3話
4人で集まって情報共有した後、トーマスは巡回警備に出た。犯罪組織は敵が多いため、24時間体制で付近を警戒している。その日は周囲から警戒するべき雰囲気を感じなかったので、気は緩めずともある程度リラックスしていた。もし敵が奇襲をかけることがあっても、トーマスなら一人で10人くらいは余裕で相手にできる。武器も持たされているので、普段の仕事より楽にやれるかもしれない。
遠くから入口付近を見ていると、1人の男が入っていった。そいつはおそらく巡回担当ではなく、遅くまで外にいた人物だろう。トーマスは念の為時間を見ておいた。夜中の1時3分だった。そしてトーマスはその人物に引っかかっていた。雰囲気が他の組織の人間と違っていたからだ。見た目は完全に組織の人間だったが、どこか作ったような何かを感じた。こういうときトーマスは自分の感覚を信じる。その男を追いかける事にした。何かがあってからではまずい、もし幹部が狙われていたら、もし増村が狙われていたら、ボスからの仕事を完遂できなくなる。「サイファー」としても、この組織が途中でなあなあに潰れるという事だけは回避したかった。
追いかけていくと増村のいる部屋にたどり着いた。中からは何も聞こえない。もう襲われてしまったのだろうか。そう思っていたら、一瞬声が聞こえた。
「天は見ている。」
「…地獄の…ごとく」
地獄のごとくと言ったのは増村だろう。高間が入手した音声データで同じ声を聞いた。
「…なあ、俺はどうなるんだ。殺されるのか。」
「……」
「分からないなら分からないって言ってくれよ。」
「……」
トーマスは息を殺して聞いていた。どうやら増村が怯えている相手がいるのは事実らしい。しかし殺されるのか、と聞いて予想する返事が分からない、とは一体どういうことだ。怯えている相手本人が会いに来たわけではないのか。とりあえず増村を救出するか、ターゲットに恩を売るのは悪い事じゃない。後々言うことを聞かせられるかもしれない。それとも、天は見ている、と言った奴を拘束して知っている事を吐かせるか、いやそれは増村が許さないだろう。怯えている相手だ、報復があるかもしれないと止められる可能性がある。今増村にマークされるのは絶対に避ける必要がある。
そして、トーマスは少し困惑気味だった。不思議な事にドアの向こうから殺意を感じる事は無かった。わざわざ警備の目をかいくぐって本人のいる場所に来たのに、殺さないのは何故か。めんどくさい事をしてまで挑発しに来るような奴なのか。だとしたら嫌な奴に好かれたなとトーマスは心の中で増村に同情した。
とりあえず増村に命の危険がない限り、聞き耳を立てておくことにした。
しかしそこからは何も聞こえなかった。ドアに近づく足音だけしか聞こえなかった。トーマスはバレないように近くの物陰に隠れて、せめて顔だけでも見ておこうとドアの前の暗闇に集中した。ドアが開き顔が見えた。その組織のどこにでも居そうな人相の悪い男だった。だがトーマスは違和感を感じた。顔も雰囲気も知っている。顔を覚えるのが苦手なので詳しくは分からないが、雰囲気は忘れない。絶対にどこかで出会った事がある。とりあえず顔を中心に全身をスケッチしておくことにした。3人のうち誰か一人でも思い出してくれることを信じて。
次の夜、トーマスは3人にスケッチを見せた。
「こいつが昨日の夜増村の部屋に入った。『天は見ている、地獄のごとく』という合言葉らしきものも使っていた。誰か心当たりはあるか。俺はこいつを知っている気がするが思い出せない。」
「トーマスが殺し屋やってたときに出会った同職なんじゃないの?」
「いや、あれはおそらく殺しをしたことの無い人間だ。殺気が全くなかった。どれだけ余裕をもった状況でも、殺し屋ならいざとなった時殺れるように準備しておくもんだ。」
「でも、僕らが会ったことがあるってなんで断言できるんですか?」
「ボスにスカウトされてから出会った気がする。多分俺たちの組織に入ってる人間だ。」
「余計に意味不明なんだけど。なんで私たちの組織の人間が直接増村に会えてんのよ。こっちはコソコソやってんのに。」
望は訳の分からないことを言うな、とトーマスに訴えるように捲し立てた。
「俺に言われても困る。」
トーマスは本当に困った顔をしている。自分でも理解できない状況を必死に飲み込んでいるのだろう。
「あ!え?」
急にイグリスが声を出した。3人はイグリスの声に驚いて、イグリスは頭の中に浮かんだことで驚いている。
「…何だよ。考えてた事吹っ飛びそうになったじゃねえか。」
「いやあの、えっと、その、自分でも信じられなくて。」
「とりあえず言ってみろ。嘘とは思わねえよ。」
「配達係さんじゃないですかね…。」
「配達係って、ボスからの手紙を届けに来る配達係の事か?」
「はい…。」
「なんでだよ。」
「えっと…確かに、僕もこの顔見覚えあるなって思ったんです。でも同じスパイでは無かったなと思ってて、どこかの潜入作戦で見た顔な訳でもなくて。それで他の可能性何があるだろって考えたら、手紙の配達係だったかもしれないって思い出して。」
イグリスはものすごく気まずそうに答えた。しかしイグリスは最初は少年兵として組織に入ったので、実は4人の中で一番組織に長くいる。そのイグリスが見覚えがある、と言うならそれは本当なのだろう。全員信じられないという顔をしていたが、望は特に酷い顔をしていた。潜入作戦の間でなければ体調を崩していたかもしれない。
「本当に言ってるの、それ。」
「こんな意味ない嘘言いませんよ。…言いたくないですよ。」
「他の組織に入っている可能性はないの。」
「俺たちの組織は、他のところと同時進行で所属するのを禁止している。」
「じゃあその配達係が単独であいに来た可能性は…」
「そこまでは分からない。ただ、俺たちはボスの事を警戒した方がいいかもしれない。」
「正直俺もそう思う。今俺はお前ら3人しか信用してねえ。他はボスであろうと信用できねえ。」
「ボスも信用しちゃダメなわけ?」
「俺らのボスはそのくらい信用に欠けることをしたんだ。ボスは馬鹿じゃない。ちゃんと組織の人間を教育できる。となると、俺らを見限ったと考えてもおかしくない。考えたくねえけどな。」
望はとてつもないショックを受けているが、頑張ってできるだけ冷静に頭を動かしている。
「あの手紙が…ボスからの物だったとしたら…、もし身の安全を脅かすようなものだったとしたら…確かに納得する。」
「ボスから脅しの手紙が来たら、か。考えただけで失血死ものだな。」
高間はこういう時にボケるタイプでは無いはずなのだが。さすがに恐怖に耐えられなかったか。
「とりあえず、これからも慎重に行動することには変わりねえ。単独行動は命取りになる、芋づる式で全員の正体がバレる可能性だって十分ある。予定通り手分けして情報を探るぞ。それと追加で、また手紙が来たら必ず知らせること。あと俺らのところにも手紙が来たら、送り返せねえか交渉してみよう。」
その後少し作戦を練り直し、4人はそれぞれの場所へ戻った。
12時24分、望は食堂へ来ていた。毎日12時30分あたりにチャン・ハオは複数人の女性を連れて食堂に来る。この組織ではお菓子以外の食事は原則食堂で行う決まりがあるので、みんなお昼はここに来る。
望はチャンの行動パターンをほとんど掴めたので、接触する機会を伺っていた。今日は女は4人、側近の男は2人だった。側近は毎日同じ男なので、そっちの行動パターンも把握している。女は毎日違うが、グループごとのメンバーは変わらないので、曜日ごとにルーティン形式で回しているのだろう。この組織にはそこまで沢山女性がいる訳では無いので、大体の女性はチャンと面識があるのではないかと望は考えている。その女性の1人からチャンに接触することも考えてはいたものの、よくよく見ると全員平等に接しているので、チャンは本当にただ女という生き物が好きなだけなのだろう。逆に潔くて望は感心していた。しかしこれはある意味厄介である。望の目的はチャンにとっての1番になる事、特に惚れ込んでいる女性がいないということはいちから探りを入れていかなければいけないということだ。チャンにお気に入りの女がいればそこから横取りすればいいのだが、お気に入りがいるという話は聞いたことが無い。こんな組織に入って戦力管理長という物騒な役職についているのに、異性関係はしっかりしているとは少し気に食わない。そんなことはさておき、望は偶然を装って接触する事にした。
翌日25時3分、望はチャンが酒を飲んでいる部屋の近くに来ていた、ハニートラップを仕掛けるために。酔ってフラフラになっている所を介抱してもらおうという計画である、望は美人なのでチャンなら必ず食い付いてくる。
望は恐ろしく酒に強く酔ったことなど1度もないが、顔は赤くなるので酔っているふりをするのに都合がいい体質をしている。やはり危険な任務をこなせるスパイとなるといろいろと才能が必要なのだろう。
作戦はこうだ、チャンが部屋から出てきた時に、すぐ側の曲がり角でぶつかろうという古典的な手法である。先に部屋にいた女性数人がでてきた、そしてチャンが出てきた。望はギリギリ歩けているというような演技で曲がり角に向かった。
「はあ、菓子でも取りに行くか…あれ?姉ちゃん大丈夫か?」
「…えぇ?なんですかぁ?」
「フラフラじゃん。顔真っ赤っかよ?」
「ちょっと飲みすぎちゃってぇ。」
「俺の部屋来なよ、ちょうど今誰もいないしさ。」
「でも、迷惑かけちゃうんでぇ。」
「いいって、迷惑じゃないよ。それに俺、前から気になってたんだよ君のこと。だから来てよ。」
「じゃあ。」
狙い通りチャンは食いついた。接触するどころか部屋にまで入れてくれることになった。望は少し上手く行きすぎな気もしたがせっかくの機会なので距離を縮めることにした。
「はいこれ、水ね。変なもんじゃないから。」
「ありがとうございます、別に疑ってないんで。」
「いやだって怖いじゃん?俺物騒な見た目してる自覚あるしさ。普段周りに女の子並べてるようなやつだし。」
「自分で言うのもなんですけど、私肝は結構座ってる方なんですよ。」
「いいね、強い女の子は大好きだよ。俺厳ついから、弱い子が好みだと思われることが多いけどさ、対等にいられる子の方が好きだよ。」
「それは良かったです。そろそろ酔いも冷めてきたので部屋に戻りますね。ありがとうございました。」
「それは良かった。またいつでも声かけてね、俺の事ずっと狙ってたんでしょ?」
「バレてたんですね。なんか恥ずかしいな。」
「フッ、可愛いじゃん。そういや名前聞いてなかったな、名前なんて言うの?」
「望です。高沢望。」
「いい名前だね。望ちゃんか、覚えとくよ。」
次の日にチャンは望へ接触しに来た。今日は周りに女の子を連れている様子はない。望はいろいろ濃い質問をしてみようと考えた。
「よう望ちゃん、昨日の夜ぶりだな、いや細かく言うと今日の夜中ぶりか?」
「どっちでもいいですよ。それよりどうしたんですか?今日は女の子一人もいませんけど。」
「嫉妬でトラブルは嫌だからね、それに俺は望ちゃんのこと本気で自分のモノにしたいって思ってるよ。」
「どうして?昨日知り合ったばっかりなのに。しかも私すっごい酔ってたのに。」
「仲良くなりたいって思ったんだよ。基本俺にすり寄ってくる女の子しかいないからね、俺の近くにいれば安全だから。でも望ちゃんは俺の事突き放すでしょ?なんか燃えちゃった。いろいろ知りたいんだよ、教えてくんない?」
これがこの男の口説きスタイルなのか、それとも本気で望が気になっているのか、いずれにせよ相手から誘ってくるなら好都合である。もしこれが罠だとしても最初のうちは引っかかっていた方が得なこともある。
「知ってどうするんですか?」
「どうして欲しい?」
「んー、お願い聞いてもらうとか?」
「どんなお願い?今からでも聞いてあげられるけど?」
「いや、今はいいです。仕事に戻らないと。」
「そっか、じゃあまた教えて。俺君のこと待ってるから。」
「…気が向いたら。」
「待ってるよ。」
少し会話を交わして望は仕事へ戻った。とりあえずチャンの興味を望へ向け続ける必要がある。もし擦り寄ってくる女性がほとんどなのが本当なら、少し違うアプローチをした方が興味を持たせやすいだろう。今のところは心配しなくても望に興味を示している。このまま寄り添わず突き放さずの距離を保つ方がいいかもしれない。望はしばらく機会を伺うことにした。




