裏切り者と罵られた仮面の騎士ですが、私が守っていた王女殿下が全てを知っていました ~転生騎士は忠誠を隠して国を救う~
「裏切り者、灰狼を捕らえよ!」
王城の大広間に、王太子ユリウスの声が響き渡った。
磨き抜かれた大理石の床。天井から差す光の柱。居並ぶ貴族たちの視線が、ただ一点——狼の意匠の仮面をつけた私、灰狼へと突き刺さる。
(はいはい、断罪ね。テンプレ通りっと)
仮面の下で、私は心中でそっと呟いた。
前世で数え切れないほど見た光景だ。責任のなすりつけ合い。証拠という名の茶番。誰かを吊るし上げて、それで幕引きにしようという安っぽい脚本。
「王女ソフィアを敵国ラゴス帝国へ売り渡そうとした反逆者め! 証拠はすべて揃っている!」
ユリウスが密書の束を高々と掲げる。
「密書、目撃証言、金の流れ——貴様の罪は覆しようがない!」
群衆がざわめく。罵声が飛ぶ。
「裏切り者!」
「よくも王女殿下を……!」
かつて肩を並べて剣を振るった同僚たちですら、私から目を逸らした。
(そうだよな。証拠が揃ってりゃ、そう見える。よくできてる)
だが私は、弁明の一言も口にしなかった。
ただ淡々と、両手を差し出す。縄を受けるために。
「……何か言うことはないのか、灰狼」
近衛隊長バルドル。かつての師が、震える手で縄を握っていた。その瞳に浮かぶのは、怒りではなく——葛藤。
私は静かに首を振った。
(申し訳ありませんね、師匠。もう少しだけ、この芝居に付き合ってください)
縄が手首に食い込む。
群衆の罵倒。ユリウスの勝ち誇った笑み。
そのすべてを、私は仮面の下で静かに受け止めた。
——なぜなら、この「裏切り」こそが、私自身の仕組んだ罠だったのだから。
◆
時は、数ヶ月前に遡る。
私の名はアレン。辺境騎士の子として生まれ、王城の近衛騎士にまで上り詰めた男だ。
そして——前世は、現代日本のシステムエンジニアだった。
炎上プロジェクトの火消しばかりを押し付けられ、徹夜の果てに机で息絶えた。報われることのない有能さ。それが私の前世だった。
(まさか異世界でも、火消し役をやる羽目になるとはな)
この世界に生まれ直した私には、一つのギフトが与えられていた。
【真意看破】——相手の言葉の裏にある本心を、色で視る力。
嘘は濁った赤。悪意は黒。そして、まれに触れる純粋な信頼は、透き通った金色に視える。
それは前世のプロジェクト管理経験と、恐ろしいほど噛み合った。人の思惑を読み、証拠を積み上げ、破綻の兆候を先回りして掴む。私はいつしか「裏切りの構図」を見抜くことに長けていた。
そんな私が、ある夜——王太子ユリウスの謁見の場で、それを視てしまった。
「妹の身は、私が責任を持って守ろう」
そう語るユリウスの言葉が、真っ黒に濁っていたのだ。
漆黒。純度の高い、悪意そのものの色。
(……こいつ、妹を殺す気だ)
調べれば調べるほど、構図は明らかになった。ユリウスとその側近ヴァルガス伯爵が、敵国ラゴス帝国と通じている。王女ソフィアを廃嫡し、暗殺し、その罪を誰かに被せて幕引きにする計画。
証拠は、ない。
訴えても、握り潰される。相手は王太子だ。
(正論だけじゃ、組織は動かない。前世で嫌ってほど学んだ)
骨身に染みた教訓。
ならば——正攻法は捨てよう。
私は決めた。自ら「裏切り者」を演じることを。敵の懐に飛び込み、内側から動かぬ証拠を集めるために。
忠誠は、誰かに褒められるためのものではない。
たとえ全世界から罵倒されようとも。
◆
月のない夜。王城の奥、人払いされた小部屋。
蝋燭の炎が一つだけ揺れる中、彼女は待っていた。
ソフィア・ラ・ラングリア第一王女。プラチナブロンドに菫色の瞳。氷の如く完璧な淑女——そう、宮廷では誰もが噂する。
だが今、私の前に立つ彼女の指先は、かすかに震えていた。
「アレン」
凛とした声。けれど、その奥に隠しきれない不安。
「兄上の計画、そして貴方の……策。すべて聞いたわ」
私は片膝をつき、頭を垂れた。
「殿下。これから私は、あなたを裏切った者として振る舞います。あなたには——薄情な王女として、私を見捨てる芝居をしていただかねばなりません」
「…………」
「群衆はあなたを罵るでしょう。兄君の断罪を黙って見過ごす、冷たい妹だと。それでも——」
「わかっているわ」
彼女は遮った。
そして、ゆっくりと膝を折り、私と目線を合わせた。王女が、一介の騎士に。
「……本当に、貴方を信じていいのよね、アレン」
私は【真意看破】を使うまでもなかった。
だが、視てしまった。
彼女の瞳の奥に灯る色——透き通った、混じり気のない金色。
純粋な、信頼の色。
嘘も、打算も、恐れさえも越えて、彼女は私を信じていた。
(……ああ、そうか。暴れ馬から助けた、あの日の少女。彼女はずっと、覚えていたのか)
幼い頃、暴れ馬から助けたことがあった。名も告げずに去った、あの日の少女。
「殿下。私の忠誠は——」
「言わないで」
彼女の細い指が、そっと私の仮面に触れた。
「全部終わったら。その仮面を外して、聞かせて。……約束よ」
蝋燭の炎が、静かに揺れた。
「……承知しました、殿下」
この日から、二人の沈黙の芝居が始まった。
◆
計画には、もう一人の共犯者が必要だった。
王女付きの侍女、ミラ。そばかすの残るくりくりとした瞳の少女。一見おっちょこちょいだが、忠誠心だけは誰にも負けない。
「灰狼様が……裏切り者、ですか?」
事情の一部を打ち明けたとき、彼女はぽろぽろと涙をこぼした。
「そんなの、絶対に嘘です! 灰狼様が殿下を裏切るなんて、そんなの——」
「ミラ」
私は膝をついて、少女と目線を合わせた。
「嘘だと知っているのは、殿下と君だけでいい。誰よりも君の『信じたい気持ち』を、内側に隠し通してくれ。それが一番難しくて、一番大事な役目だ」
ミラは涙を拭い、拳をぎゅっと握った。
「……わかりました。私、灰狼様と殿下のために、絶対に泣きません。人前では」
それから彼女は、命がけの伝令役を務めた。
ヴァルガス伯爵の執務室から漏れ出る帳簿の切れ端。帝国とやり取りされた密書の写し。金の流れを示す証文。
それらを、洗濯物の籠に隠し、菓子の包みに紛れ込ませ、誰にも怪しまれることなく、私とソフィアの間を何十往復もした。
「灰狼様。これ、今日の分です」
震える手で差し出される、皺だらけの羊皮紙。
私はそれを【真意看破】で確認する。ヴァルガスの筆跡は、視るまでもなく真っ黒だ。
(帳簿の切れ端、契約の刻印……よし、繋がった。前世のロギング癖が、こんなところで活きるとはな)
証拠は、一枚、また一枚と積み上がっていった。
そして、決定的な一枚——【契約魔法】の刻印が刻まれた、王女殺害の契約書。
魔法で偽造不可能な、動かぬ証拠。
「ミラ。よくやってくれた。君は、この国を救った英雄の一人だ」
「え、英雄だなんて、そんな……!」
真っ赤になる少女に、私は仮面の下で微笑んだ。
(舞台は、整った。あとは——敵が、自分の墓穴を掘り終えるのを待つだけだ)
◆
そして、断罪の日。
私は縄をかけられ、広間の中央に引き出されていた。
断頭台への道は、もう目の前だ。
ユリウスが玉座の前で、勝ち誇った笑みを浮かべる。その隣には、慇懃無礼な笑みを貼り付けたヴァルガス伯爵。
「これはこれは灰狼卿、往生際が悪うございますな」
ヴァルガスが嘲笑う。その言葉の裏は、いつも通り真っ黒に濁っていた。
「最後に言い残すことはあるか、裏切り者」
ユリウスが問う。
私は、ゆっくりと顔を上げた。
「ええ、一つだけ」
淡々と。怒鳴りもせず、震えもせず。
「では、証拠を読み上げましょう」
「……何?」
縄をかけられた手で、私は懐から一枚の羊皮紙を取り出した。青白く光る【契約魔法】の刻印が、広間の空気を凍りつかせる。
「あなた方が、ラゴス帝国と交わした——王女ソフィア殺害の契約書です」
広間が、しんと静まり返った。
「な……」
ユリウスの顔から、笑みが消える。
「【契約魔法】の刻印は、魔法で偽造できない。ご存じですよね、ヴァルガス伯爵。あなたが手配したものだ」
私は続けた。声を荒げることなく、ただ事実だけを。
「帝国からヴァルガス伯爵家へ流れた金。日付は三ヶ月前。額は金貨五千。これが第一の帳簿」
一枚。
「暗殺者ギルドとの契約書。標的の名は伏せてありますが、支払い元の紋章が一致します」
もう一枚。
「そして、王女殿下の巡幸日程を帝国側に流した密書。筆跡は——ユリウス殿下、あなたのものだ」
証拠が、次々と連鎖して繋がっていく。
金の流れ。暗殺の手配。密書。契約。
すべてが、一本の鎖となって、二人の首に巻きついていく。
「ば、馬鹿な……なぜお前がそれを……!」
ヴァルガスの慇懃な笑みが、はじめて崩れた。
私は、仮面の下で静かに告げた。
「簡単なことです。あなた方が『裏切り者』を泳がせている間——泳がされていたのは、あなた方のほうだった」
◆
「衛兵! こいつを黙らせろ! 偽造だ、すべて偽造だ!」
ユリウスが喚き散らす。
だが——広間の大扉が、ゆっくりと開いた。
凛とした足音。
現れたのは、ソフィア・ラ・ラングリア第一王女。
プラチナブロンドを揺らし、菫色の瞳に一切の迷いを宿さず、彼女は玉座へと歩を進めた。
「そ、ソフィア……お前、なぜここに」
ソフィアは、兄を見据えた。氷のように冷たく、しかし炎のように強く。
「灰狼卿は、私の命令で裏切り者を演じていました」
広間中がどよめいた。
「【契約魔法】の証拠は、すべて本物。彼が数ヶ月をかけて、この身を危険に晒しながら集めたもの。そして——」
彼女は、まっすぐに兄を指さした。
「真の裏切り者は、兄上、あなたです」
静寂。
そして、崩壊。
「な……なぜだ、証拠は、証拠は完璧だったはずだ!」
ユリウスが絶叫する。玉座の前で膝から崩れ落ちる。
完璧だったのは、彼が仕組んだ「灰狼の裏切り」という虚構。
だがその虚構の裏側で、本物の証拠がすべて握られていたことに、彼は最後まで気づかなかった。
「わ、私は関係ございません! すべては殿下が、ユリウス殿下がお命じになったこと!」
ヴァルガスが真っ先に主君を売り、床に這いつくばった。
「命ばかりは、命ばかりはお助けを……!」
(出たよ、小物ムーブ。テンプレ通りっと)
仮面の下で、私は冷ややかに眺めた。
「ヴァルガス伯爵。あなたの助命嘆願も、記録に残しておきましょう。契約書のあなたの署名と、並べて」
「ひっ……!」
近衛隊長バルドルが、静かに剣を抜いた。
だが、その切っ先が向かうのは——私ではなかった。
「王太子ユリウス、ならびにヴァルガス伯爵。反逆と国家反逆の罪により、両名を捕縛する」
衛兵たちが動く。
かつて私を罵った群衆が、今度はユリウスへと目を逸らす。
断罪の構図が、完全に反転した瞬間だった。
◆
すべてが終わった後。
広間には、私とソフィア、そして涙を拭うミラ、頭を垂れる老騎士バルドルだけが残った。
バルドルが、私の前に膝をついた。白髪交じりの厳格な武人が、震える声で言う。
「……私は、貴殿を見誤っていた。証拠を前に、教え子を信じきれなかった。この老骨——生涯をかけて詫びよう」
「師匠、頭を上げてください」
私は、その肩にそっと手を置いた。
「あなたが縄をかける手を震わせていたこと、私は視ていました。透き通った、金色の色を。あなたは、最後まで私を信じてくれていた」
バルドルの目に、涙が滲んだ。
「灰狼様……!」
ミラが駆け寄り、号泣しながら、それでも笑っていた。
「私、ずっと、ずっと人前では泣かないって決めてて……もう、いいですよね? 泣いても、いいですよね?」
「ああ。今日くらいは、いくらでも」
私は仮面に手をかけた。
そして——外した。
数ヶ月ぶりに晒された素顔を見て、その場の全員が息を呑んだ。
罵倒に耐え、断頭台の淵に立たされ、孤独の中を歩き続けたその男は。
——ずっと、微笑んでいたのだ。
穏やかで、揺るぎない微笑み。
ソフィアが、そっと私に歩み寄った。菫色の瞳が潤んでいる。
「約束、覚えていて?」
「もちろんです、殿下」
彼女が、手を差し出した。
その指先は——あの夜と同じように、かすかに震えていた。
私は、その手を静かに取った。
「私の忠誠は、初めからあなただけのものでした、殿下」
ソフィアの頬を、一筋の涙が伝った。氷の淑女と呼ばれた王女の、初めて人前で見せた涙だった。
「……ばか。もっと早く、その顔を見せてくれれば、よかったのに」
窓から差し込む光が、二人を包んだ。
王国は救われ、灰狼は「隠れた英雄」として復権することになる。だが私が選んだのは、栄誉ではなく——彼女の隣という、たった一つの居場所だった。
◆
王城に、平穏が戻った。
ユリウスは廃嫡され、ヴァルガス伯爵をはじめとする帝国との内通者は一掃された。ソフィアは次代の女王として、静かにその名を高めつつある。
そして私、アレンは。
「灰狼卿。次の会議、また遅刻するつもりですか」
「……善処します、殿下」
仮面を外した私は、今や王女の筆頭騎士にして、政の相談役だ。
(結局、異世界でも書類仕事からは逃げられないのか。……まあ、前世とは少し違う。ここには、金色の色で信じてくれる人がいる)
前世のプロジェクト管理癖は、今日も帳簿の不正を見抜き、宮廷の裏側を先回りして掴んでいる。報われない有能者だった前世とは、少しだけ違う。
「アレン」
執務室で、ソフィアがふと手を止めた。
「あの夜、貴方が助けてくれた馬車の少女……覚えている?」
「暴れ馬の?」
「あのとき、貴方は名も告げずに去ったわ。私、ずっと探していたのよ。仮面の下の顔を」
彼女の指先が、そっと私の頬に触れた。もう、震えてはいない。
「やっと、見つけた」
私は、その手に自分の手を重ねた。
——だが。
その日の夜。城壁の見張り台から、私は遠くの丘を見つめていた。
【真意看破】に映るはずのない、けれど確かに感じる、不穏な色。
漆黒。
(……漆黒だ。かつてユリウスに視た、あの悪意の色。国境の彼方で、静かにうごめいている)
ラゴス帝国。内通者を失った彼らが、このまま黙っているはずがない。
「……まったく。せっかく片付いたと思ったのに。ラゴス帝国、内通者を失ってこのまま黙るはずもないか」
仮面を、もう一度だけ手に取る。
狼の意匠が、月光を鈍く反射した。
(はいはい、次の火消しね。テンプレ通りっと)
仮面の騎士の戦いは、まだ終わらない。
だが今度は、一人ではない。
背後で、扉が開く音。
「アレン。……また、一人で何か背負おうとしているでしょう」
振り返れば、そこに彼女がいた。
私は、微笑んだ。今度は、仮面のない素顔で。
「いいえ、殿下。今度は——共に、まいりましょう」




