四
まだ夢の続きをみているような気分だった。
でもどうやら現実だ、現実と言う事にしておこう。後で目が覚めるかもしれないけど。
あたしはしばらく画面を眺めた後、気を取り直して返信を打った。
題名 Re:土曜日
本文
何の事?
他に思いつかなかった。
送信主が誰か知りたい、だけど下手にこちらから聞く訳にもいかない。それにこのメールの内容。
誰でも書ける気がするけど、「モルジブ」って、何?
あたし、誰かにモルジブの話でもした? まったく記憶にないんだけど。
よもや、誰かがあたしの夢の内容を知っているとは思えない。
……よもや、舜が向こうの世界からメールを打っているとは思えない。
ところが、この返信メールが送れなかった。
宛先不明で戻ってきたのだ。
あたしはびっくりした。だって、昨日は送れたじゃない。
2、3度試したが、その度に戻って来る。
……おかしい。あたし、相手先のメルアドを知らない間にいじった?
あたしは受信フォルダを開いた。メルアドを確認するために。
ところが、このメールが消えていた。
受信フォルダから消えていた。
今日のメールも。昨日のメールも。
「優希、具合が悪そうに見えるけど大丈夫?」
食卓でお母さんが、少し心配そうに聞いてきた。
「ほんと?そう見える?大丈夫だよ。具合は悪くない。……ちょっと、気になる事があるだけ」
「そう……。昨日もデパートから早く帰ってきたわりには疲れて見えたから、体調が悪いのかなって思った」
お母さんは、あたしの勤め先を「会社」と言わずに「デパート」と言う。確かにそうなんだけど。
「ごちそっさん」
斜め前に座っていたお父さんが、箸を茶碗の上に置き、いつものように立ち上がって部屋を出ていった。
洗面所に行って歯を磨いて、の支度をするのだろう。
お父さんが出ていったのを見届けて、お母さんはあたしの真向かいに座った。
両肘をついてあたしを見る。
その机の上に、おかあさんの朝食はない。なんだろう? なんか、あたしに話?
あたしはミルクティーを飲みながら、なんとなくお母さんを見た。
お母さんも私を見続けている。
な、なんか気まずい。何かしら?
するとお母さんは、困ったような笑ったような緊張したような、なんとも形容しがたい表情をつくった。
「……もうすぐ、本多君の一周忌よね」
ああ、それか。
「うん。そうだね」
「今週の……確か、土曜日よね」
「……うん?」
舜の命日が、一周忌がいつか、なんて忘れた事はなかった。
それが土曜日な事も知っていた。もうすぐで、今週だってこともわかっていた。
なのに今、急に頭の中で繋がるものがあった。
あたしはミルクティーを口に付けたまま固まった。
今週の土曜日!!!
あたしがしばらく動かないので、お母さんは言葉を続けた。
「優希の、したいようにやって、お母さん、必要ならどこでも付いて行くよ」
あたしは舜のお通夜とお葬式には出たけど、初七日と四十九日には行かなかった。
実際、後の二つには呼ばれなかった。
初七日は省略する家も多い、と後で知ったけど、本多家がどうしたのかは知らないし、四十九日は、省く事はないと思う。きっとどこかでやったのだろう。
あたしだって、行く気があるなら、ちゃんと先方に電話して聞くなりすれば済む話なのだが、
それをしなかった。出来なかった。
あたしを送り届けた後に、死んだ舜。
疲れて、居眠り事故で死んだ舜。
皆の空気があたしに刺さる気がした。
あの子のせいで舜が死んだ。あの女のせいで舜が死んだ。
恋人が死んで、可哀そうに。恋人が自分のせいで死んで、さぞ地獄を見ているだろうに。
恋人が死んでも、あれだけ若ければ、きっといつか、違う人と結婚するよね。
人それぞれ、思う事はそれぞれ、
でも皆が、あたしの事を見ているのは確か。あたしの事を色々考えて、言っているのは確か。
それに耐えられなくて四十九日にも顔を出さず、舜と昔一緒だった職場もやめた。
お母さんは、あたしが一周忌の事で悩んでいると思ったのだろう。
もしあたしが一周忌に顔を出したくて、でも出しづらいなら、自分も一緒についていく、と言ってくれているのだ。
でも、申し訳ない事に、あたしがその時考えていたのは別の事、
あのメールと今朝と昨日の夢の事だった。
舜が、あたしと待ち合わせをしようと言ってきたのも、今週の土曜日だった。
何かが、あたしも気付かない何かが、シグゾーパズルのピースのようにはまった気がした。
でも、そんな事ってあるかしら。
今まで、どんなに泣いても願っても、舜が出て来てくれる事はなかったのに。
(そりゃそうか。眠っていたんだものね、あの子)
「……あのさあ……しゅ……本多君って、今、どこにいると思う?」
「……え?」
「今、ちゃんと天国にいるかなあ」
「……いるんじゃないのかな? いい子だったんでしょう? 穏やかで、優しくて」
お母さんには、舜を紹介した事がなかった。
でも、時々あたしが話を聞かせていた。ほぼ、自慢話だったけど。
「うん……。それがね、ちょっと呑気な所がある子だったから……今、起きたらしいの」
「え?」
「ずーと眠っていてね、あのまま眠っていて、今起きたらしいの」
「……あらあ……」
お母さんはさすがに随分と驚いたようで、どう言ったらよいのか分からない、という表情をしている。
「それで、最近あたしの夢に出てきて、ケータイにメールしてくる。
……って言ったら、お母さん、信じる?」
「……ケータイ?」
「そう。普通の、現実の、本物の携帯。でもそのメール、すぐ消えちゃうんだけど」
「……あら、まあ」
お母さんは、霊とかオカルトとかを絶対的に信じない人で、科学的根拠が無い話はまるっきり相手にしない。
柔らかそうな雰囲気を持った人なんだけど、すごい現実主義の人だ。
だからこそ、そんな人に話を聞いてもらいたかったのかもしれない。単純に、意見を聞きたかった。
「夢に出てきて、メールもくれるの?」
「うん、そう。メールで夢の続きの話をするの。そのメール、すぐ消えちゃうんだけど」
「……あらあ……」
どうするかな? 我が娘がオカルト話を真顔でしている。
どんな理屈を並べ立てて、全否定をしてくるかしら?
あたしはちょっと楽しくなった。
「どう思う?」
「どう思うって……どうするの?」
「え? 何が?」
「どうするの? これからも、その『本多君』とメールするの?」
これから、どうするか?
そこまで考えていなかった。だって、この状況をどう理解していいか迷っているくらいなんだもの。
……どうするか? うわぁ、さすが現実主義のお母さん。
考えて、しばらく黙っている間、お母さんもじっと待っていた。
「そのメールが実際誰からかは分からないんだけど……誰かのいたずらかと思っていたし。それなら、無視するか……喧嘩しようかと思っていた」
自分で言って、自分で笑ってしまった。喧嘩しようと思っていたんだ、あたし。
「……でも、本当に『本多君』のメールだとしたら……」
考えていたら、思うより先に言葉が出た。
「彼には、ちゃんと天国に行ってほしいな。いつまでも、ここにいちゃいけないんだと思うな。
きっと……そう……」
お母さんは、それをじっと聞いていた。
あたしは、じっと黙ってしまった。
「……お母さんね、天国とかあの世って信じてないの。人間って、死んだら何にもなくなるものだと思っている。土に還って、ね」
お母さんはあたしの隣の空間を見ながら話し始めた。
「でも、新潟のおばあちゃんが亡くなった時、天国で幸せにやってほしいって思った。
信じてないけど、そう願ったのね。
……天国って多分、生きている人達のためにあるんだと思う。
生きている人達が、亡くなった人たちに思いを馳せる時、天国やあの世を思い浮かべるのね。
幸せでいてほしいって」
そして困ったようにあたしを見た。
「優希に何が起こったのか、本多君とどうしたのか、残念ながらお母さんには分からないのだけど、
優希が現実を受け入れて、それでも人生を前に向いて進んでいこうとしているのは、わかる」
あたしの手をそっと握って、お母さんは微笑んだ。
「本多君をとても大切に思っているのね。優希は強い子だわ。
何があっても、優希が何をしても、お母さんは優希の味方だから」
舜が死んだ後、両親とじっくり話した事はなかった。お互いなんとなく避けていた。
今、正面からお母さんの話を聞いて、あたしは少し胸が熱くなった。
昔は随分反抗したけど、やっぱりお母さんだな……。
……あれ?
「……それはつまり……あたしの言う事を、信じていない、と?」
「言う事? どれ?」
「夢、とか、メール、とか」
「ああ。わからないわよ。だってお母さんが体験したわけじゃないもん」
あたしの手を握ったまま、しれっと言う。
そうだ、こういう人だった。自分が見た聞いた体験した事以外は、信じない人だった。
科学的根拠が大好きな人だった。
「だって、舜がいい人だから天国にいるだろうって言ったじゃん」
「そうねえ。悩んでいそうな娘に、あんまりシビアな事を言っても、ねえ」
にっこりと笑うお母さんに、何故だか心の軽くなった自分がいるのは、やっぱり娘だからなのね。
あたしもにっこりと笑って、心の中でこう答える。
やっぱり、舜なんだよ。そう思う事にした。
もう、メールは消えてしまって、確かめようがないけど。
あたしが、彼に天国をおしえてあげなくちゃ。
今週土曜日までに。
今日は木曜日。