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90. 動きだす貴族主義

「……待つ、ですか」


「ええ。もう少し、お時間を頂けませんか」


ジガルデは静かに頷いた。


「私は――僅かな望みに、賭けたいのです」


今、クィアシーナは生徒面談用の小部屋で、彼と一対一で向かい合っていた。


事の発端は、彼女がガブリエラに直接話をしたいと申し出たことだった。

昨日、リンスティーから受けた助言の通り、決して単身で向かわず、ジガルデに同席を頼むつもりでいた。


だがその願いは、あっけなく保留という形で退けられてしまった。


「魔法の解析は、もう少しで終わります」


ジガルデはそう前置きし、


「彼女が施した魔法痕――その証拠も、掴める可能性が高いでしょう」


そう告げたあと、少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。

「……甘い考えだとは、自覚しています。ですが私が周囲に働きかけ、意識を変えていくことで……彼女自身も、偏った価値観を見直してくれるのではないかと。どこかで、そう期待しているのです」


その言葉を前にして、クィアシーナはただ頷くしかなかった。


彼が授業で口にしていた通り、急激な変化は、余計な血を生む。


たとえジガルデを伴っていたとしても、彼女がガブリエラのもとへ乗り込み、


「今の生徒会の在り方は間違っている」


などと訴えたところで、待っているのは反論ではなく、完膚なきまでの拒絶なのだろう。


頭では理解している。

それでも、もどかしさにクィアシーナは唇を噛んだ。


「――わかりました」


表面だけをなぞる言葉を口にし、一礼して部屋を後にする。





それからの日々は、比較的穏やかなものだった。


ジガルデの受け持つ授業では、生徒たちが徐々に以前の落ち着きを取り戻していく。


相変わらず貴族側の許可は必要だったが、

敬語を交えながら、平民と貴族が何事もないかのように言葉を交わす光景が、学園のあちこちで見られるようになった。


身分制度は残っている。

だが、人としての在り方は少しずつ変わり始めていた。


平民であっても意見を述べ、

貴族であっても理不尽は許されない。


――学園の外では当たり前だった価値観が、ようやく学園の内側にも浸透し始めていたのだ。



「ねぇねぇ、ジガルデ先生が学園来てくれたのって、クィアシーナがきっかけっていうの、ほんと!?」


げほっ。


ララの突然の質問に、クィアシーナは飲みかけていたミルクを吹き出しそうになった。


「な……なにそれ?」


「新聞部の今日の記事で話題になってたわよ。見る?」


「あ、ありがとうございます、マリア様……」


マリアに差し出された新聞を、クィアシーナはおそるおそる受け取った。


一時すっかり疎遠になっていたマリアだが、今はララと二人、態度に気をつけながら、以前と同じように行動を共にするようになっていた。


クィアシーナは新聞に目を落とし――そして、その内容に、思わず両目を見開いた。


『ジガルデ・ブリード先生は、いまや時の人。

元庶務であり“影のヒーロー”と名高いクィアシーナ・ベックからの要請を受け、学園へ派遣されたことが、我々独自の取材により判明した。


一時は表舞台から姿を消していた彼女だが、やはり黙ってはいなかった。

学園を正すため、裏から人脈を集め、着実に行動を続けているのである。


彼女の次なる一手は何か。

我々生徒は、再び訪れる“革命”に期待せずにはいられない――』


ビリィッッ!!!!


「ちょっと、突然何するの!」


「これは燃やしたほうがいい……捏造記事にもほどがある……っ!!」


三人で囲んでいた机の上に、クィアシーナの手によって、ものすごい勢いで引き裂かれた新聞紙が積み上がっていく。


そして最後の一枚まで破り終えた彼女は、


ドンッ、と机に額を打ち付けた。


(誰!? こんなことリークしたの!?

……書いたのは間違いなくラシャトさんしかいないだろうけど!)


――直談判しかあるまい。


クィアシーナは即座に立ち上がり、二年の教室へと乗り込むことにした。





「ひっどいなぁ。影のヒーローは、こんなことしちゃいけないと思わないの?」


「誰が影のヒーローなんですか!」


クィアシーナは即座に二年の教室へ乗り込み、礼節だけは忘れず――しかし有無を言わせぬ勢いで、ラシャトを引っ張り出した。


このクラスの学級委員長も、彼女のあまりの形相に、そっと視線を逸らして見て見ぬふりをしてくれた。


連れて来られたのは、裏庭の隅。

比較的近く、人目につきにくい場所が、咄嗟にそこしか思い浮かばなかったのだ。


「なんですか、あの記事。独自取材って、誰情報なんですか!?」


「さっそく読んでくれたんだね!

いやぁ、活動停止は続いてるけど、読者がいるっていいもんだよね~」


「話を逸らさないでください!」


ガンガン詰め寄るクィアシーナにも、ラシャトはどこ吹く風である。


「こっちにも守秘義務があるからねぇ……それは言えないよ。

でも、せっかく呼び出してくれたってことは、何かネタを提供してくれるんじゃないの?」


首根っこを掴まれてなお、にやりと笑って情報を引き出そうとするその姿に、クィアシーナは(本当に大物だな……)と内心で思った。


ぱっと手を離し、はぁっと一息、溜息を吐く。


「……何もありませんよ。むしろ、動きたいのに動けないっていうか……」


本当は、ガブリエラと直接対話をしたい。

だが、頼みのジガルデには止められてしまっている。


学園は一時より落ち着きを取り戻しつつあるが、罰則は継続中。

生徒会と学級委員長たちの監視体制も、未だ解かれてはいなかった。


そして何より――。


生徒会。

ダンテとガブリエラが、あまりにも静かすぎることが、どうしても引っかかっていた。


「まぁ、今回は君関連でいい記事が書けたからね。僕から君へ、一ついい情報があるんだけど、聞く?」


フフ、といった挑発的な笑みを浮かべながら、クィアシーナに尋ねる。


……いい予感は、まったくしない。


けれども、珍しく彼の方から情報をくれるということは、自分にも関係が深いものであるに違いない。


聞きたくない、けれども聞かなきゃいけない。


「…………………………聞かせてください」


クィアシーナは盛大に溜めを作り、渋々頷いた。


「近々、貴族主義の者たちに、動きがあるかもしれない」


ラシャトの言葉に、クィアシーナははじかれたように顔を上げた。


「動き、ですか?」


クィアシーナの問いかけに、ラシャトはゆっくりと首を縦に振った。


「ああ、そうだよ。確かな情報筋だから、間違いないと思う。たぶん、早くて明日には……

僕は号外を出す準備をしなきゃいけないから、今朝からずっとソワソワしてるんだよ」


「あ、はい」


最後の方はさらっと無視して、クィアシーナは顎に手を当てて考え込む。

どんな動きがあるのかは見当もつかないが、最近の静けさを思えば、どうにもきな臭い。


(明日には何らかの動きがある――これって、ダン君なら知ってる?)


貴族主義の筆頭として、かつて露骨な嫌がらせ(しかし失敗に終わった)をしてきたダン。

兄であるジガルデは今や完全な貴族主義とは言い難いが、弟のダンなら、まだ繋がりが残っているかもしれない。


「ありがとうございます、ラシャトさん!

ちょっと確認に行ってきます!」


「え、あ、うん。気を付けて……」


足早に裏庭を去っていくクィアシーナの背中を見送りながら、ラシャトはぽつりと呟いた。


「ほんとう……ネタには困らない子だ」



――そんなことを呟かれているとは、本人は露とも知らず。


「いや、それでこんなとこまで普通乗り込んでくるか……」

「発言の許可、いただけます?」

「いいよ、自由に喋れよ。気持ち悪いな……」


残りの昼休みの時間を使って、

クィアシーナは一年Sクラスの教室前まで来ていた。


自分から声をかけて呼び出すことなどできない。

なぜなら、Sクラスの生徒は皆そろいもそろって貴族出身であり、クィアシーナは生粋の平民だからだ。


教室の入り口から、席に座るダンへ向けて、これでもかというほどの視線と念を送り続ける。

その異質な気配に気付かざるを得なくなったダンは、やがてため息まじりに立ち上がり、入口まで出てきてくれた。



特進クラスであるSクラスは、クィアシーナたち一般教養科、そして魔法科とも異なる棟に位置している。

これまで一度も、足を踏み入れたことのない場所だ。


廊下から窓枠に至るまで、何から何まで造りが違う。

素材の時点で、自分たちの棟とは別物だと一目でわかる。


(ああ、さすが特進クラス……寄付金をつぎ込んで修繕しまくってるんだろうな)


思わず、下衆な勘繰りが働いた。


「ここだと目立つ。場所を移動しよう。ついてこい」


ダンに連れられて辿り着いたのは、豪華なソファが置かれた居室だった。

広くはないが、調度品はいずれも、学園の備品とは思えないほど贅を尽くした造りである。


「う、うわ……なにこれ。ここでお茶会とかするんですか?」


「そうだ。よくわかったな」


「……」


――冗談で言ったつもりだったのに。


あからさまな生活格差に、Sクラスという特権階級の暮らしをまざまざと見せつけられた気がした。


「それで、急にどうした?

最近は兄上のおかげで空気も戻ってきたとはいえ、平民のおまえがこんな場所に来れば、罰則は確実だぞ」


「ちょっと、確認したいことがあったんだよ」


好きに喋れと言われたので、敬語は使わず、そのまま返す。

ちなみに相手は、小物とはいえ公爵令息である。


「確認したいことだと? 僕が持ってる情報なんて、今のところ兄上のプロフィールくらいしか」

「それは後でじっくり教えて」


クィアシーナは被せ気味に答えてから、本題を口にした。


「……とある筋で、貴族主義の連中が、早くて明日にでも何かをしようとしてるって聞いたんだけど、

ダン君、この話知ってる?」


探るようにして問いかけるクィアシーナに、ダンは眉根を寄せる。


「――知ってると言えば、知ってる」

「え、うそ。教えて!」


立ち上がって身を乗り出すも、次に彼の口から出た言葉に、

すぐに腰を下ろすことになる。


「知らないと言えば、知らない」

「なんだそれ」


クィアシーナはどっちつかずな返事をするダンに、呆れた様子で返し、ぽすん、と座り心地のいいソファにお尻をつけた。


「最近、良いか悪いかはさておき、ブリード家は貴族主義筆頭とみなされなくなってしまった。

いまはマクレン侯爵家一点が、派閥の者たちを引き連れている構図になっている。

――ガブリエラ嬢とともにな」


「そうだったんだ……」


いつの間にか、貴族側の勢力図は書き換わってしまっていたらしい。


「ただ、派閥の者たちから最低限の情報は入ってくる。

だから、僕も完全にとは言えないが、一部の動きなら知っていると言える」


そう答えるダンの表情は、本当に何も思うところがないように見えた。


「あっさりしてるね」

「まあな。むしろ清々したくらいだ。僕は兄上の考えを支持している。次期当主のあの人が貴族主義からの離脱を望むなら――僕はそれに従うまでだ」


彼は心底、兄であるジガルデに信頼を寄せているらしい。

まあ、その気持ちはわからなくもない。――というより、わかりすぎるほどだ。


「先にこちらから聞いておくが、おまえ、この情報を聞いてどうするつもりだ?」


「どうするって……」


ふと、思考が止まった。


(確かに、事前に情報を知ったとして、私に何かできることはあるの?)


「聞いてみないと、わかんないかな」


するりと口をついて出たその言葉に、ダンは呆れ混じりの視線をクィアシーナへ向ける。


「おまえ……ほんと、ある意味すごいよな」

「全然褒められてる気がしないけど。うん、ありがとう」


クィアシーナは、謙遜しないところが自分の良いところだと自覚している。

言葉通り素直に受け止め、話を引き出した。


「それで、その情報っていうのを教えてもらうことはできる?」

「……」


ダンは一瞬押し黙る。

このまま話は終わるかと思った、そのときだった。

意外なことに、彼はすぐに口を割ってきた。


しかし、彼の発した言葉に、クィアシーナは一瞬、理解ができなかった。



「――おそらく、近々生徒会メンバーが入れ替わる」



「……え?」



クィアシーナの呟きは、彼女の戸惑いとともに宙へと消えた。



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