91. 不穏な情報と事実
彼から衝撃的な話を聞いた直後、予鈴が鳴った。
ガブリエラが戻ってくる前に一般教養科の教室へ戻ったほうがいいということで、ダンに急かされる形で、クィアシーナはSクラスの教室棟を後にした。
それでも、ダンが放った言葉は、ずっと頭から離れなかった。
(生徒会の……総入れ替え)
今の生徒会の面々は、リンスティーを始め、表向きは従順なふりをしていても、心から従っていたとは言えない。
見回りは手を抜き、生徒のためを思って相談の窓口となり――
ガブリエラたちからすれば、面白くなかったに違いない。
だが、それだけの理由で、今までの仲間を切り捨てるなど。
本当にダンテは、皆と決別する道を選んだのだろうか。
――あのとき、旧校舎で会ったダンテ会長は、いたって正気に見えた。
ドゥランが言っていたとおり、魔法の痕跡は感じられなかった。
言動も明瞭で、クィアシーナときちんと会話が成立していた。
それでも、彼の真意はまったく見えてこない。
(生徒会のみんなはこのことを知ってるの?)
あれほど、みんなには自分の家を溜まり場にして欲しくないと思っていたのに、
今日に限っては違う。
生徒会のメンバー誰か一人でも、自分の元へ会いに来て欲しかった。
ダンテが戻れないところまで行ってしまう前に。
――『革命だよ』
彼のささやくような声が、頭の片隅に聞こえた気がした。
◇
「しゃーーーっす!!!!」
放課後、とぼとぼと帰路についていたクィアシーナの耳に、やたらと耳障りな挨拶が飛び込んできた。
「げ……」
振り向いた先にいた人物を認めた瞬間、クィアシーナは思わず顔を思いきり顰める。
「うわっ、姐さん! 今日も相変わらず平凡顔の上に嫌悪を滲ませてますね! 最高っス!」
今、もっとも会いたくない貴族主義者のリストの一人。
イグナート・ストーンである。
ダンテ不在の間、クィアシーナが『害虫駆除』に精を出していた頃、彼女の手によって一度だけ痛い目を見た男だった。
それ以来、なぜかこの舎弟じみた態度でクィアシーナに付きまとってくるようになったのである。
本来なら、高位貴族である彼が平民のクィアシーナにこんな接し方をするなど、罰則ものだ。
だが、周囲に彼を止められる者はいないらしい。
生徒たちは二人を見ないふりをして、そそくさと校門へ向かっていった。
「イグナート様、あっちいってくれません?」
「やだなぁ、姐さん。学則があるからって、俺たちの仲だろう?
いつもみたいに視線で殺す感じで、俺のこと「イグ」って呼んでくれよ~」
(呼んだことねぇよっ!!!)
心の底から叫びたい気分に駆られたが、ぐっと堪える。
替わりに、ガンっとその辺の石を蹴飛ばしておいた。
「ちょっと、私、いま機嫌悪いんですが?」
「そんなんいつものことだろ! ほら、手合わせしようぜ!」
イグナートはそう言うと、鞄を道の脇に置き、
構えのポーズとともに掌を上に向けて、ちょいちょいと手で誘ってくる。
クァイシーナは話の通じない目の前の男に、額に手をあて、溜息をついた。
脳筋であり、戦闘狂。
どういった高度な教育をしたら、こんなご令息に育ってしまうんだろうか。
自称・か弱い頭脳派の自分としては、一番関わりたくない相手である。
ただ、今日は虫の居所が悪かった。
お望み通り、一瞬にして姿を消し、
次の瞬間には、イグナートは情けない声を上げて崩れ落ちていた。
(ああ、帰ってからちゃんとローファー磨かないと……)
久しぶりに、鉄板仕込みのお手製ローファーが火を噴いた。
「ぶほっ」
「ご満足でしょうか?」
八つ当たりにも程があるが、向こうから"手合わせ"と言ってきたのである。
正当防衛だろう。
「くぅ……
やっぱ素晴らしいっす……」
身体を二つ折りにして身悶えしながら声を絞り出すイグナートに、
クィアシーナは侮蔑の目を向ける。
「満足いただけたなら、もう行きますね」
クィアシーナが踵を返そうとした、そのとき。
「待ってください! ちょっと朗報があるんっすよ!」
珍しく戦いの申し入れ以外の言葉を口にした彼に、クィアシーナは思わず歩き出していた足を止めた。
「朗報、ですか?」
「はい! そうっす!」
訝し気な声で問うクィアシーナに対し、
イグナートはにこにこした顔で、とんでもないことを口にした。
「俺、マグノリアンに代わって、明日から庶務をすることになったんだ!」
手を上に上げて、喜びを露わにする。
「姐さんも前に庶務をしてたよな!?
どうだ、すごいだろ!? これってあれじゃね!? 運命じゃねっ!!?」
ガツン……
「ごふっ」
「あ、ごめん」
気付けば、身体が勝手に、特大の蹴りをもう一発叩き込んでいた。
「いま……、なんて言いました?」
「あ、聞こえてなくて怒ったんすね! すいません!
俺、明日から生徒会庶務に就任しまーっす!」
とんでもなく軽く言ってのけたイグナートに、クィアシーナはもう一発食らわしたくなったが、
ここは理性を総動員し、我慢しておいた。
「……それは、ダンテ会長からの指名で?」
「うーん? 会長は不在だったんすけど、ガブリエラ副会長から通達が来たんすよ。
さっき生徒会館に呼び出されて、『あなたを明日から生徒会庶務に任命します』って。
もーーーー俺、飛び上がるくらいうれしくって!
兄貴は去年の在任中に泣く泣く生徒会を解散させられたんで、
それのリベンジ? みたいな? しかも姐さんと同じ役職でしょ?
これは姐さんに褒めてもらうしかないって思って」
クィアシーナは、彼が喋っていた内容の最後の方はほとんど耳に入っていなかった。
(ダンテ会長が不在で、ガブリエラさんが――指名した?)
胸が変な風にざわつきを始めた。
嫌な予感だけが、はっきりと輪郭を持っていく。
ダンテを介していない。
その、意味は。
――ああ、ジガルデ様。やっぱりちょっと、甘かったみたいです。
クィアシーナは、ジガルデのことを思い浮かべながら、空を仰いだ。
◇
まだまだ絡んで来ようとするイグナートを振り払い、クィアシーナは自宅へと戻った。
(これは、まずいことになった)
イグナートは、ジガルデの生徒会時代に役員をしていた兄を持つ、貴族派であり"アンチダンテ政権"の一人だ。
――"アンチダンテ政権"。
彼ら旧生徒会のメンバーは、生徒会が解散となると同時に、会長であるジガルデとともに役職を追われた。
そのときの恨みで、度々マグノリアンたち生徒会の継続組や、ダンテの弱点に見えたアリーチェに対し、嫌がらせを繰り返していた。
そう、彼らは、ジガルデを追い出すように会長に成り代わった、ダンテに理不尽な強い恨みを抱いていたのだ。
彼らの思想は完全なる貴族主義。忠誠を誓うのは、間違いなく第一王子であるカロン殿下だ。
そしてそんな彼らを率いているのは――
ガブリエラ・シュターグ。
(ラシャトが言ってた、生徒会の総入れ替えというのが、ガブリエラ以外を意味するのだとしたら、ダンテ会長は――)
そのとき、ノックの音がクィアシーナの耳に聞こえて来た。
ぱたぱたと玄関へ駆け寄り、覗き穴を覗き込む。
するとそこには、今日一番会いたいと思っていた人物が、
駆けてきたせいか荒い息をつきながらドアの前に立っていた。
「リンスティーさん!」
すぐにドアを開け、彼に叫ぶようにして声をかける。
「――連日悪い。でも、どうしても、今日のうちにクィアシーナの耳に入れておきたくて……」
焦燥しきった様子の彼に、クィアシーナも事態を察した。
「生徒会のこと、ですよね」
暗く告げるクィアシーナに、リンスティーも「もう……知ってたのか」と小さくつぶやきを漏らした。
「とにかく、中に入ってください。ちょっと身体を休めて……」
そう言って中に入っていこうとするクィアシーナの腕を、
リンスティーがぱっと掴んだ。
そして彼女の身体を自身の方へと引き寄せると同時に、押さえていたドアがパタンと閉じていく。
玄関ドアにもたれ掛かる様にしてクィアシーナを抱きしめる彼に、困惑しながら何事かと顔を見上げる。
「リンスティーさ……」
(あ……)
――今までみたことがないくらい、不安に揺れているリンスティーの顔が、そこにはあった。
抱きしめられる力がいつもより強く、どこか震えているようにも感じる。
「ごめん……、こんなことして、わけわかんねぇよな。ほんと、ごめん……」
強く身体を抱きしめたまま、か細い声でしきりに謝るリンスティーに、クィアシーナはかける言葉が見つからない。
こんなに弱った感情を見せる彼の姿を、クィアシーナは初めて見た。
いつも堂々としていて、周りのためを思って動いているリンスティーである。
理性的で、時にはため込んだ感情を苦言で発散させていた彼は、
疲れた様子は見せても、弱った顔はこれまで決して見せなかった。
(いったい、何があったの――)
黙って抱きしめられたままになっていたクィアシーナは、おずおずと手を背中に回し、その大きな背にそっと滑らせるように撫でた。
「大丈夫です。落ち着いて……」
何度も何度も、同じ動作を繰り返す。
彼の不安を少しでも取り除くように。
そして「大丈夫」と語りかけることで、どこかで自分の不安も消えていくような気がした。
そのうち、彼の腕の震えが止まり、ずるずると腰を下ろした。
もちろん、クィアシーナも向かい合ったまま一緒に座る。
立ち上がろうとしたが、リンスティーが腕を引いて離さない。
クィアシーナは仕方なく身体の向きを変え、背中から抱き込まれるようにして一緒に腰を下ろした。
「もう落ち着きました?」
肩越しに見える彼の顔を振り向き、様子を伺いながら問いかける。
「……うん……」
いつもに比べたら力のない返事だが、先ほどよりは落ち着きを取り戻したようだった。
「それなら、良かったです」
そう告げるも、リンスティーは身体を離す気はないらしい。
クィアシーナは、玄関で一体何をしているんだろうと思ったが、
どうにも不安定な様子のリンスティーを見て、強くは出られなかった。
「……ダンテが、罷免された」
「!?」
ぽつりと溢した言葉に、クィアシーナの身体が思わず跳ねた。
その瞬間、腕を緩めたリンスティーから身体を離し、彼に向き合って座る。
「罷免されたって。一体、どういうことですか!?」
下を向き虚ろ気な表情をするリンスティーに、クィアシーナは詰め寄った。
「――ガブリエラにしてやられた。
罷免制度の行使は、生徒の過半数の署名と、現生徒会メンバー一名以上の要請だ。ガブリエラはこれを使った」
「署名って……。そんな、いつの間に……」
「署名を集めるのはそんなに難しいことじゃない。新制度を取ってから、ダンテのやり方に反発を覚えるものは少なくなかった。
それに加えて、貴族主義の連中にも協力を取り付けていたらしい」
「でも、次の会長には会長選をしないといけないんじゃ……」
「ああ。でも、その空白期間中は、穴を埋めるための仮の組織を発足できる。
それは署名した者の中で、生徒会メンバーが優先される」
「……ということは、」
「明日からは、ガブリエラがフォボロス学園の生徒会長だ」
クィアシーナは彼の言葉に目の前が暗くなるのを感じた。
予想を超える最悪の事態が、現実となったのだ。
リンスティーは自身の両目を両手で隠すようにして覆い、ぐったりした声を漏らした。
「まさか、そう来るとは思わなかった。
ガブリエラは、ダンテを傀儡のようにして裏から学園を牛耳ることで、満足しているものだと思ってた。
けど、自らその座に成り代わるなんて……」
まさに、下剋上だった。
彼女は、身分では絶対に敵わない権力者を、その座から引き摺り下ろしたのだ。
「ガブリエラは、副会長に貴族主義の筆頭、マクレン嬢を置いた。
その他のメンバーも、アイツの手中にあった者で固めてる」
リンスティーは両手を下に滑らせ、不安を覆い隠すかのように口へとあてた。
「明日からは、平民にとっても、貴族にとっても、ガブリエラの独裁政治による地獄の始まりだ。
手始めに、『三親等以内に平民の親族がいる者は、学園内において準貴族として扱い、貴族とは隔離する』らしい」
「なっ……」
あまりの内容に、クィアシーナは思わず言葉を詰まらせる。
「そ、そんなことしたら……
ほとんどの貴族が対象になるじゃないですか!」
「ああ。でもガブリエラの中では、それこそがユートピアなんだろう。
平民の血が交わらない、純粋な血脈だけが特権を持つ。
特権階級とその他を明確に隔離することが、平穏な生活を保障する未来につながる──と、アイツは平然と全員の前で説いた」
――歪んでる。
そこまでして貴族を囲ったところで、いずれ平民と交わらざるを得ない場面は出てくるだろう。
学園内でそれを実現できても、外に出れば民衆の反発は避けられないはずだ。
聡明であるはずの彼女が、それを理解していないはずがないのに。
「ごめん」
「クィアシーナが守ろうとしてくれてた、ダンテの生徒会を、
俺は守ることが出来なかった」
「……本当に、ごめん」
――ごめん。
声にならない声が続いた。
(リンスティーさんだけの責任じゃないのに)
自分だって、もう少し踏み込める余地はあったはずだ。
せめてジガルデの静止を振り切ってガブリエラと対峙していたら、今ごろ何か変わっていたかもしれない。
クィアシーナは、リンスティーの前で両膝をついて首の後ろへ手を回し、そっと自分の肩口へと抱き寄せた。
「リンスティーさんのせいじゃないです。
――時期だったのだと思います」
『時代の流れ』
貴族主義の連中から不満が吹き出してくるのは、もはや必然だった。
ジガルデという新たに大頭した中立派の改革によって、貴族主義優位になっていた学園を、元の状態に押し戻しつつあったのだから。
「今回の件は、誰にも止めれなかった。
でも、生徒会のみんながやっていたことは無駄では無かったと思います」
特に、リンスティーはダンテの代わりとして、暗く陰を落とした学園において、みんなの心の支えとなっていた。
学園に不安を抱える生徒たちの心を、彼はどれだけ救っていたのだろうか。
平民の血が入っているというだけで、ガブリエラからは下に見られ、不自由したことだろう。
これまでずっと一緒だったダンテに見限られ、本人も、不安で仕方なかったはずだ。
そんな彼の頑張りを、生徒会を守れなかったという理由だけで、無かったことになど、させたくなかった。
「手を尽くした結果です。それより、明日からのことを考えましょう。
私、まだ一年生なんで、あと三年も、そんな暗黒時代の学園生活を過ごす気はさらさらないです」
「……っ」
自分の肩口で、まるで嗚咽のような、それを必死に押し殺した声が聞こえる。
クィアシーナは堪らず、回していた手を片方だけ髪へと伸ばし、
優しく、彼の形のいい頭を撫でていった。
リンスティーは、目元を隠したままだ。
今までなんとかせき止めていたものが、容量を超えて決壊してしまったのだろう。
焦りも、不安も、怒りも、寂しさも。
彼は知らぬうちに、それらをすべて抱え込んでいたに違いない。
そしてここへ来て、ダンテの罷免という事実を突きつけられ、
最後まで保っていた感情――悲しさが、溢れ出たのだ。
(泣いていいんですよ)
声には出さなかった。
本人が我慢しているのなら、クィアシーナはそれを尊重したいと思った。
――でも、明日から、本当にどうしようか。
弱りきったリンスティーを抱き締めながら、
クィアシーナは、これからのことをぼんやりと思い描き、
ふうっと息をついた。




