六
その日はもちろん、メールは来なかった。
頭ではわかっていた。職場に携帯も持ち込めない。
何度か機会をみてチェックをしてみたものの、メールが来た形跡はなかった。
……形跡って……メールが来たって、すぐ消えちゃうじゃないの。
苦笑いができる自分がいる。
今までの信じられない出来事は、驚くほど信じる事が出来て、
そしてこの上なく、あたしの心を軽くしていた。
さんざん泣いた後の、あのスッキリ感のように、心の付きモノが落ちたようだった。
それが自分でも驚きであり、滑稽でもあった。
何も言わずに突然死んでしまった舜。
その彼が、あたしの気持ちを守るために出てきてくれた。あたしの気持ちを救ってくれた。
自分の為じゃない。きっと、あたしの為。
その夜、舜のお母さんから家に電話があった。
電話を取ったあたしのお母さんはとても驚いたようだったけど、あたしは全然驚かなかった。
驚かない自分に、驚いたくらい。
電話の内容は、明日の一周忌に、もし可能ならばあたしも出てほしい、というものだった。
舜のお母さんは電話の向こうで、あたしと話しているうちに泣きだしたようだった。
「……今頃、こんな連絡を差し上げてしまって、ごめんなさい……。
今まで、優希さんに失礼をしてしまって、本当にごめんなさい……」
別に、舜のお母さんが失礼な人だとは思った事も無いし、連絡を取らなかったのはあたしも同じだ。
「変な話だと思って……母親ってこんなに情けないものなのかと……夢に、舜が出てきたんです……今朝、ね……。
自分の失敗で、多くの人たちに迷惑をかけた、苦しませた、ごめんって……謝るんです。
僕のせいで、誰も不幸にならないでって」
「母親って本当にみっともないわね。それで泣いて電話をするのだから」と、舜のお母さんは泣き笑い声であたしに言う。
「それでね、私はとても反省したんです。息子に心配をかけてはいけないなって。
私、初めから分かっていました。あの事故は、誰のせいでも、ましてや優希さんのせいでも、
絶対にありません。……本当に、今まで失礼を致しました。申し訳ありません」
泣きながら謝るお母さんを聞いて、あたしは「やっぱりこの人は舜のお母さんだ」と感心した。
この人は、すごい。
息子の死から立ち直ろうと、小娘のあたしに頭を下げている。
自ら、電話をして。
あたしは将来、もし母親になった時、こんな行動が取れるだろうか?
最愛の息子と最愛の彼氏、無くした痛みは、比べる事ができるのだろうか?
「舜が夢の中で、『彼女はすごい。闘っている。この間のメールが恐かった。』なんて言って一人で笑っていたんです。きっと優希さんの事をいっているのだと思ったわ。
私、生前あの子からちょっとだけ、貴方の話を聞いたことがありました。
すごく、さわやかで気配り上手なガンバリ屋さんだって。
その時、『恐いメール』の話でも聞いたのかしら、ね」
舜のお母さんはそう言って笑って、あたしは涙で喉が詰まった。
一周忌には、時間をずらしてお伺いさせていただきたい、とあたしはお願いをした。
その時、舜くんの荷物の中で、確認したい事があるんです、と。
舜のお母さんはちょっと不思議そうだったけど、舜の荷物は全部、あの子の部屋に置いてあるから、是非ご自由に、と言ってくれた。
当然の様に見つけた、赤い縁取りのナイロンジッパーのそれは、舜の遺品の小物入れの中に入っていた。
デジカメのメモリーカードが2枚、透明なカードケースに入れられていた。
家に帰ってそれをパソコンで見ると、『ほとんどが仕事関係』とは程遠く、その大部分があたしと舜の
写真だった。
二人で2回ほど行った旅行の写真。
あとは、社内旅行の写真で……これは多分、彼が幹事の一人だったから……仕事の写真は、申し訳程度に30、40枚程度だった。どこかの物件の写真。
『仕事関係』と言えば、あたしが納得して引き受けると思ったのだろう。
確かに彼女と二人での旅行の写真が大量に見つかったら、お母さんやお姉さんの心中は穏やかではないのかもしれない。
はじけるような笑顔のあたし。幸せそうな舜。何枚もの、二人の写真。
基本的に処分してほしい、って言った彼が、今更ながら舜らしくって笑ってしまった。
きっと、あたしの心の重荷になりたくないって事なのね。やれやれ。自分、死んじゃっているくせに。
でもこれ、あたし一人の写真がいっぱいだよ。こんなの、あたしが持っていても確かにしょうがないわ。
あたしは、海辺の夕日をバックに写っている二人の写真を見ながら、思う。
舜、安心して。
あたしは、あたしのやりたいように行動するから。
これは、いつか処分するよ。処分、したくなった時にね。
だから、それまで持っているよ。
ごめんねー。そこまであなたに振り回されないわよ、あたしは。
それから3年たって、あたしは結婚した。
出会って半年の、スピード結婚だった。
彼は、向井君に似ているとは、言えない。舜とは、比べた事も無い。
海外旅行の好きな人で、色々な所に連れて行ってくれたが、
モルジブだけは、まだ行った事が無い。
一年たって、息子が生まれた。
舜、という名前はつけなかった。
今でも、携帯にメールの着信があると、どうしても期待してしまう。
だから、メールの着信に音は出さない事にした。日常生活が滞ってしまいそうだったから。
3歳になった息子は、昆虫に魅了されて、カブトムシやクワガタムシ、カマキリまで幅広く愛する。トンボなんかは、素手で羽を掴む。
その生き物好き(?)が高じて、保育園で飼育係に抜擢された。
飼育係はそれぞれ、担当の動物に名前をつけられるらしい。
保育園の帰り道、息子が嬉しそうにあたしを見上げた。
「カメの名前を決めたよ!シュンって、する」
あたしは絶句した。
「なんで、『シュン』?」
「なんか、『シュン』って顔をしているんだ」
どんな顔よ、それ。
唖然として、胸がドキドキして、息子を見ながら、ふと、あの時最後に見た夢を思い出した。
あの時、舜が言ってた小さな男の子達、案外、あたし達の近くで話を聞いていたのかもしれない。
舜に、あたしの携帯を渡してくれた子達。
舜の為に……あたしの為?
あたしは自分のお腹をそっとなでる。
今日、分かったばかりのこの命。これもひょっとしたら、男の子かもしれないな。
でも、ペットに名前をつけたのは、あたしじゃないからね、舜。勘弁してね。
よりにもよって、カメなんて。今頃、頭を抱えているのかしら。
最後まで読んで下さって、本当にありがとうございます。
このお話は半分ぐらい、実話です。
どの辺りが実話かは、皆さまのご想像にお任せします。
幸せは、気の持ち方で変わるって事も、お伝えしたかった事の一つです。
がんばれ、女の子。
あ、男の子もね(笑)
では、次作も宜しくお願い致します。
2010年 10月 10日 戸理 葵