観測 不能
その老人が目を開けているのに、何も見ていないことに気づいたのは、五分ほど経ってからだった。
五分測っていた訳じゃない。少なくとも、私はそう感じたのだ。
その病棟の廊下は、消毒液の匂いがした。ツンと鼻腔を指すアルコールの嫌な匂い。
私が、彼を訪ねたのは、父の大学時代の友人の見舞いのためだ。
父が半年前に死んで、遺品の整理をしていたら古い手紙が出てきた。
役10年ほど前に書かれた手紙だった。その差出人が、今ここに居る。母に頼まれ、父の死を伝えるためここへ来た。
部屋番号を確認しながら西へ廊下を歩いていると、開け放たれた扉から老人が見えた。ベッドのリクライニングは約30度ほど傾き、彼は斜め上の天井を見上げている。目は開いており、胸は規則正しく上下している。だが、焦点が合っていない。
私はふと、足を止めた。
通りすがりの看護師であろう男に小声で聞くと、「ん、植物状態の方です。それとあまり人の部屋を見ないように。」とだけ言って通り過ぎた。それ以上説明する気もなさそうで、少し嫌悪感も彼から感じた。私もそれ以上聞かなかった。
父の友人は、思ったより元気だった。
八十一歳で、片足が悪く車椅子を使っているが、話し方は矍鑠としていて、父の訃報を聞くと深く頷いた後、しばらく何も言わなかった。
「そうか」
最終的に出てきたのはその二文字だけで、彼はその短さに何かが凝縮されているような気がして、何も返せなかった。
老人は窓の外を見ていた。枯れた庭木が、風に揺れていて、まるで彼自身を観測しているようだった。
彼は、ゆっくりと口を動かした。
「自分で動けなくなったら終わりだと、私は思ってますよ。」
「今は食事だけは自分で食べられる。風呂は助けてもらってるけど、まあそれはいい。でも、これが食事もダメになったら、と思うと、」
言葉を切って、また外を見る。
「それは死に近づいていることだと、私には感じられる。」
最後の言葉は、まるでこの病室に染み込んでいくように小さかった。
私は何か答えなければ、と思ったが口は全く動くことはなかった。
否定する言葉を持ち合わせていなかったからだ。正確に言えば、否定したいとも思わえなかった。その感覚が、ただ、正しいように聞こえた。そう聞こえた。
病院からの帰り道、先刻の老人の部屋の前を、また通った。
今度は立ち止まって、少し長く見た。
目は開いている。胸は動いている。心臓も動いている。ただ、呼吸器の音が静かな廊下に低く一定のリズムを刻んでいる。
ただ、この人の中に「この人」がいるのかどうかは、わからない。
思考することこそが、生きることの中心だとすれば、思考が失われた状態は、少なくとも「人としては死んでいる」のではないか。
しかし、法律でも医療でも、それは「生きている」とカテゴライズされる。家族がいれば、まだそこに「その人」を見ようとするだろう。
ただ私は、この光景を「生」と呼ぶことに、どうしても抵抗がある。
もし今この瞬間、この老人が「死にたい」と思っていたとしても、汲み取ってやれる人間は居ない。一人もだ。
ただ機械だけが、静かに、胸を上下させ続ける。
それを、誰も止められない。
止めようとすることさえ、この国では許されない。
ふと廊下に目をやると、さっきの看護師の男が向こうからカートを押してきた。
それを見て私はまた歩き始めた。
施設を出ると、冷たい空気が顔に当たった。
歩きながら、私は父のことを考えた。
私は父のことがあまり好きではなかったが、悪い人間ではなかった。
むしろ、人に慕われていた。
会社を定年で退職し、その後も地域の集まりに顔を出し、古い友人に手紙を書き続けた。
だから、いなくなったとき、穴が開いたような気がした。この空間がまるで削り取られたような。
母は三日間泣き続けた。食事もろくに取らず、ただ泣いた。
三日目の朝、まだ肩を震わせながら台所に立つ母の背中を見ていたとき、彼は初めて理解した。
人の死が、これほどまでに誰かを壊すのだということを。
そして同時に思った。これは、される側の問題ではなく、させる側の問題だと。
慕われた人間が死ぬと、穴が開く。ならば、慕われなければいい。必要とされなければいい。いなくなっても、誰かの生活に亀裂が走らないような在り方で、生きればいい。
父が生前言っていた、嫌な奴でいるというのは、そういうことだった。
諦めでも自虐でもなかった。設計だった。自分がいなくなるとき、誰も傷つかないための、静かな設計。
誰かが悲しむということは、その人がその分だけ傷つくということだ。自分の死で誰かが傷つくのは、嫌だった。それは生前に与えた傷と違って、もう取り返しがつかない。謝ることも、笑い飛ばすことも、できない。
それを私に言い聞かせていた父は、その望みを叶えることはできなかったようだが。
だから、私は思った。先に嫌われておく。先に距離を作っておく。そうして最後まで生きて、死んだとき、誰かがそっと息をついて「やっと」と思ってくれるなら、それでいい。それが、自分にできる最後の親切なのだ。
それから数日して、大学の帰り道、駅のホームで電車を待ちながら、向かいのベンチに初老の夫婦が座っているのが見えた。
夫が何か言うと、妻が笑う。妻が窓の外を指すと、夫が頷く。会話の内容は聞こえないが、二人の間に積みあげてきた時間が、何気ない仕草の隅々ににじんでいた。
私ははそういう老人が好きだ。歴史が、その人をそうたらしめている、と感じる老人が。
それと同時に、自分にはそれがない、とも思った。
ただそれは悔しいとか悲しいとかではなく、ただの確認だった。だから自分は、別のやり方で終わるのだ、という確認。
電車が来た。
マンションに戻ると、部屋が暗かった。
電気をつけないまま、窓の前に立つ。目下に街が広がっている。
等間隔に並ぶ灯り。それぞれの窓の向こうに、それぞれの生がある。眠っている人間がいる。泣いている人間がいる。あるいは、もう死んでいる人間がいるかもしれない。
外からは、わからない。わかりえないのだ。
死というのは、いつだって外からしか観測できない。心臓が止まる。脳波がフラットになる。呼吸が止まる。それは見える。
だが「死ぬとき、その人の内側に何が起きているか」は、誰にも観測できない。
本当の意味での死は、一度も語られたことがない。語れる人間が、いないのだから。
だからこそ、観測することの出来ない死を人間は恐れる。
怖いから、宗教を介して救いを求め、絵を描くことでイメージに現実味を追加し、物語の中でそれらを定着させていった。
天国も地獄も輪廻も、見てきた人間は誰もいないのに、ここまで具体的に描いてきたこと、それは専ら全て、生きている側の想像力の産物だ。
死そのものではなく、死への恐怖が、形を変えたものだ。
ならば、死後の世界とは「この世に残る者たちのための物語」なのかもしれない。
私は窓を見ながらコートを脱いで、椅子の背もたれに掛けた。電気は、あえてつけなかった。
そのまま、滑るようにベッドに横になって、目を閉じた。
死んだ後のことは、自分には観測できない。だから、死ぬ前のことだけを、自分で決める。どう生きるか。どう嫌われるか。誰を、どれだけ傷つけずに、終われるか。
それだけが、自分に残された仕事だった。
街の音が、少しずつ遠くなる。
父の友人の「そうか」という声が、頭の奥でもう一度響いた。あの病室の匂いがまだこびりついている。
そうか。私は口角を少しだけあげる。
それだけで、十分だった。
死という概念について




