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97.隔離生活開始

(す、進まない……)


もう予鈴が鳴る時間だというのに、クィアシーナは、まだ校門から少し入ったところにいた。


彼女の前にも後ろにも、生徒がずらりと並んでいる。


視界の遥か先、教室棟の入口前には仮設テーブルが並べられ、そこで一人ずつ、名前と爵位の確認が行われていた。


それと同時に、新たな学則で定められた

『三親等以内に平民がいる者は準貴族とする』

という区分に基づき、家系の確認も行われている。


確認を終えた生徒には、貴族・準貴族・平民、それぞれの階級を示すバッジが渡され、指定された区画へと向かう仕組みだ。


(頭、おかしいよね)


クィアシーナは、ある意味で感心していた。


全校生徒の家系を一日で洗い出し、リスト化して振り分ける。

しかも、隔離のための区画をきちんと整備し、おそらくは教師までも振り分けたのだろう。


――そこまでの労力をかけるくらいなら、最初から別の学園を新設した方が早いのではないか。


莫大な資金は必要だろうが、金持ちが本気で集まれば、難しい話でもない気がする。

もっとも、その相場や手間など、知る由もないのだが。



しばらくして、ようやくクィアシーナの番が回ってきた。


バッジを配っているのは、平民の生徒だった。

どうやら、生徒会の者は、こういった雑務には関与しないらしい。


並んでいる間に、クィアシーナは机の上へと視線を向けた。


バッジがずらりと並べられているが、その色分けは、あからさまだ。

貴族は金、準貴族は赤、そして平民は――灰色。


(……灰色をチョイスしたの、誰だよ)


他と比べて、どうにも気分が沈む色である。


クィアシーナの前の生徒は、名前と学年、クラスを名乗り、

それをもとにリストを確認されていた。


「あれ、貴族欄に名前がないな……じゃあ準貴族か」


そんなふうに少し手間取りながら、赤いバッジが手渡される。


――だが、クィアシーナの番になると。


「はい、これ。胸につけてね」


迷いは一切なく、灰色のバッジが差し出された。


(少しくらい、迷えよ!)


別に、貴族に見られたいわけじゃない。

ただ、本当にほんの僅か――

クィアシーナの、ちょっとした見栄が傷ついただけだ。


それだけの話だった。


灰色のバッジを胸につけ、同じ色の者たちに続いて、灰色区画への道を歩いていく。


ふと隣の区画を見ると、灰色バッジに並ぶほど、赤いバッジをつけた者が多かった。


――まあ、そうだろう。


両親に兄弟がいる家、特に兄弟姉妹の多い家では、継げる爵位がない。

そのため、貴族の家に嫁ぐか、婿入りしなければ平民となる。

つまり、叔父や叔母が平民という貴族の生徒など、珍しくもない。


赤が多いのは、当然の結果だった。


すると突然、赤のレーンの方から、複数人のざわめきがクィアシーナの耳に聞こえてきた。


誰だ?と思って視線を向けた、その先には――


(あああーーーーーー!

リ、リンスティー“お姉様”がいらっしゃるーーーー!!!)


ざわめきの正体は、リンスティーに群がる生徒たちの声だった。


「私、赤でよかったかも! だって、リンスティー様がいるし!」


そんな声が、あちらこちらから聞こえてくる。


(私だって、親戚にひとりくらい貴族がいれば――)


そう思った瞬間、不意に、両親の声が頭に響き渡った。


『クィアシーナ。

君は純血の庶民だ。

先祖代々、生粋の平民の血が流れている――

混じりっ気のない平民だ――』


『そう、あなたは紛れもなく、

平民です、

平民です、

平民なのです――』


クィアシーナは、ぶんぶんと頭を振った。

幻の声のクセに、どれだけ平民、平民と繰り返すのだ。


(クソぅ!

幻聴ですら、夢を見させてくれない!)


人は、生まれてくる環境を選べない。


この日、クィアシーナは初めて、

平民である自分を心から嘆いた。



灰色区画を進むと、他目的室として使われていた教室に行き着いた。

通常の教室二つ分ほどの広さがあるその部屋には机がなく、生徒たちは事情が分からないまま、立ち尽くしている。

ここからさらに移動するのかどうかも分からず、鞄を手にキョロキョロと周囲を見回している生徒も多かった。


生徒たちの顔ぶれを見る限り、特進のSクラスを除いた、AからDまでの平民一年生が全員ここに集められているようだった。


(……明らかに人数、あふれてない?

というか、机も椅子もないけど、ここで何するんだろう)


「あ、クィアシーナ!」


声のした方を振り向くと、ララが教室の隅からこちらへ駆け寄ってきた。


「ララ、おはよう。ねえ、ここに集められて、何か説明でもあるのかな?」


クィアシーナの問いかけに、ララは首を傾げる。


「うーん、どうなんだろ。もしかして、このまま授業が始まったりして」

「まさか!」


ははっと笑い合っていると、廊下から一人の教師が入ってきた。

確かBクラスの担任で、共用授業をいくつも受け持っている男性教諭だ。


「はーい、みなさん静かにー」


静かに、と教師は言うが、もともとそこまでざわついていたわけではない。

もはや口癖のようなものなのだろう。


そして、教師は教室の真ん中まで来ると、生徒たちに向かって改めて口を開いた。


「ここに集められた生徒は、今日からすべての授業を、ここで受けてもらいます。

苦情は、一切受け付けられません」


そのセリフは、完全なる棒読み。

台本通り読み上げているんです、というのがありありと伝わってきた。


「そして、みなさんの教科は、すべて私が受け持つことになりました。……困ったことにね」


そう付け足した教師の表情は、生徒たちと同じように、明らかな戸惑いを帯びていた。


生徒たちが教師のいまの言葉にざわつき始める。

そりゃそうだろう。

勝手にクラスを合同にされた上、何もない教室でどうやって勉強をしていくというのだろうか。しかも、教科はすべてこの教師が受け持つだなんて。


「先生、質問があります」


ざわめきの中で毅然とした態度で挙手したのは、Aクラスの魔法科の生徒だった。

生徒たちの視線が、一斉に彼女へと集まる。


「なんだい?」


「私は魔法科の生徒ですが、魔法の授業に関しても、先生が受け持ってくださるんですか?

魔法科は一般教養科とカリキュラムも違いますし、一般教養科のB、C、Dクラスでも、授業の進度は異なるはずです。

その辺りは、どうするおつもりなのでしょうか?」


(よくぞ聞いてくれた!)


そんな空気が、教室全体に流れた。

クィアシーナも、そうだそうだ! と心の中で激しく同意する。


教師も、絶対にその質問が来ると思っていたのだろう。

考え倦ねる様子もなく、間髪入れずに答えた。


「魔法の授業に関しては、テキストは提供しているのだから、独自で学べ、……とのことです」


魔法科の数人の生徒から、「何それ!?」と憤りの声が上がる。


「一般教養科のカリキュラムは、一番遅れていたDクラスの進度に、今日から合わせて進行していきます。

最初は戸惑うかもしれませんが、徐々に慣れていくでしょう。……いや、互いに慣れていきましょう」


クィアシーナは、少しばかり教師に同情した。

間違いなく、教師も“やらされている”側だ。

Bクラスの担当として、成績面で劣等生とされるDクラスの進度に合わせるなど、教師としてのプライドを大きく傷つけられたに違いない。


「先生! 机が無いんですが、これはなんでですか?」


次に声を上げたのは、一般教養科の男子生徒だった。

顔に見覚えがないので、BかCクラスの生徒だろう。


「机は……」

教師は、言葉を切り、視線を伏せた。


「支給されません」


まさかの回答に、今度こそ教室は騒然となった。


「もし必要であれば、各自購入をお願いします、とのことです」


教師の力ない言葉に、生徒たちは漏れなく怒り狂った。


「おかしいだろ! 地べたに教科書を広げて勉強しろってことか!」


「今まで使っていたものは、どうなったんですか!?

絶対、余ってますよね!?」


生徒たちからの不満が、あちらこちらから噴出する。

「わーわー」と騒ぐ声に、「みなさん、落ち着いて」と教師が窘めようとするが、

一度感情が爆発した集団は、そう簡単に止まらない。


(これ、ちょっとまずいんじゃ……)


クィアシーナは、この状況を俯瞰して見ていた。

昨日、ガブリエラが放送で『監視の魔道具を設置する』と言っていたのを、思い出したからだ。


これ以上、生徒たちが騒げば、間違いなく――


「ぎゃ」


一番騒いでいた生徒の一人が、突然、その場に倒れた。

短い声とともに届いた、ドサリという乾いた音。


いままで声を上げ抗議していた生徒たちは、一瞬にして口を噤み、その生徒の方へ視線を向けた。


沈黙――


そして、パニックが襲った。


「きゃぁぁぁぁぁ!!!!」


あちこちから上がる悲鳴につられ、状況が分からない生徒たちにもパニックが伝染していく。


教師は倒れた生徒に慌てて駆け寄り、身体を起こす。

どうやら失神しただけのようで、教師はほっとした表情を浮かべ、床に横たえる。


「せ、先生! 今の、何ですか!?」


「――罰則です。

みなさん、今のでわかったでしょう?

反抗心を持つことも、ここでは禁止されています。

言動、行動には十分注意なさい。もちろん、私も、です」


今度こそ、全員が沈黙した。


「――授業を始めます。彼はしばらくそこで寝かせておきます。

……保健室も使えるかどうか、状況は分かりませんので」


教師は静かに口にした。その表情は、諦めにも近かった。


「立ったままでも、その場で座っても構いません。

各自、自分がやりやすい方法を取ってください。

ただし、必要のない私語は慎むように」


(終わってるなぁ――)


こんなことをしていたら、平民たちの成績はガタ落ちだろう。

学園全体の評価も落ちるに違いないし、保護者や職員から恐ろしいクレームが飛んでくるはず。


(まあ、成績に関しては、やんごとなき貴族クラスが底上げしてトントン、って感じなのかな。あー、やだやだ)


クィアシーナは、スカートが汚れるのも厭わず、床に座って教科書を広げた。

こういう状況でも、いち早く順応できるのは、彼女の美点といっても過言ではない。


最初は立ったままの生徒も、授業が進むにつれ足が疲れてきたのだろう。

授業の終わりには、みなが床に教科書を広げ、静かに講義を聞いていた。


(ジガルデ様の討論を含んだ授業、またやってくれないかな――)


つまらない講義をぼんやり聞きながら、クィアシーナは一限を終えた。



結局、二限も三限も同じような調子で、途中で足が痺れたり、首が痛くなったりして、授業にはまったく集中できなかった。


それはクィアシーナだけでなく、他の生徒も同様だったようで、

「明日は簡易椅子とテーブル、持って来ようかな……」

なんて声も聞こえてくる。


(いや、重いでしょう。私はクッションとバインダーを持ってこよう。

スカートの下に見えてもいい短パンを履いて、それから……)


人間というものは、過酷な環境に直面すると、どうにか適応しようと工夫を始めるものだ。


でなきゃ、こんな環境やってられない。


「えぇっ!? 第二カフェテリア使えないの!?」


「うん、第一カフェテリアが貴族バッチ専用、第二カフェテリアは準貴族専用になったんだって。

私たち平民バッチは、売店で買うか、お弁当持参でここで食べろって……」


クィアシーナの嘆くような声に、ララもしょげた様子で説明する。


(ご飯だけは死活問題だ……)


慌ててララと一緒に売店へ向かうも、各学年の平民勢が殺到した後で、食品棚には何も残っていなかった。


当然、これまで二人は第二カフェテリアや売店を利用していたため、家からお弁当を持参しているはずもなく――


「やだー、ひもじい……。私、午後もたないよ……」


ララは涙声になりながら、その場にへたり込む。


「うーん、私、おやつに『可もなく不可もなくクッキー』持ってきてたんだけど、それ、一緒に食べる?」


「食べる! クィアシーナ神様! 私、あの無難な味大好きなの!」


持ってきておいて良かった。

なんとなく、こうなる気がしていたのだ。

昨日、団体さん御一行が部屋から帰っていったあと、大量に焼いておいた。



教室に戻り、クッキーの袋を開けてララと二人でもしゃもしゃと食べていると、一人の生徒が話しかけてきた。


さっき罰則を受けて失神していた、あの男子生徒だ。


「なあ、君、元生徒会のクィアシーナだろ」


彼はそう言うと、「よいしょ」とクィアシーナたちの前に腰を下ろした。


「うん、そうだよ。あ、いる? 無難においしいよ」


腹が減って寄ってきたのかと思い、一つつまんで彼に渡す。

彼は微妙な顔をしたあと、えいっと一口かじり、

「……無難に美味しいな」

と感想を漏らした。


「ありがとう。いや――そうじゃなくて。

聞きたいんだけど……君は、この学園を現状のまま、受け入れようとしてるの?」


突然の問いに、クィアシーナは目を丸くする。


「え? 受け入れる? なんで?」


どうしてそんなことを、しかも初対面の自分に聞くのだろうか。


「なんで、か。

君は――“影のヒーロー”なんだろ。やっぱり、何か策を持ってるのか」


(んん? この人、あの新聞部の誇張記事を信じちゃってる系の人?)


彼がなおも話を続けようとしたので、クィアシーナは手で制した。


「待って。今ここで不穏なこと言ったら、あなた、また失神する羽目になるよ?」


クィアシーナの言葉に、彼はハッとした表情をする。


――危ないところだった。

クィアシーナが止めなければ、きっと

「今の生徒会を倒してくれ! 頼む!」

などと言い出して、

自分までとばっちりを食らい、失神することになっていたに違いない。


クィアシーナが教室内を見渡すと、なぜかみんなが自分の方を注目していた。


その中には、リファラたちDクラスの面々も含まれている。

どこか期待した目を向けられ、クィアシーナは顎に手をあてた。


(本当は放課後に話すつもりだったけど……みんなここに集まってるっぽいし、ちょうどいいか)


正直、こんな形で目立つのは不本意だ。

けれども、人間やらなきゃいけないときもある。


覚悟を決めたクィアシーナは、すくっと立ち上がり、魔法科の校章がついた女生徒に声をかけた。

一限の始めに、教室全体の疑問を代表して質問してくれたあの女生徒だ。

彼女は友人とお昼を食べていたが、それを中断させることに少し申し訳なさを感じつつ声をかける。


「ごめん、ちょっといい? あなた、この教室全体に、防音魔法をかけられる?」


突然話しかけてきたクィアシーナに、女生徒は驚きつつも小さく頷いた。


「あ、うん……でも、私の魔法、多分五分も持たないけど、それでもいい?」


「うん、充分。むしろ長くかけると監視に引っかかる可能性もあるし。今、お願いできる?」


クィアシーナのお願いに、女生徒は慌てて立ち上がり、「わかった」と返事をすると、静かに詠唱を始めた。


(防音魔法って、詠唱が必要なんだ……)


リンスティーやジガルデは指を一つ鳴らすだけで防音魔法をかけていたのだから、彼らが規格外だったことを今さらながら知る。


「終わったよ」


女生徒の言葉に、クィアシーナは「ありがとう」と返し、大きく声を上げた。

教室一帯にその声は響き渡った。


「みなさん。少しだけ、私の話を黙って聞いてください。

ただ、監視の目があるので、こちらには注目せず、お昼を食べるフリをしてください」


最初は「なんだなんだ」とクィアシーナの方を見ていた生徒たちも、

その声に、素直に従い、一斉に彼女を見ない素振りをした。


クィアシーナは周りが落ち着いたタイミングで、話を続けた。


「私は、ダンテ殿下からの伝言を預かっています。

今ここで、それを皆さんにお伝えします」


“ダンテ殿下”という言葉に、教室内の空気が一気に張り詰めた。


元を辿れば、学園の崩壊劇は、ダンテが急な方針転換を始めたことから始まっている。

――まだ何か仕出かすつもりなのか。

そんな警戒の色が、空気越しにもはっきりと伝わってきた。


しかし、クィアシーナの次の言葉で、その空気は一変する。


「ダンテ殿下は、"とある生徒の一人"に、マインドコントロールされていました」


小さなどよめきが走ったが、クィアシーナは構わず続けた。


「そのため、彼はこれまで、意図しない行動をずっと取らされていたのです。

この件について、元生徒会の一員である私が、代わってお詫びします。

学園を混乱させてしまい――大変、申し訳ございませんでした」


生徒たちは、静かに耳を傾けている。

こちらを見るなと告げたにもかかわらず、何人かの視線が確かに刺さっていた。


「言いたいことが山ほどあるのは承知しています。ただ、今はどうか堪えてください。

来週の終わりには、ダンテ殿下は学園に戻ってきます。

その際、彼はこの学園を、必ず元の状態に戻すと約束してくれました」


クィアシーナは監視の目を意識し、どこを見るでもなく、淡々と宣言する。


「繰り返しになりますが、それまでどうか、諦めずに耐えてください。

きっと彼が戻ってきたとき、この理不尽は払拭されるはずです。

――以上です」


そう言い切ると、クィアシーナは続けて念を押した。


「この話は、他の学年にも伝えるつもりです。

ただし、絶対に今の生徒会には悟られないようにしてください」


そう言って、彼女は静かに床へ腰を下ろした。


――ちょうど、防音魔法が切れたらしい。

魔法の気配が消え、いつもの教室の空気が流れ込んでくる。


周囲の反応は、実にさまざまだった。

今の話を疑っている者、不安を口にする者、どこか安心した表情を浮かべる者――

そして、先ほど声をかけてきた男子生徒のように、なぜかクィアシーナを眩しそうな目で見る者もいる。


「クィアシーナ」


隣で話を聞いていたララが、そっと彼女の名を呼んだ。


「いろいろ、みんなのために動いてくれてたんだね。……ありがとう。

やっぱりクィアシーナは、私たちのヒーローだよ」


そう言って微笑みかけられたが、当の本人は、ひどく苦い顔をしていた。


(私一人が動いたわけじゃないんだけどな……)


こんなときは、とりあえず、はは、と笑って黙っておくに限る。


クィアシーナの乾いた笑いが、教室の隅に、かすかに響いた。

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