86. 助けてくれたのは、あのお方
あの後、三人は「また来る」と言い残し、それぞれ家へと帰っていった。
(え……また来るの? なんか溜まり場にされそうでヤダな……)
そう思ったクィアシーナの予感は、たぶん間違っていない。
他にいい場所はないかと考えてみたものの、結局、いい案は浮かばなかった。
◇
昨日平和なことがあれば、翌日には何かが起こる。
往々にして、そういうものだ。
その例に漏れず、クィアシーナは今、目の前でトラブルに直面していた。
一限が終わった休憩時間。
トイレから教室へ戻った、そのときだった。
「おまえさぁ、平民なんだから、俺より先に行って、扉を開けて待ってろよ。
気が利かねぇな」
「え、あ、すみません……」
Dクラスの教室の入り口で、男子生徒が二人、言い争っている。
二人とも同じクラスの生徒だ。
一人は男爵家の子息、もう一人は平民。本来なら、仲が良かったはずの組み合わせだった。
それなのに今は、貴族の彼だけが、露骨に横柄な態度を取っている。
(あの二人、前はじゃれつくくらい仲が良かったのに……)
Dクラスは比較的平和なクラスだった。
だが、その平和は皮肉にも、罰則の多発を生んだ。
貴族と平民が接触しなければ問題は起きない――そう学んでしまった結果、次第に両者の間に見えない垣根が築かれていったのだ。
触らぬ神に祟りなし。
争いはないが、距離だけがある。
そんな、よそよそしい空気のクラスへと変わっていた。
それなのに、他のクラスで広がりつつある"貴族優位"の空気が、ついにDクラスにも流れ込んできたらしい。
周囲も、そんな二人の様子を黙って見ていた。
誰も口を挟もうとしない。
もちろん学級委員長も例外ではない。
貴族の彼の態度は学則には沿っているため、反省文の添削をしているふりをして、見て見ぬふりをしていた。
(あー、この空気。嫌いだわ)
昔通っていた学校の一つに、こうした事なかれ主義の学級があった。
自分が直接嫌がらせを受けるよりも、すぐ傍で理不尽が放置されている方が、よほど胸が悪くなる。
少なくとも、クィアシーナはそうだった。
それに――。
二人が教室の入り口を塞いでいるせいで、
中に入れない。
彼女の後ろには、同じように足止めを食らった生徒が二人、立っていた。
ふうっと一息ついて、足を進める。
「失礼します。少し、よろしいでしょうか?」
淡々と、クィアシーナは声をかけた。
「あ? なんだよ」
「お二人が入口を塞いでいて、中に入れません。
退いていただけますか?」
至って簡潔に伝えたつもりだった。
だが、その淡々とした口調が、彼の神経を逆撫でしたらしい。
「ふーん。俺に退けって言ってるわけ? 平民のくせに?」
(そうだよ、邪魔なんだよ! 気付けよ! 私は早く席に戻りたいんだよ!)
見下すようにして言う彼に、心の中では悪態をつきまくるが、
クィアシーナはそれを表に出さず、無表情に言い返した。
「お貴族様のくせに、みんなの通行の邪魔をなさるんですね。道を譲る、それって最低限のマナーでは?」
敢えて、煽る様に言ってやった。
向こうが暴力に訴えてきたら、クィアシーナも容赦するつもりはなかった。
貴族に楯突いたら、罰則が下るだろう。
――それでも、こんなしょうもない芽は早く摘んでおきたかった。
「……ッおまえ!!」
(きた!)
予想通り、目の前の彼が激高し、
腕がクィアシーナへと振り下ろされようとする。
咄嗟に身構えた――その瞬間。
「そこまで」
低く、しかしよく通る声が響いた。
振り上げられていた手が、ぴたりと止まる。
殴りかかろうとしていた男子生徒は、自分の身体が言うことをきかなくなったことに、激しく動揺した。
「は、え……? 動けない……!」
クィアシーナもまた、何が起きたのかわからず、呆然とその場に立ち尽くす。
(動きが、止まってる……)
「え、拘束魔法……?」
この感覚に覚えがあり、思わず呟いた、
そのとき。
「ええ、そうですよ。拘束魔法です。
女性に手を上げるなど、貴族の風上にも置けませんね」
背後から聞こえた声。
最近、耳にしたことのある――
やけに耳障りのいい声だった。
胸の奥が、ちくりと熱を帯びる。
「……ジ、ジガルデ様?」
振り返った先に立っていたのは、
先日会ったばかりの男――ジガルデだった。
彼は片手を強く握りしめ、拘束魔法を維持したまま、穏やかな笑みを浮かべている。
「大丈夫ですか? クィアシーナ嬢」
「は、はい……」
仕立ての良い服に、きちんと締められたタイ。
その姿は、まるでこの学園の教師のようだった。
丸みを帯びたお腹がなんともキュートだ。
暴力が振るわれる寸前、颯爽とクィアシーナの前に姿を現した彼は、間違いなく彼女のヒーローだった。
ドサッ
「え!? クィアシーナ嬢!?」
クィアシーナは、その場に崩れ落ちた。
人というものは、目の前に突如現れた推しに、即座に対応出来ない作りになっているらしい。
簡単に言うと、腰が抜けた。
(また会えた……! しかも、助けてくれた!)
大丈夫ですか、と差し伸べてくれた手を取り、なんとかして立ち上がる。そのふっくらとした指先に触れるだけで、心臓は百回以上、全力で跳ね上がったことだろう。
クィアシーナが目をハートにしてる中、
周囲の様子はというと――
誰、この人。
何やってんのこの二人。
と、置いてけぼり状態をくらっていた。
ジガルデはクィアシーナを立ち上がらせると、ゆっくりと殴ろうとした生徒へと振り向いた。
そして、堂々と言い放つ。
「君は貴族である前に、人としてやってはいけないことをしようとしました。
『ラスカーダの国の者として、男性は女性にどうあるべきか』。君の見解を一枚に纏めて、私に提出しなさい。
期限は、今日の放課後までです」
そんな威厳ある態度を見せるジガルデに、男子生徒は一瞬言葉に詰まり、それでも意地を張るように食いついた。
「な、なんで見知らぬアンタにそんなことを言われなきゃいけないんだ……」
しかし、ジガルデは首を傾げ、さも当然というように微笑んだ。
「何故って、私は、今日からこの学園で臨時講師をすることになったからですよ」
一瞬間を置き、綺麗に礼をとる。
「後でちゃんと自己紹介しますが、ジガルデ・ブリードと申します。
――以後、よろしくお願いします」
教室で成行きを見ていたララとマリアが「あ」となる。
(この人が、クィアシーナの最推し――!)
ビジュは残念ながら対象外だが、この物腰の柔らかさと品の良さ、そして堂々とした大人の対応に、二人は深く納得する。
――うん、これは推せるわ。
ファンが増えた瞬間だった。
◇
ジガルデの臨時講師就任は、またたく間に広まった。
もちろん、闇組織化してる新聞部も黙っているはずがなく、即号外が配られた。
新聞部はまだ活動停止中のため、みんな裏でこっそり手に入れ、読んだら廃棄するという徹底ぶりだ。
もちろん、クィアシーナも一部手に入れて、読んだ。
というより、ちゃっかりラシャトにリークしたのはクィアシーナ本人である。生徒Aとしての意見もばっちり載せてもらっていた。
『衝撃の人物が学園に舞い戻ってきた――
学園が混沌としてる今、昨年度に学年を混沌に陥れた張本人、元生徒会長のあの人が、再び学園に足を踏み入れた。
その名は"ジガルデ・ブリード"。
昨年在籍していた二年、三年の者でその名を知らぬものはいないだろう。
今の学園と同じく貴族主義に傾倒した学則を打ち出し、
生徒による署名で罷免させられてしまった、
歴代でも最も不名誉な会長と言われていた人物である。
ジガルデ・ブリードは今回、フォボロス学園の臨時教員として突如として就任することとなった。
その目的は、身分制度の煽りで奇しくも学園を去ることになった教員の穴埋め。
彼は生徒会副会長ガブリエラ・シュターグ公爵令嬢と生徒会庶務リンスティー・シュターグ公爵令息と同格となる、ブリード公爵家の者である。
高貴な身分もさることながら、彼は初日から、乱れた貴族主義の思考を正し、貴族を人としてあるべき姿に戻す指導をしたという。
その姿は、かつての会長選挙までに見せていた、堂々たるものだった、と目撃者である生徒Aは語る。
彼が今の学園の方向性を正す教育者と成りうるのか。
我々は固唾を呑んで見守るばかりである――
』
クィアシーナは記事を読んで、新聞をシワになるほど強く握りしめた。
しかし読み終わったらララに回すと約束していたことを思い出し、慌てて手を緩める。
(……うまい、ちゃんとジガルデ様が中立の立場として書かれてる)
決して貴族主義として舞い戻ったとは言わず、かといって完全に民衆派の味方とも書いていない。
けれども、確実に新風を巻き起こす存在として、ジガルデが現れた事実を伝えている。
暗く陰を落としている学園にとって、
一筋の光になるかもしれない。
そんな期待を持たせる、含みのある書き方だ。
クィアシーナはラシャトに初めて感謝した。
実はラシャトにリークしに行く前、クィアシーナは思いがけず職員室に呼び出されていた。
もちろん、呼び出したのはジガルデである。
職員室の一角を与えられたジガルデの机の横に立ち、他の教師たちが慌ただしく授業の準備をしてる空気の中、クィアシーナは何か叱責を受けるのだろうかと内心緊張でドキドキしていた。
「クィアシーナ嬢を呼び出したのは、決して叱るためではないです。なので、そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ。
ただ、先ほどの件で少し注意をしておこうかと思いまして」
そう告げるジガルデの声音は優しい。クィアシーナはふうっと肩の力を抜き、強張っていた表情を緩めた。
その様子を見届けてから、ジガルデは続ける。
「クィアシーナ嬢が煽るようにして男子生徒にとった態度は、決して正解だとは言えません。
きちんと意見を言うのは正しいことです。
ただ、敢えて感情を逆なでる発言をしたのは、余計な暴力を生むだけでした。
お互いに怪我をする可能性もあった――
違いますか?」
「……違いません」
殴られたら反撃する。
今の学園なら、正当防衛でも貴族に手を上げたとして、
どんな罰則を受けていたかもわからないことを、自ら進んでしようとしていた。
諭すように言うジガルデに、バツが悪くなったクィアシーナは顔をさっと伏せる。
「――でも、あなたの勇気ある行動は、皆の意識を変えるきっかけを作ったと思います」
続いたジガルデの言葉にすぐに顔を上げ、彼の顔を見つめた。
「もし、理不尽を受けてどうしようもないときは、大人を頼って下さいね。私は身分だけは高いので」
ふふ、と微笑むジガルデに、クィアシーナは困ったような笑みを浮かべ、
小さく頷きを返した。
(存分に頼らせてください――)
本音を心の中で呟く。
また腰が抜けそうになったが、今の自分は注意を受けてる身である。さすがに職員室で倒れるわけにはいかなかった。
なんとか足を踏ん張って、倒れそうになるのを堪える。
そして、勢いに任せて質問を口にした。
「あの、ジガルデ様――ジガルデ先生は、なんで急に臨時講師になられたんですか?」
教師と生徒として、こうして再会できるなんて。
まさに青天の霹靂である。
クィアシーナの質問に対し、ジガルデは声を落として答えた。
「……僕にも、思うことがありまして。今の学園の有り様を自分の目で見たかったのと、昨年の罪滅ぼしができないかと思っていたんです」
後悔の念が、彼の表情から伝わる。
「そんなとき、教員の臨時募集をしているというのを耳にしたんですよ。なんでも、平民の教員が数人、出勤停止や休職に追い込まれたとかで講師の数が足りなくなったらしく……。
僕は昨年学園を途中で去りましたが、一応卒業単位は取れてたんで、学卒の資格は持ってるんです。
学園に連絡を入れたら、即日採用で今に至るというわけです。
あ、もちろん魔法解析も並行してやってるんで。
そのあたりは、安心して下さいね」
まだ療養明けで体調も本調子ではないかもしれない。
それでも、崇高な考えと、自分の信念を持って行動に移したジガルデ。
そんな彼に、尊敬の念を抱かずにはいられなかった。
胸の奥から湧き上がるものに背中を押されるように、クィアシーナは口を開いた。
「学園のことを想ってくださって、ありがとうございます。おかげで、まだ希望が持てそうです」
自然と口からついて出た言葉に、ジガルデはクスリと微笑んだ。
「本当のことを言うと――」
そう前置きして、彼は自身のふっくらとした頬を掻く。
「休日にあなたにお会いしたときの別れ際、『学園に来てくれたらいいのに』という言葉が僕を動かしたんですよ?
……誰かの希望になれそうなら、思い切ったことをして良かったです」
「……っ!」
クィアシーナは、瞬時に鼻を抑えた。
ここで粗相をするわけにはいかない。
頭ではわかっているが、これは反則だ。
不意討ちが過ぎる。
クィアシーナはお礼と冒頭の注意をしっかり受け止めたことを伝え、足早に職員室を去った。
そして、その足で速攻でラシャトのところまでリークしに行った、という訳である。
実際、ラシャトは貴族かつ上級生なので、軽々しくクィアシーナが話しかけてはいけないのだが、得意の気配消しを駆使した方法で上手くやった、とだけ伝えておく。




