三
「なにこれ。すっげ、恐いんだけど」
舜がチョッピリ怒ったような声を出し、
あたしより身長が30センチも高いくせにどうやるのか、少し拗ねたような上目使いであたしを見ながら、あたしに携帯の画面を見せた。
拗ねてる顔もなんて可愛かっこいいんだろう、
なんて思いながら、差し出された携帯の画面を見て、あたしはびっくりした。
「……え……!! え、だって、これ……。……あれ、舜からだったの!?」
画面には、あたしからの怒りのメール
『ふざけんな』が表示されてる。
「優希って、怒るとこえーのな。こんな、なるんだ? そんなに怒られる程、俺、放っといた?」
彼は面白そうにニヤニヤと笑って、私を見下ろしている。
腕を組んで、あごに手をやり、休日スタイルの長めのくせっ毛の前髪を揺らして、こっちをみている。
彼の大きな瞳は、やっぱり綺麗だ。
「え……あ、だって、ほら、あの、変な人から来たのかと思ったし、そしたら、あの、……付きまとわれたら困るって思ったし……」
一瞬、ちょっと恥ずかしくなって、彼の胸のあたりに目を反らしかかった。
だってあたしは普段、あんな乱暴な言葉使いはしない。
……親しい女友達同志だったら、時々は使うかもしれないけど……。
そして慌てて、反らしかかった眼を、舜の顔に戻す。
眼を、反らす事がもったいない。出来るだけ、見ておきたい。
見れるうちに、見ておきたい。
「わかってるよ。冗談、冗談。俺、優希のそういう、普段は柔らかくて明るくて可愛いけど、いざとなったらビシッと立ち向かうとこ、好きだから」
可愛い。好きだから。
彼に面と向かって言われて、その大きな瞳に見つめられて、あたしはドキンとした。
そんな事、面と向かって言われた事、ない。
彼は少し恥ずかしそうに下を向いて、手にした携帯をいじりながら、クスクス笑って言った。
「でもなー。せっかく彼氏が誘ってるのにさ。警戒されるなんて、いくら俺の仕事が忙しかった、言ってもなー。忘れられてる? 俺って?」
「そんなこと……って、それ! その携帯! 何それ!?」
あたしは弁解するのも忘れて、舜が持っている携帯に飛びついた。
舜は携帯ごと手をあたしに掴まれて、呆気にとられた様子だった。
「これ、何? どうして舜が持ってるの? どういうこと??」
携帯ごと舜の手を握って、ガバッと彼の彼の顔を仰ぐと、
彼は一瞬あたしの勢いに押されていたが、やがて少し、バツの悪そうな顔をして瞳を横にずらした。
「え……ごめん……ちょ……なんか、ヤバい?」
仕事の時はそうでもないんだけど、私といる時はすぐに謝るのは彼の癖だ。
以前にそれを突っ込んだら、「……惚れた弱みってヤツ……?」と顔を真っ赤にしながら反らされた覚えがある。
「これ、さ……拾ったんだ」
「拾ったぁぁぁ?」
「いや、拾ったっつーか、貰った? みたいな?」
「貰ったぁぁぁ? 携帯を? どう言う事?」
普通、拾ったり貰った携帯を使う? なんて考えながら、心の片隅で認識する。
だって、この世界は、普通じゃない。
彼は少し困ったように遠くの方を見つめて、ちょっと間を置いてから、言った。
「俺、さ。一人で歩いていたんだ。……なんか、困ってさ。
優希に連絡を取りたかったんだけど、何もなくて。
そうしたら、近くに、……男の子が二人、近づいてきたんだ。
その子達が、『お兄ちゃん、この電話、使えば?』って」
そう言って、二人の手の中の、ピンクシルバーの携帯を眺める。
あたしはなんとなく、状況が読めてきた気がした。
「……男の子?」
「うん。5歳くらい? と……3歳くらい? なんか、とにかくちっちゃい子。」
あたしは彼の顔を見上げて、その綺麗な瞳を覗き込んで、思いきって聞いた。
「舜……ここに来る前、あなたはどこにいたの?」
すると彼はすこしビックリしたようにあたしを見つめ、そして当り前のように言ったのだった。
「ここに来る前はちょっと散歩したけど……さっき、優希と出かけたばかりじゃんか。
行ったじゃん、買い物に。家の方まで送り届けただろ」
あたしも、彼を見つめた。そして直感した。
彼の中では、あの事故以来、時が止まっているんだ。
「どのくらい散歩してたの?」
「? さあ? そんなしてねーよ? ……多分……10分くらい……? いや、……一時間かも。……あれ? もっとかな? いや、でも、そんな歩いてない気もするし」
言いながら、彼は少し困惑しているように見えた。
彼は困ったままあたしを見て、困ったまま言った。
「そしたら、優希に会った。水着買い忘れたっつーから、買いに行く約束、したろ? 会社の休み、取らなきゃなって思って、……取れたと思って……あれ? とにかく取れたと思ったから、メールしたんだけど……」
少し眉間にしわを寄せて、彼はあたしを見た。
「俺、なんか変?」
あたしは泣きたくなった。我慢しても、我慢しても、涙が溢れてきた。
それでも頑張って、彼の顔を見詰めたまま、涙もぬぐえないまま、
彼の綺麗な顔を両手で包みこみ、彼の顔をそっと引き寄せた。
彼はその長身をかがめて、あたしの両手にあわせてゆっくりと近づいてきて
あたしと彼は、額をコツンと重ねた。
舜は今、迷っている。迷子になっている。
自分の状況がよく理解できなくて、少し当惑している。
当り前だよね。だって、眠っている間の出来事だったんだもの。
あたしは言葉を選びながら、涙を流しながら、微笑みながら、言った。
「舜はね、あの日、あたしを家まで送ってくれた後、いつも通り高速に乗ったの。
そしてね、いつも通り帰っていたんだけど、……眠っちゃったの。
ごめんね。仕事であんなに疲れているのが分かっていたのに、あたし、無理させちゃったね。
振り回しちゃったね。
それで舜は眠っちゃって、……それで……それで……」
息が詰まる。言葉が続かない。彼の頬を包んでいるあたしの両手が震えている。
彼は黙って聞いていて、しばらくしてら、低い、少しかすれた声であたしに聞いた。
「俺……死んじゃったの?」
言葉が出ない。体が震える。喉が詰まって、痛い。
それでもあたしは、彼の瞳から目をそらさなくって、そらせなくって、ただ見つめたまま泣き続けた。
やっと思いで、小さく頷けた。
それが、舜に対する、最低限の責任だと思って。
「……そっか……」
彼はしばらくしてから、あたしの両手をそっとはずし、自分の両手で握ってくれてから姿勢をおこし、
前方を見つめながら、また呟いた。
「……そっか」
そのまま、じっと動かず無表情な舜に、あたしは声がかけれなかった。
しばらくして、彼はあたしを見た。その顔は何と、少し笑っていた。
寂しそうな、切なそうな、でも柔らかい笑顔だった。
「……なんか、しょうがねえな、俺って。みっともないな、全く。かっこわりい。居眠り運転で死ぬなんて、ほんと、マヌケ」
そして、少し俯いて言った。
「なんか、納得。なんでか分からないけど……なんか……そうかあ、って感じ」
それからハッとしたように顔をあげてあたしを見た。
「まさか俺、誰かを巻き添えにしたんじゃあ……」
「あー、それはないよ。大丈夫。……止まっているダンプの後ろに突っ込んだから。……運転手さんも、怪我ないし……」
彼はホッとしたように肩を下ろすと、その後には眉を下げて情けなさそうに言った。
「それはよかった……っていうか、まあ、なんというか、マシだけど……俺、マジかっこわりい。人生最後が、それかよー。居眠り事故なんて、24で、どんだけ眠いんだって。もっと仕事サボっときゃよかったなー。……ねえ、その事故って、いつ? 昨日?」
あたしはドキンとした。
この子の中では、時間が止まっているのかもしれない。
「……一年前だよ」
舜はポカン……として、それから言った。
「どんだけ眠いんだよ、俺……」
それから彼はあたしの髪を撫でて、少し沈んだ声で言った。
「ごめんな……。グアムも、行けなかったな」
あたしは思わず笑ってしまった。
「え? それを今言う? グアムなんて……これから、どこでも行けるじゃない。モルジブだって」
「え? 何で?」
ビックリして、大きな目を更に大きく見開いた彼の顔に笑っちゃいながら、あたしは言った。
「だって、今、こうして会えてるじゃない。これ、あたしの夢だもん。どこへでも連れてってあげるよー、あたし」
「えー!? これ、優希の夢なのー!?」
「そうだよー。じゃなきゃ、こんなに喋れないじゃんー。舜の夢、リアルに見れて、超嬉しい。……まあ、この携帯は、リアルすぎるけど」
「これって優希の夢、なんだ? この世界って、そういうモノなんだ?」
ポカーンとして呟いていた彼は、あたしの視線に気づいて、その先にある、彼が手にしたピンクシルバーの携帯に目を落とした。
「何? この携帯? なんで?」
「だってこれ、私の前の携帯だもん。あのメールのせいよ。舜があたしの携帯を拾っただなんて、願望が思いっきり反映されているなあ。いい夢だ」
「へえー。これ、優希の携帯だったんだ。道理で、なんか見た事あると思った」
「でしょ? あたしも、自分の昔のメアドからメールが来て、びっくりしたよ」
「……それも、優希の、夢の話?」
あたしは少し言葉に詰まった。
解決できていない、現実の問題を思い出したのだ。
そうだ、いくら夢の中で思い通りにセッティングしても、現実は、別。
「……ううん、ほんとの話……」
すると彼はジッとあたしを見た。
「それ、いつ?」
「んーと……今朝、かな?」
「それって、俺がさっき、優希と会った後? 俺が送ったメールの事?」
舜と話がかみ合わない。
それは、そうだ。だってこの夢の中では、あのメールは舜が送った事になっているのだから。
拾った、昔の私の携帯を使って。
なんてご都合主義。
「……そうだよ……」
あたしは少し俯いたが、彼はそんなあたしの様子にはさほど気に留めず、じーっとその携帯を見つめていた。
「……そうか……使えるんだ、このケータイ……」
「何? 電話でもかけてくれるの?」
「かけれないんだよ。言ったじゃん、なんでか知らないけど、電話の調子は悪いんだって」
彼はそう言って、その携帯の画面を見せた。
「それにほら、アンテナが立ってないんだ、ここって」
見ると、確かにアンテナが立ってない。
「へー、アンテナいらずなんだー。便利だねえ」
「なんだ、そりゃ」
彼はクスッと笑って、あたしの肩を抱き寄せた。
「ここが、天国でも夢でも、どっちでもいいや。優希をこうやって抱けるんだもんな。考えてみりゃ、人生最後に会った人間が優希っていうのも、なんだかいいね」
泣けばいいんだか、笑っていいんだか、わからない。受け入れるの、早くない?
そうか、一年間も眠っていた子なんだから、基本的に呑気なのかもしれない。そういうもの?
その時、何故だか、お葬式で泣き続けてあたしと目を合わさなかった、舜のお母さんを思い出した。
「お母さんにも、会えた?」
彼はキョトンとあたしを見た。
「母親? ……いや、まだ優希にしか、会ってない。だってこれ、優希の夢だろ? 俺、そんなに色んな人に会えるの?」
え? 何、そんなの知らないよー。そこまで設定考えてないよー。
どうしよう、今想像して、彼のお母さんを登場させるべきかしら?
「そんな、びっくりするなよ。ちょっとからかってみただけ」
「舜って……順応力、あるね……。死んだ、とか、夢、とか……」
「ん。俺ってあんまり物事こだわんないタチだから」
彼は少し笑った後、身をかがめてあたしの顔を覗き込んだ。
「……俺の母親に、なんか、言われた?」
その綺麗で真剣な眼差しをしばらく見つめた後、あたしは黙って首を横に振る。
「ほんとに? なんも?」
「……なんにも。本当に。……本当に……一言も」
彼はその様子をジッと見てから、そっか、と小さく呟いた。
そして身をおこして言った。
「母親にも会ってみるよ。ごめんな。きっと辛い思い、させたんだよな。……俺のせいで……」
「舜に謝って欲しいんじゃない!!」
あたしは気がつくと、反射的に叫んでいた。自分でも少しビックリしていた。
「謝ってほしくって、夢の中に出したんじゃない!! 私が、私が会いたくって……会いたくって……謝りたくって……ごめんなさいって……」
泣けてくる。涙が出てくる。泣きたくないのに、止まらない。
こんなに泣いたら、彼はきっと自分を責める。そういう子だから。
舜は、あたしを腕の中にそっと抱き寄せて、かすれた声で囁いた。
「優希は、悪くない」
「舜も、悪くない」
あたしも涙で詰まった声で、囁いた。
しばらく二人で抱き合っていたら、彼が急に顔をあげた。
「あれ? 誰か呼んでる」
「え?」
あたしも顔を上げると、彼が少し上方の周りを見渡しながら、言った。
「ほら、誰かが呼んでる」
「誰を? 舜を?」
「違うよ。優希を呼んでる」
え? と思って耳を澄ますけど、あたしには聞こえない。
「誰? 聞こえないよ?」
「聞こえるよ、ほら」
聞こえない。聞こえるのは、変な騒音だけ。どこかでサイレンが聞こえる。
「ほら、呼ばれてるよ。そろそろじゃね? ……またな。次はモルジブに呼んでよ。出来るんでしょ?」
彼の悪戯っぽい、クスッとした笑顔。それを見ながら、
あたしは徐々に目が覚めていった。
なんて、素晴らしい夢。
起きたら、凄く疲れていた。
何、あの、ディティールに凝った、しかもご都合主義の夢は? 夢としては、完璧ね。
全然寝た気がしない。気力を使い果たした。
……幸せな夢だから、ストレスはあんまりなくっていいんだけどね。
目覚まし時計を止めて、ベッドから這い出る。あー、なんだか朝からテンパッた気分。
あたしの都合に曲げたシチュエーションで、舜に「君は悪くない」なんて事まで言わせて、なんだかかえって罪の意識を感じてきたわ。
段々頭が覚醒してきて、自己嫌悪に陥りそう・・・・。
とりあえず顔を洗ってこよう。
そう思って立ちあがったら、鞄が視界に入ってきた。
あの中には、携帯が入っている。あの、メールを受信した、携帯。
昨日はあの後、結局ほとんど仕事にならなかった。
形だけ動く事は出来ても、あたしの表情を見たほとんどの人が「川本さん、具合が悪いの?」と聞いてきた。
実際具合が悪くなったのだけど、そんな甘えた事を言いたくなくて、
なにより訳の分からない奴に負けたくなくって、必死でそれなりに頑張ってたら、
優しいパートのおばちゃんが気を使ってくれて、接客から棚卸の手伝いにまわしてくれたのだ。
他人に会わずに済んで、正直ホッとした。
他人の優しさに救われて、とってもホッとした。
あのメールにはタンカを切って返信したものの、その後を待つのが怖く、結局朝からずっと、電源を切りっぱなしだった。
あれ、返信が来たのかな?
それともただのいたずらで、相手はたいして気にも留めていないのかな?
それとも変な奴に引っかかって、更に泥沼にはまっていたりして・・・・。
あたしはちょっと考えてから、鞄から携帯を出し、しばらくそれを見つめて、
意を決して電源を入れた。
するとすぐに、未読メール1通、を受信した。
胸が、ドキン、と飛び上がる。
キタ。奴からだ。
フォルダをあけて、更に胸が跳ね上がった。
あのメルアドからだった。私の前の携帯のメルアド。
思いきって、それを開く。
そして、あたしの時は止まった。
RE:土曜日
本文
モルジブよろしくね。