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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編集

RAN

作者: 響かほり

 物書きの友人と、苦手を克服しましょう!という名目の元、月一で作成することになった苦手克服小説の第一弾。

 八月の『テーマ「夏の嵐」、原稿用紙10枚』設定。

 「夏の嵐=テーマ」は何処行った!?という大失態を犯して、友人にそこを的確に突っ込まれた作品。

 感想、評価お待ちしております☆



 水を含んだ土塊の匂い。

 じっとりと肌に張り付く熱く湿った風が、重く荒々しく吹き荒れ、せ返るような鉄と生臭さを含んだ臭気を巻き上げる。

 灼熱をはらむ赫々とする太陽を掲げる蒼穹は陰り、昊は低く、黒くくすんだ鈍色の絨毯がせわしなく流れる。

 遠く宮城から打ち鳴らされる銅鑼の音に対抗するように、雷鳴が唸りを上げる。

 緑豊かで美しかった草原は、数多の人間に踏み荒らされて無残に赤い土を剥き出しにする。その上に重なるのは、赤銅を焦がした紅と、かつて人であった成れの果ての群れ。

 次々と寧国ねいこくの兵士たちは崩れ落ちて、枕骸ちんがいと成り果てる。城が陥落した完全なる負け戦。

 生き残ったわずかな兵は退避を始めるが、投降すら許さぬ敵は追尾の手を緩めない。

 負傷した兵士たちは逃げ遅れ、次々に凶刃に伏していく。自由にならぬ体に、容赦なく振り落とされる刃。悲鳴を上げ逃げる兵の横を、ひらりと単騎駆けていく。


ッ!」


 栗毛の馬に騎乗した小柄な将が蒺蔾槍しつれいそうを巧みに操り、敵を次々と薙ぎ払う。

 環鎖鎧かんさよろいを身に纏った女将軍の勇壮な姿に、絶望しか映さなかった敗走の兵たちの瞳に希望の色が宿る。


しん将軍!」

「そなた等は、早う逃げよ!」


 仲間に背を向けたまま、短く叫ぶ。

 ゆるゆると逃げ出す仲間の気配を背後に感じながら、秦瑤しんようは埃と血に塗れた体で構える。


「我こそは寧国が将、秦瑤!我が首を取って功としたい者は来い!」


 喧騒で音など通らぬその場に、彼女の声は凛と気高く響く。

 武勇の誉れ高い将の小さな体から放たれる気魄に、敵兵たちは飲みこまれ動きを止めた。


の兵はこの程度か!」


 声高に挑発した秦瑤の左前方から、土煙を上げて葦毛の馬に乗った将が風をきり、秦瑤の攻撃範囲に飛び込んでくる。


ッ!」


 振り落とされた戟刀げきとうを、秦瑤は咄嗟に己の武器で受ける。蒺蔾槍を握る両手が痺れる重い一撃と、その攻撃を繰り出した相手の顔に、秦瑤は表情を歪める。


丁成ていせい…」


 鍔迫り合いながら、憎々しげに女将軍が呟けば、その男は戦場に似合わぬ穏やかな笑みを浮かべた。


「会いたかったぞ、よう

「奇遇だな、私もだ」


 邂逅かいこうの念に染まる丁成に対し、秦瑤には露骨な怒りが浮かぶ。


「潔く投降するがいい。お前の命ならば救ってやらぬでもない」

「戯言を!」


 きつく奥歯を噛みしめた秦瑤は、渾身の力を込めて相手の刃を弾き、素早く相手の喉に矛の切っ先を突きつける。


「裏切り者の貴公に膝下などせぬ!」

「お前を突き動かすものが消えたのにか?」

「…どういう意味だ」


 丁成はおもむろに自分の腰に下げていた皮袋を持ち上げ、包みを解く。姿を見せたものに秦瑤の顔が蒼白し、わなわなと体は震えた。

 それは、血の気を失い蝋細工のようだったが、明らかに壮年男性の生首。


「陛下…」


 寧国君主、丁継光ていけいこうその人。

 激昂し歪んだ表情、爛々と見開いた双眸は、無念を秦瑤に訴えかけているようだった。


「俺が馘首かくしゅした」


 残酷な宣告をした男を、秦瑤はこれ以上ないほどに双眸を見開いた。


「なっ!陛下は貴公の兄ぞ!」

「そう…お前が心囚われ続けた男でもある」


 表情の途絶えた男は、兄だった者の首を秦瑤に向けて投げた。咄嗟に秦瑤は武器から手を放し、君主の首を抱き留める。

 瞬間、強い衝撃が秦瑤を襲う。丁成の戟刀のつんが、彼女の鳩尾に深く食い込んでいた。

 秦瑤の体から力が抜け、ぐらりと傾く。そのまま馬の背から崩れ落ち、無防備な格好で地面に叩き付けられる。

 僅かに動く視線で、秦瑤は馬上の男を睨む。


「俺の勝ちだ…捕えろ」


 見下ろす丁成の瞳は冷たく、自分の体に触れる敵の手を振り払うこともできず、人形のように秦瑤の体は持ち上げられる。

 女将軍はただ、手にした君主の頸だけをしっかりと抱きしめることしかできなかった。





 轟々と風が吹き荒んで木々を薙ぎ揺らし、怒り狂った龍が如く低く黒い昊を雷が迸っては咆哮を上げる。決壊した河の流れのように、昊から激しく雨が大地に打ち付ける。

 手足を木の枷で拘束された秦瑤は、薄暗い牢獄の中、ぼんやりとその音を聞いていた。

 丁成ていせいに囚われて幾日が過ぎたのかも、秦瑤しんようにはわからないが、あの日以来、嵐は収まる気配はない。


「秦瑤」


 格子の先から名を呼ばれたが、秦瑤は身じろぎひとつせず、壁の高所に唯一設けられた格子窓を眺め続けた。


「いい加減に何か口にしろ」


 すでに三日、食も水も絶っていた捕虜を案じて丁成は言葉をかけるが、返事はない。


「何時までそうしているつもりだ!瑤!」


 何度足を運んでも自分に視線すら向けない相手に、丁成は焦れて格子を拳で殴りつける。

 大きな音に、牢番が駆け寄ってくるが、丁成は威圧を以て彼らをこの場から追い立てた。


「何故お前は俺に従わぬ。俺はお前に勝った。約定を果たせ」

「…今更それを持ち出すのか?私をも裏切った貴公が…ほとほと酔狂だ」


 威圧的な相手に、ぼそりと秦瑤は呟き、ようやくかつての仲間に顔を向ける。

 少しこけた頬に表情はなく、感情の色を失った瞳が虚ろに丁成を見る。明朗快活な彼女の姿はどこにもない。


「かつて私がその約束をしたのは、寧の丁成だ。祖国を裏切り、王を弑逆した魯国の将にではない」


 それは、秦瑤の精一杯の抗いだった。


「…私は一年前の約束の日、あの丘で貴公を待ち続けた。だが貴公は来ないどころか、国を捨てた」


 嵐の中、秦瑤は丁成を待った。将軍職に就く王の六番目の弟でありながら、離反の噂があった男を。

 年も近く、軍に入ったのも同じ時期。常に共に戦い切磋琢磨した仲間だから、日毎に思いつめた表情になる丁成を案じた。

 だから秦瑤は、勝負を挑む形で丁成を呼び出し、彼の真意を探ろうとした。


『ただ剣を交えるのもつまらぬ。そうだな…俺が勝ったらつまになれよ』


 互いに適齢期を過ぎても独り身故の戯言で応じた丁成は、約束の日、秦瑤の前に現れることはなく、寧での全てを捨てて姿を消した。


「剣を交えれば、お前は確実に俺の本懐を見抜く…だから怖くなり、お前から逃げた」

「…怖い?」

「惚れた女には勝てぬということだ…俺の大望を挫かれる気がしてな」


 勇猛果敢、臆することを知らぬ猛将と知られた男とは思えぬ言葉に、ようやく秦瑤が唇の端を緩めた。


「貴公が成さずとも、あの畜生の馘ならば、私がいずれ刎ねてやる心算だった…あの男が勝ち目のない戦に父を送り、再三の援軍要請を無視して見殺しにした事も、幼かった私の体を蹂躙した事も、生涯赦せぬ故」


 淡々と告げた秦瑤は、表情の変わらない男を見て、憎い仇の弟君が自分の告げた事実を知っていたことを悟り、悲しくなる。


「心おきなく逝ける…ありがとう、成」

「瑤、俺が欲しいのは、そのような言葉ではない…ただ、諾と言え」


 昔の様に気安く丁成の名を呼び、穏やかな表情を垣間見せた秦瑤は首を横に振る。


「細君にはなれぬ…貴公に非はなくとも、貴公はあの男の弟故な…私は寧の将としての死を望む…帰られよ」


 死を覚悟した瞳で相手を見、言葉を返した瑤は、再び視線を丁成から逸らす。

 一度決めたことを覆す事のない彼女の決意を悟った丁成は、最も告げたくなかった言葉を口にする。


「…明日、処刑になる」


 丁成は秦瑤の返事を待たず、踵を返して帰路を進み始める。

 秦瑤は遠くなっていく怒り混じりの足音に、黙って耳を傾け続けた。

 丁成が寧を捨てた時、秦瑤は酷く憤った。自分も寧とともに捨てられた気がして。女として見てはくれずとも、仲間として丁成と生涯共にあれば、秦瑤にはそれが至福だったが、今はそれも叶わない。


“このような男勝りに惚れるなど、本当に貴公は酔狂だな、成…そんな貴公を好いている私も同じか…”


 想う故に、秦瑤は丁成の手を取れなかった。同族殺しの罪を丁成に負わせてしまったから。

 胸に秘めた思いを隠したまま逝くことが、丁成にとりせめてもの幸いとなることを願い、秦瑤は小さな窓を見つめた。





 嵐は止まない。

 泣くことの出来ない二人の想いを映すように、激しさを増していつまでも慟哭を上げ続けた。



       了




◆作品内の武器防具の説明◆

 一応、昔の中国で実際に用いられていた武器防具を書いてありますが、特殊すぎて分からないものもあるので、気になる方は下記を参照して下さい。

 興味のない方は、サックリスルーでOKです。



蒺蔾槍しつれいそう

 棘のある草(浜菱=蒺蔾)から名づけられた多刃武器で、突き攻撃用の鉾刃と、棘のような刃を組み合わせた武器。突かれても横殴りにされても非常に痛い武器。


戟刀げきとう

 鉾と戈(頸を掻き切る刃)を組み合わせた武器。戟の最晩期の型。真三国無双4までの呂布が所有していた武器を想像していただくと分かりやすいです。

 ちなみにつんは、長柄のお尻部分。石突・バット(butt)とも呼ばれます。


環鎖鎧かんさよろい

 細かい鉄の鎖を布のように縦横で編みこんで作られた鎧。普通の鎧に比べて矢や銃弾から身を守るのに優れている。

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