めてくれて、ありがとうございました』と言い再度深々と頭を下げ取り調べ室を後にした。私がこの思いを強くしたのは、逮捕されて4、5日が絶った頃だったろうか、冷静になり色々な事を考えられるようになってからだった。あのまま、犯行を続けていたら、いつか本当に実行に移していたかも知れなかった。それを止めてくれたのが誰でもない逮捕だったんだと思えるようになっていたのである。
明日どんな決定が出ようとも、真摯にその決定に従うことが今の私に出来る唯一の事であり、迷惑をかけてしまった園岡議員に対する謝罪でもあるのだと思っていた。確かに辛かった、逮捕されて以降、外部との連絡を断たれ留置場での孤独な生活が始まり、何処へ行くにも手錠をされ…人というか物のように扱われ…先も全く見えず…。そんな時の唯一の情報源であり、先を照らしてくれる明かりであったのが、野前刑事であった。『本当に、お世話になりました。ありがとうございました』私は、そう心の中で呟いた。
第八章 検事の裁定
勾留期限前日の10月16日は朝から快晴で何となく気も晴れ晴れとしていた。同居していた中国人は1週間ほど前に出ていった、何でも入管送りになったとか、その後どうなったかは詳しくは知らないが風の便りによると強制送還になったのではないか?とのことだった。 そんな訳で再び単独生活となった私は、自由時間には過去に思いを馳せたり、これからの事を一つ一つ思い描いたりなどマイペースな生活を送っていた。
今日はいよいよ検事さんとの最後の接見という事で表現し難いほどの強い緊張感に包まれていた。 朝食を終えると長身の看守と私の手首が太いと言い大きいサイズの手錠をかけたがる年配の看守がやって来た。『いよいよだねぇ~』年配の看守は他人事だけど少し心配そうに呟くと長身の看守も『進展具合からして大丈夫だよ』そう言って場を和ませてくれた。私は前日、野前刑事から不起訴はないよな、あれだけの事をしたんだから…と言われた事を思い出していた。確かに大変な罪を犯してしまったし寛容な決定が下る筈がない、そう自分に言い聞かせた。
9時過ぎいつも通り護送車が署に到着した。犯罪者である私だが、どこか清々しい気持ちで車へと乗り込んだ。清々しさの理由は、全ての取り調べ、事情聴取を終え自分の犯した罪を認め悔い改めていたからである、これから先は司法の判断に委ねるしかない訳で自分ではどうすることも出来ない、そんな開き直りの気持ちがあったのである。護送車内でも非常に冷静でいられ、皇居のお堀や国会、国立劇場など一つ一つ目で追う余裕があった。同行室へと向かう廊下を歩く足も少し軽やかに感じられた。同行室内の雰囲気にも慣れたもので、待合室に振り分けられる際の緊張も当初より大分軽減されていると実感できるほどであった。今日は6人列の一番前に座ることになった。毎回座る場所が変わるが何か意図でもあるのか?そんな余計なことまで考えられるほどであった。が、勘違いしてはいけない、こんな場所に慣れたところで何の自慢にもならない。ここに居ること自体が恥なんだと必死に自分に言い聞かせた。 今回も午前中には声がかからないまま、昼食の時間を迎えた。
そろそろ痺れを切らしかかった3時過ぎようやく声がかかった、『境街16番』そう言って待合室の前に立ちはだかったのは先日の新人警官だった。私はのそのそと立ち上がり進み出た、案の定腰ひもを通すのに少し手間取っていたが、事なきを得てエレベーターへと向かった。六階に着くと薄暗い廊下を634号室へと歩を進めた。中へ入ると、検事と書記官が少し笑みを浮かべて迎え入れてくれているように私には感じられた。パイプ椅子に腰を下ろし、手錠を外されるのを待って風向検事が口をついた。机には何やら小さな書類が置かれていた、それが何なのかは勿論分からない。『貴方のこれまでの署での取り調べやここでの貴方の言動を考慮した結果、貴方を略式起訴とすることになりました』起訴その言葉が脳裏をよぎった、と、つぎの瞬間、風向検事は略式起訴について説明を始めた。略式起訴とは貴方は出廷しないで裁判官と私たちで簡易的に裁判をして処分を決めるというもので、罰金刑以下の決定になることが説明された。つまり東京拘置所へは行かず罰金刑ということでで明日釈放されるのだという。私は全てを把握出来た訳ではなかったが、とりあえず『ありがとうございます』と頭を下げた。風向検事は更に続けた『今回はこういう決定になりましたが、次やったら、こんな事では済まないよ』と戒めも忘れなかった。『先日、貴方が言ったことを実行して下さい』そうそれは、まず家族に謝罪し落ち着いたら就職活動をすると言った私の言葉である。私は最後に何度も何度も頭を下げ『ありがとうございました』と言い検事室を後にした。待合室に戻る途中、担当警官から『良かったね』と労われ『署に連絡しとくから』と言われた。
私は待合室に戻ってからも、この決定の意味を暫し考えていた。私の犯した罪は大罪である、が、懲役刑ではなく罰金刑を決めたことには、どんな意味合いがあるのだろう?検事は私に何を期待し、このような処分としたのか?初犯という事も当然考慮された一因ではあるだろう。私は複雑な思いで地検を後にした。
案の定、署に戻ると刑事やら看守が挙って『よかったな』『もう二度と来るなよ』『これが永遠の別れだからな』等と思い思いを口にしていた。
だが、私にはこれが新しい人生のスタートであることには変わりはないが、どんなにか過酷なイバラの道の始まりでもあるのだと自覚していた。
第十章 家族との終(後)
地検を出た私は、逃げるように地下鉄の桜田門駅の構内へと走った。マスコミが私の釈放を嗅ぎ付け取材に殺到しているのではないか?そんな思いから、必死に走ったのである。駅構内へと逃げ込んだ私はすぐさま、公衆電話を探した、携帯電話は犯罪に使用したので証拠品として暫くは還ってこないのだ。辺りを見回すと、すぐに公衆電話は見つかった。私は妻の携帯電話へと電話をかけた、が、あいにく繋がらずに、ひとまず東京駅に出ることにした。東京駅までのわずか10分足らずの時間が異様に長く感じられ、また、人の目線が気になって仕方がなかった。東京駅に着くと、すぐにまた公衆電話を探した、ここでもすぐに見つかり、慌てて妻の携帯電話に電話した。何コール目だったか、『もしもし』私からの電話と察したのか不機嫌そうな声が聞こえた、『あっ、もしもし俺』そう言い終える間もなく『もう、大変だったんだからね!』私は小さく『ゴメン』と呟いた。そして、とりあえず家には戻って来ないで欲しいとの事だった。当面の生活費として、10万円振り込むからマンガ喫茶やネットカフェで姿を隠していて欲しいというのだ。そう私は実名報道された上、顔写真もネット上に公開されていたのだ。自宅近くにはマスコミらしき人間が彷徨いているそうで、妻と娘は親元に身を寄せていたのである。親元からさおりは職場へ通い、娘のゆきえも親元から車で一時間かけて通学しているということだった。私は何も知らずに、ただただ2人に会いたい一心であったが、現実はそんなに甘くはなかった、それが犯罪者とその家族が背負わなければならない宿命なのだと改めて実感することとなった。私は一週間ほどネットカフェで時間を過ごし、再度妻さおりに連絡してみた、案の定留守電に切り替わったが、私はメッセージを残すことなく電話を切り妻からの連絡を待った。何日待っただろうか、妻から電話があり、会って直接話したいことがあるとの事だった。大体想像はついていたが…後日妻の職場近くのファミレスで落ち合った。
少し窶れた感のあるさおりは両手一杯に荷物を持ってきた。それが何であるかは一目で分かった私は、ソファーに向き合うと『迷惑かけて、すまなかった』そう言い頭を下げた。さおりは、うん、うんと静かに頷きながら荷物を指差して、『分かるよね?』と優しく微笑んだ。私は黙って頷き荷物を受け取った。すると、さおりは『ゆきえがね…』そう言い終わらぬうちに私は遮り『元気にしてるか?』と言い放った。『ゆきえは元気よ、とっても』と応じてくれた。安心した私は、ほっと胸を撫で下ろした。暫く沈黙のあと、さおりが口を開いた。『実は私ね、好きな男性がいるの』逮捕前から、薄々勘づいてはいたけど、やはりそうだったのか、と今さらのように頷いて見せた。『それで?』と私は次を促した、『ゆきえも凄くなついていてね、一緒に暮らしたいの』ある程度予想していた言葉とはいえ、ショックだった。私とさおりは三年前に離婚し他人には理解し難い奇妙な同居生活をしていたのである。さおりは、この際きれいに精算したいというのだ。私は静かに頷き『分かった』と応じた。養育費のことや親権のことは、また今度ということで、さおりは店を後にした。その後、私は1人何時間いたであろうか?既に外は夕闇に包まれていた。
終章 16番の終
小田原斎場には、晩秋の肌を差す冷たい風が北東から吹き付けていた。高台にある、この斎場は築30年はゆうに経っているだろうか、外壁は一部が剥げ落ちていた。参列者は全部で20名くらいの寂しいお通夜であった、喪主を務めるさおりは、気丈にも列席者へ丁寧に挨拶をして回っていた。娘のゆきえは、父親が亡くなった事実は把握出来ているようだが、何故、死んでしまったのかは分かっていないようだ。さおりも理由までは話していないようで、ただ亡くなってしまったという現実だけを受け止めて、悲しみに暮れていた。 さおりの元へ1人の中年男性が近づいてきた、警視庁の野前刑事である。野前刑事は『この度は、ご愁傷様でした』そう述べると深々と頭を下げた。さおりは、事件の担当刑事と察したのか『この度は、大変お世話になりました』と返した。2人は暫らく、生前の後松について何やら話し込んでいるようだった、すると娘のゆきえが寄ってきて『ママぁ、だ~れ?』と無邪気に聞いてきた。すると野前刑事は『お父さんのお友だちだよ、こんばんわ』と取り繕った。ゆきえも『こんばんわ』と応じた。野前刑事の精一杯の優しさに、さおりは深々と頭を下げた。
私、後松 理は11月16日早朝、電車に飛び込み自殺を遂げていたのである。現場にはさおり宛の遺書が残されていたという、そこには事件についての謝罪とさおり、ゆきえへの思いが綴られていた。
さおりへ と題された遺書には、今回の私の身勝手な行動をまずは許してください。
そして事件のことでは本当に辛い思いをさせてしまって本当に申し訳ありませんでした。あんな犯罪を犯せば、家族にどれだけ迷惑をかける事になるか、全く想像出来なかった訳ではありませんでした。でも、どうしても自分の訴え、主張が通らない事に納得がいかなかったのです。議員や行政の行いは間違っている、その思いが強すぎてしまい、つい行き過ぎた行動になってしまいました。さおりは気づいていたか分かりませんが、私は相当な頑固者で曲がった事や不正は大嫌いで絶対に許せなかったのです。不正を糺そうなど、そんな大それた事を望んでいた訳ではなく、小さな事でもきちんと対応するのが行政の役割であり、それをきちんと制御するのが地方議員の役割と思っていました。それが疎かにされている現状が許せなかったのです。でも私は糺し方をどうやら間違えてしまったようです、他にやり方はいくらでもあったように思います。これ以上言うと、言い訳になってしまうので、この辺で止めておきますね。
さて、ゆきえの事ですが、その後、その男性とは同居を始めたのかな?ゆきえは大事に可愛がってもらえてるかなぁ、健常者に自閉症という病気は中々理解され難いから、とても心配しています。ゆきえは気持ちが優しいから余計に鬱ぎこみやすいしね。さおりはよく分かってるから大丈夫だとは思うけど、ゆきえのペースでゆっくりと成長を見守ってあげてくださいね。母親として最大限の愛情を注いであげてね、そして私の分も愛情を添えてあげてください、どうか宜しくお願いいたします。
では、そろそろ逝くね
さようなら
最愛なる妻 さおりへ
最愛なる娘 ゆきえへ
さおりは何度も何度も読み返し、そして、ゆきえに何度も繰り返し読み聞かせた。
了
はしがき
この短編小説は、フィクションであり登場する人物、名称等はすべて架空のものである事を始めにお断りさせて頂きます。
私はこの作品の中で1人の男が犯罪者となり、様々な葛藤と戦いながら自らを見つめ直し僅かずつではあるが成長していく様と、一方で弱い自分との戦いの中で破れ最愛の家族との別れに絶望し堕ちていく様を描きました。私はこの作品を通して、現代社会構造の矛盾点を炙り出し、また、その社会構造の犠牲者が多数いることを読書の皆様に知って頂きたいと思いました。 非常に稚拙な文章構成になってしまったこと、さらに支離滅裂な表現になってしまったことを、この場をもって謝罪させて頂きたいと思います。
このような作品になってはしまいましたが、最後まで愛読して頂ければ幸に存じます。
登場人物
後松 理 主人公
後松 さおり 妻
後松 ゆきえ長女
野前 刑事
風向 晋吾 検事
中年の看守
背の高い看守
他
理由はどうあれ犯罪はイケナイこと。、しかしながら、1役所の無慈悲、無機質な対応や1政治家の私利私欲から人生が狂ってしまった後松理。こんな事件は誰にでも起こり得るし起こらない保証はどこにもない。『ぜひとも、気を付けて生活していって欲しい』そんなメッセージが残せたら幸に存じます。