二
舜は、一年前に死んだ。
交通事故で死んだ。
高速道路で死んだ。
居眠り事故で死んだ。
最後に見た舜の顔が思い出される。
「じゃあね」と言った時の、彼の顔。
あの時は気付かなかったけど、後から思えば、少し疲れた顔をしていた。
いや、あの時の彼は、いつも疲れた顔をしていた。
だけど私は、それに気付かなかった。
いや、ひょっとしたら気付いていたのに無意識で無視をしていたのかもしれない。
もうすぐ二人揃って連休が取れるから、一年ぶりに、一緒に海外旅行に行く予定だった。
ビーチリゾートで有名な島へ。
それに浮かれていた私は、彼の疲れた笑顔に大した注意を払わず、
旅行前のわずかな休みを有効的に使おうよ、と
彼を色々な所の買い物に付き合わせたのだった。
「結構買うんだな、優希って」
普段買い物に付き合ったことの無い彼は、少し驚いたように笑いながら、旅行の準備にいそしむ私の後を、文句も言わずについてきてくれた。
だから、だから、だから。
私を家の近くまで車で送り届けた後。
彼はいつも通り高速道路に乗った。
そして、居眠りをした。
そして、故障をして路肩に止まっていたダンプカーに追突した。
そして、多分、自分が死んだ事にも気付かず天国に行った。即死だった。
次に思い出すのが、彼のお葬式の風景。
彼の顔は、とても事故で即死した人間とは思えないほど、綺麗だった。
私の隣で寝ていた顔と、なんら変わりが無かった。
彼のお父さんが、私に近づいて挨拶をしてくれた。
彼のお姉さんが、私に気遣いの言葉までかけてくれた。
彼のお母さんは、私の方を一度も見なかった。
私も、彼のお母さんには近づけなかった。
文字通り、彼女から最愛の息子を奪った、女。
舜は、ハンサムで容姿端麗、身長180センチ以上、某有名大学卒業、元バスケ部員、
仕事もそつなくこなし、性格も温厚、カラオケは右に出るもの無し、というスーパーマンだった。職場の王子様だった。
そんな彼が、どうして平凡な容姿の平凡な短大出の平凡な私と付き合う気になったのか、わからない。
何と言っても、向こうから私に交際を申し込んできたのだから。
私は実年齢でも彼の二つ上である為、社内の年次は彼の4つ上の先輩だった。
だから一応、社内事務ぐらいは教えてあげれていたのだけど。
会社の飲み会の帰り道、たまたま同じ駅まで二人で歩いていた時、
話が盛り上がっていた時、彼が私の手を握り、そのまま彼のコートのポケットに入れて、私に言った。
「あったかいでしょ?」
酔ってるの? この子?
身長155センチの私が驚いて彼を見上げると、
私より30センチ近く高い彼は、くせ毛の前髪の下にある大きな瞳で優しそうに笑い、
その後すぐに、恥ずかしそうに顔をそらして言ってくれた。
「……川本さんの事が好きです。僕と、付き合って下さい」
私は、本当に驚いた。なんて直球勝負。いかにも彼らしい。でももちろん、答えはYES。
だって私も、王子様に憧れている大勢の女子の一人だったのだから。
それどころか、彼に仕事を教えたりサポートしているうちに、彼の笑顔やちょっとしたジョーク、いたずらっぽい表情に、
堪らなく恋をしていたのだから。
「やった!」
彼は私の手を放し、目の前でガッツポーズをした。
「うっしゃ!!」
そして私と目が合い、
「あ、やばい。もったいない、もったいない」
と言って、再び私の手を握り、彼のコートのポッケに入れた。
「大事なモンだから。ポケットに入れとかないと」
そう言って笑った彼の瞳は、同僚の女の子達が見たら目眩がするだろうなっ、っていうくらい
綺麗だった。
その瞳が、私の前で閉じられて、お葬式の彼の顔に変わる。
あの綺麗な、死に顔。
メールを開いたまま、私の顔は痺れたまま。
胸が痛すぎて、なんでか右手の小指が痛い。
これは、あり得ない冗談。してはいけない冗談。
誰かが舜のふりをしている。舜を装っている。
しかもタチの悪い事に、私の以前のメルアドを使っている。前の、携帯のメルアド。
私はそれを、半年前に解約していた。
あの事故の日以来、どこかに無くした携帯。
そもそも無くした携帯を捜す気力なんかなくって、気付いたら何カ月もたっていて、
しょうがないからやっと、解約手続きを終えた携帯。
どこかで過去を断ち切りたくって、全然違う所で新規契約をした。
新しい携帯の番号とメルアドは、家族と数人の女友達しか知らない。
それを、このメールの送信主は、知っている。
どういう手段を使ったのかは分からないけど、私のアドレスを知っている。
送信相手を間違えたのかもしれない。(私のメアドに?)
別に舜のフリをしている訳ではないのかもしれない。(この文体が女の子から?)
私が覚えていないだけで、誰かと今週末に会う約束をしていたのかもしれない。
(まったく心当たりがないけれど?……私の前のメアド取得して?)
呼吸が苦しくなってきて、涙も出てきて、とてもこれから仕事どころではなくなってきそう。
でも、ダメ。負けちゃ、ダメ。
舜の事で、自分がダメになっちゃ、ダメ。
そう決めたじゃない。
だって、あたしは生きているけど、舜はもう、生きていない。
生きていたかっただろうに、生きていない。
舜が受けたであろう悲しみや無念さ以上を、私は受けていない。
だから、そんな私がここで負けるなんて、甘いんだ。
舜に、申し訳が立たないんだ。
甘えったれてちゃ、ダメだ。ふらふらするな。
しっかりしろ、優希。
まずは仕事。前を向いて。
心機一転するために転職した、新しい仕事。キチンとしなくては。
契約社員が、この歳で、甘えた事が許されないのは分かっている。
気分が悪くなりました、なんて言ったら、明日から来なくていいよと言われても文句は言えない。
私は携帯を睨んだ。
こんな奴に、負けない。
私は負けないんだから。
私のメルアド使うなんて、なんて卑怯な奴。
あんたに、私は支配されない!
私は、そのメールに返信をした。
題名:Re:今週土曜日
本文
ふざけんな